Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




アナたちがオラフの案内で一路ノース・マウンテンに向かっていた頃、アレンデールでは雪の女王がもたらした突然の冬に、いまだ苦しめられていた。
凍りついたフィヨルドは船を氷漬けにしたまま放そうとせず、エルサの戴冠式に立ち会うためにアレンデールを訪れた異国の賓客たちは、足を奪われて故国に戻れずにいた。
動かないオブジェとなり果てた船から荷が下ろされ、使用人たちがせっせとアレンデール城に運びこんでいる。
広場では、真夏の防寒対策に追われる人々や、暖を取ろうとやって来た人々、または不安にかられたり、情報を求めて集まってきた人々の姿があちこちまばらに見られた。
だが大半の市民は、家に閉じこもってなりゆきを見守っているようだった。
一体この異常気象がいつまで続くのか、皆目見当がつかない。
冬をもたらした張本人と噂のエルサ新女王は、戴冠式の夜以来行方をくらませているという。
どこか山奥に引きこもり、雪を降らせ続ける女王を、近衛兵のヴィルと妹のアナ王女が説得に向かったとの情報もある。
広場中央の屋根付きステージの脇には暖炉用の薪が積まれ、臣民に無料で支給されていた。
薪の組み方をめぐり、2人の男たちが揉めている。

「違う違う、そっち向きに置いちゃダメだ!皮は上に向けるんだよ!」

「下にする方がよく乾くだろ!」

衛兵を引き連れ、上着の束を抱えたハンス王子が、人々の間を縫って回る。

「マントだ、マントはいらないか?」

言いながら、上等な厚手の上着を市民に手渡していく。
痩せぎすの老婆が上着を受けとると、王子に感謝した。

「アレンデールの者はみんな、王子様に感謝しております」

ハンスは老婆に笑みで応え、城へ行くよう促した。

「城の門は開けてある。
大広間に、温かい飲み物とスープを用意した」

ハンスは、フルーツやスパイス、風味を効かせた暖かいワインを大広間に用意させていた。
芯から冷えた身体を温めてくれる北国では欠かせない飲み物だと、王子に教えたのはアナだった。
ハンスが手近の衛兵に上着を渡し、配るように指示していると、ウェーゼルトン侯爵が2人の側近を引き連れてやって来た。
憤懣やるかたない面持ちだ。

「ハンス王子!アレンデールの城にある品を全て配る気か!?
我が国との貿易に差し支えるではないか!」

「これはアナ王女の命令で……」

「そんなことは関係ない!
あんたの姫君は信じられん!
恐ろしい魔法使いや臣下と組んで我々を!滅ぼすつもりだ!」

「王女を疑うことは許さない。
僕がアレンデールを任されている。
言うことを聞かないと、法律に従い、処罰するぞ!」

「なっ、な、なんだと……!」

王子をやりこめて自ら主導権を握ろうとした結果、謀反人の汚名を着せられそうになり、侯爵は一転守勢に立たされた。
世間知らずの王子とタカをくくっていたが、軟弱そうな外見に似合わずなかなか抜け目がない。
その時、一頭の馬がいななきながら、広場へ駆けこんで来た。
慌てふためく人々をかき分け、ハンス王子は昂る馬の方へ急ぐ。
アナ王女の愛馬に違いない。
しかし本人の姿が見当たらない。馬だけで帰ってきたのか?

「よーしよし、静かにしろ、落ち着け、落ち着くんだ」

手綱をとり、馬を鎮める。
馬の装具にクロッカスの紋章がついているのを見とめた周囲の人々が、色めきたった。

「アナ王女はどこ?」

「どこにいるの?」

王子は、馬の降りてきた方角に厳然とそびえるノース・マウンテンを見上げた。
そして再びパニックの起きかけている広場を見渡すと、意を決して人々に呼びかけた。

「アナ王女に何かあったようだ。捜索に出た兵も戻らない。
これから王女を探しに行く!一緒に行く者はいないか!」

アレンデール、異国の訪問客双方から、複数の男がただちに進み出た。

「私の部下を2人行かせよう!」

ウェーゼルトン侯爵も、2人の側近を捜索隊に差し出した。
だが、2人にこっそり秘密の指示を与えておくのを忘れなかった。

「……やることは分かっているな?
エルサ女王を探し出し、力づくでこの冬を終わらせるのだ……しくじるなよ……」

無口な手下たちは頷いて、不敵な笑いを浮かべた。


アナ、クリストフ、スヴェンはエルサたちの居場所を知っているというオラフの後について、つららの迷路のようなノース・マウンテンの一帯を進んでいた。
迷路の制作者が誰であれ、訪問者を歓迎する気はなさそうだった。
地面から岩壁から、あらゆるところから鋭い氷がレイピアのように突き出し、通行人を威嚇している。

「どうやって冬をまた夏に戻すつもりなんだ?」

クリストフがアナに聞いた。

「あぁ、姉さんとヴィルにお願いしてみようと思って」

「……それだけか?
俺の商売は君のお願いにかかってるのか?」

「そう」

よそ見をしながら歩いていたクリストフの鼻に、水平に突き出た氷のつららが突き刺さろうとしていた。
すんでのところで立ち止まり、串刺しを回避したクリストフがそのまま続ける。

「ヴィルっていう衛兵はともかく、魔法が使える女王が怖くないのか?」

「怖いわけないでしょ」

クリストフは四方から自分たちを狙う、きらめく氷の凶器を睨みつけた。

「そうさ!」

オラフがアナに加勢する。

「女王も従者も、きっと優しくて、親切で、心のあったか〜い人だよ!」

後ろを向いて歩いていたオラフは、つららに真っ直ぐ突っこんで胸元から串刺しになる。
腰から下だけの姿でそのまま歩き続け、氷の壁にぶつかって止まった。

「あ〜、ね見て。
刺さっちゃった!んふふふふ!」

オラフは面白がっている。
一方、アナとクリストフは目の前にそびえる絶壁に息を呑んでいた。行き止まりだ。

「どうするの?」

アナが途方に暮れた声を出す。

「んー……うん、かなり急だな」

周りを見回し、クリストフはため息をついた。

「まず俺が登る。
君にはとても無理だろう」

言いながら、鞄をまさぐってロープを探す。
少々骨が折れそうだが、自分が先に登って、アナたちを引き上げるしかないだろう。
スヴェンは事によってはここで待たせるか――。

「どうかな?」

思案にふけるクリストフの頭上から声がした。
スヴェンに角で小突かれて見上げると、アナが急斜面にへばりついている。

「……何してるんだ?」

「何って、もちろん、姉さんたちに、会いに行くのよ!」

上方のでっぱりに手を伸ばしながら、アナが言った。
もちろん、ロック・クライミングの経験なんてあるわけがない。
だが、エルサたちを連れ戻すと決めたからには、そんなことは何の障害にもならない。
一度決めたら、決して諦めない性分なのだ。

「落ちたら大変だぞ?」

足がかりと手がかりを探して氷の壁をまさぐるアナを、クリストフとスヴェンが危なっかしそうに見守る。

「そこに足をかけちゃダメだ」

クリストフの助言に、アナが反発した。

「気が散るから黙ってて」

足をかけた途端、雪がポロリとはがれて危うく落ちかける。
アナは動きを止めて、呼吸を整えた。

「そこも」

気にせずアナは別の足がかりに足を移したが、突起が崩れてすぐ踏みはずしてしまった。

「女王たちは君に会うつもりがあるのか?」

「知らない!
集中できないからもうあなたのことは無視するね!」

「はぁ……。
山で行方不明になるのは、1人が好きな奴なんだ」

「1人が好きな人なんていない!っ、あなた以外はね!」

アナが踏ん張りながら言い返す。

「俺は1人じゃない。
友達がたくさんいるんだ」

「んん……恋愛のスペシャリストって人?」

アナが蒸し返すように言った。

「そう。恋愛のスペシャリストだ」

気を悪くした様子のクリストフの声がした。
やっと一足分登ったものの、次の足場が見つからなくてどうにも動きが取れない。
不自然なポーズで岩にしがみついたまま、アナが心細い声をあげた。

「うう……っはぁ。
もうちょっとでてっぺんに着く?」

1mも進んでいないところで両手の筋肉が痙攣しはじめ、息苦しくなって来た。

「高いところって空気が薄いのね……!」

たっぷりアナをからかって満足したクリストフは、鞄からピッケルを取りだした。

「っふ、待ってろ」

「ねえスヴェン?
役に立つか分かんないけど――」

オラフが雪に覆われた大岩の陰から、クリストフに声をかけた。

「崖の上まで繋がってる階段を見つけたよ!」

アナはホッとして、掴まっていた氷の壁から手を離した。

「あは、あーよかった!受け止めて!」

クリストフが落ちてきたアナを受け止める。

「あはは、ありがと!」

ニッコリ笑って礼を言う。
アナは素早く足で立つと、ぽんぽんとクリストフの肩を叩いた。

「クリストフってけっこう頼りになるね!」

オラフの言うとおり、大岩を回りこんだところに、エルサが作ったエレガントな氷の階段があった。
一番乗りを決めたオラフが階段を飛び跳ねながら上っていく。
その先には、この世のものとも思えぬほど壮麗な、氷の宮殿が建っていた。
どっしりとした氷のクリスタルの柱に支えられた宮殿は、繊細な雪の結晶をモチーフにデザインされ、ノース・マウンテンの尖峰よりも鋭くそびえ立ち、万華鏡のように輝いている。
アナとクリストフはその場に立ちつくし、氷の芸術品に見入った。

「これ全部、氷だ……」

氷の切り口、絶妙な色合い、純度――とびきりの品質にクリストフが感嘆の声を上げる。

「涙が出そう……」

「どうぞー……いっぱい感動して……」

ひとり悦に入る山男を置いて、アナが慎重に階段を上っていく。
スヴェンが続いて上ろうとするが、蹄がつるつる滑って左右の脚が分かれ、 ヒラメのように突っ伏してしまった。
たまらず、クリストフが助け船を出す。

「あ、はぁ……ほらもうやめとけ、無理するな。降りるんだ……っ」

お尻を持って、そろそろと後退させる。

「……よし。
お前はここで待ってろ」

スヴェンは鼻を鳴らしたが、「待て」をくらった犬よろしく、大人しくべたっとその場に座りこんだ。
階段を上ってきたクリストフが、氷細工のディティールに改めてため息をつく。

「ひゅー、綺麗だ……」

アナは扉の前で、ためらっていた。
ノックをしようと拳を上げたまま固まっている。

「ノックして。ノックだよ。
何でノックしないの?……やり方知らないのかな」

オラフの辞書に「ためらう」という言葉はないらしい。
腹をくくって、アナが扉をノックした。
館の内部に音が染みこみ、観音開きの扉がゆっくりと開く。

「……開けてくれた!初めて……。
あぁ、……あなたはここで待っててくれる?」

宮殿に足を踏み入れたアナは、後からついてこようとするクリストフを押しとどめた。

「なんで?」

「男性を紹介したのがきっかけでこんなことになったから……」

「なっ、な……入ってもいいだろ?氷でできた宮殿だぞ?氷は俺の全てだ!」

「じゃあねースヴェン」

両手を挙げて抗議するクリストフを尻目に、トコトコ中に入って行こうとするオラフを、アナはやはりひき止めた。

「オラフも待ってて」

「僕もー?」

「ちょっとだけ。あたしたちだけにして」

そういうと、アナは一人きりで中に入っていった。

「じゃあ1分」

オラフはガッカリしたが、姉妹従者水入らずになりたいのなら仕方がない。
聞き分けよく階段に腰かけると、時間をカウントしはじめる。

「1……2……」

クリストフも渋々、 オラフの隣に腰掛けた。

「3……4……」


アナはゆっくりと宮殿の奥に向かって歩を進めた。
背後でピシャリと扉が閉まる。
宮殿の中は外装よりも一層優美だったが、不気味に静まりかえり、十数メートル上の天窓から差しこむ光を受けて、クリスタルの柱たちがアナの姿を冷たく映し返している。
がらんとしたホールの奥手に、凍りついた水をたたえる噴水があり、その上を、左右二振りの階段が弧を描きながら架かっていた。
その袂へ目を移していくと、そこにはヴィルが階段を下りるポーズをしたままこちらを見つめていた。

「ヴィル……!」

「アナ様、いらしたのですね」

よかった。アナはまず安堵した。
あんなにひどいことを言った手前、もっと邪険に迎えられるのではないかと心の片隅でしていた心配は、杞憂だったようだ。
ヴィルのいつもの微笑みに嬉しくなって駆け出そうとしたところで、ここが氷の宮殿であることを思い出した。
つるっと前のめりに滑って転びそうになったところを、ヴィルが駆け寄りなんとか支えてくれた。

「ありがとヴィル。
それから、あなたに言ってしまったこと、……ごめんなさい」

「――いえ、アナ様の立場を思えば、そう考えられてしまっても、仕方のないことでしたので……」

ヴィルがそう答えながら、アナの羽織っている外套を正してくれた。
アナが改めて見上げると、なんだかヴィルの雰囲気が変わったように思えた。
それは、城では業務中常に被っていた円筒帽を身に着けていないからなのか、薄布の透き通った氷を思わせる水色のマフラーを巻いているからなのか。
普段の優しさの中に垣間見えるきっちりとした真面目さが、なんだかとても柔和なものになったようだった。

そんなヴィルの肩越しに、2階の柱の陰からエルサも姿を現わしたのが見えた。

「エルサ!あたしよ、アナよ!」

「アナ」

きちんと全身が見えるようになったとき、アナは目を疑った。あれがお姉様?
いつもきちんとアップにしていた髪を下ろし、丈の高い襟のボタンを一番上まで留めていたのが、今は肩を露にしている。
朝日を受けて神々しいほどのオーラを発しているのは、身に纏った優雅な氷のケープのせいだろうか。

「うわぁ、エルサ、なんだか、変わったね。もちろんいい意味で!
それに、ここ……すごく素敵……!」

思わず姉をほめそやしてしまう。
エルサが踊り場の上で、小さく笑った。

「ありがと。私にこんなことができるなんてね」

外見の変わりように戸惑ったものの、エルサの機嫌も上々そうだ。
アナはヴィルとともに姉のそばへ行こうと、階段の下まで足を進めた。
ここに来たのは、ファッションの話をするためではない。

「お城でのことほんとにごめんね。もし知ってれば……」

アナは階段に足をかけた。
途端にエルサの顔が曇り、警戒するように後ずさった。

「ううん気にしないで。謝る必要はないわ。
だから……もう、帰って。お願い」

「今来たばかりなのに」

「あなたはアレンデールにいるべきよ」

「エルサも、ヴィルもでしょ?」

「いいえ、アナ。私はここにいる。ヴィルと。
自分でいられるし、誰も傷つけないで済むの」

「アナ様。
エルサ様のことはわたしがしっかりお守りいたします。
なのでどうか――」

「あのね、」

ヴィルの言葉をそっと遮り、アナはおそるおそる切り出した。

「そのことなんだけど……」

その時、エルサがはっと目を見開いた。
ヴィルは警戒の体勢をとった。

「待って、誰なの?」

「58、59、60〜!」

カウントを終えたオラフが、宮殿の入口に立って、木の枝の腕を振り回している。

「やあ、僕はオラフ!ぎゅーって抱きしめて!」

「……オラフ?」

オラフが短い足で、ピョンピョンやって来ると、アナとヴィルの傍らで止まった。
驚いたように自分を見下ろすエルサを目にした途端、雪だるまは急にモジモジしはじめた。

「僕を作ったでしょ?忘れちゃった?」

エルサはよく見ようと、2階の手すりから身を乗り出した。
ヴィルが膝を折ってオラフに目線を合わせる。

「……生きてるの?」

ヴィルの指がオラフの頬をそっとつついた。

「あ、あー……そうみたい」

心もとなさそうにオラフがヴィルを見上げて答えた。
すると、オラフはヴィルの顔を見つめたまま、差し出されたままの人差し指を細枝の両手で握りしめた。

「あぁ、やっぱり優しくって親切で、心のあったかい人だった!んふふふ」

何かを感じ取ったオラフが至極嬉しそうに笑うので、ヴィル本人はただつついただけなのに、と面食らってしまった。
ただ、その木の枝はしっかりと意思を持ってヴィルの指を握り締めている。
魔法で、雪に命を吹きこむことも出来るのだろうか?
エルサは自分の両手をまじまじと見つめた。
アナもしゃがみ、オラフに手を添えて言った。

「子どものころ作ったのにそっくりだよね」

「……そうですね」

「本当に仲良しだったよね、私たち3人。
またあの頃みたいになれない?ねえ、姉さん」

そう出来たらどんないいか。
危うく妹の命を奪いかけた恐怖が、アレンデール城の大広間に横たわる幼いアナの姿とともに、エルサの脳裏にまざまざとよみがえる。
ヴィルの必死の暖めでなんとか失わずに済んだ大切な妹の命だ。
もう助けてくれる両親もいない。
ダメなのだ。
仮に父と母が生きていたとしても、もう二度と、あんな危険は冒せない。

「っ、いいえ。無理よ。さようなら、アナ」

素っ気なくいうと、エルサはアナに背を向け、奥手の階段を上りはじめた。
ヴィルはもう片方の手でオラフの両手を包んで下ろさせると、階段を2段飛ばしで駆け上がった。
アナも諦めずに食い下がるつもりだ。
はいそうですかとすごすご帰れるものか。

「エルサ待って、ヴィル、」

「だめ。あなたのこと守りたいの」

アナは、必死に訴えた。

「守ってもらわなくて平気!あたしは大丈夫よ!
ねえ、2人とも行かないで、ねえ……お願いよ、もうあたしだけを閉め出さないで。心を閉ざしたりしないでよ!」

アナが階段を上ると、エルサたちはどんどん離れていってしまう。

「だって、生まれてはじめて、どうして姉さんがずっとあたしを遠ざけて来たのか、やっと分かったの。
ヴィルが守り続けてくれた秘密だってことも……。
3人で手を繋いで、今度はあたしも一緒に乗り越えられるようになったんだよ!」

アナは知らないのだ。
自分の魔法がどれほど危険なのか、記憶を奪われた妹には――。
それに、たとえ城に戻っても、アレンデールは魔法使いの雪の女王など受け入れまい。
エルサは自身の強大なパワーをもはや隠せなくなっていたし、隠したいとも思わなくなっていた。
もし誰かを傷つけてしまったら?
アナを傷つけてしまったら?
ここでなら、誰も傷つける心配をせず、ありのままの自分でいられる。
ヴィルなら受け止めてくれるから。
素の自分をさらけ出せるのだ。
解き放ったパワーで一体何が出来るのか、試してみたい。

3人は上のフロア――エルサの私室にやって来た。

「アナ様、どうぞお戻りください」

ヴィルが口を開いた。

「エルサ様が、わたしが、これからここで暮らしていくように、アレンデールでは、あなたの人生が待っています。
太陽を謳歌して、城の門を開けてはどうでしょう……?」

「うん、でも、」

「分かってる」

エルサが遮った。

「あなたが良かれと思ってやってるのは。
でも、私たちのことは放っておいて。
ヴィルの支えでやっていけそうだし、ここでなら、私は自由でいられるの」

エルサはバルコニーの扉を開け放った。

「とにかく私に近づかないで……そうすれば、あなたに危害が及ぶことはないわ」

「それは無理……」

アナが言いづらそうに言葉を濁す。

「なぜ無理なの?」

「ものすごい雪よ」

「なんのこと……?」

ヴィルが思わず尋ねた。

「アレンデールが、危機……なのよ」

「え……!?」

エルサとヴィルが揃えて声を漏らした。

「エルサの力で、国中が雪と氷に包まれたの……」

「国中が?」

知らなかった。
ノース・マウンテンの頂上から、アレンデールの様子は見えない。
顔面蒼白になったエルサの身体が小刻みに震えだすのが、アナにも分かった。
ヴィルは額に手を当て、下唇を噛んでいた。

「エルサなら元に戻せるでしょ?」

アナはパニックの兆候を見せはじめた姉をなだめようと、努めて明るく言ったが、エルサは顔をそむけてしまった。

「いいえ無理よ。
やり方が分からない……!」

アナの期待に満ちた目から、声から逃れるようにバルコニーから離れ、エルサは宮殿の奥に逃げこんだ。
どうしたらいいのだろう?
考えをまとめなければ。
エルサの動揺が空気を通して宮殿に伝わり、周囲の壁にうっすらと霜がつき、室内に雪がちらつきはじめる。
だが、アナはどこまでも前向きだった。
エルサなら、きっと解決策を見つけられる。
盲目的と言っていいほど姉を信頼していたのだ。

ヴィルは考え込みながらエルサの私室を往ったり来たりしていた。

「ねえ、ヴィル、あなたの魔法でなんとかならないかしら……」

エルサの絞り出すような声が聞こえた。

「私の氷を解かせるのは、ヴィルの魔法だけ――」

その言葉を受けたヴィルだったが、首は縦には振れなかった。なぜなら――

「待って、ヴィルの魔法ってなに?
ヴィルも魔法が使えるって言うの?」

アナが振り返ってヴィルを見つめた。
その目にはわずかな怒りの色が混ざっている。
ヴィルは一度目を伏せ、唇を結んでから再び目を上げた。

「……アナ様には、隠しごとばかりしてしまっていますね」

ヴィルは両手を胸の前まで上げると、何か見えないものを包み込むように手の平を内側に向けた。
すると、その何もない空間にバチッと電流が走った。
驚いて目を見張るアナの前で、小さな雷が何度もヴィルの手の中を駆け巡る。

「これがわたしの魔法です。黙っていてごめんなさい」

ヴィルが窺うように上目で見ると、アナは口を閉じるのを忘れて手元に見入っていた。
ようやく口を閉じたかと思えば、「あー」とか「うー」とか唸り声を出して、彼女なりの考えをまとめているようだった。

「……エルサのを見たあとで良かったわ。
魔法って意外と身近にあるものなんだって考えれば、受け入れられるし、正直ちょっと怒りたい気分だけど、さっき仲直りしてすぐまた喧嘩は……したくないもの」

アナのその言葉に、ヴィルは少しほっとした。

「ありがとうございます。アナ様。
この雷の力を強めれば、降り積もった雪を崩せますし、熱を帯びているため凍りついた城を解かすこともできると思います。
……しかし、」

決して簡単な作業ではなく、大変な重労働であることは確かだが、それはヴィルが渋る理由ではなかった。

「それじゃ、ダメなのです。
わたしではいけないのです」

手を下ろしたヴィルが、気遣わしげにエルサを見つめて言った。

「降り続ける雪を、凍てつく氷を、止めないと――」

エルサは、ヴィルの目から、言葉の裏を受け取った。
エルサとヴィルの脳裏には、同じ光景が思い浮かんでいた。
トロールの長が見せてくれたオーロラだ。
魔法に怯えた群衆が、魔法使いを襲う光景は一瞬たりとも忘れたことはない。
たとえヴィルが赴きアレンデールを雪と氷から解放できたとしても、いずれ群衆は武器を持ちこの氷の宮殿にやって来るだろう。
他の誰でもなく、エルサ自身が、国を元に戻す必要があるのだ。

「分からない、どうすればいいのか分からないのよ……!」

エルサが苦しそうに答えた。

「できるはず!絶対できるよ!」

アナが力づけようとすればするほど、エルサは自分を追いつめていった。

「ああ、なんてバカなの……自由になんかなれっこなかった!」

いっときでも自由になれると信じたなんて。
私の中にあるこの嵐から逃れられないなんて。
みんなのいうとおり、私は化け物なのかもしれない。
そうだ、この世に生を受けた時から私は呪われていた。
それを解く力なんてどこにもない――。

私室の中の降雪が激しくなり、渦を巻きはじめる。
エルサは現実に返った。
いけない、アナから離れなければ。

「生まれてはじめて勇気を出して、3人で手を取り合おうよ!」

「私、魔力を制御できないの!」

「エルサ、自分を責めてはいけません……!」

雪嵐がひどくなり、互いの姿が見えないほどだ。
キラキラ輝いていた壁が、霜で曇っていく。

「やったことの逆をやればいいのよ!」

「アナ、お願い、状況を悪くするだけだから!」

エルサの感情は真っ二つに裂けた。
アナやヴィルと、城に帰りたかった。すべてうまくいって欲しかった。でも――。

「すごく怖い!」

「エルサ、落ちついて」

「あたしたちでお日さまを明るく照らそうよ!」

「ここにいては危険なの!」

「こんな冬なんて変えちゃおうよ!
一緒に向き合うの。それで問題解決よ――」

「やめて!!」

そのひと言とともに、エルサの感情が一気に爆発した。
吹きすさぶ雪嵐がエルサに集約したかと思えば、全身から氷の魔力となって吹き出る。
青い閃光がアナに襲い掛かる直前、視界を取り戻したヴィルがアナを庇う形で飛び出した。
しかし、青氷は2人の心臓を貫いていた。
強すぎるエルサの感情は、ヴィルを通してアナまで達していたのだ。
うめき声にエルサが振り返ると、膝をつくヴィルと、胸を押さえてうずくまる妹の姿があった。
クリストフが駆けつけてきて、アナを助け起こす。

「アナ!
あんたが……ヴィルか?
2人とも大丈夫なのか?」

「今のすっごくかっこよかった!」

感激しているオラフがヴィルに手を貸した。

「大丈夫……、なんでもない……。
ありがと、ヴィル……!」

胸を押さえつつ立ち上がり、アナが気丈に言った。
そんなつもりじゃなかったのに、またも姉を追いつめてしまった。
案の定、エルサは自分のしでかした事態に慄いていた。

「いえ……」

ヴィルも何事もなかったかのように立ち上がって見せた。
胸を押さえるアナを見つめ、それから目線を横にずらしてクリストフを一瞥する。

「……あなたは誰?」

エルサも妹に駆け寄ってきた若者に気が付いた。
ハンス王子?いや、違う。
首を振って口を開いた。

「誰だろうと関係ないわ……すぐ出て行って!」

「いや!
3人でアレンデールに夏を取り戻したいの!」

アナが頑固に言い張った。
決してあきらめず、引くことを知らない。
良くも悪くもそれがアナだ。

「どうやって?」

捨て鉢になったエルサが叫ぶ。

「あなたに冬を終わらせる力があるの?私を止める力が!」

氷の壁に亀裂が入る。
クリストフは、アナを守るように腕を回した。

「アナ。もう帰ろう」

アナは泣きそうになりながらもクリストフの言葉を撥ねつけた。

「いや!エルサと一緒じゃなきゃ帰らない!」

懐にしまっていたエルサの忘れ物を取りだし、言い募る。

「ほら、エルサ。
手袋を持って来たの!
これをつければ、誰も傷つけなくて済むでしょ?
ねぇ、一緒に帰ろうよ」

エルサは耳を疑った。

「それがあなたの解決法なの?
また私に、籠の中に戻れと、そう言うの?」

妹さえ、本当の私を理解してくれない。
結局自分さえ面白おかしく暮らせれば、姉の苦しみなどどうでもいいのだ。
絶望で氷のように色をなくした眼差しをアナに向け、きっぱりと言い放った。

「いいえ。私は戻らない……!」

雪の女王は両手を振り上げると、氷のフロアに思いのたけを叩きつけた。
それは、妹をこれ以上傷つけないためという思いと、トラブルの元を追い払いたいという本音がない混ぜになった、激しいものだった。
雪と氷が渦を巻きながら立ちのぼり、人の形を模っていく。
巨大なスノーマンは、あっという間にアナたちを見下ろすまでの高さになった。
エルサの怖れと絶望が凝縮された、怖ろしくも醜い雪男だ。

「弟を作ってくれたの?」

ひとり、オラフが飛び上がって喜んだ。
そして雲を突く弟を見上げて言った。

「お前をマシュマロウって呼ぶよ!んふふふ!」

マシュマロウはその巨大な手で、抵抗するアナとクリストフを軽々と引っ掴み、そして弟の足元に抱き着いたオラフを引き連れ階段を下って行った。
残されたエルサは俯き、心を落ち着かせようとヴィルの服の裾を掴んでいた。

「……大丈夫です。
エルサ様から作りだされたものが、アナ様を傷つけるわけがない」

心情を察したヴィルは、エルサが何かを言う前に微笑んで見せた。
いつも通りの暖かなその笑顔に、エルサは何度も救われてきた。
今だって、こうやってヴィルが傍で笑いかけてくれるだけで、マントラを唱えるよりもずっと早く気持ちを落ち着けることができる。

エルサが僅かばかりの安堵と共に顔を上げると、ヴィルの様子がおかしいことに気が付いた。
彼女自身はなんでもないような顔を作っているが、顔面は蒼白なのに、額には汗がにじんでいる。

「ヴィル……?」

「オラフが名付けた――マシュマロウ、それがアナ様を傷つけることはありませんが、その……先ほど、アナ様の心に、氷の棘が、刺さりました」

エルサの表情が凍りついた。
ヴィルの服の裾から手を放し、またじりじりと後ずさる。

「まだこの宮殿の目の前にいるはず。
早急に、生き岩の谷へ連れていこうと思います」

「あぁ……なんてことを……。
ヴィル、どうかアナをお願い。
一緒に行って、あなたたちの棘を取り除いてもらって――そして、2人で、アレンデールに帰ってちょうだい……」

エルサはヴィルから距離を取り、自身の肩を抱えて背を向けた。

「行ってまいります。
……すぐに、戻ります」

ヴィルのその言葉に、エルサは言い返そうと振り向いたときには、彼女はもう宮殿を出たあとだった。
唯一の理解者を、絶対に傷つかないと誓ってくれた彼女を、いよいよ傷つけてしまった。
1人で自由に生きられもせず、国へ帰るにも元に戻す方法の分からないこんな私が、なぜ生まれてきてしまったのだろう……。

バルコニーの扉が、バタンと閉まった。







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