Frozen's thervant
-アナ雪エルサ主従夢-
アナは、夜通し馬を乗り進めていた。
凍りついたフィヨルドを馬で渡ったのは、何とも不思議な経験だった。
エルサとヴィルの姿が消えたのは、確かこの方角だったはず。
アレンデールから離れ、日が高くなるとともに吹雪は収まっていったが、道中はどこもかしこも雪また雪だった。
これが7月だなんて、とても信じられない。
一刻も早くエルサたちを見つけなければ。
エルサの魔法でフィヨルドの氷を溶かしてもらい、夏を取り戻すのだ。
そうすれば、侯爵たちの誤解も解け、アレンデールの民は若き女王に感謝するに違いない。
それに、アナはヴィルに謝ろうと思っていた。
大広間や、外回廊での問答は、些か冷静さを欠いていた。
エルサを隠し続けてきたのがヴィルだと思ったときには、確かにショックだったが、去り際に彼女が残した言葉こそがヴィルのすべてだと分かったのだ。
「わたしはエルサ様の従者です」。
だからこそ、ヴィルは姉を連れ出すでもなく隠すでもなく、その部屋に籠もるエルサのそばを離れなかった。
アナは森の中を進みながら心に決めていた。
姉を説得して連れ出し、2人で協力して国を救うのだ。
そうしたらきっとヴィルもついてきてくれる。
自分たちは幼い頃のように仲の良い姉妹とその従者となり、王国は平和に栄えていくだろう――めでたし、めでたし。
……それにしても、もうかなり山奥に来たはずだ。
そろそろ姉さんたちに追いついたって、いい頃ではないだろうか。
こちらはすぐに馬を走らせて来たのだし、向こうは雪と氷が操れるとはいえ、徒歩なのだから……。
アナは心細くなってきた。
雪化粧が施された山道を進んでいると、だんだん時間と方向の感覚が分からなくなってくる。
もしかして知らない間に、追い抜いちゃったのかな?
「エルサー!ヴィルー!」
2人の名を呼ぶと、犬の遠吠えが返ってきた。
犬……よね?まさか、オオカミじゃないわよね。
王室育ちのアナの愛馬が歩みを止め、不安そうに周囲の森に首をめぐらせる。
アナはうなじを軽く叩いて元気づけ、先を促した。
昨晩から無理をさせ通しで少し休ませてやりたかったが、姉さんたちを見つけるまではそうもいかない。
「エルサ!あたしよ、アナよ!
あたしが怒らせたせいで夏を冬にしちゃったんだよね?
ヴィルも、ごめんなさい……ほんとに、悪かった……」
馬を気遣いつつ、 森の中へ分け入っていく。
「……あんな力、2人して秘密にしてたのも悪いと思うんだけどね、はは、ほんとやんなっちゃう……、っ!」
近くの木の枝が、雪の重みに耐えかね、ボキッと大きな音を立てて折れた。
遠吠えで神経質になっていた馬がいななき、後ろ肢で立ち上がった。
手綱を引いてなだめようとしたアナは背中から振り落とされ、雪の吹きだまりに突っこんでしまった。
口の中に入った雪をはき出しながら身体を起こすと、愛馬が走り去っていくのが見えた。
「ダメダメダメ、行かないで、ダメダメダメダメ!
……あぁあぁ、もう……!」
震えるアナは垂れ下がるモミの木の枝を掴んで立ち上がろうとしたが、掴みそこねてしまい、勢いよく跳ね上がった枝は頭の上にどっさり雪を落としていった。
アナは深々とため息をついて、ひとりごちる。
「はぁ……っ」
「……雪……雪なんて嫌い……」
ぶつぶつと文句を言いながら、アナは長いドレスのすそを持ち上げて、大雪が何十cmも積もった斜面を苦労して登っていた。
日が暮れると同時にオーロラが、冬の――いや、夏の夜空を彩り、アナの奮闘を照らし出した。
「どうせなら、魔法で南の国に変えてほしかったな……辺り一面、白い砂浜とあったかい……」
アナのぼやきは、歓迎すべき光景に中断された。
遠くに煙が立ちのぼっている。
「火だ……!」
煙に気を取られ、不用意に一歩踏み出したアナは、斜面をずるずる滑り下り、小川に落ちるとようやく止まった。
川べりの小石に手をかけ立ち上がったのはいいが、身も凍るような水流に浸かってしまい歯の根も合わない。
「うぅ……凍っちゃう凍っちゃう凍っちゃう……」
落ちた際に外套がひっかかってどこかへ脱げてしまい、アナは肩がむきだしのドレス姿で、煙突から煙を出している山小屋に向かって震えながら歩いて行った。
水に浸かったドレスのすそが早くも凍りかけて、歩きにくいことこのうえない。
小屋の窓からは暖かそうなオレンジ色の明かりが漏れ、凍えた旅人を呼んでいる。
いうことを聞いてくれない足をどうにかポーチに乗せると、玄関に何やら木の看板がぶら下がっているのに気が付いた。
「オーケンの店……」
旅や木こりたち相手に、生活必需品や雑貨を売る店らしい。
看板に積もっていた雪が落ちて、残りの文字が現れた。
「サウナがあるのね!」
トロールの置物に左右を守られた扉を開けると呼び鈴がけたたましく鳴って、客の来店を告げる。
小さな店内は、当然ながら夏向けの商品で占められていた。
暦の上では今は夏の盛りなのだ。
「ふっふー」
カウンターの後ろから、明るい色のセーターを着た、恰幅のいい人物が声をかけてきた。店の主人のオーケンだろう。
「夏物大セール、水着が半額だ。
サンダルに、私が発明した日焼けオイルも!どう?」
赤ら顔に営業スマイルを浮かべ、本日最初――にしておそらく最後――の顧客に、売れ残り必至の夏物グッズを売りつけようとしている。
面食らったアナはしばらくしてようやく応えた。
「あぁ、素敵。
でも今は……ブーツが欲しいな。冬用のブーツと、冬の服」
「冬物フロアに、置いてあるよ」
いささかガッカリしたような面持ちのオーケンが、なまりの強い声で言った。
"冬物フロア"というのは、部屋の片隅の、椅子一脚分のごく小さなスペースのことらしい。
アナは椅子に載ったブーツと冬物の服に手を伸ばした。
「あぁ、あー……ちょっと聞きたいんだけど、あたしの他にも、若い女性が……あー、たとえば女王とか従者とか……そんな人が、来なかった?」
ブーツと服をカウンターに持っていきながら、何気なさを装って聞いてみる。
「こんな吹雪のなか、出歩いてるのは君だけ」
オーケンがほがらかに答える。
呼び鈴が鳴って扉が開き、身を切るような冷気と一緒に、ずんぐりむっくりとした人の形をした何かが入ってきた。
北極探検にでも行けそうな防寒服はすっかり雪に覆われ、顔に巻きつけたスカーフからふたつの茶色い目玉だけがのぞいている。
目玉の持ち主は、クリストフだった。
「……あとそいつ。
ふっふー、夏物大セール!」
すかさずオーケンが特製日焼け上止めの売り込みをはじめた。
クリストフは店主の存在を無視し、まっすぐアナのところに来た。
アナは焦って目をそらした。危ない輩と目を合わせてはいけない。
「……ンジン」
スカーフの下からモゴモゴいうので、よく聞き取れない。
「え?」
「君の後ろ」
「あぁ、これ、あ、ごめんなさい」
アナがどくと、クリストフはカウンター下の棚から”ニンジン"の袋を取りあげた。
それを乱雑にカウンターへ放ると、店内をてきばきと動き回り、 登山用品をいくつか掴んでいく。
「ふー、7月なのにひどい吹雪」
うちあわせた両手の指を動かしながら、オーケンが陽気にクリストフに話しかけた。
「この雪どこから来たんだろう?」
「ノース・マウンテンだ」
もごもごと答えが返ってくる。
「ノース・マウンテン……」
アナが繰り返した。
エルサたちはそこへ向かったのだろうか?
山男は品物をカウンターに運んだ。
オーケンが金額を告げる。
「お代は40です」
「40?」
クリストフが噛みつく。
「いや10だろ」
「40はもらわないと。冬用の品は高いんですよ?需要と供給の関係。どうしても」
「需要と供給の関係で、俺の商売は上がったりなんだよ」
クリストフが目で窓の外を指し示すと、店先に氷を積んだソリが駐まっている。
アナは山男のそばに近づき、話に加わる。
「はぁ……氷は売れそうもないわね、ふふ、だってこんな吹雪じゃ……」
途端にぎろりと山男に睨まれ、言葉を濁す。
「んん、ほんと大変」
「値引きはできませんが、サウナにタダで入れてあげますよ。
ふっふー、やぁみなさん」
「ふっふー」
クリストフとアナがオーケンの示す方へ振り返ると、裸の一家が蒸気で曇ったサウナ室の窓から、陽気に手を振っている。
人なつっこいアナが裸の家族に手を振り返し、クリストフは交渉に戻った。
「……10しか持ってないんだ。なんとか頼む」
オーケンはニンジンを他の商品と別にして、あくまで愛想良く答える。
「いいでしょ。ならニンジンだけってことで」
クリストフの目が険しくなる。
「ちょっと聞いてもいい?」
アナは取り込み中の2人に割って入った。
「ノース・マウンテンで何が起こったの?魔法……みたいなこととか?」
クリストフはスカーフをずり下げて口を外に出すと、とげのある目つきでアナを見下ろした。
「そうだ。ちょっと下がってろ。この悪党と話をつける」
オーケンが椅子から立ち上がった。
クリストフより頭二つ分は高い。これは想定外だ。
「誰が悪党だって?」
もうミスター・ナイスガイは止めたらしい。
カウンターから身を乗り出したオーケンは、クリストフをずた袋よろしく軽々と抱えあげた。
「おいやめろやめろ……いてっ、」
店先の看板にしたたかに頭を打ち付けたクリストフは、オーケンに文字通り店から放り出されてしまった。
「わーーー!」
クリストフは頭から雪の中に突っこんだ。
「ばいばーい!」
オーケンは朗らか別れを告げ、扉を閉めた。
ソリの横で辛抱強く待っていたスヴェンがにじり寄り、クリストフをつついて戦利品を催促する。
「はぁ……ごめんよスヴェン、ニンジンは買えなかった」
起き上がったクリストフは、頭から雪を払い落とした。
腹ペコのスヴェンは、クリストフに抗議の声をあげた。
肩を落としたクリストフの視界に、何かが飛びこむ。
オーケンの店のほど近くに、雪に押し潰されかけたみすぼらしい納屋が建っている。
クリストフはにやりと笑った。
「でも今日寝る場所は見つけたぞ。それもタダだ」
オーケンの店では、カウンターに戻ってきた店主がアナの接客に戻っていた。
「荒っぽいことしてすみません。
お詫びにタラをつけておきます。これで許してっ。
確か、服とブーツ、ね?」
合わせた両手の指を動かし合意を待つオーケンを前に、アナは追い出されてしまったクリストフのほうへと目を遣った。
「あー……」
納屋に落ち着いたクリストフは干し草の上に寝そべって、リュートをつま弾いていた。
上着と帽子は脱いで、柱に掛けて乾かしている。
金髪に丸っこい鼻、がっしりしたあご。
タフガイぶった口調に似合わず、まだ若いらしい。アナとあまり変わらない歳のようだ。
かたわらで、トナカイが満足そうに干し草を食んでいた。
人心地ついたひとりと一匹はおもむろに、デュエットを始めた。
スヴェンのパートは、食事で忙しい相棒に代わり、クリストフが代役を務める。
歌の内容は次のような、人とトナカイの絆を謳った麗しいものだ。
まずは、人間のパートから始まる。
人間より、トナカイのほうがずっとマシだ
そうだよな、 スヴェン?クリストフがスヴェンに振った。
スヴェン――モフモフ声を出したクリストフ――が返す。
ああ、人間はすぐ殴るし、罵るし、嘘をつく
みんなダメだ、あんた以外はね
やあ、ありがとう相棒クリストフが礼を言った。
だけどトナカイより、人間のほうが匂いはずっとマシだ
そう思わないか、スヴェン?再びスヴェンが相づちをうつ。
またもやその通り
でも、あんた以外はね
こりゃ一本取られたな
今夜はもう寝ようかデュエットを終え、リュートを抱えたまま、クリストフとスヴェンは心安らかに干し草に頭を預ける。
「風邪ひくなよ……」
バタン!
突然納屋の扉が開き、まさに眠りにつこうとしていた口にいたクリストフとスヴェンはぎょっとして身を起こした。
まさか、オーケンに見つかった?
しかし、そこに立っていたのは店にいたあの娘だった。
髪をおろしておさげにし、服を変えたのか、まるで山娘のような格好だ。
「歌が上手ね」
アナが本気で感心したように言った。
クリストフは胸を撫で下ろした。
「……君か、何の用だ」
「ノース・マウンテンまで連れていってほしいの」
「道案内はやらないんだよ」
クリストフは再び干し草に横たわると、帽子を目隠し代わりにして目を閉じる。
「じゃあ言い方を変える」
アナは抱えていたずた袋を、クリストフの胸に乱暴に投げ落とした。
「っ、おい」
袋の中身を覗くと、クリストフが買い損ねた品物が入っていた。
「ノース・マウンテンに連れていきなさい。お願い」
アナが命令する。
目の前で仁王立ちしている横柄な女の子を、クリストフは値踏みするように見た。
自分は人の指図を受けるような人間ではない。
小娘に従う理由もない。
「あたしならこの冬を終わらせられる」
その、思いもかけない言葉にクリストフは躊躇した。
小娘の言うことは本当だろうか。
この理不尽な寒気が去ってくれれば、再びアレンデールの街で氷が売れるようになる。
関心があるのはそれだけだ。
「はぁ……。
夜明けに出発だ……」
あっさり心を決め、クリストフは再び干し草に横になった。
ついでにアナに重大なミスを指摘する。
「スヴェンにやるニンジンを忘れるな……」
目を閉じたクリストフの顔に、ニンジンの束が直撃する。
「うおっ!」
「あっごめんね、ごめんなさいわざとじゃ――」
アナは一瞬慌てたが、すぐに気を取り直した。この道中は、自分が主導権を握らなければ。
「……んん、今すぐ、出発よ。さあ早く!」
アナは胸を反りかえらせて、威厳を保ったまま納屋の外に出た。
扉を閉じるや、大きなため息をついて、クリストフが身支度を終えて出てくるのを待つ。
トナカイとデュエットだなんて、少々危ないところもあるけれど、あの山男とトナカイの引くソリが手に入れば、この先ぐんと心強い。
一方、クリストフはスヴェンにニンジンをかじらせ、それから自分でかじった。
あの小娘、何様なんだ。
どうせ山のことなど何一つ知らず、行く手に何が待ちうけているのか見当もつかないに違いない。
クリストフはやっと、重い腰を上げた。
「やー!やー、やー!」
スヴェンのひくソリが、切り立った崖沿いの道を快調に飛ばすなか、手綱を握るクリストフの隣にはアナの姿があった。
「落ちるなよ!ガンガン飛ばすぞ!」
「飛ばすの大好き!」
アナは城の螺旋階段を手すりを滑って降りるような王女だ。
スリルなんてへっちゃらなアナは背もたれに寄りかかり、前部の泥よけに足を載せた。
「おい!おいおいおいおい、足を下ろせ!
ほんとに行儀悪いな、納屋で育ったのか?」
クリストフは泥よけにツバを吐きかけ、几帳面にこすって汚れを落とした。
横目でアナを睨んで厭味を投げつけてやる。
アナは顔に飛んだツバを嫌そうに拭った。
「……違う、お城で育ったの」
「――それで、」
クリストフが尋ねた。
「どういうことだ?なんで女王は国中を凍らせたんだ?」
「あぁ、それは……全部あたしのせいなの」
アナは目をそらして、渋々打ち明けた。
「あたし婚約したんだけど、その日に会ったばかりの人だったから、姉さんもヴィルもすごく怒って、
……あ、ヴィルっていうのは姉さんに仕える近衛兵なんだけど、それで2人とも結婚は認めないって言いだして……」
「待った。
その日に会ったばかりの人と婚約したってのか?」
クリストフが目をむく。
「そう。
それでね、あたしも姉さんもカーッとなって、姉さんが出ていこうとしたから、ヴィルに止められたんだけど手袋を掴んだら――」
「おい待てよ。
その日に会ったばかりの奴といきなり結婚を決めたってのか?まさか、本気で?」
クリストフがくり返す。
「そう!ちゃんと聞いてて!
姉さんはどんなときでも手袋をしてたの。
だから、汚れるのが……嫌なんだろうなって思ってた」
「知らない奴には気をつけなきゃダメだろ!」
「……そうよね、確かに」
アナはクリストフをうろんそうに見ると、少し離れて座り直した。知らないヤツには用心しないと。
「でもハンスは、知らない人じゃないし」
クリストフの眉がつり上がる。
「そうか?じゃハンスの苗字は?」
「ふふん、苗字はサザンアイルズ!」
それは出身地だ。
「好きな食べ物は?」
「サンドウィッチ!」
「親友の名前は?」
「たぶんジョンね」
ジョンという名前の男はたくさんいるから、そのうちのひとりがハンスの親友であってもいいはずだ。
「目の色は?」
「夢見る色!」
アナがうっとりとほほえむ。
「足のサイズは?」
「そんなの関係ないでしょ?」
「そいつと食事はしたか?食べ方が汚かったら?
そいつが鼻をほじったらどうする?」
アナは眉間にシワを寄せて聞き返した。
「鼻を、ほじる?」
「それを食べたら?」
「はぁ?冗談言わないで。彼は王子よ」
「男はみんなやる」
「うぇぇ」
アナは顔をしかめた。
「あー、っそんなの全然気にしない!運命の人だから!」
「そうは思えないね」
クリストフがまっすぐ前を見たままいった。
「まるで恋愛のスペシャリストって感じね」
「違う。でも、友達がそうなんだ」
「へぇ〜。恋愛のスペシャリストの友達がいるの?信じられない!」
アナが混ぜっ返す。
反論が返ってくると思いきや、クリストフはさっと周囲に目を走らせ、ソリを止めた。
「……黙るんだ」
「やだ黙らない。ぜひその友達に……んぅ」
クリストフはアナの口を手で塞いだ。
「静かにしろ」
立ち上がって暗い森を見渡す。
ランタンをかざすと、森の奥から、無数の血に飢えた目がこちらを見返している。
「スヴェン、走れ……走れ!」
再びソリが走り出し、アナはたまらず後ろ向きに倒れた。
「なんなの!?」
「オオカミだ!」
「オオカミ?」
クリストフは荷台から木切れを掴み、ランタンの火で松明を灯した。
「どうしたらいい?」
アナが震えながら尋ねた。
「ここは俺に任せろ。
ソリから落ちて食われないようにしろよ」
「何か手伝わせて!」
「ダメだ」
「なんで?」
「君のやることは信用できない!」
「それ、どういう意味?」
次の瞬間、一匹の狼がソリにとびかかってきた。
すかさず、クリストフが蹴り落とす。
「出会ったばかりで、結婚するやつだぞ!」
「彼は運命の人なの!……ふんっ!」
アナは荷台に手を伸ばしてリュートを引っ掴むと、クリストフの頭めがけて振り回した。
クリストフが首を引っ込めると同時に、背後から食らいつこうとしていた狼にリュートが直撃する。
「おお……うわっ!」
アナが手柄を自慢する間もなく、別の狼が飛びかかり、クリストフを引きずり落とした。
「クリストファー!」
「っクリストフだー!!うぁ、あー!」
かろうじて、クリストフは荷台から垂れ下がったロープに掴まっている。
狼たちが群れをなして獲物に襲いかかろうとするのを見てとったアナは、瞬時に決断を下し、松明で荷台の毛布に火を点け、声を上げた。
「っ避けて!」
クリストフが見上げると、毛布が燃えながら飛んでくる。
慌てて頭を下げると、毛布は狼たちに命中し、クリストフの体から引き離されていく。
アナはクリストフをソリに引っ張り上げてやった。
「黒焦げになるところだったぞ!」
アナの機転を内心見直しながら、クリストフが憎まれ口を叩く。
「ならなかったでしょ!」
アナは自分の有能さを証明できて気分がいい。
席に戻ったクリストフが、やっと一息つく。
突然、スヴェンがいなないた。
見ると、前方の道が途切れ、巨大な峡谷がポッカリと口を開けているではないか。一難去ってまた一難だ。
「谷を飛び越えて、スヴェン!」
アナがトナカイに向かって叫んだ。
「スヴェンに命令するんじゃない!っ俺がする!」
クリストフが荷台にあった荷物を抗議の声を上げるアナに押し付けると、素早く抱えあげ、スヴェンの背中に放り投げた。
「跳べ、スヴェン!!」
そう言いながら、トナカイのハーネスをナイフで切る。
アナを背中に乗せたまま、スヴェンが跳躍した。
間一髪の所で、反対側の絶壁に着地する。
すぐ後を、ソリに乗ったクリストフが続いたが、荷台の重みでソリは崖に届かず、 峡谷を落ちて行く。
とっさにクリストフは崖っぷちに飛びついた。
見下ろすと、ソリは谷底で炎に包まれている。
「あぁ……はぁ…………やっと支払い終わったのに……」
ため息をついた拍子に、掴まっていた雪がずり落ちはじめた。
「……落ちる、落ちる落ちる落ちるー!」
「掴まって!」
斧が空を切って飛んできて、クリストフの顔から数cm手前の雪面に突き刺さる。
次いでアナの声が上から降ってきた。
「ほらスヴェン、引っ張って!」
斧にはロープが縛ってあり、先端はスヴェンの胴体に巻きつけられていた。
アナの合図で、スヴェンが雪の斜面をふんばって登り、クリストフを引っ張りあげる。
アナも懸命にロープを引いた。
向かいの崖では、 追いかけてさた狼たちが悔しそうにこちらを睨んでいる。
斜面をどうにか登りきると、クリストフはぐったりして雪の上にひっくり返った。
アナは崖っぷちから恐る恐る、火の手を上げるソリを覗きこんだ。
これでまた、徒歩に逆戻りだ。
大事なソリを失った山男ももう助けてくれないだろう。
「……ソリは弁償する……。
それに、荷物も全部……」
アナはあきらめ顔でクリストフを見やると、
「それと、もうあたしのこと助けてくれなくてもいいから……」
と告げ、ひとりで山の奥に向かって歩き出した。
仰向けに寝そべったまま、腕で顔を覆って荒い息をついているクリストフに、スヴェンが冷たい鼻面を押しつける。
「はぁ……。
もちろん助ける気なんかないよ」
クリストフは相手に言い聞かせた。
「そうさ、こんな目に遭ってまで人を助けるなんてもう二度と御免だ」
「こっちかな……」
クリストフとスヴェンの後ろでは、アナが見当違いの方向に歩いていく。
「あの子1人じゃ死んじゃうよ!」
クリストフが、スヴェンの心の声を代弁してやる。
"スヴェンの心の声"というのは、もちろんクリストフの心の声だ。
「別にいいさ……」
「よし行こう……絶対に、こっちだよね……」
アナが何やらぶつぶついいながら、先ほどとは違う方向に歩き出す。
「そしたら、新しいソリ買ってもらえなくなっちゃう」
スヴェンの心の声が、痛いところを突いた。
「…·やなこと言うなお前」
観念したようなクリストフの言葉に、トナカイは嬉しそうに身構える。
降参のため息をつくと、クリストフはアナに呼びかけた。
「待ってろ!いま行く!」
「いいの!?」
アナがあからさまにほっとした声を出してから、慌てて取り繕った。
「……じゃなくて、そう!着いてきたいなら来れば?」
スヴェンが喜び勇んで、アナの方に跳ねていく。
「ふっ……はぁあ……」
クリストフは自嘲気味に笑うと、やっと腰を上げた。
空が白み始めた。
アナがアレンデールを旅立ってから、2日目の朝が明けようとしている。
アナ、クリストフ、スヴェンの一行は、ノース・マウンテンを目指し、尾根伝いに歩いていた。
遥か下方では、凍りついて氷原と化したフィヨルドから太陽が顔を出し、アレンデールの領土に朝日を投げかけている。
夏の痕跡は跡形もなく、緑の大地は青白い雪と氷に覆いつくされ、山肌と一体化してしまったようだ。
その光景に、アナとクリストフは息をのんだ。
「アレンデール……」
「全て凍ってしまった……」
アナは気を取り直した。
「……大丈夫。エルサが解かしてくれるから」
「本当に?」
エルサが魔法で手あたり次第すべてを凍らせてしまった現場を見ていないクリストフは、アナの話に今ひとつ懐疑的だった。
「ええ。行きましょう。
ノース・マウンテンはこっち?」
アナが前方を指さした。
「ははは、どちらかといえば、……こっち」
クリストフが方向修正してやり、アナの指を上に向け直した。
指の先には、1年じゅう解けることのない雪をたたえた絶峰が、文字通り雲間を突いて、そそり立っていた。
針葉樹の林に入りこんでしばらくすると、小さな滝から続く小川が流れる――今は凍りついているが――比較的平坦な場所に出た。
そこは、小川の両側に佇むたくさんのしだれ柳と朝日が光の饗宴を織りなす、まさしく"冬の王国"だった。
アナたちは、凍りついた小川を渡り、しだれ柳の下を感嘆としながら歩いた。
しずく形の透き通った雨水が枝から無数に垂れ下がったまま凍りついており、クリスタルのようにキラキラと太陽の光を反射している。
クリストフが手を差し出しながら進んでいくと、しだれ同士がぶつかってリンリンと霊妙な音を立てた。
スヴェンが跳ね回っては角に枝を当てて音を楽しんでいるうち、角にしだれを絡ませてしまった。
振り落とそうとして頭を振るほど枝がますます絡みつき、しまいにはオーナメントをつり下げたクリスマスツリーさながらになった。
「冬がこんなに綺麗だなんて……知らなかった……!」
アナがため息をついた。
「そうそう、本当に綺麗だよね〜」
どこからともなく、 声がした。
クリストフ……ではない。
聞き覚えのない、間の抜けた声。
「だけどさ、真っ白だよ?なんか色をつけたらどうだろう?」
声の主は誰……?
アナとクリストフはあたりを見回した。
もしかして、 スヴェン?
だが、スヴェンは舌をたらし、きょとんとした顔で見返すばかりだ。
「たとえばそう、赤とか〜、黄緑……あっ黄色なんかどうかな?
あーダメダメ。雪の上に黄色?ぶるるる汚ぁい!んふふ……」
鼻のない、不格好な雪だるまが、ふたりの背後からよちよちやって来た。
自分の駄洒落で悦に入っている。
アナを見上げて同意を求めた。
「な、そうだろ?」
「きゃあああっ!」
アナが金切り声をあげ、雪だるまの頭を蹴り飛ばすと、クリストフの腕の中に落ちた。
「やあ!」
大きな雪の出っ歯が突き出た口を動かして、雪だるまが爽やかに挨拶する。
「変な奴」
クリストフが頭をアナに投げて寄こした。
「ちょっとやめて!」
すかさずアナが投げ返す。
「そっちに返すよ」
再びクリストフが放り上げた。
「落とさないで〜」
雪だるまの頭が訴えた。
胴体の方はふたりの足下で右往左往している。
「いらない!」
アナがクリストフにしょっぱい顔を向けると、クリストフがにやついた。
「ただの頭だ」
「やだ!」
「会った途端にこれはないよ〜」
雪だるまの顔がしょんぼりとする。
「う〜やだ身体が!」
アナは喋る頭を身体に押し戻した。
勢いでひっくり返った雪だるまが起き直ると、頭が逆さまになっている。
「……あれっ?どうなってんの?
なんでコウモリみたいにぶら下がってるんだ?」
「……すぐ直すからちょっと待って」
アナが戸惑う雪だるまの頭の向きを直してやった。
「……あぁ。ありがとー!」
「いいのよ」
アナは微笑んだ。
よくよく見ると、どことなく親しみを感じる雪だるまだ。三本小枝の髪の毛もユーモラスと言っていい。
「これで完璧!」
「ふふふ。
あとは……これかな?」
「世界がひっくり返っちゃったのかと思ったよ!」
アナがクリストフの袋をまさぐっている間に、雪だるまはクリストフに笑いかけた。
袋からニンジンを取り出したアナが、振り向きざまの雪だるまの顔にぐいっと突き刺す。
「あうぅ!」
ちょっとばかり勢いが余り、頭を突き抜けてしまったようだ。
「たいへん……!ごめんなさい、ちょっと力の加減が……」
アナは慌てて謝った。
雪だるまは頭をグルグルさせている。
「頭が……!」
「大丈夫?」
心配そうなアナに向かって雪だるまがニッコリする。
顔の正面に見えているのはニンジンの先っぽだけで、残りは後ろに突き出していてもゴキゲンな様子だ。
「大丈夫かって?……最高の気分だよ!ずっと鼻が欲しかったんだ!」
雪だるまは寄り目になって待望の鼻を見つめた。
「とってもかわいいユニコーンの赤ちゃんの角みたいで――」
アナは今度はそっと、後頭部からニンジンを押し戻して修正した。
「わ、あ、ちょっ……おおう、この方がずっといいよ!」
雪だるまが顔じゅうで笑った。
「はぁ……それじゃちゃんと最初からやるね。
やあ、みんな!僕はオラフ!ぎゅーって抱きしめて!」
オラフは木の枝で出来た両腕を広げ、ハグを持った。
アナは一瞬および腰になったが、名前を聞いてハッとした。
「……オラフ?」
小さい頃、中庭でエルサやヴィルと雪だるまを作った思い出が、よみがえる。
エルサは、その不格好な雪だるまを”オラフ”と名づけなかったか。
「……あぁ、そうか、オラフだ!」
しかしこの"オラフ"は、おおよそヴィルの裏声とは程遠いツンとゴキゲンな声をしている。
それがなんだか面白くって、アナは自然と笑みがこぼれた。
「えっと……君は?」
初対面のはずのオラフがアナを見つめた。
「あっ、あー、あたしはアナ」
「じゃあそっちの変な顔したロバみたいな奴は?」
オラフはクリストフたちの方を振り返り、アナに尋ねた。
「スヴェンよ」
「そうか。じゃあトナカイの方は?」
「……スヴェン」
アナが苦笑する。
クリストフのこと、ロバですって!
オラフはいささか混乱した体でクリストフとスヴェンを見比べると、ありもしない肩を竦めた。
「あぁ、どっちも!そっか、覚えやすくていいね!」
どうやら1人と1匹を同じ名前の持ち主として納得したらしい。
トナカイの方のスヴェンがオラフに顔を近づけ、ニンジンの鼻をかじろうとした。
「きゃっ!」
オラフが笑って言った。
「鼻にキスされちゃった!僕も大好きだよ!」
クリストフはオラフにかがみ込んで、興味深そうに観察している。
「オラフ、エルサがあなたを作ったのよね?」
アナが尋ねる。
「うん、なんで?」
クリストフがオラフの木の枝の腕をひっこ抜いて、調べだした。
おもしろいな、こいつはどうなってんだ?
「エルサとヴィルはどこか知ってる?」
「うん、なんで?」
「そこまで連れてってくれる?」
「うん、なんで?」
オラフが無邪気に聞き返す。
クリストフはオラフの腕を曲げてみた。
ひじのあたりで曲がった腕が跳ね返り、クリストフの顔を叩いた。
「いてっ!」
「やめろスヴェン、話の邪魔するな!」
オラフがスヴェン、もといクリストフをたしなめると、アナに向き直る。
「うん、なんで?」
「俺が教えてやる。
夏を取り戻したいんだよ」
クリストフが横やりを入れる。
「夏……!?」
オラフが色めき立った。
「あぁん、なんだか分からないけど、僕昔からずーっと夏に憧れてたんだよぅ。
お日さまが光って、あっつあつで……」
クリストフが眉を吊り上げた。
「そうか?暑さなんて縁がなさそうだけどな」
「そうさ。
でも、ときどき目をつぶって考えるんだ。
暑い夏が来たらどんな感じだろうな〜って……はぁ……」
オラフはうっとりとした表情で、妄想モードに突入した。
オラフは夏草の茂るファンタジー・ワールドの草原に立っている。
蜂が舞い、タンポポが綿毛を飛ばす――。うん。
そして僕は雪だるまができることを、もうなんでもやりたい。
夏はドリンクを片手に、焼けた砂浜に雪の身体を横たわらせ、サングラスをかけたオラフが冷たい飲み物をすする。
太陽の光がサンサンと降り注ぎ、雪のお肌をきっとこんがり小麦色に焼いてくれる。
夏のそよ風が冬の嵐を吹き飛ばし、暖かくなると氷がどうなるのかを、ついに僕は見届けるんだ。
楽しみだ。
仲間たちはこんな僕を見てどう思うかなぁ。
夏でさらにクールになった僕を想像してごらん!
砂だるまが雪だるまのオラフを迎え入れ、カモメがクールな彼の後をついて回る。
妄想はエスカレートし、東屋でカモメとのタップダンスを楽しんだ後は、ホットタブにのんびり浸り、仲間の雪だるまとホットチョコレートで乾杯だ。
いい具合に熱々の湯船が冷え冷えの雪の体をほぐし、とろけそうにいい気持ち。
冬も家に籠もって抱き合ってる分にはいい季節だけど、夏が来たら、僕はゴキゲンな雪だるまになるんだ!
人生、うまくいかないこともあるけれど、そんなときは夏の太陽の下でくつろぐ夢を見てガス抜きするのさ。
とうとうアナやクリストフやスヴェンも加わって、みんなでピクニックをはじめた。
赤と白のチェック模様のシートを芝生に広げ、オラフと仲間たちは、寝転がって青い青い夏の空を見上げる。
オラフによく似た白い雲が見つめ返す――。
「本気なのか?」
クリストフがアナに囁いた。
良識ある者として、雪だるまの夏に関する間違ったコンセプトを正せずにはいられない。
太陽と雪だるまは、決して友だちにはなれないのだ。
「いいじゃないの」
アナが叱った。
あんなに恋い焦がれてるんだもの、もう少しぐらい、甘い夢を見させてあげてもいいじゃない?
冬の現実世界に戻ってきたオラフがアナの手を取って、山頂の方へ引っ張っていく。
「ほら来て!エルサたちはこっちだ!みんなで夏を取り戻しに、行こう!」
「行く行く〜!」
アナとオラフ、スヴェンの夢見る三人組は、意気揚々と出発する。
「教えてやった方がいい……」
クリストフは首を振りつつ、皆の後についていった。
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