Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




ヴィルは目の前がぐらぐらした。
大広間の誰もが突然の出来事に驚き、主が去って取り残された氷の棘の盾をまじまじと見つめていた。
アナやハンスも含めた皆がその場に立ち尽くしている。
ヴィルが脱力したようにアナの肩から手を下ろしても、暫しのあいだ動けないでいた。

魔法。
ほとんどの人にとってなじみのないこの事象を飲み込むのには時間がかかった。
人々が気を取り直す短い時間のあいだに、ヴィルの頭の中は何倍もの速さで回っていた。

エルサが最愛の妹を遠ざけてまで守ってきた秘密が暴かれてしまった。
13年間、エルサのたゆまぬ努力で守り続けてきたそれが。
わたしは、エルサをお守りするために今まで生きてきたのではないのか。
今日この日こそ、最も細心の注意を払ってお守りするべき時ではなかったのか。なんだこの体たらくは。

ヴィルは拳を握り締めた。
自身の不出来に頭に血が上るのを感じたが、ひとしきり全身を強張らせると、ふー、と息を吐き冷静さを取り戻した。
今やるべきことはこんな後悔じゃない。
エルサがかつてないほど不安定になっているはずだ。支えになりたい。

ヴィルの同僚が、衛兵たちが何事かと大広間に入ってきた。
その場にいた侍従たちから話を聞いた衛兵たちは小声で簡単に打ち合わせると、すぐにざわつき始めている賓客たちを落ち着かせ、手分けしてけが人がいないかを確認しながら別の部屋へ誘導し始めた。

「ヴィル、女王陛下はどちらへ?」

衛兵の一人が立ち尽くすヴィルに尋ねた。
仲間たちがそれぞれやるべきことをやっている間に、ヴィルの心は決まっていた。

「中庭に――わたしが、追いかけます」

ヴィルは円筒帽を脱ぎ、その有無を言わせない声色にたじろいだ衛兵へ押し付けた。
返事を待たず途端に駆け出したヴィルは、あっという間に見えなくなった。


エルサは夢中で中庭まで走り出ていた。
とうとう秘密が知られてしまったと思うと、怖ろしくてたまらなかった。
ひとたび明るみに出れば、"新女王は怖ろしい魔法使い"という噂がアレンデール中、いや周辺諸国にまで広まるのは時間の問題だろう。
あの場には異国の賓客が大勢居合わせていた。
動転したエルサはただ、城から離れてどこかに身を隠すことしか考えられなかった。
ひとりになって、頭を冷やしたい。

「女王陛下よ!」

「女王だ!」

我らが新女王の姿をひと目拝もうと、日没後も中庭に残って酒盛りをしていた国民たちがエルサに気づき、興奮して叫んだ。
たった今城内で起きたことなど、もちろん彼らが知るよしもない。

「女王陛下だ」

「エルサ女王!」

「お美しい女王陛下!」

エルサはうっかり誰にも触れないように気をつけながら、人々の間をすり抜けて行こうとするが、若く美しい女王に熱狂した国民が、どんどん詰め寄ってくる。
幼い子どもを胸に抱いた若い母親が、心配そうに声をかける。

「女王陛下?大丈夫ですか?」

青い顔をしたエルサは両手を背中に回して、目の前に立ちはだかる人々から遠ざかろうとした。
誤って彼らを傷つけては大変だ。
じりじりと後ずさるうちに、噴水のひとつに行き当たる。
縁に手をかけた途端、噴水全体が瞬時に凍りついた。
つい先ほどまで優雅にほとほしり出ていた水が、禍々しい頭をいくつももたげた氷のヒュドラに豹変したように人々の目に映った。
彼らもまた、恐怖に凍りついた。
熱狂は畏怖にとって変わり、エルサを気遣った母親は、わが子を女王から守るように抱き寄せる。
ふたりの手下を従えた侯爵が、城の入口に姿を現した。

「あそこだぞ!捕まえろ!」

魔法使いの女王を逃がしては一大事、と独自に判断したらしい。

「お願いだから近づかないで!こっちに来ないで!」

エルサが叫ぶ。
両手を差しあげて、来るな、と手を振った拍子に、氷の噴流がほとばしり出て、階段を氷漬けにしてしまった。
追っ手は足下を滑らせ、地面に転げ落ちる。

「なんてことだ……。早く捕まえろ!」

地べたに這いつくばった侯爵がヒステリックに叫ぶと、民衆はパニックに陥った。

「みんな凍ってしまう!」

女王から逃げようと、われ先に走りだす。
辺りを見回すと、赤ん坊が泣きじゃくり、男が女子供を押し隠していた。

エルサはいよいよ収拾がつかなくなってしまった事態に頭を抱え、動けないでいた。
どこへ行けばいい?どこに逃げる?
13年間隠れ続けてきたあの部屋?
あそこへまた戻らなくちゃいけないの?
それとも牢に――

「エルサ様、こちらへ!」

不意に手を強く引かれ、エルサはつんのめりながら走り出した。

「ヴィル、」

今度は行く手を遮る者は、誰もいなかった。
走りながら周囲の空気を凍りつかせ、氷と雪の渦をまき散らしていることに、エルサ本人はまったく気づいていない。
橋が、町の広場が、港が、次々と白銀色に化粧されていく。
そして、手を握るヴィルの腕も……。

「っエルサ!」

エルサの手袋を握りしめ、城から飛び出したアナが、お供の者に助け起こされている侯爵の脇で立ち止まった。
数段高いそこから見渡すと、エルサとヴィルの姿はすぐに見つけられた。
アナはスカートの裾を掴むとすぐさま走り出し、ハンス王子がそのあとに続いた。

ヴィルに手を引かれるがまま民衆の間を縫うように走り抜けると、エルサたちは外回廊の陰に辿り着いた。
そこには石壁に取り付けられた暖かな松明が揺らめくだけで、他に誰もいない。

「まずは、気持ちを落ち着けましょう」

珍しく息を切らせたヴィルがエルサに振り返った。

「そうね――でも、アナがすぐにやってくるわ……」

どれだけ大好きなアナでも、こんな事態になってしまったいまは会いたくなかった。
アナの存在はとても大きく、エルサの心を何よりも乱すのだ。

「大丈夫です」

ヴィルはエルサの背を押して、裏戸を開けた。
ここから続く小道はフィヨルドを臨む。
そこへエルサ1人を送りだすと、ヴィルは頷いてそっと戸を閉めた。

「エルサ!」

それとほとんど同時に、アナが必死に姉の名を呼びながら回廊へ走り込んできた。

「ヴィル、そこを通して!」

「できません」

ヴィルは裏戸の前に立ち、強行突破しようとするアナの肩を抑えていた。

「姉さんが、そこにいるんだから、話を、させてよ!」

もがきながら戸口に手をかけ、それを制され、アナが絞り出した。

「少しのあいだだけ、エルサ様を、1人に――」

「さんざん1人だったでしょう!?」

大広間での問答の続きのようにアナが遮った。
もがくのをやめ、目線を裏戸からヴィルへと移すと、ほとんど睨み上げるように詰め寄った。

「姉さんがどうしていつも1人でいるのか、何をそんなに怖がっているのかはよく分かったわ!
それで、ヴィルも知っていたんでしょう?
お父様とお母様がいなくなったあともずっとあの部屋にエルサを押し込めていたのはヴィルだったの?
あたしが姉さんにどれだけ会いたかったかを知っていて、それでも何もしてくれなかったのはどうしてなの?」

「アナ、」

ヴィルの表情が苦痛に歪んだ。

「魔法が使えるから何?
確かにさっき初めて見たとき驚きはしたけれど、最初からみんなに話して、分かってもらえばよかったじゃない!」

ヴィルの脳裏には、13年前の生き岩の谷での赤く禍々しい記憶がまだ鮮明に刻まれ続けていた。
まくし立てるアナが息をついたタイミングで、ヴィルが口を開いた。

「エルサ様の魔法が秘めている危険を、アナ様は何も知らないから――」

「ええ、知らないわよ!なんにもね!
あたしだけ知らされてなかったから!」

「っ、」

13年間アナに感じ続けてきた負い目に真正面からぶつかられたヴィルは、言い返せる言葉を見つけられなかった。
ヴィルが唇を噛んだとき、アナがいよいよ裏戸を突破した。
不意を突かれたヴィルがアナを追って苔の生い茂った土段を下ると、そこに女王の姿はなかった。

「エルサ!お願い、待って!」

アナの目線を追うと、フィヨルドを森の方へ駆けていくエルサの背中があった。
紫のマントを翻しながら滑るように海を渡る女王の足元には、氷が張っていた。
足先が水に浸かるごとに、投げ入れた小石が波紋を起こすように、足先から六方晶の氷の膜が花開いていく。

「エルサ様、」

小さくなったエルサを縋るように見つめながら、ヴィルの声が漏れた。
氷の結晶のカーペットが伸びる先――フィヨルドの果てには、氷冠に覆われた絶峰が、遥か彼方の高みにそびえていた。

アナもエルサの後を追ってフィヨルドを走り出したものの、式典用の靴が滑ってたちまち転んでしまった。
その間にも、エルサとの距離はどんどん引き離されていく。

「エルサ、待ってー!」

「アナ!」

ハンスがアナに追いつき、助け起こす。
エルサは恐ろしいまでの勢いで対岸にたどりつき、振り返ってヴィルたちを一瞥すると、そのまま山に分け入っていった。
アナは目を凝らし姉の行方を確認しようとしたが、吹雪にまぎれ、紫のマントはすぐに見えなくなってしまった。

「わたしは、エルサ様の従者です」

ヴィルが口を開いた。
膝をつくアナとハンスが振り返った。

「ソールバルグ家はアレンデール王家に仕えてきました。
でも、わたしは、わたしの主は――」

ヴィルが北にそびえる霊峰を見上げた。
その頭に、入隊式の際アグナル前国王から頂いた赤い羽根飾りの円筒帽はない。
ゆっくりと息を吐き、目を下げてアナの双眸をしっかり見据えると、ヴィルは口を開いた。

「――行ってまいります」

その声はやけに耳に残る色をしていた。
駆け出したヴィルの軍靴は、氷の上をものともせずしっかりとグリップした。

「っヴィル!」

アナの止めようとする声を背中で受け止め、しかし振り返ることはせずヴィルはフィヨルドを渡っていった。

「入り江が……」

ヴィルを見送り、周りに目を転じたハンス王子が、呆然とした面持ちで呟く。
アレンデールの入り江は完全に凍りつき、異国の賓客を運んできた船は一隻残らず傾いて、その場に氷漬けになっていった。
エルサが追い払いたくても、ハンス王子が国に帰る手立てはもうない。
全員、凍てつくアレンデールに閉じこめられてしまったのだ。
2人は城に引き返した。

「雪……?」

「そう、雪よ」

突然の冬の到来に、街はパニック状態だった。
右往左往する人々でいっぱいの広場と橋を、黙って通り過ぎる。

「大丈夫か?」

まだショックの覚めやらぬアナに、ハンスが聞いた。

「いいえ」

「知っていたの?」

「……いいえ」

だが、これで今までのすべての説明がつく。
エルサがどうして自分や他人を避けるようになったのか、今宵やっと合点がいった。
お父様とお母様、それにヴィルは知ってたんだ。
自分だけが、知らされていなかった。自分だけが。
アナは片方だけのエルサの手袋を見つめた。
外回廊を抜けて中庭に戻ると、ウィーゼルトン侯爵の耳障りながなり声が聞こえてきた。

「見ろ、雪だ!雪だ!
女王の恐ろしい力のせいだ!
あいつを止めなければ……」

しきりに2人の側近をけしかけている。

「女王を追いかけろ!」

急いでアナは侯爵に駆け寄った。

「待って、ダメよ!」

すばやく側近の後ろに隠れ、侯爵がアナに嫌疑をかけた。

「おい!お前も恐ろしい力を持った魔法使いなんだろう!」

「そんな、違う!あたしは普通の人間よ!」

突然あらぬ疑いをかけられ、アナはうろたえた。
まるで、中世の魔女狩りだ。
ハンスが進み出てアナの肩に手を置いた。

「そう、ごく普通のね。……あ、いい意味でだよ」

よくわからない庇い方だ。
いや、今はそれどころではない。

「それに姉さんだって普通の人間よ!」

「危うく死ぬところだったんだぞ!」

「氷で滑っただけだろ」

すかさずハンスが指摘する。

「あいつの氷だ」

側近の背後から鼻だけ突き出し、侯爵が言いつのる。

「わざとやったんじゃない。
ただ怖くなって……混乱しただけ。
こんなことになるなんて思ってなかったわ」

そう言ってアナはエルサの手袋を握りしめた。
そう、エルサは――姉はただ、完璧な、良き君主であろうとしただけなのだ。
アナの心は決まった。

「こうなったのはあたしのせい……エルサを怒らせたから……。
だから、あたしが追いかける!」

アナは侍従のカイを振り返って言った。

「馬をすぐに用意して、お願い!」

「アナ、だめだ。危険すぎるよ……」

ハンス王子が引き留めた。

「エルサに会いに行くだけよ。
元に戻してって頼んでみる」

カイが厩舎からアナの愛馬を引いてきた。
馬は周囲の異変に落ち着かない様子だ。
だが、アナはこの重大なミッションの供に、他の馬を選ぶつもりはなかった。

「あとを追って行ったあの兵士に任せたら……」

ハンスがなおも引き留めた。

「だからって、何もしないわけにはいかないわ。
それに何より、あたしが行きたいの――姉さんのもとに」

それに、ヴィルは「連れ戻してくる」ではなく、「行ってくる」と言っていた――
彼女に不信感を募らせていたアナは、ヴィルもあのまま戻らないつもりかもしれないという思いが拭いきれなかった。

「僕も一緒に行く」

「いいえ。あなたは残って。
アレンデールをお願い」

反論しかけたハンスは、アナの目に浮かぶ必死さを読み取った。
これは姉妹だけで片づけなければならない問題なのとその目が訴えている。

「名誉にかけて」

ハンスはアナの手を握って固く誓った。
カイがアナに外套を羽織らせると、馬に乗るのに手を貸した。
マントを翻させ軽やかに跨ると、アナは声を張った。

「ハンス王子に国を任せます!」

アナが命じる。
エルサ女王によく似た凜とした声は、人を従わせる何かを備えていた。
子どもの時からアナ王女を知るカイが、驚いたように見上げた。

「女王を信じられるのか?
もしも君になにかあったら……」

ハンスが馬の手綱に手をかけ念を押した。

「大丈夫に決まってる。
だって姉さんなんだから」

婚約者を安心させるように、微笑んでみせる。
アナは手綱を引いて馬を城門に向けると、凍りついたフィヨルド目指し、強く横腹を蹴った。
ハンス王子が気遣わしげに見送るなか、降りしきる雪はみるみる勢いを増していった。


夜の雪山の高みを、エルサが重い足取りで歩いている。
視界の届く限り、人間はおろか生き物の気配はまったくなかった。
エルサの望みどおり、ひとりぼっちだ。

そのはるか後方では、ヴィルもまた雪に足をとられながら掻き進んでいた。
これでよかったのか、本当にこの道で合っているのか、悩みながら踏み出す1歩1歩がとても重たかった。
飛び出してきたはいいものの、思い描いてきた未来から初めて外れた心の迷いが息を上げさせた。

隠せ――
感じるな――

小さい頃からひたすら、禁断の力を誰にも知られてはいけないとエルサは教えこまれてきたが、それももうおしまいだ。
皆に知れてしまった。
アナの記憶まで封じ、部屋を分け、隠者のような暮らしに耐えてきたのは一体何のためだったのか。
二度と妹を傷つけないためではなかったか。
私はちゃんと努力したわ。
それなのに、当の妹の軽はずみによって、あっけなく秘密をさらしてしまった。

ヴィルと秘密を守るための対策をいくつも練り上げてきたが、それゆえに露見してしまったこんな事態を予想していなかった。
これから一体、どうすればいいのだろう。
足を止めて振り返ったエルサは、遙か下方のアレンデール城を見やった。
城の者がこれまでと同じ目で自分を見ることは、二度とないだろう。
もうあそこには戻れない、そう思うと無性に悲しくて心細かった。
あれだけ守ってくれたヴィルもあの城に置いてきてしまった……。
サク、サク。
エルサのつける足跡を踏み消す存在は何もなく、雪が降り積もって埋めてしまうまで、女王の辿った道筋を残すだろう。
もっとも、足跡がどこに向かっているのかは、本人にも分からなかったが……。

ザク、ザク。
しかし、ヴィルはあの城に留まってなどいなかった。
どれだけ足取りが重くとも、軍靴の中に雪が入り込もうとも、前へ踏み出す足を止めたりなどしなかった。
「わたしはエルサ様の従者です」と言ったその時の胸の熱さを信じて。

サク、サク。
そのうち、心なしか、エルサの足取りが軽くなってくる。
心のどこかでホッとしている部分があるのに、エルサは気がついた。
これでいいわ。
自分の意のままにならない禁断の力を隠して生きるのは、神経がすり減るようだった。
でも、もう怯えながら暮らさなくてもいい。
秘密はすでに、暴かれてしまったのだから!

エルサは残った片方の手袋を脱ぐと、雪風にくれてやった。
これからは、人目をはばかる必要もない。
ここには人目なんてないんだもの!
誰かを傷つける心配もない。
周りに誰もいないのだから!

ザク、ザク。
積雪が少し浅くなったところで、ヴィルは喘ぐように肩で息を吸うと、凍てつく空気が喉を焼いた。
胸の痛みをそのせいにしてやっとの1歩を踏み出したとき、遠くに小さな足跡を見た。
重たさなど忘れて近づくと、それは確かに、女性の足跡だ。足のサイズに歩幅がそう告げている。
加えてその数が1つだけであることもまた、ヴィルの心を震わせた。
エルサのものに、間違いない。
雪が降り積もって隠してしまう前に見つけられた。
その足跡を追いはじめると、さっきまでの足取りなど忘れたように軽やかだった。
まっさらな雪のなかを進んでいくエルサの背中を足跡の上に見たヴィルは、再び胸を熱くさせた。
想像した未来を超えた新たな道に、ワクワクと期待すら感じている。

私は、ひとり。
私は、自由よ!
時を同じくして殻を破りつつあるエルサは素手をひらめかせ、封印していた魔法の力を解き放った。
自分の意志で力をふるうのは、8つの時にヴィルやアナと夜の大広間で遊んで以来だ。
手なぐさみに、雪と氷のタペストリーを空中に織りあげた。
息をするよりたやすい。
山は何の反応も示さない。
恐怖に目を見開く者もなく、「化け物め!」と責め立てる声も聞こえない。

まだまだ、ほら。
腕をクルッと回すと、雪片が踊るようにとぐろを巻いて、雪だるまの形になった。
なんだか見覚えのあるゆきだるまだ。
ヴィルの声真似が耳の内側で木霊する。
だんだん調子が出てきた。

アレンデールから離れるほど、迷いが吹っ切れてくる。
ここから見える城は、私がいた世界は、なんてちっぽけなんだろう。
かつて私を支配していた恐怖心も、どうってことなくなってきた。
裾を引きずるマントがわずらわしい。
外して宙に放ると、風がさらっていった。
身軽になって、心も軽くなる。
寒さなど、これっぽっちも気にならない。
もともと冷たいの苦じゃないし。
雪と氷が、尽きせぬエネルギーを与えてくれる。

もっと、もっとよ。自分を解放して。

開放感を味わうにつれ、魔法のパワーも次第に増していった。
長年、外にあふれ出ようとする力を無理矢理抑えこんできたが、いったん箍が外れてしまった以上、もう後戻りはできそうになかった。
この力が他人を遠ざけることになっても、構いはしない。
もはや人に何と思われようと関係ない。
背を向けて、扉を閉ざすの。
私はさしずめ、孤独の王国の女王といったところかしら。
この力をどう使おうと自分の勝手、いいも悪いもない。
どこまでできるか、力の限界を試してみよう。
ここには無限の素材とキャンバスが揃っている!

前方に崖があり、頂上への行く手をはばんでいた。
エルサの目が、いたずらっぽくキラリと光る。
サッと手を振って数段分の氷の階段を作ると、足をかけて強度を確かめる。
フィヨルドで氷のカーペットを敷きつめた要領で、虚空に足を踏み出すごとに足下に氷を集めながら、一気に駆け上がった。
ノース・マウンテンの頂上に、みごとな氷の階段が架かる。
エルサは水を得た魚のように生き生きとし、アレンデール城ではついぞ見せたことのない、晴れやかな笑みを浮かべていた。
8つの時から忘れていた感覚。
力を解放するのが、真の自分を解き放つのがこれほど快感だったとは。

地面をタン、と足で打ちつけると、巨大な六角形をした氷の結晶が広がった。
力をこめて両手を差し上げると、何本ものクリスタルの柱が伸びて、エルサごと、氷晶の土台をせり上げ、そのままさらに上へと伸びていく。
始めに打ち上げた雪と氷のタペストリーを遠目に見つけペースを速めていたヴィルが、木々の間からノース・マウンテンの頂上に伸び上がる巨大な氷晶を見とめて息を呑んだ。
そこではエルサが腕を振るうごとに、氷の壁や梁が張りめぐらされ、アーチ形の通路を整えていた。
大気中からいくらでも取り出せる氷で、フラクタル構造の天井が組まれ、雪の結晶を折り重ねたような豪奢なシャンデリアが、外部からの光を幾重にも屈曲させる……。
エルサは心の赴くままに、氷の宮殿を作りあげた。
自分の力がこれほどのものだったとは、今の今まで知らなかった。
雪と氷の魔法は、妹を喜ばせる以外の使い道が、色々とありそうだ。

新居づくりが一段落すると、エルサは頭に載っていた王冠を外し、しげしげと見つめた。
アレンデール王家の紋章、クロッカスをかたどった金色の王冠――。
これは、もういらない。
アレンデールの女王エルサには別れを告げないと。
二度と過去の自分に戻りたくないもの。
あれは、抑圧された偽りの私。
もう決めたの。これでいいの。
完璧ないい子、感情を押し隠した、我らが理想の君主エルサとはさよならだ。
いつだって従順に付き従ってくれたヴィルのことは、ちょっぴり気がかりだけれど。

王冠を宙に投げあげると、どこへともなく飛んでいった。
頭をひと振りし、アップにしていた髪をほどくと、ゆるめに編みこんで左の肩にたらす。
エルサが気づくはずもなかったが、前髪を掻き上げる前のその姿は妹のアナに驚くほどよく似ていた。
もっとも髪の色はとび色とはほど遠いプラチナブロンドで、鼻の上に愛嬌のあるそばかすはなかったが。

次はドレスを新調しなくては。
素材はもちろん――自分の周りの空気を氷結させ、体に吹きつけてクリスタルブルーの流れるようなドレスに仕立てる。
足下をガラスの靴ならぬ、クリスタルの靴で決め、アクセントには薄布のように軽い、雪と氷の結晶で織り上げたマントをまとう。
これこそ本来の自分、氷の宮殿の主たる雪の女王エルサにふさわしい装いではないか。
王冠なんていらない。
ただし、紋章は決めてある。
六角形の雪の結晶だ。
宮殿全体が、雪の結晶をモチーフにデザインしてある。

宮殿に日の光が差しこんだ。
夜が明けたのだ。
エルサは2階のバルコニーに出ると、山の端から昇る朝日を眺めた。
朝日を浴びて立つエルサに、昨日までの怯えた娘の面影はない。
そこにあるのは、自信にあふれ、人を寄せつけない、冷たい雪の女王の顔だった。

一夜にしてエルサが作りあげた居城の全貌を太陽が晒したとき、崖の端まで追いついたヴィルの目が揺れた。
ノース・マウンテンの峻峰の肩先に建つ氷の宮殿は、朝日を受けてキラキラ輝き、神々しいほど美しい。
同時に、難攻不落の要塞のように近づきがたく、よそよそしかった。
人に持たれるエルサの第一印象そのもののような氷の城を前に、ヴィルは新たに抱いた思いを胸に、いつしかぶりの無謀な訪問のために助走をつけた。
あの日からわたしも成長した。今度こそ、目的は明白に。

「新しい夜明けね」

エルサが背を向け、氷の宮殿の扉を閉ざそうとしたそのとき。

「ぁぁぁああっ!」

バルコニーに文字通り「飛んできた」のはヴィルだ。
久しぶりに本来の力を発揮したヴィルの雷の魔法は、彼女のつけすぎた助走で目的地よりかなり高くまで跳んだ。

「っ!?」

驚いたエルサの周りを守るように、大広間で発露したような氷の棘が広がった。
勢い余ったヴィルは、その喉元にひやりと棘が添えられたところで何とか踏みとどまった。

「あ――すみません、ちょっと、勢いをつけすぎたようです」

「ヴィル……!」

思っていたよりも早い再会に、エルサは拒絶することなく微笑んでくれた。
あまり――というか、全くかっこよくない自身の着地になってしまい、乾いた笑いを返したヴィルは、そこで凍りついたように動けなくなった。
先ほどまで震えていた小さな背中はどこへいったのか――目の前には、驚きながらも晴れ晴れとした表情と、今まででは考えられないような出で立ちのエルサがそこにいた。
その姿を人に見せるのはヴィルが最初だったため、やや控えめに様子を窺うような上目で彼女を見つめ返すその瞳は、昔から変わってはいないが。

「エルサ、様……」

ここへ来る途中に拾ったエルサの手袋を取り落とすと、2人を導く役目を果たしたそれが、今度こそ風にさらわれていった。

「もう、よろしいのですね」

「ええ。これでいいの」

ヴィルは喉元にこみ上げてくる熱いものを飲み込んだ。
もういいんだ。
彼女は解き放たれたんだ。
エルサの風貌で全てを察したヴィルは顔が、目頭が熱くなり、視界が歪んできたところで顔をそらしてごまかした。

「ヴィル?」

「そ、それで、どうなさるのですか?」

努めて明るく切り出した。

「この素敵なお城に住まわれるにしても、食事のご用意は誰がいたしましょう?
そのための食糧は、衣服は、……調達するための資金は?
生きていくための最低限の経済活動も、せねばなりません。
エルサ様、お一人で、できるので、しょうか?」

声が震えてきて、ヴィルは口をつぐんだ。

「いえ……そんなことは、どうでもいいのです……」

顔を上げられないまま、振り返ってエルサの前に跪いた。

「どうか――どうか、わたしを、ここに置いてくださらないでしょうか……。
エルサ様がフィヨルドを渡られたとき、どうしても、だめでした――離れてしまうと思うと……、わたしには、エルサ様が必要なのです」

それは、絞り出すような声だった。
濡れたヘーゼルの瞳が、エルサを映した。

「……わたしの主は、貴女だけです」

しばしの沈黙が氷の宮殿に流れていった。
エルサは考えていた。
ヴィルを城に置いてきたとき、それが気がかりだった。
すぐに追いかけてきてくれて、先ほど再会できたとき、確かに喜びを感じた。
それでも、1人でやれるところまでやってみようと決めた手前、本当にそばに置いてもいいのだろうか。

しかし、今までのヴィルの言動が答えを出させてくれた。
ヴィルはいつだって何もかもを受け止め、見守り続けてきてくれたではないか。
今だって、「もういいの?」とだけ確認して、そのあとは長年の苦労が台無しになってしまったことを咎めることなく、これからの話をしてくれた。
それが嬉しかった。
そんなヴィルが、こんなにも顔を赤らめ、感情的になっているのは初めて見る。
彼女はどんなときもずっと、そばにいてくれたのだ。
エルサの答えは決まった。

「これで、少しも寒くないわね」

腕をクルッと回すと、ヴィルの首元に、エルサのマントと同じ雪と氷の結晶で織り上げた薄布のマフラーが巻かれた。
体温調整が自在なヴィルにとってのそれは、防寒用というより、まさしく雪の女王の従者の証だった。





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