Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




その夜、アレンデール城の大広間では、エルサ女王の即位を祝い、盛大な舞踏会が催された。
この大広間で舞踏会が開かれるのは、実に13年ぶりである。
使用人たちは張りきって給仕して回り、料理人は腕によりをかけ、楽しげな音楽が室内を満たした。
国内外の招待客たちはシャンパングラスを片手に談笑したり、豊富に用意されたごちそうに手を出したり、ワルツを踊ったりした。
ファンファーレが高らかに鳴り響き、女王の到着を告げる。

「アレンデールの、エルサ女王です!」

大きな体を窮屈そうな一張羅に押し込み、若くして頭の薄くなりかけた侍従のカイが、でっぷりとしたお腹を突き出しながら声を張り上げた。
会場に現れたエルサは、きっちりと結い上げた豊かな金髪に王冠を戴き、その物腰は気品と威厳に満ちていたが、式の時よりもリラックスした様子で、ほとんど落ち着いているといってもよかった。
賓客たちは改めて若き新女王のどこか神秘的な美しさに惚れ惚れしつつ、腰をかがめて挨拶した。
女王は頷いて応じると、城主のために用意されたひな壇に立った。

「アレンデールの、アナ王女です!」

続いて名前を呼ばれ、ぎこちなく手を振りながら入ってきたアナは、ひな壇のしも手に立ったのだが、カイに咳払いで引き留められ、ひな壇へエスコートされる。

「あ、そっち?
あたしもこっちに立っていいの?あ、わかった」

観念すると、アナは遠慮がちに姉の傍らに立った。
招待客らが女王と王女に拍手を送るなか、アナは何年も疎遠だった姉と肩を並べ、所在なさそうにキョロキョロした。
アナの記憶からは拭い去られていたが、ここはかつて、よく姉妹がヴィルと一緒に、3人で魔法の雪遊びをした場所だ。
ヴィルはひな壇のしも手の奥からエルサとアナを見守っている。
この場に3人が揃ったのは、あの運命の夜以来だった。
あの日の夜のことを思い返しながら、立派に育った姉妹の背中を眺めていると、ヴィルはなんだか感慨深い気持ちになった。
エルサとアナは、互いに相手をチラリと盗み見た。

「……、」

「……元気?」

エルサが静かに尋ねる。

「え、あたし?あ、あー……元気よ」

「とても綺麗ね」

「ありがとう!エルサも負けずに……じゃなくて、あたしよりももっともっとずっと綺麗!」

「ふふ、ありがと」

姉と妹は、豪華に飾りつけられ、人でいっぱいのフロアを見渡した。

「……見て。
これがパーティーなのね」

「思ってたより楽しそう」

アナが頷いた。

「なんだか素敵な香りがしない?」

2人とも、どこからともなく漂ってくる甘い香りに気がついた。

「……チョコレートだ!」

同時に叫んだ2人は、同時に後ろを振り返った。
ヴィルは意味深に微笑むと、頭を下げてからひな壇に上がった。

「……食べる?」

ヴィルがポケットからチョコレートを取り出しながら、小声でくだけた口調を使った。
エルサとアナは、互いに見合わせて、パッと顔に花を咲かせた。
ヴィルがそんな言葉遣いをするのはいつぶりだろう。
幼いころ、事あるごとにチョコレートを分けてくれたときの記憶が一気に蘇ってきた。
あるときは転んで泣きそうになる幼いアナを慰めながら、またあるときは習い事が上手くいかず不貞腐れる幼いエルサを励ますように、ヴィルは同じ口調でチョコレートを差し出してくれたのだ。
アナはチョコレートを受け取ると、飛び跳ねながらヴィルに抱き着いた。
エルサも嬉しさを表に出し過ぎないよう威厳を保ちながらも頬張った。
なんてことのない、老舗の店売りのもののはずなのに、久しぶりに食べるそれはどんなご馳走よりもおいしく感じられた。

ヴィルはこの13年間、エルサやアナが1人きりのときはこの習慣を控えていた。
孤独の味ではなく、幸福の味にしたかったからだ。
昔と変わらない反応で喜んで受け取ってくれる姉妹に、ヴィルの心もぽかぽかと暖かくなっていた。

「おいしいね、姉さん」

アナが姉に振り向くと、エルサも相槌を打ちながら微笑みを返してくれた。
アナは、エルサがこんなに気安く自分に接してくれることが信じられなかった。
ずっと昔――仲良しだった頃の姉が戻ったみたいだ。
もっと何か話そうと、口を開きかける。
言いたいことはたくさんあるはずなのに、どこから始めたらいいかわからない。
やっと決心がついたところへ、カイが割って入った。
ヴィルはいつもの警備隊士の顔に戻って、1歩下がる。

「女王陛下。ウィルスタウン侯爵閣下です」

「ウェーゼルトンだ!」

カイに噛みつくように訂正すると、愛想笑いを浮かべた顔を向けて、小男が近寄ってくる。

「ウェーゼルトン侯爵です、陛下」

とがった鷲鼻の上に載った丸めがねの奥から狡猾そうな目をギョロつかせ、侯爵がエルサに、やけにもったいぶった言い回しでダンスへ誘う。

「貿易を通して繋がりの深い、この私と最初のダンスを踊っていただけませんか?」

侯爵は何やら足をバタバタさせると――華麗なステップを踏んでいるつもりらしい――深々とお辞儀をして手を差し出した。
ピョンピョンと跳ねまわったはずみでカツラがずれ、前に垂れ下がった。
エルサとアナは一瞬目を合わせるとお互い何を思ったのか通じ合ったようで、忍び笑いを噛み殺すのに必死になった。
だが、エルサは咳ばらいを挟みつつ、やんわりと申し出を断った。

「……っ、んん、あー、せっかくですが、私は踊りません」

「あぁ……」

侯爵が残念そうな声をあげた。

「妹が踊ります」

「ふふ。……えっ!?でもあたしは――」

野次馬を決めこんでいたアナがぎょっとなる。

「ほほ、運がいいですな!躓いても、抱き止めてさしあげますぞ!」

「いえ、あの私……」

断るひまもなく、侯爵がアナの手を掴むなりダンスフロアに引っ張っていく。
アナは人の波に揉まれ見えなくなるまで、エルサを軽く睨みつけて抗議していた。

「ごめんね」

エルサはいたずらっぽく微笑むと、小さく手を振って送り出した。
噛み殺した笑い声が後ろから聞こえ、エルサが振り向くと、ヴィルが口を波立たせて笑いをこらえていた。

「そのかわし方は……、っふ、でも、いいですね」

やっと落ち着いたようで、ヴィルはまた表情を引き締め直した。

「あとは、打ち合わせた通りいきましょう」

エルサが何かに手を振れることのないよう、この日のために2人でいくつか策を練ってきたのだ。
多少手荒な手段も含まれていたりするが、秘密を守るためならば仕方ない。
エルサがその策を頭の中で反芻していると、次の賓客から声がかけられた。
通常であれば、2,3言を交わし、お辞儀に頷きで応じる……それだけで済むはず。
話に花が咲くことこそあれど、先ほどのウェーゼルトン侯爵のようなケースは滅多にない別枠だ。

「お目にかかれて光栄です、女王陛下。
サザンアイルズの第13王子、ハンス・ウェスターガードです」

白い軍服をかっちりと着込んだ、上背のハンサムな王子だ。
胸に手を当て深くお辞儀をする所作は見事なもので、作法を忘れがちなアナに教えてやりたいくらいだ。

「式典への参列、ありがとうございました。
どうぞゆっくりしてらしてください」

エルサが応じると、ハンスは爽やかに微笑んでみせた。
サザンアイルズとは隣国同士であり、物資のやりとりもする交易国でもある。
賓客たちの中でも、より丁重に扱うべき相手のはず、なのだが……。

談笑も交えながら、今年の冬を乗り切るため、交易品である上等な厚手の上着の話をし始めた2人の後ろで、ヴィルの嗅覚が反応した。
13番目。
ヴィルは円筒帽の奥からハンスをじっと観察した。
あの高圧的で胡散臭いウェーゼルトン公国からも、第2位の爵位である侯爵が来訪している。
それなのに、より親睦的であるサザンアイルズ王国からは第13位の王子のみの訪問だ。
大臣よりもそういったことにずっと疎いヴィルから見ても、これは国交的に問題があるように思えた。
そういった目で見てしまったからか、談笑している一瞬だけ、ハンスの目がひどく見下したような、冷たい目をしたように映ってしまった。
ヴィルは目を瞬き、居住まいを正した。

「――今後ともサザンアイルズと友好的な関係を築いていただけたらと存じます。陛下」

話の締めくくりにハンスは跪き、エルサの手の甲に唇を添えようと手を伸ばした。

「っ、」

エルサは反射的に身をすくめ、手袋をはめた両手を胸元に引き寄せようとした。
しかし、ここで敬愛の印であるキスを断ってしまったら、それこそ国交的に問題があるのでは……。
そう思うと、エルサはどうにも動くことができなかった。
他人に手を取られるなど、とんでもないのに。

ハンスの手が、エルサの手に触れる瞬間、バチッと静電気が走った。
2人は驚いて手を引くと、顔を見合わせた。

「……ええ。
今後とも、よろしくお願いします」

ハンスの巧みな話術に呑まれ気味だったエルサが、調子を取り戻してそう応えた。
最後に運が悪かったな、とでも言いたげなハンスは苦笑いをしながらまたお辞儀をして下がっていった。
ほっ、と胸を撫で下ろしたエルサが、ちらりと後ろを振り返ると、ヴィルは素知らぬ顔で近衛兵をしている。
これこそが、エルサとヴィルが打ち合わせていた"多少手荒な手段"だった。
誰も秘密を知らない以上、それは同時に最大の武器となる。

エルサが僅かに微笑んでいるヴィルの目線を辿ると、その先には奮闘するアナの姿があった。
案の定、ウェーゼルトン侯爵は最悪のダンス相手のようだ。
瀕死の孔雀よろしくアナの周りをよろよろと回ったかと思うと、ステップを踏むごとにアナのつま先を踏んづける。
侯爵が跳んだり跳ねたりする度にかつらが前後左右に弾み、アナは笑いをこらえるのに必死だった。
だが最悪なのは、延々と続くおしゃべりの方だった。

「孔雀のようにしなやかに!くわーっくわくわ!
そういえば、城の門が開いて本当に良かった!
なぜ、今まで閉め切っていたんです?
理由をご存じですかな?んん?」

「いいえ?」

ぐい、と顔を寄せ詰め寄られたが、アナだって知らないものは知らない。
城の門を13年間も閉め切っていた理由なんて、自分だって知りたいくらいだ。

「んーそうか。
まあいい、踊りましょう!
私は、ダンスフロアの魔術師と呼ばれている!」

侯爵にぶんぶん振り回され、アナは歯をくいしばって必死にしがみついた。
えびぞりになりながら、面白がっているエルサに「助けてよ」と必死に目で訴えたが、とりあってもらえない。
あまりの悪目立ちぶりに、周囲の人々が踊りを止めて、侯爵とアナの斬新すぎるダンスを呆れ顔で見物している。
ひとり、侯爵だけが絶好調だ。

「ニワトリのように美しく!
猿の顔をして、舞い踊る!」

ついに悪夢のダンスから解放され、アナは侯爵に痛めつけられた足をひきずりながらエルサのもとに戻った。

「もう1曲踊りたくなったら、声をかけてください!」

侯爵が追いうちのようにフロアから呼びかけた。

「ふふ、ずいぶんお元気な方ね」

「はぁ……あの人かかとの高い靴履いてるのに……」

姉と妹は、顔を見合わせてクスクス笑った。

「大丈夫?」

気遣うように尋ねるエルサに、アナはにっこり笑って言った。

「うん、ほんと、最高の気分。とっても楽しい!」

姉の目を覗きこんで続ける。

「……毎日こうだったらいいのにね」

「そうね……」

艶然として答えたエルサだったが、そんなことすらも叶えてやれない気持ちと罪悪感で、顔を背けた。

「でも無理なの……」

「っどうして?だってエルサも――」

アナが姉の腕を親しげに取ろうとする。

「無理なものは無理」

その手を振り払い、エルサがピシャリと言った。
たちまちアナから笑顔が消える。
お馴染みの、頑なに妹を拒む冷たい姉に戻ってしまった。
ヴィルをちらりと見ても、円筒帽を目深に被り、口元を真一文字に結んだ「なにも言ってくれないヴィル」だ。
どうしてなの?
私、何か言った――?
喉にこみ上げる熱いかたまりを飲み込み、アナはくるりと背を向けた。

「……、……ごめんね、ちょっと……」

肩を落とし小さくなった妹の後ろ姿を、エルサは悲しそうに見送った。

とにかくこの場から、姉の目の届くところから離れてしまいたい。
そう思いながら、視界が歪みだしたアナが談笑に興じている人々をかき分けていると、いきなりでっぷりしたお尻が目の前に突きだしてきた。

「ぅわ!わわ、あっ!」

後ろ向きにはじき飛ばされたアナの腕を誰かが素早く掴む。

「――ほら、捕まえた」

そういって笑いかけてきたのは、ハンス王子だった。

「ハンス……!」

思わぬ再会にアナの胸が高鳴った。
今日初めて会ったばかりの相手の顔と声が、やけに懐かしく感じる。
ハンス王子は手にしていたシャンパンを通りがかったウェイターの盆に戻すと、アナをひょいっと持ち上げてフロアに立たせ、ダンスに誘った。
アナは王子のリードに合わせて夢見心地でフロア中を舞い踊った。
侯爵に踏んづけられた足の痛みも、エルサに踏みにじられた心の痛みもどこかへ吹き飛び、絶妙なタイミングでターンさせられると、身体に羽が生えたような気がした。
不思議なくらい、ハンスとの息はピッタリ合った。

ひとりしきり踊った後、アナとハンスはシャンパンでのどを潤しながら、話をしたり、笑ったり、もう一度踊ったりした。
一緒にいると、時間が飛ぶように過ぎていく。
1時間がたちまち数時間になり、夜が更けるに従い、2人は親密さを増していった。
どちらともなく外の空気を吸おうと言いだして、庭園へ足を向ける。
満月の下の庭園を並んで歩いてるとき、ハンスがふざけて肩で小突いた。
すかさずアナがやりかえすと、つつこうとしたハンスが、アナの豊かな鳶色の髪に、ひと房の白い髪が混じっているのに気がついた。

「……髪、どうしたの?」

「生まれつき白いの」

アナは髪に手をやった。

「夢ではトロールのキスでこうなってたけど」

言ってしまったあとで、子どもっぽい夢を鼻で笑われるんじゃないかと心配した。

「素敵だよ」

しかし、そうにっこりと笑ってくれたハンスのことが、アナはますます好きになった。

ハンスが北国の焼き菓子クルムカカを食べたことがないと聞き、アナは藤棚の下のバルコニーに腰かけて、アレンデール王家に伝わる由緒正しい食べ方を手ほどきしてやった。

「そう!全部食べて!
それでいいの!……ふふ」

ハンスの顔中にお菓子のかけらがポロボロ降りかかり、2人は笑い転げた。
かつて味わったことのない、自分以外の人間との心地よい親密さのなか、いつしか話題はハンスの兄弟のことになった。

「ねえ、そういえば、さっき何人兄弟って言ってたっけ?」

「12人。兄がいるんだよ。
そのうち3人は僕のことが見えないような、フリしてた。
……2年間もね!」

「ひどいわね……」

「兄ってそんなもんだろ?」

アナは共感をこめて微笑んだ。

「姉だってそう。
小さい頃はすごく仲良しだったの。
だけどある日突然、あたしを避けるようになった……」

アナの顔が曇る。

「なぜか分からないけど……」

「僕はそんなことしないよ」

ハンスはアナの手を取って言った。
彼の言葉がうれしくて、アナはつい大胆になった。

「……、ねえ、ちょっとおかしなこと言ってもいい?」

「そういうの大好きだ」

「あたしはこれまでずっと、どこにも出口がないような道を歩く人生を送ってきたの。
いつもいつも、門前払いされて、目の前で閉じられた扉を見つめるだけの……。
でもね、突然、あなたにぶつかったの」

エルサの部屋の白い扉を思い浮かべながら、ぽつぽつと告げる。
拙い表現なのは自分でもよく分かっていた。
最愛の姉に、長年拒まれ続け、周りの人たちは見守るばかりで、ずっとひとりぼっちだった――そして、あなたに出逢った――アナは思いきって、今朝会ったばかりの異国の王子に、自分の素直な気持ちを打ち明けた。

「僕と同じじゃないか!だって、」

ベンチから勢いよく飛び降りて、ハンスが言った。

「僕だってこれまでずっと、自分の居場所を探し続けてきたんだ」

言葉を選ぶように間を置く。

「これはシャンパンに酔ったせいか、それともチョコレート・フォンデュを食べ過ぎたせいかもしれないんだけど――」

ためらいがちにハンスが続ける。

「でも、君といると自分の居場所が見つかった気がするんだ」

アナは、自分の幸運が信じられなかった。
生まれてはじめて、門前払いされなかった!
ハンスは扉を開いて、喜んで自分を招き入れてくれたのだ。

「あなたを見ていると……」

今、わかった。
愛って、"開かれた扉"なんだ!
ハンスは優しくて、思いやりがあって、一緒にいると最高に楽しい。
チョコレートに目のないところも気が合うし、似たような境遇で、考え方がとても近い。

客で混みあう大広間に戻る気になれず、アナはふと思いついて、自分のお気に入りの場所へハンスを案内して回った。
まず始めに、絵画室に連れていくと、平面の友人たちを紹介し、大時計の振り子が立てる音を一緒に数え、廊下の床を靴下で滑って遊んだ。
笑い声を聞きつけてやってきた見回りの衛兵を避けて塔の屋根に登った2人は、流れ星を眺めた。

ハンスがフッと笑いかけた。

「教えてよ?」

「?」

「何が好きか」

「サンドイッチ!」

「僕と同じじゃないか!」

運命の2人は肩を並べ、満月に照らされながら橋の上を並んで歩いた。

「今まで出会ったことなかったな――」

「こんなに自分と気が合う人――そうだろ?」

「また同じだ!」

時計台のところへ来ると、ふざけて自動人形のパントマイムを披露しあった。
ハンス王子はアナのおよそ淑女らしくない子どもっぽい遊びにも、喜んでつき合ってくれる。
厩舎に顔を出し、シトロンの世話が行き届いているか様子を見た後、アナは自分の愛馬を引き合わせた。
見なれた場所も、ハンスと2人で訪ねるとまったく違って見えるようだ。
2人で過ごす楽しさを知った今、これまでどれほど寂しかったのか、改めて身に染みた。
もう絶対に、ひとりぼっちには戻りたくない……。
でも、明日には城の門が閉まってしまう――。

最後に、アナとハンスは解けた氷河がフィヨルドに流れ込む岩棚にやって来た。
前に一度だけ、生前の王妃に連れてきてもらった思い出の場所だ。
ここから見下ろすアレンデールの城は、フィヨルドの先端にポツンと突きだし、心もとなさそうに見えた。
あそこに、クロッカスの王冠を戴いたエルサが、ひとりでひな壇にいる。
姉のことを思うとアナは胸がちくちくしたが、すぐに頭から追い出した。
今は、ハンスと一緒に満月を見ているのだ。

満月って、ハート型みたい。
そう思ったアナが両手を月にかざすと、ハンス王子が後ろから自分の両手も添えて、2人で1つのハート型を作ってその中に月を収めた。
ふふっと笑ったアナが振り返った。
満月の光に照らされた白い軍服の映える異国の王子は、非の打ちどころがなく美しい。
こんなに素敵な人を無視する人間がいるなんて、アナには信じがたかった。
だが、人に拒まれ、無視される辛さを、この人は知っている。
そしてアナもまた、誰かの代用品でいる惨めさを、嫌というほど味わっていた。
王家の次女として生まれたアナはいわば、長女エルサにもしもの時があった時のスペアとも言える存在だった。
ハンス王子が13番目の王位継承者であるように、自分も2番手の次期女王候補という点ではほとんど変わりない。

しかも、君主としての資質に恵まれたエルサと比べると、勉強嫌いで落ち着きのないアナは、周囲も認める、およそらしからぬ女王様候補だった。
実の両親である前国王と王妃さえ、生前、アナには女王を助ける補佐となる役目を期待し、それが証拠に、姉妹の部屋を分け、エルサには父王自ら帝王学を教えこんだが、アナには家庭教師をあてがっただけだ。
女王になりたいと思ったことは一度もなかったが、周りからエルサのスペア扱いをされるのは、脳天気なアナでさえ癪に触った。
人はエルサを完璧と見るかも知れないが、自分には冷たい姉だ。
誰にも必要とされていない、自分の居場所がないと思い知らされるのは、愉快なことではない。
両親が亡くなった後は、ひときわこたえた。
ひどく落ちこんだ時は、自分はまるでスペアの釦、スペアの馬蹄のような存在だとつい自嘲気味に考えてしまう。
どこかの納屋の壁にぶら下がり、馬にもう一本足があったらいいのにと願いながら、さびついていく馬蹄――。

「おかしなこと言ってもいい?」

ハンスの声に、アナは物思いから覚めた。

「僕と結婚してくれないか?」

「え……本当に?」

アナは突然のプロポーズにどう反応していいのか分からなかった。

「だって、今日会ったばかりで――そもそも、あたしなんかでいいの?」

国に帰れば、ハンサムでダンスの名手の王子は引く手数多だろうに。

「また『自分なんか』って。
桟橋でもそんなことを言ってたけど、君は君だ。
君は僕の知る、他の誰とも違うんだ」

そう言うと、ハンスはアナの際立った個性を挙げていった。

「普通の人が歩いていくところを、君はスキップしていく」

それは、ひょっとして せっかちっていうこと?
アナが曲解した。

「普通の人が石橋を叩いて歩くところを、君はよそ見をしながら突っこんでいく」

不注意だっていいたいのかしら?

「確かにちょっとおしゃべりで、そばかすもあるけど」

何ですって?

「――そこがいいんだよ。
君を見ていると、優しい気持ちになれるんだ。
僕を笑わせてくれる人は、君しかいない」

これにはアナもグッときた。
悩みの種のそばかすを、ハンスは「そこがいい」と言ってくれる。
生まれてはじめてアナは自分のそばかすが好きになった。

「ハンス、あたし……」

「ううん、アナ。何も言う必要はないよ。
僕には、君の気持ちがよく分かる。
顔を見ればね。
誠実でまっすぐな、隠しごとのできない正直な人柄が表われてる。
他の人は嘘をつき、だます。
でも、君の心はそんな風に出来ていないだろ。
それが、君という女性なんだよ」

ハンスはアナをまっすぐに見つめ、微笑んだ。

「できればいつまでも、そのままのあなたでいて欲しい」

間違いない。
ハンスがあたしの"真実の愛"。
あたしはこの人と一緒に、未来への扉を開くのよ。

ハンスは跪いてアナの手を取った。

「アナ、僕と結婚してくれ!」

アナの答えは決まった。

「っ、あたしももっとおかしなこと言ってもいい?
……もちろん!」


城に戻ると、アナはハンスを引っ張るようにして大広間の人混みをかきわけ、エルサの姿を探した。
フロアの一角で、異国の大使たちと談笑している姉とヴィルを見つけ、声をかける。

「エルサ!じゃなくて、陛下。
ちょっといい?」

嬉しさに頬を紅潮させ、瞳をキラキラさせたアナはかろうじて宮廷作法を思いだした。

「あー、ご紹介いたします。
サザンアイルズのハンス王子です」

アナは礼儀に則って、正式にハンスを女王に引き合わせた。

「陛下」

ハンスが深々とお辞儀をする。
エルサは丁重だが、よそよそしい会釈を返した。
ヴィルは注意深くハンスを観察している。
アナは、満面の笑顔で言った。

「あたしたち、」

「あー、実はですね――」

ハンスとアナは一挙にぶちまけた。

「結婚します!」

「え?」

「結婚?」

「そうっ!」

唐突すぎて、エルサもヴィルも話についていけなかった。
この子は、いつも前置きというものがない。
予想外の行動でエルサの不意を突き、心の準備の時間を与えてくれないのは今に始まったことではないが、さすがにこれは唐突すぎる。
ついさっき、自分に反発して会場から出て行ったと思ったら、数時間後にはよく知りもしない男性を連れて来て、結婚がどうのという。

「結婚って、どういうこと?」

ヴィルが割って入った。

「あ、細かいことはまだ何も決めてないの。式のこととかも考えなきゃね!
スープに、お肉に、アイスクリームに!
そうだ、新居はここでいい?」

夢中でまくし立てながら、ハンスを振り返った。

「ここ?」

エルサが反応した。

「ああ!もちろんいいさ!」

請け合うハンスをよそに、エルサは激しく首を振った。

「アナ!」

エルサの窘める声は耳に届いていないようだ。

「あ、12人のお兄さまも一緒に住んだらどうかな?
だってお部屋がたっぷりあるもの!そしたら――」

勝手に盛り上がるカップルに向かって、エルサは手を挙げて制した。

「アナ、ちょっと、落ち着いて。
ここに住むことは許しません。結婚もさせません」

アナは目を瞬いた。

「え?なんで?」

「ちょっと話をしたいんだけれど……ヴィルも一緒に、3人だけで」

エルサが、困った妹を諭すような口調で言った。
とてもこのような衆人環視の場で話す内容ではないのを、アナも分かってしかるべきなのに。
エルサには、周りの賓客たちが聞き耳を立てているのが感じ取れた。
ヴィルが促すようにアナの手を取ろうとしたが、大人の事情など頓着しないアナは、分別くさい姉の態度に反発し、ヴィルから下がってハンスの腕を取る。

「いやだ。
どんな話か知らないけど、あたし彼と一緒に聞く」

てっきり、妹がこんなに素敵な結婚相手を見つけたことを一緒に喜んでくれると思ったのに……。
――分かった。姉さんは嫉妬してるんだわ。
生まれてはじめて、スペアの私に先を越されたことを。

「……いいわ」

人前に内輪揉めを晒さなければいけない体たらくに、エルサは首を横に振る。

「会ったばかりで結婚はできません」

「心から愛し合ってればできる!」

アナがむきになって言い返す。

「愛のことなんて分かってないでしょう」

「エルサに分かるの?
いつも人のこと避けてばかりなのに!」

「アナ、少し声を落として」

姉妹の間に立つヴィルは、2人の応酬に挟まれるばかりであったが、アナの大声に、ダンスに興じていた者たちまで2人に注目し始めたのに気づくとたまらず咎めた。

「ヴィルも賛成してくれないの?
こんな時まで姉さんの味方なんだ!」

「アナ!」

ダメだ。妹に道理は通じない。
反発心ですっかり意固地になっているのだ。
ヴィルが心配そうにエルサをチラリと見遣った。
エルサは大きく息を吸って、気を落ち着かせた。
女王として、ここは毅然と振る舞うしかない。

「……あなた達の結婚は絶対に認められません。
では、これで失礼……ヴィル、行くわよ」

「……、」

エルサは踵を返し、その場を立ち去ろうとした。
ヴィルはやるかたない表情でアナを一瞥すると、背を向けたエルサの後ろについた。
アナをしっかり説き伏せ、きちんと時間と気持ちを割いて関係を築いていくものだと教えてやりたいのも山々だが、エルサがこれ以上この場にいて、気持ちを落ち着け続けることが難しくなってしまうこともまた一大事だ。

「女王陛下、もしよろしければ――」

取り繕おうとするどこぞの王子を制して、きっぱりと申し渡す。

「いいえ、よくありません。お帰りください」

恋人たちに背を向けて、エルサは侍従のカイに指示を出した。

「パーティーは終わりよ。
――門を閉めて」

「え?エルサ待って!」

城門を閉じられたら、何もかも終わりだ。
また世界から隔絶され、元のひとりぼっちに戻ってしまう。

「ねえ待って!」

アナはヴィルをかきわけ、エルサに追いすがると、その手を掴んだ。
引き留めようと引っ張った拍子に、片方の手袋が脱げる。
途端に姉の血相が変わった。

「アナっ、」

「っ!手袋を返しなさい!」

アナは手袋を握りしめて訴えた。
何よ、こんな時に2人して手袋なんて!

「エルサ、分かって!
あたし、もうこんな生活は耐えられないの……!」

姉さんの支配する味気ない城の暮らしに、スペアの人生に、ひとりぼっちに――エルサはありったけの冷静さをかき集めて動揺を押し隠し、女王の威厳を保とうとした。
手袋が脱げた左腕を庇うように懐にたくし込み、この状況における唯一の打開策を口にする。

「……じゃあ出ていって」

それが妹の選択ならば、姉として尊重するべきだ。
今まで妹の身の安全を考え、極力距離を置いて暮らしてきたが、自分から城を出て行きたいというのなら、それもいいだろう。
どうせ城にいても一緒にはいられないのだ。
どちらでも同じだ。

「エルサ……」

どんな気持ちで姉が妹に、その言葉を口にしたか。
それが痛いほどに分かっているヴィルは、ただ名前を呼ぶしかなかった。

だが、アナにエルサの心のうちは分からない。
アナにとってのそれは、姉からの離縁の申し出――究極の拒絶だった。
妹の、まるで悲劇のヒロインのような顔を見たエルサは、もう限界だった。
自分も妹につられ、感情をさらけ出してしまいそうだ。
左手を抑えられそうにない。
急いでアナから離れ、逃げるように出口に向かう。
エルサの限界を感じ取ったヴィルは、再び魔法がアナを襲わないよう、なおも姉を追おうとするアナの肩を抱き引き留めた。
静かな部屋で、エルサを落ち着かせないと。

「……っ、っあたしが何をしたって言うの!?」

アナは涙声で、姉の背中に訴えた。

「もうやめて、アナ」

「いや!どうしてそんなにあたしのことを避けるの!?」

「お願いします、エルサ様を少し1人に――」

「もうさんざん1人だったじゃない!
どうしていつも孤独でいるの!?
何をそんなに怖がってるのよ!?」

「……やめてって言ったの!」

エルサが振り向きざまに、悲痛な声で叫んだ。
いち早く変化に気づいたヴィルが腕から身を乗り出しているアナを抱き込み引き下げた。
エルサの素手の左手から氷が吹き出し、弧を描くように足下のフロアを覆うと、幾重もの氷の棘が突き出し、エルサとアナたちの間に立ちはだかったのだ。

室内の空気が一瞬で凍りつき、音楽がピタリと止んだ。
誰もが雷に打たれたような顔で氷の棘の盾を見つめている。
妹やハンス王子、居並ぶ賓客たちの恐怖に見開かれた目を見返しながら、エルサはこの瞬間を取り消せたら、と心の底から願った。
ヴィルは眉間に深く皺を寄せ、歯を食いしばって目線を落としている。
どうすればいいのだろう。
どうしたら、エルサを守り、アナを守り、この状況を説明できる?
どれだけ必死に考えを巡らせても、どうにもならない。もはや手遅れだ。
秘密は暴かれた。
金属のような光沢を放つ氷の棘は、敵意に満ちたハリネズミの針のごとくエルサを守っている。
ウェーゼルトン公爵が、鋭い棘に恐れをなして後ずさった。

「魔法だ……!」

大柄な側近の陰に隠れて囁いた。

「この国は何か怪しいと思っていた……!」

「……エルサ?」

一瞬のち、我に返ったアナがおずおずと呼びかける。

「っ、」

だが、女王の姿は扉の向こうへ消え去っていた。





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