黒の日記
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私の暗黒の2年間は、得るものよりも失ったものが遥かに大きく、できることなら留年などしたくはなかったし、自己分析は本質まで考え抜くことだと鵜呑みにした私は、自己を本質まで見つめた結果、私には何も無いことに気付き、絶望し、さらに衝撃的な事件も重なり、私はもう死ぬしかないというところまで思い詰め、お前は昭和の文豪かと突っ込みたくなるところだが、ある程度まじめな人はセンシティブなハートがブロークンする前に、適度に脳内をゆるませた方がいい。考え過ぎは良くない。本質まで考え抜くことと自己卑下の闇の扉を開けるのとはまた話が違う。鋭敏な思考は緊張した肉体よりも、適度にゆるんだ肉体に宿るのである。挫折を経験して人は優しくなれるのだと言われても、そんなものなくとも私はもともと優しい人間であった。むしろ優しすぎるぐらいであった。優しすぎて異性にオトコと認識されないぐらいであった。いささか言い過ぎた。しかし、この挫折によって私はむしろひねくれたぐらいだ。むかしはもう少し素直だった。私が皆さんに何か伝えることがあるとすれば、第一志望の大学に落ちたからといって別に死ぬことはない。死ぬのは、自分の将来設計と自尊心だけだ。それさえ保てれば、その先はゆるやかな日常が続いていくだけだ。しかし、逆にその二つが立て直せないとなると、精神に深刻なエラーを生じさせる可能性がある。大半の人間はめんどくせっとあなたのことを見過ごすから、もはやこれはある程度自分で立ち直るしかない。ある程度冷静になれば、専門学校だろうと通信制だろうと編入だろうと再入学だろうと浪人だろうといくらでも道は拓けるように思う。あとは経済的な問題だけだ。全てはそれに尽きるというなら、あなたは何かしらの方法で稼ぐほかない。もし働きたくないというなら、徹底的に親のスネをかじるしかない。そういえば、スネ夫はすねかじり的な意味だったのかと今気が付いた。いや、特に意味はない。とにかく私が言いたいのは、考え抜くことと自己卑下の扉を開くことは違うこと、自らの評価に感情的な指標を入れないこと、つまり冷静になること、バランス感覚を保つこと、適度にゆるむことである。世の中がんばれがんばれと周囲を煽るけれども、そんなこと言われなくともこちとらがんばるし、気合い入れ過ぎて空回ることは目に見えてるし、適度にゆるんでた方が世の中や周囲を冷静に観察できるから、あまり周囲の期待の声に流されないことである。だいたい、友だちや親の意見に従ったら最終的に後悔するのは自分だから、君が最初に思ったその漠然とした感覚を信じるべきである。


これは、いま成功している君にではなく、いつか失敗する君に向けて書いている。そして、かつて失敗した私にではなく、いま成功しようとする私に向けて書いている。かつての失敗には目をつぶる。人はいつか失敗する。それが遅いか早いかだけだ。私は君の背中にそっと手を置き、足をかけ、一本背負いをし、手を差し伸べ、私は君の味方だなどとそんな偽善を言うつもりはない。私は、ただ君を影からそっと見守るのみだ。私が君にできることは何もない。ただ、双眼鏡で君を見守るのみだ。それはただのストーカーだなんて、そんなことは私は知らない。訴えられたら、その時考える。一体何の話をしているのか分からない。とにかく、私は君を見守ることしかできない。そして、私はこれをいつか見返し、バカだなあと一蹴し、今日も元気にゆるやかに生きていくのである。




PS:

幸運を祈る。



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