「ロザラインからジュリエットに心変わりしたロミオの滑稽さについて」
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 まずこの作品のテーマは、若い男女の恋の悲劇である。それと同時に、恋愛における登場人物の滑稽さをも描いていると思う。

 この作品の冒頭で、ロミオはいきなり恋に落ちた状態で登場する。その恋する相手がジュリエットなのかと思えば、その相手はロザラインだというではないか。私はこれに驚いた。恋愛物語の常と言えば若い男女が出会い恋に落ちるものだが、ロミオはすでに恋に落ちている。しかもその相手はヒロインではなく、物語中にまったく登場しないロザラインなのだ。これには驚かざるをえない。

 ロザラインへの恋の悲しみに暮れるロミオは、人目を避け、部屋に閉じこもり人工の夜を作り出している。これでは、心の繊細なただのひきこもりではないか。ロミオは、ロザラインの好意が得られないと嘆く。この物語の冒頭で、私のロミオ像はすでにボロボロに崩れ去っている。どれほどの素晴らしきロマンチストなのかと思えば、あまりに繊細で女々しい青年なのだから。いや、しかし待て。このような青年には心あたりがあるのではないか。そう、文学を好むような青年には、たいていこのような側面が備わっているのではないか。そして、それは私自身にも当てはまるのではないか。そう考えると、途端にロミオに親近感が沸いてきた。既存のありふれた力強いヒーローではなく、恋に悩む女々しいヒーローは、大変新鮮なものではないだろうか。そう、現代の私でも感じざるを得ない。それだけ、シェイクスピアの描くキャラクターが人間味に溢れているということだろう。また、ロミオとペンヴォーリオとの掛け合いは、ユーモアたっぷりで大変おもしろい。このような登場人物との会話で観客を引きつける術も、シェイクスピアのなせる技だろう。

 第二幕第二場。ロミオが恋の翼で塀を軽々と飛び越え、窓辺にジュリエットが現れるシーン。このシーンが最も有名で、また最も印象に残るシーンではないだろうか。私はこのシーンが一番好きだ。このシーンでは、ロミオとジュリエットの会話が詩的に、美しく交わされる。ジュリエットの一言一言が、胸に突き刺さる。それは恋をしている者に共通する、胸を締め付けるような心情である。恋焦がれるような感情である。この場面を名シーンと呼ばずに、何を名シーンと呼ぼうか。それほどの素晴らしいシーンである。ロミオは言う。「待て、何だろう、あのこぼれる光は? 向こうは東、ジュリエットは太陽だ。 昇れ、美しい太陽、そして、妬み深い月を殺してしまえ。」ジュリエットは言う。「ほら、こうして私、夜の仮面をつけている。 でなければ、娘らしい恥じらいで頬が染まっているわ。 さっきあんな言葉を聞かれてしまったのだもの。 出来るなら体裁を繕いたい、そうよ、そう、 さっきの言葉は嘘だと言いたい。でも、正しい慎みなんかさようなら。」

 一番印象に残った人物は、ここまで書いてしまえばやはりロミオとジュリエットなのだが、それはまあ当然だろう。ヒーローとヒロインなのだから。ロミオは冒頭で、あれだけロザラインに浮かれていたのに、突如としてジュリエットに心変わりをし、その勢いで結婚までしてしまう。こんなヒーローがいていいのだろうか。仮にロミオがジュリエットの死を聞きつけたときに、神父様に詳しい事情を聞いていれば、この物語はハッピーエンドになっていたかもしれない。そう考えると、ロミオは少し頭が足りないのかもしれない。恋に浮かれていたからだろうか。それにしても限度がある。しかし、ロミオの心変わりを考えれば、それが素直にハッピーエンドになるとも限らないから、この結末で良かったのだろうか。けれども、この物語は誰も救われていないのである。主要な人物は相次いでしんでしまったのだから。これが悲劇というものだろうか。それなら、悲劇なのはロミオの浮かれ具合であって、ロミオがもう少ししっかりしていればこの結末は防げたはずである。ということで、ロミオが悪い。私の印象には、ロミオは文学史上稀に見るダメ男として刻まれてしまったのである。



ウィリアム・シェイクスピア『ロミオとジュリエット』松岡和子訳(ちくま文庫)1996





おわり


(あとがき)大学のレポートで提出したものです。


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