神様の人形劇
例えば私が双子だったとして、私とうり二つの彼女に私の代わりに働いてほしいと思うのは当然の思考だけれど、しかし彼女は私に似ているがゆえに、お互いに仕事をサボろうとして結局二人とも怠けるというのは目に見えた結論である。
何しろ彼女は私なのだから、彼女の考えることは大抵予想が付く。また彼女は私に似ているから、私は彼女に嫌悪感しか抱かないかもしれない。何しろ私は自分がきらいだから。しかしきらいだからこそ、彼女のつらさも分かるし、やっぱり好きになるかもしれない。何しろ私は自己愛が強いから。自己愛が強くて、現状の自分を許せないのが、いまの私だ。自分自信への期待と絶望が、いまの私を構成している。
ドッペルゲンガーを見たら死んでしまうというけれど、私は代わりの自分がいればべつに死んでもいいような気がする。だってその子が代わりに働いてくれれば、私は世界に存在していることになるのだから。自分と同じ存在が二人もいたら、私が存在することになんの意義があるだろう。ただの劣化コピーじゃないか。しかし相手だって劣化コピーなんだから、それならオリジナルはどこにいるのだろう。たぶん神様なんだろうな。人間は神様の劣化コピーなんだ。
神様は自分に似せた姿で人間を作ったけれど、それならそんな劣化コピーを作って何がしたかったのだろう。人形遊びだろうか。人形遊びのために大きな宇宙と惑星まで作って、それにしてもやることが大きすぎる。せめて二、三人で遊んでくれれば、私が生まれることはなかったのに。神様の遊びに付き合わされても、正直私は迷惑している。
生きる意味だなんて、そんなもの神様の人形遊びなんだから、いくら考えても存在なんてしない。強いていうなら、いかに神様を楽しませるかだ。神様は人間が拝んで、争って、殺し合って、そしてまた拝むのを喜んで見ている。きっと滑稽な姿が笑えるのだろう。だっていくら拝んでも、神様は助けてくれないのだから。
神様が投影した劣化コピーが私。神様の人形遊びだから生きる意味なんてない。だけどただの遊びなら、私はせいぜい楽しんでみせるよ。見てろよ神様、私が最高のショーを見せてやるから。
(あとがき)
お題:投影
諦さん @RAIN_CAGE