私と成宮は、腐れ縁だ。
「お、苗字みっけ。こんな寂れた中庭でなにしてんの?」
「……なにしてんのって。見たらわかるでしょ」
「ホウキでクリケット?」
「掃除に決まってんでしょバカ」
1年生から同じクラス、思えば隣の席になった時からターゲットロックオン……されていた気がする。「へー。サボらないでいい子してんね」主に、彼のおもちゃとして。
「……そっちの班の掃除は?」
「もう終わり。つかほぼ手抜き」
「成宮はいい子しないんだ」
「ま、午後練のために体力残さないとだかんね」
気に入った相手としか仲良くしないし、他はいわゆる塩対応。すぐに調子に乗るし、機嫌を損ねればむすっと唇を尖らせる。軽い言動で近づいてきたかと思えば、冷えきった眼で突き放す。喋るのすら億劫なのだと気怠そうに窓の外を眺める、そのくせ野球には全力。周囲を振り回し引き込まずにはいられず、腹の奥底に得体の知れない素顔を隠している。
成宮鳴は、気分屋だ。
「つかここ結構寒くね?よくそんなセーターだけでいれんね」
よっこいせ、なんて言いながら渡り廊下の手すり前に座り込んで、人が一生懸命集めた枯れ葉の山を「えい」ご丁寧に長いおみ足で蹴り上げた。「バカ成宮……」散り散りになった枯れ葉に、私の中のやる気ゲージも完全に空になってしまった。あーあ。もう疲れちゃったな。
「あらら。掃除は終わり?」
「いい子するのやめたの」
せっかく掃いても誰かさんがパーにするし。そうでなくても、どうせ風吹いたらまたパーになるんだし。ホウキを倉庫に放り込んで、空を仰ぐ成宮の隣に座り込んだ。ローファーを脱いで、置いておいた上履きに履き替える。成宮の投げ出した足の隣に自分の足を並べると、短さと寒さが際立った。(男子はいいなあ。足出さなくていいし、その分寒くないし)「終業式さーあ」
「校長の話、いつもより短くなかった?」
「あー、うん。短かった。えっもう終わり?って思った」
「あれさ、絶対寒かったからだと思うんだよね。主に頭が」
「なにそれひどい」
「絶対すーすーしてるって。きっと。たぶん」
「成宮こないだはヅラで暖取ってるって言ってたじゃん」
「いや、寮で盛り上がったんたけどさ、ヅラ説は弱いね。だってあんだけ薄いヅラある?仮にヅラだとしても逆にもっと分厚くて誤魔化せるの着けるだろ普通って話になって」
これだけ誰かのヅラについて力説する人初めて見た。ていうか寮で盛り上がったとかこの人のまわりも相当やばいな。
成宮は立てた膝に頬杖ついて、口許を覆いながらいかに校長のヅラの質が悪いかを語っている。どうでもいいけど、隠してるつもりだろうけど顔にやにやしてるんだろうな。頬にかかった横髪を払いながらそんなことを思った。
校舎を巡った風が枯れ葉を叩きつけて、渡り廊下の先へ先へと吸い込まれてゆく。中庭を挟んだ向こうでは焼却炉前に積み上がったビニール袋が縛り目を一身に靡かせていた。「う……」さむい。こんな時ばかりはお腹のあたりで丈を捲り上げているスカートの短さが恨めしい。油断するとひらりと翻る裾を手で押さえ、ニットの縫い目から潜り込む冷えた空気に首を縮こませる。
ふと足元に目を落とすと、上履きは薄汚れて、マッキーで滲ませた名前がところどころ剥げていた。(……持って帰らなくちゃ)
「苗字」
隣の上履きが動いたと思ったら、成宮が私の名前を呼んで、肩に大きな布が掛けられた。布?内側から手を伸ばして触ってみると、ブレザーだった。成宮を見ると、上着1枚分スリムになっている。見ればわかるこのブレザーは成宮の、だ。
「掛けてなよ」
「……いいの?」
「お前薄着だし、寒がってるとこ見てるだけでこっちの方が寒くなってくるんだよね」
「お心遣い痛み入りまする」
「まあ高くつくけど」
「成宮は寒いの平気なの?」
「俺は毎日鍛えてるからね」
「そっかあ、子供は風の子って言うもんね」
「最近はバカでも風邪は引くって言うし、苗字気を付けた方がいいんじゃない」
んべ、と成宮が舌を出した。相変わらず減らず口だなあ、と思うのはきっとお互い様なんだと思う。
「冬休みさ」
「んー?」
「どっか出掛けたりすんの?」
後ろ手を着きながら、成宮が仰け反った。
「まあ、クリスマスと初詣くらいかな」
身体をすっぽりと覆う大きなブレザーに、背中からじんわりと暖まっていく。
「他に遊んだりしねーの?」
ブレザーから両腕を覗かせて、冷えた指先に口許で息を吐いた。
「成宮くん。私たち、来年は受験生ですのよ」
それは一時の気休めにしかならなくて、せめてもと思い至って少し伸びた袖を指の股まで引き上げた。
「出た。いい子気取り」
「気取りじゃなくて、根からいい子なんだってば」
「さっきいい子やめるって言ってたじゃん」
「えっ幻聴?」
「ホント都合いいなーお前」
「いや、でもさ、受験生なのは本当だし。そろそろ本腰入れなきゃね」
「はあ?」成宮の素っ頓狂な声が校舎に反響する。
「キャラじゃなさすぎる……」
「失礼だよ成宮くん」
いったい君は私をなんだと思っているのか。
「受験とかまだ早いって。俺まだあともう1回甲子園行かなきゃだし」
(行けるの前提なんだ)
「ていうかその前には体育祭じゃん?他にもあるじゃん色々」
「色々って?」
「色々は色々だよ。文化祭とか。始業式とか。あ!ほらまずクラス替えあんじゃん!」
後ろに仰け反っていた成宮が、すごい勢いで私に向き合った。
「クラス替え!やばいすっかり忘れてた」
「クラス替えにやばい要素なんにもないけど」
「なんで!?俺たち離れちゃうかもしれないじゃん!」
「えっ私万々歳じゃん」
「はあ?お前とクラス離れたら俺は誰から宿題写させてもらったらいいわけ?」
「いやそこは自力でやりなよ。それか後輩くんに頼めば?」
「……なんでそこで樹が出んの」
「……」声音に、ちょっと不機嫌さが混じった。心の中でほくそえむ。予想通り。ちょっとだけ、優越感。
「うそ。冗談。さすがに後輩くんから教わらなきゃいけないほど鳥頭だとは思ってないよ」
ふわふわな癖のある前髪を見ながらそう言うと、「目を見て言いなよ」と凄まれた。ばれてた。
「苗字は俺とクラス離れてもいいんだ」
「静かそうでいいかなとは思うよ」
「ふーーーん?」
「不満そうですねえ」
「俺は離れたくないんだけど」
「宿題写せないもんね」
「それだけじゃなくて」
「……それだけじゃなくて?」成宮には珍しい歯切れの悪さに尋ね返すと、成宮は苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向き、目だけでこちらに訴える。
「他にも」
「他にも?」
「なんででしょう」
「なにそれ」
「自力で考えなよ」
「わかんないよ」
「本当にわかんないの?」
息を飲む間もなく、顔を覗き込まれた。「、わ」反射的に背中を反ると、逃がさないとでも言うように大きなブレザーの前を掴まれ、身体を丸ごと囲われ、距離を縮められる。ぐ、と成宮の首が伸びてきて、目の前の整った顔に目を瞠った。
「なる、みや」成宮が近づく分だけ、私は歩幅を退ける。拒絶ではない。けれど、甘受する気も毛頭ない。おいかけっこ、なんてつもりもない。ただ、
「そうやってわからないふりしてんのも今のうちだよ」
―――ただ、いつもより低い声を唸らせ、このあどけない皮を顔に縫いつけた獣に。その下に隠した鋭い瞳で、牙で、舌で、丸裸にされてしまいそうな、ぞくりとするような予感があるのだ。そして、
「……ふふ」
こんな距離感が、どうしようもなくいとおしいのだ。
「……なーに笑ってはぐらかしてくれてんのかな苗字ちゃーん」
「いやいや笑ってなんか」
「いや笑ってたじゃん。思いっきり漏れてたんだけどふふって」
「何かの聞き違いかなにかじゃ……あ、チャイム」
遠くのスピーカーから掠れた高音が響き渡った。あまりのタイミングの良さに、今度こそ隠せずに笑ってしまう。目の前に迫った成宮の顔が、むすっとむくれたものになり、みるみるうちに睨みをきかせたものになり、やがて空気が抜けるように脱力して、「……はあ」ブレザーから手を離し、「わ、」私の頭をぐっしゃぐしゃに撫で回した。
「ちょっと。何してくれてんの」
「掃除の時間は終ーわり。行くよー苗字」
「あ、ちょっと」
「あーあ。クラス替え、都合良くいかねーかなあ」
すっくと立ち上がり歩き出した成宮に、慌ててローファーを掴んで追いかける。ぶかぶかのブレザーが風に押されると、するりと手が回って私の指を握りこんだ。「まあ、でも」
「腐れ縁だしね」
「腐れ縁だもんねえ」
春、桜が舞うグラウンドで走り、夏、日に焼けた半袖の跡が恨めしく、秋、短くなる日照を惜しく思いながら紅葉を踏み歩いた。あやふやでちぐはぐな歩幅が互いを教えてくれていた―――今はまだ、このままの距離で。
冬、それは、君の手のあたたかさを知る。
近く、遠く