昼間は夏の暑さが残るけど、夜は肌寒いこの季節。そんな中途半端な時期に、通りがかりに見たブルペンに一人で立つその姿もまた、中途半端だった。
あの日から、部内の雰囲気は良くも悪くも落ち着いていた。
それもそのはず。あの試合から様子が変わってしまった人がいる。いつもはチームの真ん中にいる人。こんなところで一人で投げることなんてしないような人。
普段接してる分にはいつも通り。だけどどこかが違う。何かがこぼれ落ちてしまったように、足りない何かを探してる。
そんな先輩に周りは何も言わない。一人で乗り越えるべき壁にぶち当たっているのかもしれないのか、先輩のプライドの為か。私にはそれがわからないから先輩の手助けになれることをしたいとは思うけど、何をすればいいのか見当も付かず、今日もモヤモヤしたままグラウンドを出ようとしていた。そんな私も中途半端だ。
だけど、忘れ物を取りに戻る途中、一人でブルペンで球を投げているその姿を見かけて足を止めた。
前までは、室内練習場でみんながいる中多田野くんに向かって投げていたのに、今は一人。
どうして、先輩は誰にも、何も言わないんだろう。いつもの先輩は…。
「成宮先輩」
「…名前」
呼びかけた私の声に、成宮先輩はセットポジションを崩す。
何球投げたのだろうか、ネットまで近付いて大体の数を確認すると、50は投げてる。
この中にどれだけ、納得する球はあったんだろうか。どれだけあの試合のことを思い出すような球があったんだろうか。
こんなことを考える私も、私だ。
「まだ帰ってなかったの」
「…帰れないです」
「忘れ物?」
「はい。…大事な、大切な」
「ふーん……」
特に不思議に思われない。ていうか、どうでもいいんだと思う。それどころじゃない。周りに干渉してる場合じゃないって。ポーン、ポーン、と手のひらでボールを遊ばせてる先輩の目は、どこか遠くを見ているよう。時間が解決してくれることなら、私の出る幕はない。だけど、夕日に照らされる先輩の表情は、そんな簡単な話じゃないって物語ってることは私にだってわかる。
「多田野くん、呼ばないんですか?」
「…うん。一人で投げたいから」
嘘だ。
本気で一人で投げたくてネット相手にしてるわけがない。多田野くんを相手にできない理由が成宮先輩の中で、絶対にある。本気で投げることができないから、向き合えないんだ。
成宮先輩は、いまだに投げようとしない。私がいる前では投げないつもりなんだと思う。
手のひらで遊ばせていたボールを成宮先輩は高めに投げた。
「なーんかさ、」
「……」
「俺が投げる球、ブレてんのかな。……なんて」
落ちてきたボールをグローブでキャッチする。
冗談ぽく言うけど、成宮先輩はずっとこうして一人で悩んで、迷っていたのかもしれない。誰にも何も相談せずに、一人で背負い込んで。…どうして、言ってくれないのかな。
「…うまく、いかねーもんだよな。…なんで……、」
「、先輩なら、うまく行きますよ」
「………」
聞こえてない。私の声なんて届いていない。萎れたその表情、私は見たことがない。ボールをギュッと握りしめて俯く、こんな成宮先輩、私は知らない。おまえが知らないだけって、言われたらそれまで。だけど、きっと今の成宮先輩は、誰も望んでない。本人だって。
「先輩!!!」
これでもか、と大きい声で先輩を呼んで、私はネットから一つだけ取り出したボールを成宮先輩目掛けて投げつけた。バシンッとキャッチするいい音。
突然自分目掛けて飛んできたボールに成宮先輩は当然驚く。
「何!?え、てか肩強くない!?つーか顔狙った!?!」
「先輩、いつもの先輩じゃない!!」
届かないのなら、意地でも届かせてみせる。誰も望んでない成宮先輩なんて先輩じゃない。まだ私は半年しか先輩と一緒にいないけど、半年の間では誰よりも先輩のことを見てきた自信はある。
「いつもの先輩は、我儘で自己中で周りの意見なんてまるで聞かなくて、」
「は、?え?悪口?」
「お子様で目立ちたがり屋ですぐ調子にのって…」
「いや、なんなのお前。帰れよ」
「……けど、誰よりもチームが勝つこと、考えてて…だから迷ってるのはわかるけど、…」
私が成宮先輩にできることなんてたかが知れている。成宮先輩の考えていることだって私には到底わからない。だけど、
「成宮鳴は、マウンドで堂々としてる王様なのが、成宮鳴でしょ……!!」
「……」
「………私は、そんな先輩を好きになったんじゃない……」
伝えたい想いと一緒に、溢れ出てきた涙を拭った。憧れてた。グラウンドの真ん中で堂々としているその立ち姿。エースナンバーが似合う後ろ姿。かっこよくて、ずっとついて行きたいって、ここに来て本当によかったって思った。
なのに中途半端なその姿に、私も何もできなくてもどかしさだけが残る。
「今の先輩は……、全然かっこよくない…」
こんなの、私にとっての理想の成宮先輩を押し付けてるだけだっていうのはわかってる。
ポタリポタリと乾いた地面に涙が落ちるのを滲む視界の中で捉えた。情けない。うまく纏まらなくてごちゃごちゃで、ただ、思いだけは届いてほしい。それも我儘だ。
涙を拭って顔を上げた瞬間、物凄いスピードで隣を何かが通り過ぎた。何かじゃない、ボールだ。ネットが揺れている。
「俺の何を知ってるわけ」
「…、ごめ、」
「しかも、なんで名前が泣くの」
「……それは、先輩が泣かないから、代わりです」
「散々泣いたよ」
「でも、スッキリしてないでしょう!」
私は成宮先輩を怒らせたいわけじゃないけど、どうしても伝えたい言葉を強く放ってしまう。
成宮先輩の私を見る目は無表情で、結局届いてない、そう思った時、一つため息が聞こえてきた。表情は、柔らかい。
「…そうだな。でも、なんか目が覚めた」
「…!」
「俺、投げたい球投げたいし、我儘な王様でいたい」
「…はい!」
「ありがと」
「………はい!!」
お礼を言われた時、成宮先輩はこっちを向いてくれなかったけど、十分だった。そのあと私にニヤリと見せた顔、いつもの成宮先輩。やっぱり成宮先輩にセンチメンタルなんて似合わない。
「じゃあ、樹呼んできて!」
「…え、私はもう帰る……」
「そこ断る空気じゃないだろ!見てくのは当然でしょ!」
「ええ、真っ暗になる前には帰りたいんですけど、」
「暗くなったら送ってくから大丈夫〜」
勝ち気な笑みというか、何か意地悪いこと考えてるような面持ちでこっちまで歩み寄る先輩。
ていうか先輩と一緒に帰れるのはそれは嬉しいけど、それよりも申し訳なさの方が存分にある。なので私は、最低樹くんを呼んでから帰りますよ、と言おうとしたところ、目の前まで来た成宮先輩の手が私の頭にぽん、と乗った。…?
「好きなんでしょ?俺のこと」
「………え、!?」
「俺モテるから大変だよ〜?」
ニヤついてる先輩に言われて気付いた。私、初めて成宮先輩に、しかも勢いで好きだと、言ってしまった。そこだけ先輩の記憶から切り取りたい。聞き逃して欲しかった。今後ネタにされるに決まってる。急に顔に熱が集まって、赤くなるのを肌で感じる。
ああ、もう。
「が、……」
「ん?何?」
「頑張ります!!」
「あ、そ……」
「じゃあ、呼んできます!!お疲れ様でした!!」
「ちょっ!」
恥ずかしさで死にそうになるから、わざと大きい声で伝えて背を向けて多田野くんを探しに走る。
こうなればもうヤケクソで、どうせ成宮先輩が周りにバラしてネタにするつもりなら、私は周りに味方になってもらいますからね。
離れてからまだ熱い頬を抑えながら辺りを見渡すと、その色は私と同じだった。
季節の変わり目、気持ちの変わり目。もうすっかり秋色だ。
君に染まる