▼産屋敷耀哉



 遥か昔の平安時代。
 とある貴族の屋敷の一室に、双子のように酷似した二人の男がいた。
 片方は青白い顔で床に伏せており、片方は床に伏した相手を労っていた。


「ご加減は如何ですか」

「最悪だ、貴様のせいでな。口を開くな」


 心から案じた言葉を膠も無く取り払われた男は床の男の言いつけを守り、形のいい眉を下げて無言のまま一礼した後部屋から去っていった。
 床の男は恐ろしい形相で男の後ろ姿を睨みつけ、出て行くのを確認するまで決して目を逸らさなかった。
 これが、二人の男の日常だった。






「兄上、おはようございます」


 健全者である男は次男であり、万年床に横たわる男は長男である。
 御家を継ぐ資格を持つのは長男であり、次男にはなかった。
 だが長男は二十を迎えるのも難しいと診断されるほどの病弱ぶりであったために、両親は早々に長男を見限り次男に山ほどの愛情と知識を与えた。回復の見込みのない長男が亡くなれば、後継の資格は次男に繰り下がる。冷徹で冷静な判断だった。


「中庭に埋めた種が実を結び、見事な花を咲かせました。御都合が合えば是非ご覧いただきたく」


 次男は心穏やかな性格で兄を慕っていた。幼い頃、まだ長男も外を出歩くことが可能でそれほど仲も悪くなかった時、兄と遊んだ蹴鞠は楽しく暖かい思い出だからだ。
 長男は気難しい性格で弟を疎んでいた。己と異なり目眩も咳も起こらない身体に生まれ育ったからであり、そのような者だけが一族の中で唯一己を愛し続けたからだ。
 もし長男が健康な身体で生まれていれば、御家を継いだ長男を次男はよくよく支えただろう。
 もし長男が健康な身体に成長していれば、疎む理由が消えた次男を長男は受け入れ共に御家を守っただろう。
 しかし、


「黙れ、いい加減にしろ、二度と俺の前に現れるな!!」

「……はい、兄上」


 そのような未来は訪れなかった。






 あの日の拒絶以来、長男と次男が顔を合わせることはなくなった。長男は滅多に部屋からでることも叶わないため、次男からの訪問が止まれば会う機会など存在しない。
 このまま長男は儚い命を散らす――その筈だった。
 二人の兄弟が再会するのは長男の葬儀の時だ――その筈だった。
 次男が想像していたその未来は、たった今自室を訪れた兄の姿によって崩れていた。


「今晩和、壮健そうで何よりです」


 考えもしなかった光景に動揺するが、直ぐに普段通りの、普段よりも嫋やかな笑みを浮かべる。
 最後に見た姿とは反対にぐっと顔色がよくなった兄を素直に喜んだ。
 頭に過る、警告の鐘を無視しながら。


「あの医者に処方された薬の効果だろう」

「それは重畳です、彼が生きていれば謝礼を与えたかった」

「こうして起き上がることも、言の葉を述べることも容易だ」


 兄と話せば話すほど、鐘の音が強まった。
 逃げるべきだと生来の勘が囁いていた。
 だが相手は家族だ。血を分けた兄弟だ。今も昔も愛する兄だ。そのような対応などできるわけがない。


「誠に喜ばしいことです、父上と母上に一刻も早くお伝えせねば」


 どうして――――起き上がったばかりの兄の顔が、首が、手が、目で確認できる範囲の部位が、己と同じほどまで膨れ上がっているのだろうか。
 己は、疑問に思ったそれをもっと深く考えてみるべきだった。
 己は、生まれ持った勘をもっと信じるべきだった。


「その必要はない」


 己は、己は、


「俺の血となり肉となれ、無限」


 この兄の生に、己は、ほんの僅かでも安らぎを与えられていただろうか。














 兄上に幸せになってほしかった。

 両親の愛を奪ってしまって申し訳なかった。

 二人が産まれる前に己が兄に届く栄養を横取りしてしまったのだろう。

 己がいるから斯様に兄は苦しみ続けたのだ。

 ずっと兄上に謝りたいと思っていた。

 矜恃高い兄に謝罪などすればどうなるか分かりきっていたから口にすることはなかった。

 ずっと兄上を愛していた。

 疎んでいる弟からそのように言われればどうなるか分かりきっていたから口にすることはなかった。

 ちょっとばかり、遠目にみえた親戚の兄と弟がしていたように、兄弟喧嘩というものをやってみたいと、考えたこともあったけれど。

 己には贅沢すぎる夢だと自嘲して。

 ただ、ただ、この世界にたった一人の兄である彼の幸せを願っていた。









 間近に迫った兄の顔を見て、その瞳が縦に広がる瞳孔に変化していることに気付き、唯一の共通点だった容貌に差異が出てしまったことで悲しみを抱いたが、涙を流したところで何の意味もなく。
 黙って、その行為を受け入れた。
 兄が幸せになるのなら、幸せへの道が切り開けるのなら、それでいいと思った。
 兄の幸せのために、己の命が邪魔だというのなら、これでいいと思った。

――どうか彼の未来に、幸多からんことを。

 そう、祈って。
 開かれたままの襖の先に見える三日月を見上げ。
 "次"がもしもあるとしたら、兄の足を引っ張らないように、弟にはならないでおこうと。
 あの三日月に誓い、微笑みながら目を閉じた。




「…………無限?」











――――――

――――

――










「やあ、来たのかい。初めましてだね、鬼舞辻……無惨」

「……何ともみすぼらしい姿だな、産屋敷」


 平安から暫し時を超えた、大正時代。 
 とある屋敷の一室に、同じ髪色をした二人の男がいた。
 片方は上品な西洋の服を身に纏い、片方は白い布で顔を覆い床に伏せていた。
 こうしてまた、二人の男は相見えることとなる。







「この千年間……君は一体、どんな夢を見ていたのかな……?」


 奇妙な感覚だった。
 あれ程目障りだった鬼殺隊の元凶を目の前にして憎しみが湧くことがない。
 寧ろ――

 この屋敷には一人しか人間がいない。
 眼前の産屋敷のみだ。
 護衛も何もない。

 奇妙な気分だった。
 懐かしさと安堵感を強く感じる。
 気色が悪い。


「当てようか……無惨。君の心が私にはわかるよ」


 産屋敷の声に、中庭を見渡していた無惨がぴくりと反応する。


「君は永遠を夢見ている、不滅を夢見ている」

「……その通りだ。そしてそれは間もなく叶う。禰豆子を手に入れさえすれば」


 言い当てられ、それを否定される。
 それがなんだ。
 目の前の産屋敷には時間が無い。
 私にはたっぷりと時間がある。


「君は……思い違いをしている」


 産屋敷は語る。
 ……この男の声に、既視感を抱いていた。


「永遠と言うのは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」


 産屋敷は語る。
 ……この男の話し方に、遥か昔が思い浮かぶ。


「この……人の想いと繋がりを、君は理解していないようだ、無惨。君が率いる鬼という集団は……君が亡くなれば全て無に帰すんだろう? ……正解だね、空気が揺らいだ」


 びきりと青筋が浮き出す。
 この喉元を掻き毟りたくなるような衝動は間違いなく、かつて存在した弟が私に与えたものだ。
 なんと愚かしい。毎日飽きもせず、私の一室に通う弟。
 なんと腹立たしい。活力に満ち溢れた、しなやかに動く身体を持つ弟。
 生きている間、私を苛立たせることしか行わなかった弟。

「黙れ」

 だが威圧を加えて命令すれば、弟はその通りに動いた。


「うん、もういいよ。私がずっと君に言いたかったことは言えた」


 ……この男は弟ではない。


「最期に……ひとつだけいいかい? 私自身はそれ程重要でないと言ったが……私の死が無意味なわけではない。私は幸運なことに鬼殺隊、特に柱の子たちから慕ってもらっている。つまり私が死ねば今まで以上に鬼殺隊の士気が上がる」

「話は終わりだな?」


 力なく横たわった産屋敷に手を伸ばす。
 忌々しい一族当主を俺の手で確実に葬り去ってやる。
 弟に似た、この男は。















 結局、この魂は君の邪魔をするだけの人生しか送れないようだ。
 そういう宿業でも宿っているのだろうか。
 ふふ、いいや、言い訳はよくないね。己は今度は自分の意思で邪魔をしたのだから。
 ……もう"次"はないだろう。
 君のことは、私の人生で誇れる数少ない一つである子供たちに任せるよ。

 私の生はこれで終わる。
 今度こそ最後だ。

 今更言っても信じてもらえないだろうけれども。
 最期だからね、思うだけなら許してくれるかな。


「ああ……貴方がこんなに私の、……己の話を聞いてくれるとは思わなかったな」


 己は本当に足枷にしかならぬ愚弟でありましたが、心の底から、貴方を。

 永遠に、不変なく、愛慕っておりました。






 病で震える右手で顔布を持ち上げ、夜空を見上げた。
 今夜はあの時と同じ三日月だった筈だけれど、あの時と同じ開いたままの襖の先に、あの時と異なり三日月の姿はない。
 ……それだけは、残念だ。





 産屋敷名前の顔を目にした鬼舞辻無惨の左手が止まる。




「――――――――」




 そうして片方が口にした言葉に、片方は瞳孔を見開いたが――その直後に白い閃光が奔り、一つの命が潰えた。






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