▼織田信忠



「貴様は獣か? そうでないなら我慢を覚えろ」


 温度が籠らぬ鋭利な赤目がオレを見下ろす。
 そこらの兵よりも頑丈な身体がまるで布のように放り出され、いともたやすく地面に潰された。
 槍が鼻先に振り下ろされるのを、目を見張って眺めることしか出来なかった。


「さすれば、極上の悦が待っているぞ」


 片側の口角を持ち上げ、後ろについていた馬に騎乗する。
 そして男は再びオレを視界に映すこともなく去って行った。
 あっという間のことだった。
 この時だけ時間の流れが明確に違ったのだ。
 とても早かったような、それともとても遅かったような。
 あの瞳の鋭さ。
 あの槍の腕前。
 男を前にした時の威圧感に込み上げてきたものは、生誕して初めて味わう衝動だった。


「待ってろよ……」


 生まれて初めて、全身の肌が粟立ったのだ。


「直ぐに武功を上げてやる」


 衣服についた土埃は気にもせず、立ち上がる。
 目を閉じて先程の男の姿を反芻させた。
 槍。
 ああ、そうだ槍だ。
 オレの手に一番馴染むものは槍である。
 であれば、あの男のように。


「絶対あの目にオレを映させてやるぜ」


 天下に武を布く織田宗家の跡目。
 仕える相手は奴なのだと、直感した。





「よお若様! 今日も早速稽古頼むぜ!」


 周囲のオレを呼び止める声が騒がしい。
 邪魔をするな。
 喧騒の中を軽やかに走り抜け、若の元に辿り着いた。
 いつもと変わらずつまらなさそうな顔をしている。


「止めるな皆の者、良い鍛錬になる」

「ッしゃ、吠え面かかせてやる!」


 力を蓄えた右足で地面を蹴り上げ、若の胴体に十文字槍の一突きを喰らわせようとする。
 右手で撫でるように軽く跳ね除けられ、攻撃が不発になるとと直ぐに左膝を若の鳩尾目掛け一直線。……外した!
 十文字槍を振り回せば、屈まれて回し蹴り、足を取られ重心が崩れる。
 背後を取ろうにも、後ろに回り込むほどの隙がない。
 速さで負けるならば力で押し切るまでだと打ち合いに持ち込んだが最後、ただただ純粋に上回る腕力で押し切られる。
 目にも留まらぬ速さ。
 僅かな抵抗も叶わぬ力。


「チィィィッ! オラオラオラオラァァアア!!」

「はて、その脳につまっているものは汚泥か。闇雲に突っ込むとは――――おや、」


 大きく振りかぶった一突き。
 さぞ隙多く見えただろう、だがオレはやられたらやり返す主義だ。
 防御されたまま前へ前へと力を籠め続けた一撃。それを正面から受け止めた若の持つ竹刀は、この一戦で蓄積された損傷も相まりミシリと嫌な音を立てた瞬間に折れた。
 阻むものがなくなった切っ先は迷いなく若の頭に突き進む。

 ――――獲った!!

 沸き立つ心が後押しし、必中を確信して全身を前屈みにのめり込ませた。
 ……そして、いつのまにか屋敷を一望していた。


「うおおッ!?」


 若が住む屋敷が、何故下にあるのか。
 見下ろすことが出来るほどの高さまでふっ飛ばされたのだということに、急降下し始めてから漸く気付く。
 身体を捻って体勢を整え、両足から土に着地する。
 ばっと勢いのまま顔を上げて若がいる方を向き、ニッと口角をあげた。


「あー畜生! 今度こそいけると思ったんだがなぁ!!」

「この大馬鹿者ッ!! 勝蔵貴様、若様を殺す気か!!?」

「はあ? この程度で若が死ぬかよ、馬鹿じゃねーの?」


 それは無論、殺す気でやった。
 若との稽古なのだから当然だ、何を言っているのだ此奴は? と傅役である村井吉兵衛貞勝に胡乱気な視線を送る。
 若はこれぐらいでは殺められないし、そもそもの話、当てても死なぬだろう。
 無論、殺すつもりでやったが。

『……私と勝負か。そうだな……構わんぞ。ただし、一瞬の気の緩みも許さん、本気で来い。放つ一撃全て心の臓を貫く心積もりでな』

 若と行う稽古は遍く全力だ。
 そうしてこそ武は磨かれるのだと、若は言う。オレもそう思う。


「命じたのは私だ。安心しろ、父上は笑って許した」

「そうだそうだ、うぜえんだよどっかいってろ!」


 村井のおっさんはオレを睨みあげ、一言物申したいと言わんばかりの形相だったが、若に再度押されて渋々引き下がった。
 背筋を伸ばしながら肩に十文字槍を乗せ、首傾げて若様を見上げる。


「なあ、今日は二回戦目やっていいか?」

「無しだな。一服してから帰るがいい」

「うぇー」


 不満なところといえば、五回に一回ほどしか稽古を続けてくれないことだ。
 他の手習いで忙しいと言われれば黙るだけだが、若とする一戦が一番心躍るのだ。一回では物足りない。いや、正直に言えば二回でも満足はしていない。
 太陽が山にかかるまで。代わりに月が空に浮かんでも。
 気の赴くまま気が済むまま、存分に若様と試合てみたいものだ。


「……そうだ。貴様、私に一つ茶を点ててみよ」


 先程の稽古で高ぶり逸る心を誤魔化し、明後日の方向を見つめていたが、目を丸くして若に振り向く。


「顔に似ず美味いと聞いたぞ。では参ろうか――――勝蔵」


 不満なところ、其の二。
 稀に己の名を呼びかけてきた時、いとも容易く行動を操作してしまうところだ。
 ……従うほかないではないか。


「……わーったよ、若様。うめえって目ん玉ひん剥かせてやるよ!」

「それは楽しみだ」


 いつのまにか、意識せず、頷いてしまうのだ。
 しかし、悪い気はしないので、実の所それほど気に留めていない。
 何故なら相手はオレの若だから、である。



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