成り代わり | ナノ


※「没と放置とゴミ」に置いてある設定(これ)から。



――ああ、生まれたのだ、と認識出来たのは、先程までいた場所があまりにも温かくて、手放し難い天国そのものの空間だったからだ。
羊水とは即ち天国だ。
胎盤に存在する天上を人は生きていく内に忘れるが、無意識下では覚えている。人が天国を信じるというのはそういうことだ。
誕生する以前の記憶が魂に刻み込まれているからこそ、この温もりを知っていたからこそ、天国という概念を喜んで受け入れるのだろう。


「う゛ぉ゛おい、ふざけんじゃねぇてめーら!」


特徴的な低い声の女性が、強い口調とは裏腹に悲痛そうな声色で叫ぶ。
生まれたばかりの赤子には視力がない。周囲の状況を視覚で確認することができないのでは聴覚に頼る他ない。
悲しみが溢れんばかりに込められて痛々しかったが、甚く悲壮で耳を劈く声量だった。何を此処まで女性を駆り立てているのかは分からないが、女性の中には揺るぎのない私心が存在するのだろう。


「九代目がお許しになったことは分娩までです、それがお分かりにならないほど疲弊しているようですね」

「炎を出すかもしれないぞ、警戒は怠るな」


だからこそだろうか。
女性の声は、鼓膜を震わせる以上に私の心を揺さ振った。


「止めろ!てめーらが触れていいモンじゃねぇぞぉ!!」


隠しきれぬ疲労が見えながらも躍起になり、女性は叫んでいた。
すると突如、赤子の私は何者かの手によって運ばれ始める。それは当然、声の主である女性から離れるということだ。
赤子の泣き声が響いた。


「あ゛っ、ぐぁぁ!」

「なっ!?こ、これは……間違いない!憤怒の炎だ!この餓鬼、受け継いでやがる!」

「絶対に落とすなよ、一旦揺り籠に戻せ!」

「なんということだ、九代目の憂いていた事が現実のものになってしまった……よりによって反逆者の、血筋も定かではない薄汚い小娘が……」


それは自分の口から発せられているものだと大人の手が私をあやして落ち着かせようとする動きを見せたことで気付く。
だが周囲の声によると私は泣き声と共に炎を発し、抱いている者に害を与えているようで、筋張った腕ではなく先程感じていたふわふわとした感触のする揺り籠に出戻る。
人体が発火するなど信じられないが、大の大人たちが大真面目に狼狽えているので本当に燃えているのだろう。燃えたらしき男の声も真実味があった。
揺り籠ごと移動させられ、再び女性の気配が遠ざかる。


「連れて行くんじゃねえ、待て!そいつはっ……XANXUSとオレの、」


女性が遠ざかれば遠ざかるほど、私があげる泣き声は大きくなっていく。
赤子が泣くのは理屈じゃない。
しかし赤子の中には私がいる。何ら悲しい思いはしていない。だが、間違いなく私は今泣いていた。


「オレ達の子供だ!待ってろ、直ぐ奪い返しに行くからな゛ぁ゛!!――ナナシ!」


女性の力強い言葉を受け、私はあらゆる事を理解できた。
それは、今生の母親であり。
それは、与えられた名前であり。
そして、私は間違いなく望まれて産まれてきた子供なのだと。







睡眠食事昼寝睡眠睡眠食事睡眠睡眠昼寝食事睡眠。
赤子の仕事を意識せずともしっかり熟す日々を送っている。いつの間にか瞼は落ちるしいつの間にかお腹が減りミルクを与えられるのだ。
例え監視の目があったとしても、赤子の生活スタイルには一切関係のないことであった。
日付感覚が曖昧な為はっきりとは言えないが少なく見積もってもこの世に再び生まれてから半年以上は経っている。
私を産んだあの女性、つまり今の母親は未だに現れない。

周囲の人間が母親に向け放っていた肌を突き刺す夥しい敵意。
無力な存在である私を見張る存在。
何かしらの深い理由があることは明白だった。母親が万全の状態になったとしても、此処まで到達できるかどうか怪しい。
だが、母親と離ればなれになる際に投げられた言葉への疑懼は無い。
あの女性ならば、否あの母親ならば、きっと迎えに来てくれると。そう信じられたのだ。

産まれた直後に聞こえた単語は全てイタリア語だったが、今の場所ではフランス語で話されている。素直に受け取れば、フランス国内にいるのだろう。
すくすくと成長しているように見えるよう、舌足らずで拙くフランス語を習得していく過程を演出する日々を過ごす。
そんな内フランスでの生活も三年目に突入し、最初は厳重だった見張りの目も緩くなり数も減量した。
私見になるが、生まれた直後に出した憤怒の炎とやらが再発する兆しが見られないからだと思っている。この身体になってからやたらと鋭くなった直感が述べていた。

今日は六月六日。
つまり今の私が生まれ落ちた日だが、普段と違う点が幾つもあった。
まず一つ、朝起きた時直感が何かが起きると囁いた。
もう一つ、減った筈の見張りの数と目が元に戻りピリピリとしている。
いったい今日、何が起こるというのか。
危険が訪れるというのなら備えたいところだが、私はまだ三歳。アグレッシブな子供を装って大自然を駆け回り、控えめに身体を鍛えることしか出来ていない無力さ。
何事もないように一日をやり過ごすしかない。
朝食のパンを食べながら考えを纏め、保護者代わりのおばあちゃんに一声かけてから遊びに出かける。
辺りが見渡せるほどどっしりとして大きく育った木を攀じ登り、太い枝に腰かけて何時もと変わらない町並みを眺めていた。
一見すれば普段通りで朝の予感は間違いだったのかとも考えられるが、この身体に具わる直感は武器の一つともいえるほど信頼している。
つまりこれから何かが起こるのだ。
注意深く用心しなければならない……あ、蝶々だ。
指に止まらせようと身体を前に倒し、腕を伸ばす。バランスを崩しぐらついた。足を使って枝に絡みつくが、脚力が足りない。
小さく軽い身体が重力に従って落ちていく。
だが、大した問題ではない。この程度の高さは文字通りなんともないのだから。


「ナナシ!!」


――何者かが私の身体を抱きしめた直後に、聞き覚えのある声が耳に届く。


「あなたは……」


どこからともなく現れた女性の手によって地面に身体が叩き付けられることは無くなった。
抱き抱えられた状態のままで、女性の顔をよく見ようとまじまじと至近距離で観察する。
綺麗な銀色の髪。鋭利な目つきはまるで男性のようだったが、背まで伸びた髪が女性らしさを主張している。
怪我がないか確認する瞳は一人の母親のもので、しかし、確かにそこにあった暖かさは瞬きの間に消えていた。
降ろされて地に足がつく。


「危ねえだろぉが、餓鬼があんなとこに一人で登るんじゃねーよ。気をつけな」

「ごめんなさい」

「……まあ分かってんなら良いんだよ」


あの時とは違い赤の他人に向けるような言葉と態度を見て、そういうパターンかと納得する。
まだ迎えの時ではないのだ。
此処で対峙しているのはただの子供とただの女性である。
よくよく周囲を探れば案の定警戒の目が集っていたので、やはりそういうことだ。


「ところでー、なんでおねーさんはミーのなまえをしってるんですかー?」


一つ誤解を解かせて頂きたいが、口調は私が意図して行っているものではない。
別段不便というわけでもないので放っておいているが、喋ると何故かこうなるのだ。本当に不思議である。
お姉さんと呼ばれ、女性は眉を僅かに動かしてから私の家がある方向に顎をしゃくった。


「オレはお前の婆さんの知り合いだ」

「へー?」

「この時期になると遊びにくる約束をしていてなぁ、無視したらうるせーから態々来てやってるってだけの話だぜぇ」


ああ、成程。そういう設定か。
迎えに来るまで、貴女はこうして私の元に訪れるのか。
ならば、と女性にむかって手を伸ばした。
訝しんで私を見つめる女性ににっこりと笑顔を浮かべると、面食らって目が見開かれる。


「きょう、たんじょーびなんですー。プレゼントくださいおねーさん」

「……随分と図々しい餓鬼だ、聞いてた話と違うぞぉ」

「いいじゃないですかーいちねんにいっかいしかないんですしー。きょうあったのもなにかのごえんとゆーことで、ください!」


にこにこと笑顔のまま女性の右腕の袖を引っ張った。


「……しゃーねぇな。お前の家に材料がありゃ食べたいモン作ってやるよ」

「やったー!」


両手をあげて喜び、善は急げとそのままぐいぐいと家の方向へ引っ張り続ける。
女性は呆れた顔で私を見下ろし、そして真剣な目に変わった。


「警戒心が無さすぎだ、次から知らねえ奴が話しかけてきたら全力で攻撃してから逃げろ」

「こうげきするんですかー」

「当たり前だろぉが、邪な気持ちで誘拐しようと近づいてくる輩はそこかしこに潜んでるぞ」

「えー、そうですかねー……」

「お前は可愛いから狙われる、絶対にだ」


今度はこっちが面食らう番だった。
女性の表情は真剣を通り越して真顔であり、そして何より私を愛らしく見ていることに、ちょっと、いや、かなり。


「……そうですかねー」


照れてしまう。



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