ゆきあつ





時を経ることが失うことならなぜ僕等は生き続けるんだろう?
踏みにじられることとしか言い表せない生をどうして望むことができるだろう。その答は見つからない。
見つからないままに少年は、あのひの罪から否応なしに遠ざかっていく。

踏みにじられ続けている、子供たちが共有した―興奮、共感、友情、連帯感、…愛情とでも呼ばれるもの。

精神はなによりも幼いくせにひとは一刻も早くしなに構えて何かを知っている振りをする。諦めや冷めた態度を周囲にアピールすることを第一の目的のようにして周りとコミュニケーションをとっている。
純粋さだとか傷つきやすさだとか情熱だとか――そんなものは一刻も早く後足で砂をかけて捨てていく。人とやっていくうえで、やわらかなこころや強い感情は足手まといだ。
そして人は、現実を生きていくうえでの洗礼ででもあるかのように、幼き頃を放り捨てていく。

そのことを集はよく知っている。
自分がほんとうはそのなかでやってはいけないことも。
頭は良いから振りはできる。顔も良いからかっこつけてもサマになる。
だがその虚しさもよく知ってる。それでもその虚飾を翻すことは出来ない相談だった。
傷つかないふりも、相手を傷つけることも平然とやってのけることはできる。

心の奥底で喘ぐ自分をいつも飼い馴らして生きていた。それが―不様なものだということ。露呈すればずたずたに傷つけられるだろうこと。どれも、彼は知っている。
集はいつもバレることを怖れている。そして繊細な自らの心が引き裂かれることを。忌んでも何にもならないほどにその弱さは、自分を構成する一要素であるということ。
明晰な頭脳をもつ整った面の青年は自らを受け入れる強ささえも有していた。
自己嫌悪で破滅を招くのは、馬鹿のすることだ。集に赦されたことではなかった。


(注意深く知恵でコーティング)
(実際のところそれぐらいしか、生きていく方策がみつからないんだ)
(どうか教えてくれないだろうか、あの頃のような鮮やかな幸福がこれから先に待ち受けているのかどうか)

(僕は只、絶望に向かって落ち続けているのではないのだろうか)




20110708#加筆修整
むかし書いたやつリサイクルアップ
20111112//


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