やわらかな傷痕2





#2
(※R15)


理屈無しに美しいものはうつくしく、恋しいものはこいしく、愛しいものはいとしいのだ。

「ここでいいわ。ありがとう」
プシュー、と音をたててトラックが停まり、千利子は腰を浮かせた。
「お姉ちゃん、ここでいいの?」
降り立とうとした彼女に運転手がそう尋ねる。千利子は笑って、ええここでいいわありがとう、と返した。
薄いみず色のワンピースを風になびかせながら、彼女はゆっくりとアスファルトの上に足を着けた。潮風が彼女の顔に当たり髪をさらう。
化粧だってオシャレだって馬鹿馬鹿しいと思うけれど(だって大切なのはそんなものじゃない)、それでも飾ろうと千利子は思ったのだった。せめて少しでも、自分がすきになれるように。自分をきれいで、尊いものだと思えるように。
藍色の眼に、波の打ち寄せる砂浜を映す。
海水のにおい、独特の速度で打ち寄せる潮騒の音、きらきらと光を反射する飛沫、口の中に知らず知らずに入り込む潮の味。千利子はその凡てに気圧され瞼をとじる。眉をしかめて、喘ぐように息をした。
――気化して、蒸発して、還せるものなら。
そう願って、彼女は此処まで来たのだった。





松雪集は早朝の空気が好きだった。一番好きなのは冬の朝だ。空気が芯から冷えて、澄み切っている。降り積もった雪の白さも嫌いではなかったし、それに元来彼は寒さに強い質だった。
(清涼…かな。いや、ちょっと違うか)
ランニングを行う傍ら彼が聴いているのは、専ら、テクノミュージックに分類されるような、無機質で意味のない音楽だった。耳障りな言葉を差し挟むこともなく消費されてゆくリズムは、ランニングのペースを整えるのに役に立つ。
はっ、はっ、はっ、はっ。自分の呼吸と、心臓と、無機質な音楽。集にとってはそれだけの世界が親しみ易いのだった。いや、身を置きやすいといったほうが適切かもしれない。
「――はっ…」
時節はもうじき春になる。まだまだ冷え込む日が続くけれど、まれに何かの拍子のように、あたたかい日が挟まってくる。
冬の匂いという表現はわりとよく聞くが、存外春の匂いとは聞かない気がする。けれど集には春の匂いが――それは土の匂いだとか、微かな温かさの匂い、固く凍(こご)っていた何かが、溶けだしてゆくときにたつ匂い、そんなものを引っくるめてたつ匂いが感じられる。それは凍てついた時季に嗅ぐのは不可能な、温かさが介在する匂いだった。
「――…」
信号が目の前で点滅して赤に変わる。彼は足踏みして信号が変わるのを待つ。
彼は再び、みずからの思考をなぞるように、俺は冬が好きだ、と思った。
春は苦手だ、と。



グチャグチャと音をたてて一気に擦りあげる。
「ッあ…―めん、ま、めんま、めんま、めんま…めいこッ――…!」
目をつむればいつまでも鮮やかに。
銀の髪。白い肌。碧い大きな目。ミルクティーの香り、翻る白い白いワンピース。
「かわいい、可愛い、可愛い、可愛い、かわいいよ、可愛いよ、めんま……」
自慰行為の残滓の様にそう呟きながら、集は自らの掌を見る。いつもながらの饐えた臭いといやな感触にうんざりしながら、べッド脇のティッシュ箱からティッシュを数枚引き抜き、手と性器を拭った。下着を換えデニムを穿き直す。
クローゼットの中の白いワンピースには、予め、ミルクティーの匂いをつけてあった。我ながら末期だと思いながら、椅子から立ち上がってクローゼットを開き匂いを吸い込む。「ん…いい匂いだよめんま…」無自覚のうちにそんなことを口走る自分に流石に引く。
本間、芽衣子――僕が殺した。
誰よりも大好きで、何よりも大事な女の子。

ティッシュを丸めて捨ててから、ふと逸れた意識が、先日の情事へと移行した。
藍色の髪が振動に合わせて揺れていた。
開いた脚の間の場所の生温さ。
視界の端々に映る白い白いワンピースに何よりも興奮したこと。
泣きそうに歪んでいた顔を無視して腰を打ち付けたこと。
ゆきあつ…とか細い声をあげて意識を手放した、幼なじみ。

謝ったって取り返しのつかないことをしたと思う。
あるいは。あるいはもっと適当な女だったら。
イメージプレイと言って白いワンピースを着せて、抱く。いやもっと単純なこと、こっちの方が燃えるんだと言って着てくれるように頼む。そんな比重の行為だったらよかったのに。
「―いや、良くはねえだろ…」集は自分でそう突っ込む。どっちにしたって最低だ。自己嫌悪はもういっそ馬鹿馬鹿しくなってしまうほど胸に満ちている。
彼女が―鶴見千利子が、白いワンピースを着て、自分としたこと。
それは多分、もっともっともっともっと、重く複雑な意味がある。そのくらいは判る。けれどそこから先には進まなかった。彼女の無表情の裏には豊かな思索と繊細な感性がいきづいている。それは集もよく分かっていた。だが結局は冷えた口調と、不可思議な眼差しくらいしか、直接自分に向けられるものはない。もしかしたら嫌われているのかもしれないと思うこともある。彼女に想いびとがいるのかどうかも、そういえば自分は知らない。
「―……」
いずれ考えても詮ないことだと、そう集は結論づけた。じわじわと立ち戻ってきた現実の命ずるままに、彼は勉強机に向かい鞄を開ける。英語の予習と数学の課題と、あとは――つらつらと考えてゆくうちに、藍も白も、どこかに弧を描いて記憶の底に落ちていった。



120215

あつむくん最低だな
続く!


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -