↓続き


真っ赤な薔薇の花束と。
真っ白のホールケーキの箱を抱えて青木は帰った。
台所にいて食器を洗っていた益田はぱっと振り向いた。
「お帰りなさ、い…どうしたんですか、それ」
「聞きたい?」
青木の険のある言葉と表情に益田は動きを止めた。青木は乱暴にネクタイを外した。益田に渡すこともせず椅子にかけて、お祝いだよ、と呟くように青木は言った。なんだか雰囲気がおかしい。益田はその言葉を復唱する。
「お祝い?」
「そう。別れよう」
「――…はい?」
投げ出すようにテーブルに置かれた花束を益田は視線でなぞった。みずみずしくて綺麗だ。電話で言っていた、鳥口との呑みの帰りに買ったのだろう。
「なに、言ってるんですか、青木さん? あ、あの、夕飯食べちゃいましたよ。鳥口くん元気でしたか」
「あれ嘘。ほんとは、中禅寺さんのところ行ってた」
返された声はやはりひどく冷たい。
「…?中禅寺さん、ですか?」
益田は状況に追いついていけないながらもとりあえず笑ってみせた。
別れる?
脳みそが痺れたように動かない。
「よくそうへらへらしてられるね。変だと思ったんだよ。君、三ヶ月前に…したんでしょ、浮気」
青木はケーキの箱をたたきつけるように薔薇の横に置いた。こんな仕草はほとんど見たことがない。
びしり。青木に批難された笑顔が固まる。
え?
「…何言ってるんですか、するわけないじゃないですか、ばっ、馬鹿じゃないですか、しっしないですよ、そんなの、しかも中禅寺さんとなんて有り得ないでしょ」
あまりにも予想だにしなかった展開で声が震えた。うまく喉が働かない。していないそんなこと。青木は大きくため息をついた。静まり返った台所に響きわたる温度の無い声。
「…まあいいや。結局さあ、結婚っていったって籍入れたわけでもないしね。ただ指輪交換して式挙げてこうやって一緒に住んでるだけだし。いずれは養子縁組しようと思ってたけど、もう意味も無くなったね」
ぺらぺら喋られる言葉が半端に心をえぐりながら、それでも麻痺した頭を通り過ぎていった。
「はあっ!?ねえ待って下さい、何ですかそれ、」
していないしていないしていないしていないそんなこと。だってしていないのだからしていないしか益田の頭は思い浮かばない。
「た、確かにこないだ相談には行きましたよ、は、白状します、でも、絶対してないですよ、何言ってんですか?ば、馬鹿じゃないですかほんと、」
青木の腕に縋り付いて顔をまともに覗き込んだ。青木は鋼鉄のように表情がない。え?いや、だって、だって。嘘だ。
「あのさあいつまでごまかしてる気?」
「そっちこそいつまで変なこと言ってるんですかっ!?」
悲鳴みたいな声が出た。何なんだこれ。何でこんなことになっているんだ。青木は負けじと言うように更に声を張り上げた。
「君がさあ赤ちゃん出来たって言うから!こうやって花買ってケーキ買って、中禅寺さんのとこに行って色々教えて貰おうと思ったらさあ!何だよ!」
「なっ…!なっ、なっ」
もう言葉がでない。
マジであれを信じたのだろうか青木は。ていうか中禅寺さん何を言ったんだ!?憤りと混乱の間に果ては嬉しさまで沸いてきてなぜか益田の顔は真っ赤に染まる。
「出てくよ」
ぽつりと青木が呟いた言葉に今度こそ頭のヒューズが飛んだ。
ばしんっ。青木の頬を益田はまともに平手打ちした。ぼろっぼろっと目から涙が落ちる。
「別れるとかふざけんなっ!!」
ここ最近全く出していなかったぐらいでかい声が出た。そのままへなへな座り込んで益田は泣きわめいた。最早感情の制御は効かない。
「僕ア、あなただけが好きなんです、し、信じてくださいよ、浮気なんてするわけないじゃないですか、馬鹿言わないでください、」
青木を失う、それだけで呼吸ができないほど恐くて恐くてたまらなかった。大好きです、愛してます、離れたくない、生きていけない、ひっ、ひっ、あなたが、いなきゃ、何にもないんです、何にもない、意味なんてない、別れたくない、何回そういうことを口走ったか知れないほど喚いた。
そうしているうちに、いままで抱いていた馬鹿みたいな不安が溶けだしていた。
――いつか彼は離れていくのではないだろうか。
彼がまだいるうちに代替物をつくらなくてはならない。彼をつなぎ止めておけるものは何か。いっそのこと幸せなうちに何もかも無くしてしまおうか。
独りよがりな不安はいつしか吹き飛んで、ただ剥き出しの、彼の傍を離れたくないという叫びだけが益田の中に強くあった。きっとそういうことなのだと自分で思った。ただそれだけの話だったのだ。
唐突に青木に体を抱き寄せられた。
「――ごめん」
「――………っ!?」
目を見開くと。
いつもどおり、少し困ったように、優しく笑う青木がそこにいた。
「―えっ、え?」
「あーあ、目真っ赤っか。こすったら痛くなるでしょ。ほら、」
青木が差し出すハンカチは、幸せだった朝に、間違いなく益田が手渡したものだった。優しく頬や目頭を拭われる。鼻水と涎も拭き取られて、益田は茫然とその仕草を見ていた。
「…別れないよ。別れるわけないじゃん。馬鹿じゃないの」
再びそっと抱き寄せられる。体中がぼっと火がついたように熱くなった。
「君と同じようにさ。何があっても別れないし、誰とも浮気なんてしないしもう君と離れて生きられるなんて思わないよ」
「うっ、えっ」
目頭が再びつうんと痛くなる。いま益田が触れているこれは彼の肩で、彼の腕で、彼の背中で、彼の胸だ。 青木のものだ。青木が物を言う度に声の振動が益田に届く。
「ごめんね。中禅寺さんに聞いた。でも、益田くんと同じくらい僕は君を、あ、愛してるし、別れたくもないよ。だから、もういい加減、試さなくても大丈夫だって信じてくれよ」
「っ―…ひっ、」
きっと幸福で死ぬんだと思う。死因幸福。ばかみたいだ。びっくりした、ごめんなさい、ありがとう、三つの感情が頭の中で交錯して、満足に物も言えなかった。
「あ、でも!」
また大きく、恐くなった声に益田は目を見開く。胸倉をいきなり捕まれて、顔を突き合わせられた。視線が恐くて益田は何となく固まった。
「もう絶対に他の男に妊娠させてくださいとか言わない!」
胸倉を掴まれたのは、恋人になってから何気に初めてかもしれなかった。
「はい、すみません…」
涙声でそう返した。青木はまだしかめた眉を直さずに、もう一度絶対だよと念を押す。胸倉を掴まれたまま、益田はもう一度大人しく頷く。青木は手を離した。
青木が夕飯を残してあるか聞くので、今夜はシチューですよ残してますよとまだ少し痺れている頭で言った。青木は食いたいなそれ、と笑った。
薔薇は花瓶に飾られて、ケーキは翌日二人で京極堂に届けに行った。
中禅寺はケーキを受取ながら、至極うんざりした顔で、本当にいい加減にしてくれよと言った。
帰り道、人気のない道を見計らいながら、こっそりと青木と益田は手を繋いで歩いた。
青木がぽつりと言った。
「時々思うよ。君を幸せにする完璧なロボットにでも生まれられたらよかったって」
益田は寂しい響きのその言葉にはっとして青木を見やった。
僕ァ充分幸せですよと口から出そうとしてやめた。それは本心からの言葉だったけれど、そうではない。きっと、そういうことではないのだ。
アスファルトを眺めながら、僕もですと、返した。青木が見てくるのがわかったので、更に言葉を探した。
「だけど僕らは人間です。で、僕ァ、人間の青木さんのほうが好きです」
青木は少し進んでから頭を掻くと、小さく分かったと呟いた。


以来益田の奇行はない。




121001

こういう周囲に迷惑かけまくる系バカップル大好きなんです
夫婦してる青益が書きたかった


クロエ告別さま




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