残夏


※榎益、と、中
※学生パラレル
※秋千鶴のノマあり


じりじりとした日が乾いて白くなった土に照りつけていた。暑い暑い夏の日だった。
山道の小さな停留所はプレハブ製で、土台のコンクリートの継ぎ目からは雑草が生えていた。
降って湧くような蝉の声。どんどん躰から染み出ていく汗。濃い黒の影ぼうしが地面に落ちる。飲み物はもう生温く、到底あおる気にもなれなかった。
益田の数歩先には、凛と立つ美しい人がいる。
白い学生シャツは、この人が着るとさらに白く見えた。そして、黒いズボンは更に濃い黒に。茶色い髪の毛が眩ゆく光っている。バスの時刻表を見ていたその人は、益田を振り返ると、
「あと十分でくるぞ」と笑った。微かに遠くでサイレンが鳴っていた。

二人で学校を脱け出して。
夏の一日だけの駆け落ちをしようと決めていた。


バスが着いた。乗客は当然のように一人もいなかった。プシュー、という音とともにとびらが開く。
二人がけの席に隣り合って座った。榎木津が、横から手を伸ばして肩を抱いてきたから、益田もあまえてその体にすり寄った。薄く汗のにおいが漂う。それですら、とてもかけがえのないものに思った。
バスのエンジンが強く互いの体を震えさせる。同じ振動に揺られることがうれしかった。ふと合った眼を見つめた。榎木津の胸板に抱き込まれながら、上級生の彼とキスをした。離れたときの彼の口元は笑っていて、目はとても優しかった。だから、これでいいんだ、と思った。

降りた停留所もまた、人気は無かった。じりじりと照りつける日差しが膚を焼く。汗をかく。残ればいいと強く願った。この日に焼いた膚がずっと、ずっと、黒くありつづければいいと思った。数歩先を少し俯いて榎木津が行く。
薄いけれど筋肉のついた背中はきれいだ。一年前の夏の、初めて益田が彼を見たあの日から、なんら変わっちゃいない。益田は彼の後を追う。この時間がいつか消えてしまうことが、許せないくらいに残酷なことだと感じる。熱を覚えていたかった、いつも指先をすり抜けるようにして、おわってしまう命と、夏のことを。
言葉もかわさずにただ彼の後をついて道を歩いた。濃い影が二人のあとを追いかける。


――?
益田のよき相談相手であった図書委員長は、不愛想に言って本のページをめくった。
日当たりが悪い為、初夏でもそれなりに涼しい図書室は、いつしか、集まりの悪い図書委員会の中の、まめな図書当番二人の落ち合場所になっていた。痩せぎすの躰にまとう制服はなんとなくエロティックで、益田の眼を折にふれて楽しませていた。益田は彼が―同学年の図書委員中禅寺秋彦が―本を読む為に生まれてきたのではないかとときどき思う。
もっと言えば、本を愛する為に―いや、寧ろ逆で、本の方が彼を愛しているのかもしれなかった。どちらにしても、なんだか彼と書物との間には、つよいつよいきずなが存在するような気がしてならない。
…ときも、ある。
いい加減だ。しかし、何時間も蒸し暑い教室でのうみそを絞ったあとなのだから、多少の思考の支離滅裂さは許していただきたいものだ。
机に顔をふせてほてった頬を覚ましていた益田は、如実に聞き取れなかった言葉を聞き直した。
――君は、榎木津が好きなのかい。彼の低い声はそれなのによく響くので、本たちの居並ぶ静寂に、ひどくうつくしく沈んだ。 くだらないことには詭弁を弄して煙に巻くくせに、肝心なことはこう、一言で踏み込んでくるのだから――始末におえない。
「…ハイ」
むすっとして益田は返した。そう返さざるをえないような聞き方をしてきた彼への意趣返しだった。
「どうして、あんなおとこ」
それは彼にしては珍しく居丈高な―感情的な声色だった。益田は少しびっくりして彼の方に顔を向けた。中禅寺は、咳払いをして、眉間にしわを寄せた。
「あいつはろくなやつじゃないぞ」
 そこから滔々と榎木津に―UBのプリンスに対する辛辣な批判が始まった。曰く、女癖が悪い、いつも複数人の女子を連れてへらへらとしている。傍若無人、天衣無縫、人のいうことなど聞かない、自分が世界の中心だと思っていて、それを改める気なんて多分毛頭無い。曰く、家が金持ちなことをいいことに遊び呆けている―。
「君なんかせいぜいなれて下僕だ」
あまりにも的確な彼の読みに、益田は苦笑を零すしかなかった。先般偶然接触をもてたとき、榎木津は益田を下僕といいあまつさえカマ呼ばわりして(――強ち外れても居ないから困るのだけれど)、初対面なのに購買のパンを買いに行かせられた。結局それは売り切れだったので蹴られた、なんてオチまでつくのだ。
でも。
「…いいです。それでも、うれしかったから」
少し静けさをおいて、中禅寺は、「救いようのないおめでたさだな、君は」と言った。益田は「僕ァ頭からっぽのバカですから。それでいいんですよ」と返した。返して、そういえば、やさしい彼が、少し怒ったように視線をくれるのをわかっていた。わかっていて、それで、とうてい成立しえないであろう恋愛相談の相手をしてくれる人間がいることに甘えているのも、ちゃんと自覚していた。
「――へへ、」
咎めるような悲しむような、怒っているみたいな視線に、意味もない笑いを零した。
中禅寺は口を開いて、そして珍しくまた閉じた。
最近見るようになった蝉が、窓の外で鼓膜をつきさすような声を張り上げた。中禅寺も益田も億劫がって電燈はつけなかったから、窓からの日射だけが、室にまだらな影を落としていた。


行き場は特には決めていなかったけれど、気が遠くなるほどの山道を二人で越えて、たどり着いたのは海だった。海というよりかは…波止場だ。幾つかの船がとまっていたが、人気は無かった。だだっぴろいコンクリートが青空の下に広がっている。空は深みがある青をうつして、ともすれば吸い込まれそうだった。海藻が張り付いた太い縄や、積み重ねられたブイや、向こう岸に見えるテトラポッドや。そういう非日常に益田は浮かれたし、榎木津も愉しそうだった。海の波に足を垂らして触って、ふたり同じように濡れるのがうれしかった。立ち上がったら尻をはたかれたから益田は真っ赤になって抗議して、砂を落としたんだバカ愚かと言われたから益田は耳まで赤くした。十分ほど歩けば砂浜に出た。もずもずと足が埋もれる感覚は久々のものだった。濡れた砂の冷たい感触は、気持ち悪くも心地よくもあって、しまいにはよくわからなくなった。転ぶなよバカ、とよそ見をしながら言った隣の男が何となく癪だったから思い切り体をぶつけてやった。不意を食らったのか榎木津が見事に尻もちをついたので爆笑して、そしたら綺麗な手が近づいてきて思い切り両頬をひっぱられた。それからはお互い足を引っ掛けあうことに熱中して歩いた。子供じみていたけれども、大切なことだった。些細なことこそが今の二人の世界をゆらしていた。
砂浜を遡っていくと、老人が一人でやっているしょぼくれた店があった。入ると、いささか暗い。太陽の眩しさになれた目を二人してぱちぱちしながら、売り物を見た。扇風機がばああと音を立てて回っている。陳列物は大体駄菓子屋とか、海の家のそれと似たようなものだった。氷水がはったバケツにつっこまれたラムネを榎木津が取り出す。
「おおひやっこい、気持ちいいぞォ益田」子供のように歓声をあげて思い切り背中からおしつけるものだからひやあと益田は情けない声を出した。奥の方で不機嫌に新聞を読んでいた老人が、はしゃぐ男二人を怪訝な目で見ていた。

どこかからか風に流れてきたビニールシートを榎木津が捕まえて尻の下に敷いた。海辺に二人座っていた。
日は陰りつつあった。もう少ししたら日没の時間だろうけれど、映画のような綺麗な夕空は見られなそうだった。そこまではうまくいかないか、と益田は思う。榎木津は隣に座って、彫像のように動かずに、水平線を眺めていた。だんだんと風も冷えてくる。二人で並んで座ることは今まであまりなかったことだ。榎木津は交友関係が広いし、それでなくとも目立つから、そういったことは今までもおおっぴらにはやれなかった。
えのきづさん、と名前を呼ぶと、榎木津は何か物思いに耽っていたようだったが、ふっと視線を益田に向けた。益田は吃りながら話し始めた。
「――榎木津さん、僕アあんたがほんとに好きです。人をこんなに好きになったのなんて、初めてです、それできっと、最後だと思います。ねえだって、あなたは、あなたのほかいないんだから、最後に決まってるじゃないですか」
つんと鼻の奥が詰まった。榎木津はすこし目を丸くした。そして、うん、と静かに言った。益田は続けた。
「今から僕ァ勝手なことを、言います。僕なんかが恋人づらしてこんなこと言うなんて、おこがましくて、意味もないって、知ってます、でも、一回だけ言わせてください、それだけで、僕ぁ、満足します、から、だから」
口の中が干上がっていく。胸が張り裂けそうに痛い。益田は榎木津の腕を掴み必死の形相で彼を見つめた。榎木津はふと真剣な顔をして益田を見つめ返した。彫像のような顔立ちと相まって、現実みがないほどだった。
「…お願いです。戦争、なんか、いかないで下さい、榎木津さん」
風が吹いた。潮風。髪が揺れる。波がざわめいてさざななみを立てる。
榎木津は目を細めて一度海の方を見た。夏、夏、夏!この夏が過ぎれば榎木津は従軍することになっていた。むせるような夏の熱と共に榎木津は、消えて、しまう。
「ごめんな益田」
榎木津は綺麗に笑いながらそう云った。云って丁寧に益田の頭を撫でた。乱れた前髪を優しく触れる。
――でも、お前は寒さに慣れなければならない。もうじき夏は果てるから。夏は、終わって、しまうから。
だから。
ここで、さよならだ。
「…僕もお前が、とても好き、だよ」
そっと益田の頬をかすめて、白磁の手は滑り落ちた。
ざん。波が自らのみなもを殴打の如く強くたたいた。


不機嫌な顔をした図書委員長は、窓からの夏の日の光を皺ひとつもない夏服に反射させていた。貸出受付に座って文字を追いかけるその表情は、二年前、益田が榎木津への思慕を打ち明けたときのものと寸分たがわなかった。
「―こんにちはァ」
「君か」
へらりと笑って近づけば彼は頁から目を上げた。あの恋文のお嬢様とはどうなんですか最近。そう尋ねると中禅寺は露骨に顔をしかめた。見慣れたものであったのでもう恐くはなかった。顔は怖いけれど、中禅寺秋彦は実際のところ滅多に怒るということはない。感情にまかせて声を荒げたり相手を罵倒することもない。気に障ることがあると飽くまで理路整然とした論法で(多少厭味や皮肉もあるけれど)相手の理屈を正す。それでこちらが納得すれば、するりと中禅寺はいつもの調子に戻ったし、しなければしないで馬鹿だと云って、やはりするりと諦めるだけだった。実際ひどく優しい人なのだった。直接云えばとんでもないと、苦虫を噛み潰したみたいな顔で返されるのが落ちだろうけれど。
「何かあっても君に知らせる義理は無いね」
「そうですねェ」
愛想の無い声に益田はけけけと笑った。聞いてはみたけれど、実は先般偶然、二人が並んで歩いているのを益田は見かけていた。なかなか似合いの二人だったと思う。それと、中禅寺が本の間に挟んでいた桜色の栞。益田は存外、目端が効くのだ。恐らくはそれも、例の―千鶴子嬢、からの贈り物であろう。女性の選ぶものらしい、淡く繊細な色をしていた。
中禅寺の隣に居ると気分が落ち着くから益田は図書委員をやめなかったし、元より中禅寺がやめるはずがなかった。学校じゅうの蔵書を把握しきっている中禅寺を、教師陣は随分有り難がっていたからなおさらである。中禅寺は頁の上に目を戻しながら、物のついでというふうに、益田に尋ねた。君は、榎木津が好きなのかね。あるいはそれは意趣返しだったのかもしれない。
「…ハイ」益田は前髪を揺らしながら頷いた。

戦争はこの四月、二人が三年生に進級した春に終っていた。
彼の居ない夏がくる。



121106


おろかなひめごとと一緒に夏に書いていたやつです
想いが通じ合う榎益は
こんなイメージがあります
09/Aに




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -