シズちゃんとの関係は複雑だが、一言で説明するならばこうだろう。『殺し合いとセックスをする仲』。初対面から喧嘩ばかりしていた俺達が、どうしてセックスなんかする仲になったのか、俺自身にもよく分からないが、気が付いたらそういうことになっていた。
 基本的には周囲に認識されているように殺し合いをする犬猿の仲だ。時々、暴力がセックスに変わるだけ。ただ、最初はそれこそ手段を変えただけの暴力だったそれも、年月を重ねて今では暴力とは程遠い行為に変わった。俺の身体がシズちゃんを受け入れることに慣れたからかもしれないし、シズちゃんが俺の身体を弄ぶことを俺への嫌がらせと認識したからかもしれない。痛みではなく快楽を与えられるようになり、いつしか殺し合った後の高揚をぶつける為ではなく、性欲を解消する為に抱き合うようになった。お互いに痣だらけの血塗れになりながら人気のない路地裏で強姦じみた行為をしていたのが、ベッドの上で血を見ずに済むようになるまで、半年とかからなかった。
 ただ、抱き合う場所とやり方が変わっても、俺達の関係が変わることはなかった。相変わらず俺はシズちゃんが嫌いだし、シズちゃんは俺が嫌いで、お互いに死ねばいいとも殺してやるとも思っている。そこに、シズちゃんにとってはうっかり暴力を振るっても簡単には壊れない、最悪壊れても問題のない便利な性欲処理の相手という価値が加わっただけ。俺の方だってそうだ。最初は完全に強姦だったが、今ではしっかり快楽を拾える程度には慣れてしまった。気持ちよくなれて、ついでにシズちゃんの必死な顔を見れれば気分もいい。大嫌いなはずの俺を相手に腰を振るシズちゃんとか最高に笑える、という理由は一度口にして頭蓋骨を陥没させられかけたので言わないが、まあそういうことだ。シズちゃんだって俺への嫌がらせをかねているんだろうからお互い様だろう。
 とにかく、俺とシズちゃんの関係は、基本的には『犬猿の仲』とか『天敵』とか『殺し合うほど仲が悪い』とか、まわりから認識されているままで間違いない。時々身体を重ねるからと言って、例えばシズちゃんが優しくなったとか、俺がシズちゃんを罠に嵌めるのを控えたなんてことは一切ない。
 長くなったが、つまり、俺が何が言いたいのかというと。


「手前今日誕生日なんだろ。誕生日プレゼントに、死ぬほど優しくしてやるから感謝しろクソノミ蟲」


 ……などとのたまうシズちゃんは、その石頭をどこにどうぶつけてきてしまったのだろう、という話だ。











 ――どうしてこうなった?
 PCの画面にずらりと並ぶ玉石混交の情報を整理しつつ、俺は頭を抱えた。キッチンの方からはトントンと規則正しい音が聞こえてくる。シズちゃんが料理をしている物音だ。俺の家で。シズちゃんが、料理を。
 現状を改めて突き付けられ、俺はこめかみを押さえた。意味が分からなすぎて頭痛がしそうだ。

 世間はゴールデンウィーク真っ只中の今日。数日前に重なったいくつかの仕事を片付けたばかりだった俺は、波江さんを呼びつけて書類や情報の整理に励んでいた。愛しの弟が彼女と仲良くデートしてるとかで非常に機嫌が悪い波江さんには腹いせのように給料の上乗せを要求されたが、波江さんの有能さを考えれば惜しくない額だ。波江さんが居るのと居ないのとでは面倒の度合いが大分変わってくる。
 機嫌は悪くても有能さは変わらない優秀な秘書と共に仕事に励み、予定より早く終わりそうだと一息ついたところに押し掛けてきたのが、両手にスーパーの袋をぶら下げたシズちゃんだった。
 突然電話してきたと思ったら『今すぐ開けろ。開けなきゃぶっ壊して入る』と脅され、波江さんを帰す間もなくシズちゃんを事務所にあげるはめになってしまった。
 俺とシズちゃんの関係を知らないはずの波江さんは、シズちゃんとシズちゃんがぶら下げているスーパーの袋に目をやると、俺にこれ以上ないほど冷たい視線を向けて小さく舌打ちを残して去っていった。手早く帰り支度をするその間、言葉は一言もなかった。察しが良すぎるというのも困りものかもしれない。
 二人揃って無言のまま波江さんを見送り、気のせいか普段より重い音を立ててドアが閉まるのを見届けた後、改めてシズちゃんと向き直る。

「……で、何しに来たの? シズちゃんが俺を気遣ってくれるとは思ってないけどさぁ、こう突然来られると俺も困るんだよねぇ。シズちゃんにとっては胡散臭い仕事かもしれないけど、仕事ができなくなって困るのは俺だけじゃないんだよ? たった今空気を読んで帰ってくれた波江さんだって、世間が休日を楽しむ中わざわざ来てくれてたっていうのに」
「ノミ蟲、手前今日誕生日らしいな」
「……シズちゃんって俺の話全然聞いてないよね……」

 シズちゃんが俺の話を聞き流すのは、俺の部屋やシズちゃんの部屋で会うときにはいつものことだ。殺し合いではなく性欲を解消する為に会ったときや、することをした後のシズちゃんは、キレない代わりに俺の話を聞き流していることが多い。シズちゃん曰くムカつくばかりの俺の話も、耳に入れなければなんてことないのだろう。腹立たしい話ではあるが、散々抱き潰された後にキレられて気だるい身体で走り回るはめになるよりは幾分かマシだ。
 それにしても、わざわざ家に押し掛けてきて何を言うかと思えば『誕生日』とは。

「確かに今日は俺の誕生日だけど……なんでシズちゃんがそんなこと知ってるの? 知ってたからってわざわざ来る理由もないだろ。誕生日を命日にしてやりたくなったとかそういう理由? ついでに、何、その袋?」

 それにしては両手にぶら下げたスーパーの袋がミスマッチだ。買い物帰りに何かイラつくことがあって、そのイライラを解消する為に俺を殴りに来たとか? そうだとしたらシズちゃんが手に持っている袋が無事な訳はないし、脅しのような一言だとしても直前に連絡が入ったのもおかしい。どうやらシズちゃんの目的は俺を殴ることではないようだ。殴りたいだけなら、今この瞬間シズちゃんが大人しくしているはずもない。
 シズちゃんはスーパーの袋を見せるように持ち上げて、俺の疑問に答えた。

「これは昼飯の材料だ」
「へえ」
「手前の誕生日は新羅に聞いた」

 なるほど新羅か。新羅とはこの間会ったときに誕生日の話題が出たばかりなので、覚えていてもおかしくはない。それを何故シズちゃんに話したのかと問い詰めたくはあるけど。

「……で、シズちゃんは今日が誕生日の俺の家に何をしに来たって? お昼ご飯の材料を持って」

 一番聞きたい肝心な問いの答えがない。改めて問いかければ、シズちゃんは掲げていたスーパーの袋を下げて平気な顔をしてのたまった。

「手前今日誕生日なんだろ。誕生日プレゼントに、死ぬほど優しくしてやるから感謝しろクソノミ蟲」
「…………はぁ?」

 シズちゃんの口から誕生日プレゼントなんて言葉が出てきたのも衝撃だが、それ以上にそのプレゼントの中身が衝撃的だった。『優しく』? シズちゃんが俺に?

「全く意味が分からないんだけど」
「そのまんまだろ」
「そのままの意味が分からない。優しくするって何? シズちゃんが俺に優しくできるとは思えないんだけど。そもそもシズちゃんに優しくされることがどうして俺への誕生日プレゼントになり得ると思ってるのかっていう」
「とりあえず昼飯作る。キッチン借りるぞ」
「聞けよ!!」

 シズちゃんにキッチンを占領されるという事態を避けるべく精一杯抵抗はしたものの、シズちゃんは一歩も退かず、最終的には俺が折れることになった。少なくともシズちゃんが料理をしている最中だけは、一時的にシズちゃんと現実から逃れられることに気付いてしまったからだ。今日中に片付けておきたかった仕事はまだ残っていたし、いつもより更に意味の分からないシズちゃんと向き合うことは予想以上に俺の精神を疲弊させていた。
 キッチンではシズちゃんが何かを作っている。この後どうなるかは分からないが、どう転ぶにせよ出来る限り仕事は片付けておきたい。そう思って先程から指先を動かしてはいるのだが、キッチンから聞こえる物音が気になって全く進まない。
 いや、だっておかしいだろ。シズちゃんを家にあげるのは初めてではないが、やることをやったらすぐ帰るのが当たり前で、たまに帰るのを面倒がって一眠りしていくことはあってもベッド以外の場所に長居をしたことは一度もない。一緒に食事をしたこともなければ、シズちゃんが手料理を振る舞ってくれるなんてことは想像したことも……。そこで俺はハッと気が付いた。シズちゃんは俺に手料理を振る舞ってくれるなんて一言も言っていない。
 もしかして、何らかの事情で自宅の台所が使えなくなったシズちゃんが、自分の昼食を作る為にうちのキッチンを使いに来ただけなんじゃないか? それならまだ納得できる。俺を相手にキレないのも、キッチンを借りるから我慢しているだけなのかもしれない。シズちゃんはあれで意外と律儀だ。
 なるほどきっとそういうことなんだろう。俺のところにはシズちゃんの家のキッチンが使えなくなるような騒動があったという情報は届いていないが、何もキッチンが使えなくなった原因が騒動になるような大それた出来事とも限らない。例えばフライパンが壊れたとかガスコンロの調子が悪いとかそんなことかもしれない。
 頭の片隅で冷静な俺が『たぶん違う』と主張していたが、故意に無視することにした。シズちゃんについてはいくら考えても理解できる気がしない。それなら一時の精神の安寧をとったところで誰が俺を責められるだろう。
 仮初めの心の平穏を得た俺は、キッチンから聞こえる物音をスルーしてキーボードを叩き、波江さんに明日は休みで、という旨の連絡をした。現実から逃げたところで、平和島静雄という最大の危険物はキッチンで機嫌よく料理をしているし、仕事はそこにあるままだ。波江さんからの返信はすぐに返ってきたが、内容は『言われるまでもなくそのつもりよ』という素っ気ない一言だけだった。



「臨也、飯出来たぞ」

 波江さんの冷たい返信を読んだ後、無心で仕事を片付けていた俺は、シズちゃんのその一言で無情にも現実に引き戻されてしまった。両手に皿を持ってテーブルの方へ向かうシズちゃんを眺める。

「……シズちゃん、俺の目には二人分に見えるんだけど……」
「は? 俺と手前以外に誰も居ねえだろ」
「いや、そうじゃなくて……」

 やっぱり俺に手料理を振る舞ってくれるということなのだろうか。キッチンを借りたお礼ってことかな。シズちゃんの家の台所が使えなくなっているという前提の話になるけど。

「……一応聞いておくけど、シズちゃんの家って今台所が使えなくなってたりする?」
「ああ? どっから聞いたんだよそんなデマ」
「いや、うん、違うならいいんだ。いやよくないけど」

 元々無理のあった脳内設定が崩壊していく音がした。何やってんだ早く来い、と急かされるままにシズちゃんの隣に座ると、目の前に並んだ昼食が目に入った。オムライスだ。俺も昔九瑠璃と舞流にせがまれて何度か作ったことがあったな、と過去を思い出す。ケチャップでいざや、と書かれているのは見なかったことにした。ちらりと隣を見遣ると、シズちゃんの前にあるオムライスには適量のケチャップが適当にかけられている。何でだよ……せめて自分のに書けよ……。抗議したかったが話題に上らせるのも嫌だったので、行儀が悪いとは思ったけど黙ってスプーンでケチャップを伸ばすことで無言の抗議とした。しかしシズちゃんは見ていなかった。これだからシズちゃんは。

「いただきます」
「……いただきます」








 ほとんど沈黙したまま昼食を食べ終え、俺はソファーで脱力していた。シズちゃんはキッチンで食器を洗っているらしい。微かに水音が聞こえてくる。
 シズちゃんの作ったオムライスを、シズちゃんと並んで食べたなんて、俺とシズちゃんを知っている人間には信じられないことだろう。俺も信じられない。しかも意外と美味しかった。子供舌のシズちゃんらしい、子供が好みそうな味付けではあったけど。
 当たり前のように俺の分が用意され、当たり前のようにその前に座らされて、流れでうっかり完食してしまったが、シズちゃんは一体何を考えて俺に料理を振る舞ったのだろう。シズちゃんの口からは説明らしい説明は一度もなされていない。それらしいことと言えば、シズちゃんが今日を俺の誕生日として認識していることと、『誕生日プレゼントに死ぬほど優しくしてやる』という言葉くらいだが、それもどこまで本気なのか。シズちゃんが俺に優しく接するところなんて想像も出来ない。ベッドの上では優しいと言えなくもないかもしれないが、あれはたぶんシズちゃんの趣味だろう。俺への嫌がらせの一環に過ぎない。
 だが、あの一言以外にシズちゃんの言動の理由を推測する材料がない。シズちゃんは、何を考えてこんなことをしているのか。そもそも、俺を抱くことだってそうだ。嫌がらせにしては長く続いている。大嫌いな男の身体になんてもう飽きてもいいくらいの期間が過ぎているのに、未だ俺の身体に執着するのは何故だ。シズちゃんの思考回路は単純明快に思えるのに、頭の中を理解できたことは一度だってない。いつだって俺の予想をぶち壊すシズちゃんを、理解しようとすること自体が間違っているのかもしれないけど。
 突然、背後からカタ、と小さな物音がした。ハッとして振り返る。

「何ボーッとしてんだ?」
「……シズちゃん」

 振り向いた先では、シズちゃんが怪訝そうに眉を寄せて俺を見下ろしていた。その両手はだらりと身体の横に落ちていて、俺を殴ろうとする気配はない。その事にほっと安堵する。
 つい考え込んでしまっていた。今のシズちゃんにはどうやら俺を害する気はないようだが、もし今、シズちゃんに殴りかかられていたら避けられなかっただろう。
 家の中にシズちゃんが居る。ほんの数メートルの近い距離に。本来は警戒していなければならないはずの状況なのに、ぼんやり考え込むほど油断してしまっていた。唇を噛む。確かに、シズちゃんとは殺し合うのではなく、ベッドの上で抱き合うこともある。そういうときのシズちゃんはキレないし、俺もシズちゃんを執拗に煽ったりはしない。だからお互いに隙だらけになるし、油断もする。それでもお互いを害さないのが暗黙の了解になっているからだ。
 だが、今は違う。違うはずだ。今、俺とシズちゃんの間に性の気配はない。ならば、俺はシズちゃんを相手に油断したりしてはいけない。俺とシズちゃんの間には、殺し合いかセックスのどちらかしかないのだから。
 ぐ、と唇を噛む力が強くなった瞬間、不意にシズちゃんの指が俺の唇をなぞった。その手を振り払おうと掴むも、離れる気配はない。馬鹿力め、と舌打ちしたいのを耐えて、ソファーの背もたれ越しに俺を見下ろすシズちゃんを睨み付けた。

「離してくれない?」
「噛むなよ。血ィ出るだろ」

 もう一度力を込めてシズちゃんの手を引き剥がすと、今度は素直に離れていった。触れられた感触を拭うように、自分の指で唇を擦る。心臓がいつもよりうるさく跳ねているのが分かって眉を寄せた。快楽を引き出そうと意図をもって触れられるのには慣れたのに、なんでもないような接触には耐えられない。その事実が滑稽で、口元が歪む。
 指先を離れさせたシズちゃんは、ぐるりとソファーを回り込んで俺のすぐ隣に腰掛けた。離れて座り直すか、いっそデスクの方に戻ろうかと考えたが、結局その場からは動かずにシズちゃんが隣に座るのを受け入れる。あからさまにシズちゃんを避けるのは、逃げているようで気に障った。
 隣に座ったシズちゃんが、先程と同じように口元に触れる。俺が引き剥がすより先に、その指先はするりと移動して、俺の背中を撫でてから右肩を抱えるように掴んだ。

「っ、何?」
「来たときに言ったじゃねえか」

 右肩を抱く手にぐっと力が入り、耐え切れずに体勢が崩れてシズちゃんの身体にもたれかかることになる。反射的に距離を取ろうと身体に力を入れるも、身体をもたれかからせたままがっちり肩を抱かれた状態では離れることすらままならなかった。
 左側から布越しに伝わる体温の温かさに思考が鈍る。距離が、近い。目を見て文句を言ってやりたいのに、この距離の近さを考えるとシズちゃんの方に顔を向けることが出来ない。押し殺したような笑い声が思ったよりずっと近くで聞こえて、びくりと肩が跳ねた。今の密着した体勢では俺の反応も丸わかりだろう。羞恥と悔しさで一気に顔に血が上る。

「言っただろ。誕生日だから、死ぬほど優しくしてやる、って」

 耳に吹き込まれるように囁かれた声と、耳朶にかかる吐息に、ぞくぞくと背筋が震えた。腰にまで響くこの低音が苦手だ。普段怒鳴り声しか聞かないせいか、シズちゃんの声には弱いのだ。それを知っていて追い打ちをかけるようなタイミングでシズちゃんがこの声音を使うせいで、ますます苦手になっていく。悪循環だ。

「……君が優しくすることが、俺にとってプレゼントになるとでも?」
「なるだろ」

 言いながら、シズちゃんの左手が俺の左手に重ねられた。手の甲に感じる体温が、熱い。すらりと長い指が、暴力的に振るわれるそれと同じものとは思えないほど優しく、俺の指を撫でた。触れられた部分から、びりびりと電撃が走るように力が抜ける。

「とんだ、思い上がりだね」
「……手前、自覚ねえの?」

 指が絡んで、柔らかく握られる。それだけで、手首から先、自分のそれより高い体温を感じる場所に意識を持っていかれてしまう。言葉に紛れるようにして漏れた息の熱さには気付かれてしまっただろうか。気を抜いたら声が上擦ってしまいそうで、奥歯を噛み締めた。

「自覚って、なにが」

 俺の右肩を抱いていた手が、肩を辿って首筋を撫でる。シズちゃんの力なら武器などなくとも俺を縊り殺してしまえるのだから、命の危険を感じて抵抗しなければいけない場面だ。それなのに俺の身体は、触れられたそばからその熱に溶かされるように脱力してしまう。
 剥き出しの首筋を撫でた指は、そのまま首のラインをなぞるように上がり、耳朶を擽って耳の裏を擦る。耳元から肌と髪がすれる微かな音が響き、触れられていることを否応なしに意識させられた。耳の形を確かめるように丁寧になぞられて、肌と肌がすれる小さな音が大きく響く。合間にどくん、どくん、と常より早いリズムで鳴る心臓の音は、シズちゃんにも聞こえているんじゃないかと心配になるほどうるさい。
 耳に触れる、俺より体温が高いはずのシズちゃんの指先が冷たいのは、つまり俺の体温が上がっているということなのだろう。理由など考えるまでもなく、今隣に座って、俺を柔らかくも逃げ出す隙など与えない堅牢さでもって拘束しているこの男以外にあり得ない。
 俺の質問に答える気配のないシズちゃんを横目に睨み付けるが、シズちゃんは俺をじっと見下ろしているだけで、何か言おうとはしない。直視しがたい距離の近さに、顔を背けた。
 シズちゃんが俺の話を聞かないのも、会話がいまいち成立しないのもいつものこととは言え、やはり気分がいいものではない。嫌味の一つでもぶつけてやろうと口を開いたタイミングで、シズちゃんの右手がさらりと俺の髪を撫でた。くすぐったいような感触に肩をすくめる。二度三度と繰り返される内、くすぐったさが背筋がざわつくような感覚に変わり始め、耐え切れずに髪を撫でるシズちゃんの手を右手で振り払った。

「し、」

 振り払ったシズちゃんの手が再び俺の肩を掴み、ぐっと引き寄せられる。引き寄せられた先にあったはずのシズちゃんの身体はなく、バランスを崩して気が付けばソファーに押し倒されるように仰向けに横たえられていた。手の甲を押さえるように握られていた左手は一度解かれ、さっきまで触れていたのとは反対の右手で、掌と掌を合わせるように絡め取られて座面に押さえつけられている。
 俺の上に覆い被さるシズちゃんの表情は少し読みにくい。体勢からして、腹ごなしついでに性欲を発散させたくなったのかもしれない。俺にとっては腹ごなしの軽い運動では済まないんだけど。

「っ、するの?」
「しねえよ。今日は死ぬほど優しくしてやるって言っただろ」
「なに、それ……」

 肯定してくれた方が気が楽だったのに、と思う。
 さっさといつも通りの流れに戻ってくれた方が楽だった。昼食を作ってれたのは自分のついでだったんだろうと思えるし、前戯とも言えないようなもどかしくやさしいだけの触れ合いも、手遊びのようなものだったんだろうと考えることが出来る。

「……最初は、まあそりゃ丁寧にした方が手前は気持ちいいよなと思ってたんだけどよぉ」
「は……?」

 シズちゃんの言葉の意味が理解できずに首を傾げる。
 抱かれているときの話だろうか。初めてのときには乱暴で痛いばかりだった行為は回数を経て丁寧なものに変わっていき、特にここ最近は必要以上に丁寧に扱われている気がしていた。しつこすぎると抗議したこともあるくらいだ。俺に理性を失わせ、ぐずぐずにしてなかせることに楽しみを見出だしているらしいシズちゃんが聞き入れてくれることはなかったが。
 しかし、それを今言われる意味が分からない。シズちゃんは抱くつもりなのかという俺の問いに、首を振ったばかりではなかったか。

「けど、」

 俺の左側、ちょうど押さえつけられている左手のあたりに視線をやりながら、シズちゃんが言葉を続ける。視線の先の左手がぐにぐに握られるのが気になったが、この体勢で振り解けるとも思えなかったので仕方なく受け入れた。シズちゃんの視線がふと戻ってきて、視線が絡む。ばっちり正面から目が合ってしまったことに、何故か少し、動揺した。

「そうじゃねえってことに、最近気が付いた」
「何の、話?」
「手前は」

 シズちゃんが笑う。優しく、と表現することも出来るくらいの柔らかな微笑みに、何故か嫌な予感で背筋がざわめいた。

「優しくされんのが好きなんだろ」
「……は、」

 一瞬、息が詰まる。
 やさしく。されたことがない、とは、言わない。ベッドの上での話だ。そしてそれを、好きじゃない、とは。

「だ……! 誰が、」

 かあっと頭に血が上る。一気に顔が熱くなるのを感じ、見られまいと右腕を持ち上げたが、顔を隠すより前にシズちゃんの左手に阻まれてしまった。
 混乱を極めたような頭の中で、この拘束から抜け出す術がいくつも浮かんでは消えていく。俺がそれらを行動に移すより早く、シズちゃんが屈み込むようにして顔を近付けて、笑った。

「し、」

 シズちゃん。
 呼ぼうとした声は、言葉になる前に消える。
 触れるだけの柔らかな口付けは、俺から言葉を奪うには充分すぎる優しさだった。
 何十回、もしかしたら何百回と唇を重ねてきたが、それは奪われるような、噛み付かれるようなキスだった。快楽を得るための、あるいは征服するためのものでしかなかった。
 ――こんな、やさしいだけのキスなんか、したことなかったくせに。
 これがシズちゃん曰くの『誕生日プレゼント』なんだろうか。だとしたら残酷だ。誕生日だけの、一日限定の優しさなんて。
 ずっと昔、まだ俺もシズちゃんも制服を着ていた頃、心の深くに埋めたはずのものが、甦ってしまう。甦ってしまっても、責任など取ってくれないくせに。

 抵抗も抗議の言葉も許さないまま、シズちゃんが卑怯で残酷なやさしい口付けの合間に囁いた。


「――そんで俺も、優しくしてえんだよ」


 その声音があまりにやさしくて、目を閉じた。今日一日だけでも、今だけでもいいから、勘違いさせてほしくなってしまった。
 何をしに来たの、と問いかけたときの、シズちゃんの言葉を思い出す。『死ぬほど優しくしてやる』、と、この残酷な化け物は言った。

 なるほど、確かに死んでしまいそうだ。

 抵抗を諦めてシズちゃんの首に腕を回しながら、背中に触れる掌の温度を感じながら。死にそうな気持ちになっている俺とは反対に、みるみるうちに息を吹き返す恋心を殺すことを、俺はようやく諦めた。





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大分遅刻した上に昔書いた話と若干被ってるところあるけど臨也誕生日おめでとう!!!!


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