※65話らへん


「良い父ちゃんしてるじゃねーか」
 すっかり寝入った子を見ながら、石川は友に笑いかけた。土井はそうかな、と唇を緩く曲げた。そっと、子に毛布を掛け直してやりながら「そう、出来てると良いんだがな」と穏やかな笑みに苦みを足した。
 早くに両親を亡くした土井は、もともと父や母というものをよく知らなかった。無論自分が上手くやれている自信などありようもない。しかし、少なくとも全力でやっているつもりはあったので、先の友の言葉は少なからず嬉しいものだった。
 石川は酒を下し呵々と笑う。 ああ、本当にお前ほどの良い親父は居ないさ。 彼とてそれらをよく知らぬくせに、無責任なものだ。自分にも少し酒を頂戴して、土井は友の顔を見て含み笑った。眉を上げた石川に、土井は昼間の彼を思い出して言った。――なに、良い親父というのならなあ。
「お前だって負けてなかったと思うぞ?」
 思ってもみなかったのか、いつも余裕のある彼の瞳が不意を突かれたようにきょとと円くなる。土井は益々喉を鳴らして笑った。
「わたしは驚いたぞ、あの石川があんなによく子どもを見てやるなんて」
「……俺ァ昔から世話焼きだからな」
 硬い髪をぐしゃぐしゃと混ぜつつそっけなく言うのは照れているのかと、つい土井は微笑ましくなる。それから、つい昔のつまらぬことどももいくつか思い出してしまった。
「そうだなあ、お前は本当に世話焼きで……」
「おう」
「よく幼いわたしを置いてけぼりにした」
 あれを教えてやる、これはこうだと言っては、自分の興味に目移りするとそちらへ走ってしまう。土井が幼かった頃、同じく幼かった石川は、そんな子どもだった。石川は他人の世話を焼くのも上手かったが、それ以上に彼は自由だった。いつだって、彼はひとところに留まらぬのだ。
「それは今も、変わらないか」
 土井は久しぶりに口にする酒を、舌の上で持て余すように転がした。慣れぬとはいえ、やれこうも不味いものだったろうか。そう眉を寄せるのも馬鹿な話だ、自分から不味くしておいて。
「土井」
 声は、ずいぶん近くからした。まるですぐ耳元に、息を掛けるような距離だ。 いしかわ、と小さく土井の呼ぶのを聞いているのか、彼は構わず土井の体を抱きすくめた。
「俺は、捨てちゃいねえからな」
「は…っ?」
 胸が苦しかった。石川の腕が余りに強すぎるせいか、他に理由があるかは土井にも判然としない。石川は宥めるように土井の背を撫でた。なあ土井、俺は本当に親父のようだったか?
「そんな風に俺を言うのは、オメーくらいじゃねえのか」
「いしか、わ?」
 接吻されるのかと思った。石川は土井の瞳をじ、と見てから、また胸に押し付けるように土井を抱いた。顎髭が、ぞりと頭の上を撫でる。やはり、親父みたいだ。小さく笑うと、石川の心臓の音が聞こえた。はたと土井は思い当たる。一番懐かしい音なのだ。父も母も覚えてはいない。土井の思い起こせる限りにいっとう懐かしく、温かいのがこの音だった。
「はは、な…石川」
「なんだ」
「このまま寝ちまいそうだ」
「構わねえな」
 呵々と石川が笑う。既にぐっすり寝入っていた幼子も、いつかこんなふうに懐かしむのだろうか。その晩の土井の眠りは、深くまろやかであった。
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