むずがゆい。
 何が変わったというわけでもないのだろうが、それでも、思い出してみればどうにもむずがゆい思いを繰り返してしまう。先刻去った友人・・・いや、今こそそれに留まらない者であると言うべきなのだろうか。兎に角、奴のあんな姿は長い付き合いの仲で初めて見たのだと思う。あの日あれの告げた言葉は、いまでもじんわりとあたたかくわたしの耳にこびりついていて、何度でも優しく鼓膜を叩いて鳴らしているのだ。馬鹿め、と思うのは誰に対する嘲りであったか、わたし自身にもわからなくなっていた。





 土間に腰掛けて草鞋を直していた背中が、ふいに動きを止めた。一応にも見送りくらいはと後ろに控えていたわたしが眉をひそめる前に、ぐるりと奴の首がこちらを向く。なあ、土井と云う声は普段と変わりないようで、どこか妙な緊張感を湛えていた。
「俺たちもずいぶん長い付き合いだが、そういや言ってなかったことがある。ちょっと、いいか?」
 ずいぶんな話の切り出し方にこちらまで緊張した。なんだよまた、ぞっとしないな。そう茶化すように笑ってみても、奴の視線があんまりまっすぐにこちらを向いているのは変わりない。
「…まあ言ってみろよ」
「おう、あのな」
 何を言い出すのか。お決まりの悪い冗談でも言うのだろうか。もう二十年に近い付き合いをしてきたが、そう今更云うようなことなどあっただろうか。思うことは様々であったが、二十年来の親友にこう改まられて無碍に断るわけにもいくまい。わたしもまた、珍しく神妙に友人の言葉に耳を傾けた。
 相変わらず石川は、感情の読みづらい表情をしている。本当に、何を云うつもりなのだろう。少し嫌な予感がするくらいだったが、正直皆目見当もつかなかった。

「好きだぜ、お前のこと」

「は、?」
「わはは。」
 文字通り、ぽかんと口が開いてしまった。奴はといえば、暢気に笑っていやがる。
「なんだよそれ」
「なんだろうなあ。俺にもよくわからん」
 石川は気恥かしそうにがりがりと頭を掻いているが、こちらは頭を抱えたい気分だ。
 もう、二十年だ。
 とっくに色んなことをしてきたし、色んな思いをしてきた。お互いに相手に対する諦めのようなものをつけたのも、きっともう随分昔のことだ。それでも時々には、奴の気まぐれに顔を合わせて、どうにかして何事もなく過ごしてきたっていうのに。
「いくら何でも、今更過ぎるだろ」
 わはは、とまた石川は笑った。これはあれだな、決まりが悪くて笑っているだけの奴だ。タチが悪いが、そういうことなら奴のことは一番よくわかっているつもりだ。
「…まあでもよ、悪かなかっただろ」
「ああ。宣言通りぞっとしたよ」
 こんなことを、今になって言われるなんて思いつきもしなかった。世の中にはまだこんなに恐ろしいこともあったものかと思う。二十年、一体何をしてきたのか。こんな一言だけで、今更になって揺るがされてしまうとは。
「ひでえなぁ。で?」
「で?」
「…じゃあいいわ」
「拗ねるなって。えーと、じゃあ…もっと帰って来いよ」
「ふーん」
「なんだよ」
 はあ、と石川は重いため息を聞いた。天下の大泥棒のこんなため息はきっと盗みに失敗したときにも聞くことは叶わないだろう。
「……俺もう恥ずかしくて帰って来れねーかもな」
「馬鹿だな、お前」
 どうやらこちらを向くことすらも出来なくなったらしいその頭を、後ろから掻き抱いてやる。もう何度となく嗅いだその髷の匂いを、これほどまでに愛しく思ったことがあっただろうか。決して離さないなどとは思わない。お前の思うように生きろと、わたしはこの男に対して、心から願う。ただ、わたしとてお前が愛しいと思うのには変わりないさ。
 そういうことが全部、今まで言えた試しなど無かったのだ。言ったところで、何も変わるまいと信じていたのだ。それがわたしとこの男の二十年間だった。
「ほんと、帰ってこいよ。こんなこと言っちまったのはお前なんだからな」
 ううん、と奴は微妙な返事だけ寄越して、戸をくぐって去っていった。例えば、向こう二十年会うことが無いとしても、これまでとこれからはきっと意味の異なるものになる。急に告げてしまったあいつのおかげで、二十年間見て見ぬふりをしてきた自分たちのせいで、ずっとむずがゆい気分は続くのだろう。それを、どうも悪くないと思う自分の馬鹿らしさには心底呆れたものだ。

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