002 耳を澄ます

ずっと、平和だといいね。
 そう言って空の青を見ては目を細めたいぶ鬼に、何を当たり前のことをと未熟も未熟で、子どもだった僕は思った。地位や権力や金や野望に目が眩まぬ限り、そんなの誰もが望むことだ。平和が良い。みんなが穏やかに暮らせるのが良い。より多くの人が笑える世が良い。当然だった。
 しかし僕はまだ気が付いていなかった。少し耳を済ませばわかったはずなのに。彼の居る場所と僕の居る場所の違いを、聡い彼の優しいことを。
 同い年だったけれども、元来甘ったれだった僕よりいぶ鬼は少し大人で、いつかこんな日が訪れるかもしれないことをずっと早くに知っていたのだろう。
「ずっと平和だったら、なあ」
「いぶ鬼……」
 僕たちは大人になったのだろうか。いぶ鬼のサングラスは灰と瓦礫と煤の山を映し、彼からあの曇り無かった笑顔を容易に奪った。少し下がった肩を後ろから見ていると、やりきれない気持ちになる。あの肩を抱き締めてやりたいと思う一方で、そんなものは自分のエゴだと叫ぶ自身も居る。抱き締めて、それが彼の慰めになるだろうか。いずれ敵対するであろう自分のそれが、彼の慰めになどなるはずもない。僕たちにはいずれ、決定的な決別が訪れるのだ。
「金吾」
 いつの間にか隣に立っていたいぶ鬼は笑っていた。サングラスの奥にわずかに透けた瞳はいまにも泣きそうに歪んでいるというのに。あの頃のいぶ鬼はこんな風に笑っただろうか。それを上手く思い出すことすら僕にはできなかった。いぶ鬼はいくつかの言葉を飲み込んだらしい。唇が小さく震えては、無闇に息となるだけだった。耳を澄ませば、今なら彼の声が聞こえるのだろうか。馬鹿な事を考えた。わらって、僕は彼の手を握った。昔と変わらないように、昔よりもお互いに大きくなった手のひらを、きっと温めてやれたならと。ぎゅうぎゅうと握りしめている間に、いぶ鬼もわらった。痛いよ、金吾。なんだ、音を上げるのが早いぞ。二人分の笑い声が薄暗くなった空を突きぬけていく。耳を澄ましても、まだ明日のことはわからない。


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