「いってらっしゃーい」

 声は床の方からした。ちょうど土間で履き物に足を突っ込んでいた石川は二三瞬きをした。仕事をするのと同じくらい気をつけたつもりであったのだが。
「気付いたのか……っつか、軽ィなお前」
「もう慣れたからな。…慣らされるわ、そりゃあ」
 薄い布団にくるまったまま自分を睨む土井に、石川は返す言葉もなかった。確かに彼の元を去るときに、石川が挨拶を寄越したことなど今までにないのだ。まるで最初から訪れてすらもいなかったかのように、彼は姿を消す。珍しく閉口している石川をさすがに見かねたか、土井は息を吐くとふっと瞳を緩ませた。
「とっとと行って、また気が向いたら来いよ」
「…ああ」
 まだ眠っている幼子を起こさぬように、声をひそめたまま彼らの会話は為されている。きっと朝にはその少年に引き止めなかったけとを煩く喚かれるのだろう。いや、もしかしたら彼だってもう慣れたかもしれない。またですか、などとため息を吐く子供を想像して土井は苦笑した。そうする間にも消えてしまうかとも思われた石川は、存外にまだ戸口から土井の顔をじっと眺めていた。目が合った瞬間、石川は引き結んでいた唇を開いた。
「土井」
「ああ、なんだ?」
 布団からわずかに身を起こした土井に、石川は少し照れくさそうに笑う。その瞳は彼の歳には不似合いなほど幼く見えた。
「またな」
 それだけを土井の耳に落として、石川はすっかり姿を眩ませた。
「……初めて聞いたな」
 わたしが割と執念深いし根に持つ奴なの知ってるだろ、石川。聞いたからには必ず「また」会いに来ないと承知すまい。
 薄い布団にくるまり直して土井は静かに笑った。



(お帰りをお待ちしてますとでも言えば良かったのかねえ)

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