小説 | ナノ





 九月なかば、進路だなんだと煩い眼鏡と一緒に将来のことを考える。狭い部屋で、二人きり。息がつまりそうになるのは多分、か細く聞こえてくるあの音色に首を絞められているから。
「先生、これなんの音?」
「……ヴァイオリンだ」
 眉を潜める氷室先生は今一瞬俺のことを忘れていて、あいつの音色について考えているに違いない。上手くなったな、とか。
 夏が過ぎ、あいつはますます大人っぽくなった。晴れやかな笑いは暖かな微笑みに代わり、服は少女的な可愛らしさが目立つようになった。人の目を気にしているのか馬鹿な行為を慎み、俺みたいな「お友だちさん」とはあまり出掛けなくなった。いつの間にか彼女の手には、ボールのかわりに楽器ばかりが握られるようになった。
 多くが変わった。変わらないのは、あいつと俺の関係ぐらい。この不毛な胸の高ぶりだけ。
 あいつから「先生が好き」と聞いたあのとき、俺は驚いた。あんな手厳しい奴のどこがいいのか。確かに女子に人気がある。容姿がいいとか冷たい態度がなんとか。あいつもあんな、女子のような考えをするのかと、何か裏切られた気持ちになった。冗談だって笑い飛ばそうと思ったのに、少し潤んだ目を見たせいで、声が出せなくなった。胸にざわりと悪寒を感じた。あんな先生がいいだなんて、お前マゾなんじゃねぇの。そんなことを言って、あいつに叩かれればよかったのに。
 あの話のあとどうも気になって、俺は二人を観察し始めた。あいつが奴を目で追う後ろ姿を見て、奴を話す時の手を見て、奴と話す頬の赤らみを見て、本気なのだとすぐに分かった。教師に恋愛がらみで憧れる奴はたくさんいるだろう。けれど本気になれる奴が何人いるのか。だって違うのだ、年齢立場思想諸々。漫画なんかには大勢いるが、恋仲なんぞになれた奴は現実にいるのか? 短い人生、特に俺のは色の経験をあまりにも知らない。
 思い切り言ってやりたかった。止めておけよ。……俺にしておけよ。けれど言わなかったのは、その言葉で関係が変わってしまいそうなのが恐ろしかったから。そして、どうせその恋は上手くいかないだろうと高をくくっていたから。あの堅物とあいつが仲良くするだなんて。それにあの男は女子高生に手を出すほど女に困っているとも思えないし、法に触れるような馬鹿なことをしでかすとも思えなかった。
 けれど、俺が考えるより奴が馬鹿だったのか、それともあいつが魅力的すぎたのか。いつしか二人は教師と生徒の仲を越えようとするようになった。奴の車に乗り込むあいつを見て、信じられないほど優しく笑む奴を見て、音楽室に残る二つの影を見て、俺は猛烈な吐き気を覚えた。見つめあうその顔はどうみてもそれなのに、認めたくなかった。
 犯罪だろうなんだろうと叫び、あいつをかっさらってしまいたかった。それが出来なかったのは、俺があいつあいつの笑顔が好きで、それをもうちょっと見ていたかったからだ。遠くからでもいいからと。そう言い訳をして、俺は本心から逃げた。本当は、かなわないと思ったんだ。
 愛することがこんなにも辛いことだとは思っていなかった。あいつが俺に何か相談事をするたびに俺の胸は抉られていった。傷つくだけでなく、さらにあいつに心を奪われていった。実際被虐趣味だったのは俺の方らしい。あいつのもとから逃げることができない。
 だからといって、応援などしてやりたくなくなかった。お前たちは変だと罵ってやりたかった。あいつをどこか適当なところへ連れ込んで、押し倒してやろうかと思ったこともある。そうすれば何かが変わっていただろう。けれどハッピーエンドには程遠い。俺はハッピーエンドが見たかった。それのために俺は俺を捨てた。
「……何だ、私の顔ばかり見て。黙ってないで何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「……なぁんも」
 あんたのせいで、俺は幸せになれない。そんな言葉が頭をよぎったけど、たぶんそれの半分は、俺の責任だ。あの時俺があいつをかっさらっていれば、きっと。
 夢の話だけはうまく出来るのに。
「先生ー」
「何だ」
「上手くやれよなー」
「……何をだ」
 敵に塩を送って、そんな自分を責め立てて、それであいつの笑顔で胸が痛い。ああ本当に、俺は馬鹿だ。後悔だけで生きている。
 燻る紫の熱情を抱えて、明日も俺はあいつと会う。気の会う友人として、二人で。



あとがき

 七月ぐらいに書いてたやつが見つかったので、書き直してみた。
 こんなん書いてても私は鈴鹿が好きです。サンゲンショクさんとかぬーべーとかラットルも好きです。
 タイトルはteppanさんの曲から。実際の歌は大変明るいです。うちの鈴鹿もこんな風になれたら良いのに。


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