だって、春だもの
※ほのぼの


「春ねぇ……」

心地良い風を頬に受けて、メイコはつい、口元が緩んでしまう。真っ青に晴れ渡った空の下。暖かな芝生の上に腰を降ろして、メイコはのんびりとした時間を満喫していた。

今日はみんなで休みを合わせて、広い公園にピクニックをしに来ているのだ。家族が全員こうして集まるのは、一体いつぶりだろうか。
少し離れた場所には、自分の兄弟達が楽しげに談笑している。ミク、リン、レン。いつもは家で大騒ぎをし、姉や兄を困らせてばかりいる兄弟だけれど、こうして眺めてみれば、それぞれ仲良くほのぼのしていて、微笑ましい限りだ。

ここで、お酒の一杯でもやれたら最高なのにね、なんてことを思い、そんな提案をマスターにしてみたら「じゃあちょっと行ってくるか」と、コンビニに買い出しに行ってくれている。その帰りを待ちながら、気付けば自分の隣から――

「好き、嫌い、好き、嫌い……」

そんな、薄気味の悪い声が聞こえてきた。

「好き、嫌い、………………好き」
「あほかっ」

最後の一言に頬を染めた辺りでたまらなくなり、メイコはその男の頭をはたいた。

衝撃で、その男――カイトの手に持っていた花が、ばらばらっと地面に零れ落ちる。

「ぐ、姉さん……、今のはなかなか強烈でした……」
「あんたね。何を乙女チックなことしてんのよ」

呆れて聞けば、カイトは呑気に笑ってこう告げる。

「もちろん、花占いだけどさ」
「……いや、そういうことじゃなくてね?」

メイコは、アホな弟の言葉に嘆息をする。季節は春。目の前に居るこの男の頭の中も、現在、春真っ盛りのようだ。

「そーいうのは、下の子達の誰かがやるから可愛いのよ。あんたがやると、ただ気持ちが悪いだけでしょ?」
「そ、そうかなぁ」

カイトは不服そうな表情をしながら、落ちた花を一つ拾い上げ、メイコに差し出す。

「ほら、姉さんもひとつ、やってみると良いよ」
「私は別に良いわよ。脳内お花畑なあんたなんかと、一緒にしないで」
「でもこれ、結構、慰めになるよ?」
「……………。ああごめんなさい。私いま、あんたがあまりにも可哀想になって何も言えなくなっちゃったわ」
「……あれ、姉さんもそう思う?」

カイトは軽く肩を竦めながらそう言う。そんなカイトの言動には、メイコにも心当たりがあった。

「……あんた、もしかしてまたミクのことで悩んでるの?」

カイトは苦笑いをひとつした後、

「少しだけ」


ああまったく、この男は。こんな所に来てまで。と、メイコは再び呆れる。

弟は最近、妹の反抗期に悩んでいるらしい。反抗期とはいっても、平凡な兄妹になら誰にでも起こり得る、妹の兄離れという奴である。そういう時期は往々にして放っておいてやるのが一番良いのだけど、カイトの場合、それが出来ないのだからタチが悪いのだ。

そんな時に無理に相手に近付こうとしても、近付いた分だけミクは素直になれなくて余計にカイトから遠ざかってしまうだろう。けれどこの目の前に居るシスコン馬鹿は、つい、妹に世話を焼いてしまうのだ。

まあ別に本当の兄妹という訳では無いのだから、平凡な兄妹も何も、あったものではないのだけれど。

「何であんたは、少しくらいミクのことを放っておいてあげれないのよ」
「だってさ。やっぱり、心配なものは心配なんだよ」

と、カイトは言う。

「ま、あんたの気持ちもわからないでも無いわよ」

今のように、ボーカロイドの知名度が広がる前の話。ボーカロイドとして仕事のあったメイコに比べ、カイトの方はお世辞にも、その仕事の量が多いとは言えなかった。それは彼にとっても辛い時期であったに違いないけれど、そんなカイトが仕事の無い間に何をしていたのかというと、デビューをする前の、ミクの面倒だ。

ミクはカイトによく懐き、我が儘を言っては困らせていた。けれどカイトはそれを笑いながら、ニコニコと叶えてあげていたのだ。
仕事の無い弟のことをずっと心配していたメイコだったけれど、ミクが来てからは活き活きとしているカイトを見て、内心ほっとしたものだ。

2人仲良く手を繋ぎ、仕事へ向かう自分を見送る可愛い弟と妹の姿が、今もメイコの脳裏に焼き付いている。過保護にも、ミクの面倒をずっと見てきていたカイトだ。その分、彼女への思い入れも人一倍にあるだろう。一人前になった今だって、ミクのことで、頭がいっぱいになるくらいに。

「でもね」

と、メイコは言葉を続ける。

「もう、あの頃とは違うんだから。あんたが心配しなくても、あの子は一人で強くやっていけるわよ。それは、あんたにもわかってるんでしょ?」

ミクがデビューをしてからも、最初は色々と危なっかしいことがあった。だから、カイトが心配になるのも無理はないけれど、今では立派にボーカロイドとしての役目を果たしている。特にリンとレンが来てからは、しっかりとしたお姉さんらしくなり見ていて実に頼もしい限りだ。

「……そうだね。それは、わかってるんだけどさ」

カイトは小さく頷く。

「自分でも、情けない話だっていうのはわかってるんだよ。でも」

メイコはただ、弟の言葉に耳を傾ける。カイトは芝生に落ちた花を一つ拾い上げ、じっと、見つめていた。

「ミクがこうして独り立ちをしてるのは嬉しいよ。それは本心から、そう思う。……でも、最近になって思ったんだ。昔はあんなに懐いていたミクが、俺から離れていくのを見て。今までずっと、ミクには、俺が必要なんだって思ってた。……でも、本当はそうじゃなかった。自惚れてたんだね」


そうしてカイトの視線がミクの居る方へと移り、

「実際は、俺の方がミクのことを必要としてたのかなぁってさ」

そんな弟の突然の告白に、メイコは少し唖然とする。

「……だから、不安なんだよ。ミクが、もう俺の手の届かない遠い所まで行っちゃうんじゃないかって……、そんな気がして」
「……カイト。あんたそんなこと考えてたの?」
「ああ」


頷くカイトを見て、メイコは思わず吹き出してしまった。

「あのねぇ、そんなことは考える必要ないわよ。確かにあの子も、今は少しツンツンしてるかもしれないわよ?だけどミクには間違いなく、あんたのことが必要だと思うわ。今も、この先も」
「そうかな」
「そうよ。それに私には、あの子が完全に、兄離れが出来るとは思えないもの」

ミクも、何だかんだと言って根っからの兄っ子なのだ。今はただ、意地を張って兄離れをしようとしているだけで。


「今言ったことを、本人に直接言ってごらんなさい?きっとミクも、喜ぶわよ」
「そんなこと、言えやしないさ」
「どうして?」
「だって、もしもミクに拒絶されたら……、俺は、どうしていいかわからないよ」


カイトの言葉に、メイコは絶句してしまう。……ああ、何というヘタレ。筋金入りのヘタレ。馬鹿ねぇ、あの子が何のために――そう、言い掛けた時だった。

「メイコ姉〜、カイト兄〜!!」

リンの、呼ぶ声がする。見ればリンが元気良く、こちらに向かって駆けて来ていた。


「あら、どうしたのリン?」
「あっちでね、花冠を作ってたのっ。上手く出来たから、メイコ姉にあげるね!」
「まあ、なかなかよく出来てるじゃない。これ、リンが作ったの?」
「うんっ……って、言っても、わたしは花を集めただけで、ほとんどレンが作ったんだけど」
「ふふ、そうなの。ありがとう」


可愛らしい妹達からのプレゼントに、メイコはつい口元が緩んだ。リンも、嬉しそうな姉の姿を見て、えへへ、と笑っている。そんな2人の様子を見て、先程まで落ち込んでいた様子のカイトも、一緒になって微笑んでいた。

「良かったね、姉さん」
「……あっ、でも、カイト兄のもあるんだよ!」
「えっ?俺のも?」
「そうそう。なんだけど……」


リンはチラリと、向こう側に目を向ける。そこには、何かに四苦八苦しているレンとミクの姿があった。


「あ、あれ?ここの分かれ目ってどうなってたっけ……」
「ミク姉、俺、少し手伝おうか?」
「う、うん。じゃあ、ちょっとだけ見てもらって良いかな?」
「って、これ全然違うことになってるよ、ミク姉!!」
「ほ、本当に?」
「そこは、そうじゃなくて……、ちょっと、代わろうか?」
「も、もうちょっとだけ、自分で頑張ってみる」


そんな2人の様子に、リンが困ったように笑った。


「ミク姉が、カイト兄のを自分で作るー!……って言って張り切ってるんだけどさぁ。すっっっごい不器用だから、全然出来上がらないの」
「……ミクが、俺のを?」
「うん。どうしても、自分で作りたいって言うから」
「そ、うなんだ」


見れば、カイトが少し照れたような顔で笑みを浮かべていた。……ああ、ほらね。まったくこの子達は。メイコは、小さく笑う。

「ほらカイト、あんた行ってきてやんなさいよ」
「えっ?」
「あんた、ミクのお兄ちゃんでしょ?」

男なら、ちょっと行ってフォローしてあげて来なさい!カイトにそう渇を入れ、メイコはミク達の方に大声を出した。

「レンーっ!花冠のお礼してあげるから、ちょっとこっちに来なさーい!!」








どんな会話をしているのかはわからないけれど、遠くで2人並んでいる弟と妹の姿を見れば、メイコは昔のことを思い出し、何だか懐かしい気分になった。


「……メイコ姉、あの2人のこと、どう思う?」
「どうって?」
「前みたいに、仲良くなれるかなぁ」

と、リンが心配そうな顔をしている。

「あの2人、最近あんまり話してないしな」

と、これはレン。


「そうねぇ……」


兄離れとは別に、ミクも最近、忙しそうにしていた。きっとお互いに、ゆっくりと会話する時間も無かったのだろう。それがまた、カイトの悩みを増長させる一因でもあったに違いない。でも。


「あんた達、あの2人のこと心配してたの?」

いつもは散々、カイトをからかって遊んでいる2人なだけあって、少しだけ意外だった。

「そりゃあ、まあ……、カイト兄も、何か元気無いみたいだったし」
「何だかんだ言っても、わたしとレンの、お兄ちゃんとお姉ちゃん、だもんね」
「だなぁ」


と、リンとレンがお互いにっこりと微笑み合う。


「……まったく、こんな可愛い弟妹を心配させるだなんてっ」


メイコはそんな双子が愛しくなり、ぎゅうっと強く2人のことを抱き締める。

「く、苦しいよメイコ姉……っ」


レンが喜びの悲鳴を上げるが、それはさておき、メイコは呑気な口調で言い切った。


「あの2人なら、心配しなくても大丈夫よ」
「そうかなぁ?」
「そうよ、当たり前じゃない」


結局あの2人は、お互いのことが好きですれ違っているだけなのだ。ただ、上手く素直になれていないだけで。鈍感なカイトは気付いていないようだけれど、ミクが一体、誰のために、何のために、兄離れをしようとしているというのだろうか?

――しかしそれを直接本人に伝えた所で、どうにもならないことだとメイコは思っている。そしてそれは、ミクの為にもならないのだ。それは2人で解決しなくては。自分はただ、そんな2人を見守るだけ。

何とも、手間の掛かる2人だ。でもきっと、何もかもが良い方向に向かっていくだろう。澄み渡る空の下、暖かい陽気に包まれていると、何だかそんな気分になった。
遠くで、緑の髪と青いマフラーが、2人仲良く風に揺れている。


「メイコ姉は、あの2人が上手くいくって何でそんなに言い切れるの?」


と、リンが不思議そうな顔で訊ねてくる。何と答えものかと考えあぐね、メイコは思った。きっとそれは、言葉じゃ上手く説明出来ない。
だからメイコは、代わりににっこり笑ってこう言った。


「だって、春だもの」


2009/04/24
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