───春。

入学式から数週間経った教室で、凜々蝶は教壇に立つひとりの女子生徒を穴が空くほど見つめていた。
確か、入学式以降このクラスは窓際の一席が空いていて、生徒が一人足りない状態だった。今日は本来その空席に座るはずの、ずっと姿を見せなかったクラスメイトの最後の一人が登校してくるとかで、HRが始まる前から教室は賑わっていた。
そして今、担任に促される形で姿を現した女子生徒が凜々蝶たちの前に立っている。
制服の上からでもよくわかるすらりとした体つき。美しく伸ばされた背筋はどこか気品を漂わせている。
色素の薄い少女。その薄い唇がゆっくりと開いた。

「……京都から来ました、ミケツカミ シオンです」

耳に心地いい穏やかな声。淡い色の双眸で教室を見渡し、彼女は柔らかい笑みを浮かべる。
その表情に、その声色に、その雰囲気に、凜々蝶は嫌というほど覚えがあった。
そして、その名前にも。

「皆さん、どうぞよしなに」

銀髪を揺らして頭を下げた少女の後ろ。担任がチョークを置いた黒板には、名前があった。

『御狐神 熾苑』

凜々蝶の知る一人の男と同じ姓の、彼とよく似た少女の名が。



*  *  *




「僕によく似た女子生徒、ですか」

夕食時のラウンジで双熾が言った。
爽やかな笑みを浮かべる彼をじっと見つめているのは、双熾の主人である凜々蝶と昔馴染みの卍里だ。

「君、本当に何も知らないのか?」
「そう言われましても……、心当たりは御座いません」
「……そうか……」
「そーたんが化けてたんじゃないかっていう渡狸の予想は外れたワケだねー」

双熾の返答を受けて、また難しい顔をして黙り込む二人を見て、残夏が笑った。

「他人の空似とかじゃないの〜?」
「あんな顔、この世に二人も三人もいてたまるか!」
「それに、彼女は確かに『ミケツカミ』と名乗った。少なくとも赤の他人ということは無いと思うんだが……」

う〜ん、と思考の泥沼に嵌まって行く二人を他所に無言で手と口を動かしていたカルタがぽつりと言った。

「あの子……御狐神…じゃ、なかった…」
「髏々宮さん?」
「御狐神によく似てるけど……御狐神とは…少し、違う……」

どういうことだ? と全員が頭に疑問符を浮かべた時、不意にラウンジのドアが開いた。
自然と集まった視線の先に、見覚えのない青年が立っていた。少なくとも数週間前にこの『メゾン・ド・章樫』に入居した凜々蝶には見覚えがなかった。
しかし、凜々蝶より住人歴が長い他の面々の表情から察するに、誰もこの青年に覚えがないようだ。
双熾や残夏と同様にSSを示すスーツを着た青年は、半身だけラウンジに踏み込んだ格好で中を見渡すと、凜々蝶たちの視線など気にも止めずにラウンジに入る。

「……誰?」

思わず、といった風に誰かが言った。
ほとんど独り言のようなそれを拾った青年は、抑揚の少ない声で簡潔に答える。

「5号室SS、結鼬迅徠」
「5号室?」

凜々蝶が入居した時点で、この妖館の空き部屋は5号室から8号室。迅徠と名乗った青年が5号室のSSなら新たに入居者がいるということになるのだが、そのような人の気配はもちろん、引越業者が出入りしたという話は聞いていない。
日中学校にいる凜々蝶や卍里、カルタ、連勝が知らないのは当然としても、彼らが不在の間は妖館にいるであろうSSたちが知らない、というのはおかしい。

「……5号室に新しい入居者なんて聞いてないわよ?」
「はい。ですから……」

尖り気味の野ばらの言葉に、澄んだ少女の声が応えた。
それを受けて、迅徠がラウンジのドアを押さえたまま身を引く。
青年の影に立っていた少女が微笑んだ。

「こうしてご挨拶に」

凜々蝶やカルタと同じ青城学園の制服を身に纏い、淡い青緑と金の双眸を持った少女は、昼間教室でしたのと同じように一礼する。

「本日付けで5号室に入居しました、御狐神熾苑と申します。皆さんどうぞよしなに」

さらり、と少女の銀髪が揺れる音が聞こえた気がした。



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