「ハンスの野郎が裏切った。」 唐突に上司から発せられた言葉に、ミレイナの頭は一瞬フリーズしてしまった。 何を言っているの? 裏切る? 誰が? 誰を? 何のために? 「それは確実な情報なんですか?」 「情報屋からだ、間違えないだろう。」 先程まで、怒りで我を忘れていたヴィンセントだったが、会話の中で冷静さを取り戻していた。 一度跨った馬から降り、やり切れない表情で、自分を止める為追いかけてきてくれたミレイナの、疲労困憊な顔を眺める。 何をやっているんだ、自分は。 感情に任せて、単独行動をするなんて・・・。それこそ奴の思うツボ・・・。 ヴィンセントはハッとした。 そうだ、奴の目的は何だ? 隊を裏切り、彼女を捕縛する事に何の利益がある? 何より情報屋だ。 何故彼らは自分にこの情報を流した? 何処で手に入れた? ハンスは気付かなかったのか? 彼も情報屋の存在は知っている。 彼らが彼女を『尾行』している事を・・・! 何故、俺にこの情報を『流した』? 「そうか・・・・そう言うことか・・・・。」 悪事でも閃いたような、不適な笑みを浮かべ、ヴィンセントが小さな声色で呟く。 「ミレイナ、馬を頼む。俺はエリーの所へ行く。」 戸惑うミレイナをその場に残し、ヴィンセントは早足にその場を離れた。 * 「悪い、エリー以外部屋から出てくれないか。」 数名の小隊メンバーと書類整理をしていたエリオットのもとに、入室のノックもせずにいきなりヴィンセントが部屋の中へと入ってきた。 「どうしたんだ、こんな朝早くに。珍しいな。」 とうに10時を軽く超えていたが、ヴィンセントの行動時間から考えると『朝早く』という分類に入るらしい。 「少々個人的にエリー君とお話したくてな。」 含みを込めた言い方に、その場にいた者達がそれぞれ顔を見合す。 「・・・・了承した。皆すまないが席を外して貰えないか。」 一瞬視線を落し、思案した後、何かに気付いたようにエリオットがヴィンセントに視線を合わせた。 そして、その場にいた者たちに部屋から出るよう促す。 「悪いな。」 部屋を出て行く隊の者たちに声をかけ、皆が出払った事を確認すると、静かに扉を閉める。 閉めると同時に、ヴィンセントはある術式を唱えていた。 ドアノブから手を離した瞬間、術式が発動され部屋全体の壁という壁に刻まれていく。 「警戒用の術式だ。誰かがこの部屋へ近づくと反応する。」 ただの世間話ならこのような術式、必要のない物だ。 ここまで神経質になるという事は・・・。 「隊長の事か?」 扉の真正面。 窓際にあった机から離れ、部屋の中央に移動するエリオット。 術式の発動を確認し、ヴィンセントも扉から離れ中央に歩き出る。 丁度真ん中で向かい合った二人の顔は、真剣そのものだった。 「ハンスが裏切った。ロゼを拘束し、今こちらへ向かっている。」 互い視線を外さず、見つめ会うような形でなるべく小声で話す。 ヴィンセントは握りしめたいた左手を緩め、クシャクシャにした紙切れをエリオットに渡す。 無言でそれを受け取ったエリオットは、丁寧な手つきで皺を伸ばし書かれた文面を読み解く。 ≪『シュリンプ』は海の見える街で摘み取られた私は大きな丘の上にある家へと、花瓶に入れられて運ばれる。 私は『アリス』の手で摘み取られた。≫ 「情報屋からの手紙か。だが俺にはこの文面からハンス殿が裏切ったという内容が、わからないんだが?」 困惑するエリオットに、ヴィンセントが答える。 「いいか。まず、情報屋は漏洩を防ぐため、独自の暗号コードを使用している。この文面だと『シュリンプ』はロゼを示している。そして、『アリス』これがハンスだ。」 ヴィンセントの解説は続く。 「つまり、ロゼは『海の見える港』おそらく、ノール港かトリム港の事だろう。ここでハンスに拘束された。『丘の上にある家』つまり『帝都』、『城』を示す。」 帝都ザーフィアスは皇城を頂点に、山、丘の様な地形とも言えなくもない。 「情報が確かなら、明日の早朝・・・・早くても今夜深夜には帝都に来る。」 「ハンス殿が何故・・・。」 「奴はもとはアスピオの研究員だ。人魔戦争において魔物に勝つための新たな魔導器の開発に携わっていたと聞く。その頃からアレクセイと繋がってたんだろう。」 困惑の表情を浮かべるエリオットとは裏腹に、ヴィンセントは落ち着いていた。 「隊長の事となると、顔色を変えるお前が、珍しく冷静だな。」 「もうそれはさっき済ませてきた。」 エリオットの言葉に、気恥ずかしいそうな苦笑いをこぼし、ヴィンセントが柔らかい口調で答える。 「あの陰険眼鏡の狙いはそこだったんだ。」 緩んだ表情を引き締め、ヴィンセントが言葉を続ける。 「奴は『ワザと情報を流した』。それは情報屋を通し、俺達に伝わる。ロゼに関する情報は『全て』回せと『契約』しているからな。この情報を聞いて、まずお前ならどう行動する?」 ヴィンセントの問いかけに、エリオットが少し考えた後にこう答えた。 「情報の内容から考えて、すぐに隊を整えて、『デイドン砦へ向かう』。」 エリオットの言葉に、ニヤリと含み笑いを浮かべ、ヴィンセントが人差し指でエリオットを指す。 「だろ。俺もそうする。リスクから考えて、わんさか親衛隊がいる帝都よりも、幾分手薄なデイドン砦で待ち構え、網をはり確実にロゼを助ける方法を取る。だが、それが奴の『狙い』なんだ。」 「そうか!隊長は俺達をおびき出す人質のようなもの。」 「助けに行ったところを袋叩きにあって終了。」 両手を肩まで上げ、降参といったポーズをとり軽くため息を吐くヴィンセント。 「よく気付いたな、お前。」 そんな彼を、感心した表情で見つめるエリオット。 それに苦笑いで答えるヴィンセント。 「残念ながら奴とも長い付き合いだ。考えそうな事は大体わかる。それに・・・・。」 一度言葉を切り、視線を落し訝る様な表情を見せた。 そして、軽いため息の後、意を決したのか視線を戻し言葉を続けた。 「サブリナ・・・・情報屋はこちら側とは考えない。彼らは故意に情報を流したと考える。」 「どう言う意味だ?」 「情報がいくらなんでも早い。奴が用事があると帝都を出たのは何時だ?あの時点で、奴は俺達が手に入れないない情報を知っていた事になる!」 「確かに。隊長が最後連絡をくれたのは、ノードポリカ!」 「奴はそこからこっちへ渡って来る日を知っていた!」 「どこから情報を!」 「サブリナに決まってるだろ!」 二人は互いのパズルを組み合わせるように息もつかぬスピードで掛け合っていく。 「幸いな事に、この情報を知っているのは『俺達』だけだ。今は下手に動かず様子を見る。」 ヴィンセントの決定に、不安な表情を見せるエリオット。 「隊長は、どうするんだ?」 エリオットの言葉に、視線を落し、苦い表情を見せるヴィンセント。 「すぐに殺される事は・・・・ないだろう。帝都に連行という事は少し時間があるはずだ。」 「『もしも』の時はどうする?」 もしも。 それはつまり・・・。 「そんな事決まっているだろ?」 視線を上げ、自身満々な笑みで答えるヴィンセントに、エリオットは一瞬呆気に取られたが、すぐに彼と同じ笑みを浮かべる。 「ふっ・・・・愚問だったな。」 * 「お初にお目にかかります。リュイ・リィ・ハインスと申します。今日よりあなたの補佐役として在籍しますので、よろしくお願いします。」 初めてハンスと出合ったのは、私は隊長に就任したばかりの頃。 あの頃から変わらない、透き通る様な薄い青色の髪に、目を奪われた事を覚えている。 「あ、はい。宜しくお願いします。」 正面に立つ彼に一礼をし、当たり障りのない挨拶をした覚えがある。 「本当に幼い隊長様ですね。隊の顔ぶれも幼い・・・・・。」 「何か文句でもあんのか?」 隊全体を見渡し、彼がこぼした最初の感想にヴィンセントが返す。 「育ちも悪い。」 そんな彼に、見下した様な冷ややかな笑みを浮かべるハンス。 最初の印象からして、二人は最悪だった。 「隊長含め、幼い隊ですが、それなりに頑張りますよ。」 有限実行とばかりに、ハンスは『それなり』にしか働いてはくれなかった。 勤務時間は自由気ままで、私の横にある彼専用の机は常に空席だった。 帝都から離れる事が億劫との理由で、巡礼はもちろん、帝都から離れての任務に同行する事もなかった。 彼の態度から見ても、不本意な人事であったのだろう、という事は想像ができた。 そんな彼を私はあえて構わずにいた。 正しくは、対処の方法がわからなかった。 彼の瞳に見つめられると、言葉がつまって上手く話せなかったからだ。 今思えば、既に私は彼に惹かれていたのかもしれない。 そんな彼との関係に変化が現れたのは、初めて彼が遠征に付いて来た時だ。 私が20歳の時トルビキア大陸中央部で大雨が続き、地盤が緩んだことで、一つの街が土砂災害に見舞われた時だ。 私達は命令に従い、降り続く雨の中、土砂から街・・・・正しくはこの街に使われていた結界魔導器だが、これを守るため隊を引きつれ堤防を築いていた。 「隊を引かせます。これ以上ここに留まっていたら我々が巻き込まれ、命を落す事になりかねません。」 街の中に仮で作り上げた陣営の中で、止むことのない雨により堤防を作る作業自体が困難になった時、ハンスが始めてこの作戦に対し意見を述べた。 「私達があきられたら街の人たちはどうなるの!?」 「街を放棄させます。どちらにしても、土砂によって結界魔導器は埋もれてしまいます。そうなれば、彼らもこの場所には住んではいられません。」 「でも、私達の人数では街の人たちを魔物から守りながら次の街へ移動するのは難しいわ。」 「ですので、隊を引かせます。」 ハンスのこの言葉で、彼が言っている本当の意味を知り、私は愕然とした思いで彼を見返した。 「・・・・彼らを見捨てる・・・・と言うの?」 「この雨では援軍も来ない。数少ない隊で何ができますか?隊を任された者として、彼らの命を守ることもあなたの仕事ですよ。」 感情の読み取れない表情で、彼は街の人間を見捨てると言い切った。 すぐにヴィンセントが反応し、彼に何か言葉をぶつけていた様に思えるが、この時の私はそれを覚えていない。 それくらい、彼に対しこの時の私は『頭にきて』いた。 バンッ!と彼と私の前にある机を両手を力いっぱい叩きつけ、彼を睨みつけた。 「私達は市民を守る騎士よ!彼らを守る事が私達に課せられた使命!!違う!?彼と同じ意見の者がいるなら、私の隊にはいらないっ!!私はここで彼らをまもる!!!」 土砂降りの雨にも負けない大きな声で、私は自分の気持ちをぶつけた。 私の言葉が終わると、陣営の中は静まりかえり、誰一人言葉を発する者はいなかった。 ただ、1人の男除いては。 「バカですかあなたは。」 悪びれるわけもなく、彼は涼しい顔でその言葉を口にした。 「貴様っ!」 怒って彼に掴みかかろうとするヴィンセントを、ミレイナが止める。 「一度しか言いません。よく聞きなさい!」 今まで聞いたことのない大きな、はっきりとした声で、ハンスが話始めた。 「まず、街の東側の山を削ります。ヴィンセント・フルール。攻撃魔術に長けた者を数名連れてこれにあたりなさい。ありったけの魔術をぶち込むんです。」 「!!了解した。」 指名され、一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに引き締め、了承の返事を返すヴィンセント。 「同時に北側の斜面も削る。これら全ての土砂で堤防を築きます。エリオット・ミュッセを中心にその他の隊は、北と東に壁を作るように防御壁の術式を発動。街が土砂で飲み込まれるのを防ぎなさい。」 「はっ!」 エリオットが力強く返事をする。 「あなたは私と一緒に、結界魔導器へ。結界の力を強め、彼らを援護します。」 ハンスの作戦は、崩れるのを防いでいた二つの山をワザと崩し、その土砂を利用して堤防を築く、という大胆な作戦であった。 それこそ一歩間違えば大惨事を引き起こす恐れのある作戦であったが、最良のタイミングで結界魔導器の力を解放。 土砂の力に押し切られそうだったエリオット達の防御壁をフォローし、何とか街と、人々を守る事ができた。 「ありがとう。ハンスさん。」 作戦が成功し、数時間後には雨が止み、雲の切れ間から太陽が覗かせる。 何日ぶりかに見る太陽を見上げながら、私は素直にハンスへ感謝の言葉を述べた。 「うちの隊長は恐い。という事が今回の事でよーくわかりました。」 この時見せた、満足そうなハンスの笑顔を私は今も覚えている。 ガタガタと音をたて、激しく揺れる馬車の中。 私は小さく開いた隙間からこぼれる光りを見て、朝の訪れを感じた。 朝ぼらけの中、薄っすらと帝都が見えてきた。 どんな形にしても、私は帝都に戻って来た。 そして、近々、私はアレクセイと対峙する事になるだろう。 その時が、彼の企みを暴くチャンスになる。 それまで・・・・。 私はハンスの事は考えない。 考えない事に、しよう。 今彼を思うと、心が挫けそうになる。 お願いだから・・・。 もう、 私を苦しめないで。 第6話へつづく・・・。 [*prev] [next#] |