夜も更け、この世界で最も人々が集う都は静けさに包まれていた。 石畳の階段を息をきらせ走る一つの人影がある。 王の居城を守る騎士の目を掻い潜り、彼は急いで主のもとへと走った。 比較的手薄な下町から、見慣れた市民街へと出た所で、彼は一度周りを見渡した。 誰にも気付かれていない。 息を整え再び走り出す。 この計画は始まったばかり、失敗は許されない。 流れる汗を手の甲で拭い、人々の住居の間にある細い裏道を抜け、一つの民家に辿り着く。 レンガ作りのこじんまりとしたその家の周りには、色とりどりの花が咲き誇っていた。 彼は迷わず玄関の扉を開け叫んだ。 「リーダー!『アリス』が『シュリンプ』と接触したよ!」 はぁ、はぁと肺に酸素を供給しながら、滴り落ちる汗を拭いゆっくりと部屋の中を見渡す。 「早かったわね。」 声を聞き、2階へと続く階段から、真紅のイブニングドレスを着た女が優雅に降りてきた。 どこぞかの宮殿ならいざ知らず、普通の民家には不似合いなその姿に突っ込む者はいない。 少なくとも、彼はその姿に驚きはしなかった。 『ここ』では、『これが』常識なのだろう。 「だ、だって。早くってリーダーが言うから!僕頑張ったんだよ!」 部屋の明かりに映しだされた彼は、15歳程の幼き少年。 どこを通ってココまで来たのか、体中が土埃で薄汚れていた。 「あ、後、『ウイスタリア』が帰途。『クリムゾン』と接触予定。」 「『ソルフェリノ』は?」 「『シオン』と供に『夕暮』にて目撃情報あり。『巨星』が落ちたもよう。」 「了解。そう・・・・やっぱり彼は死んだのね。」 「どうしますか?」 伺うように主を見返せば、真っ赤な唇で弧を描き妖艶な笑みを浮かべていた。 「決まっている。早朝、『オルドローズ』へ伝達。」 彼はこのカラクリに気付くだろうか・・・。 * ダングレストを覆う結界魔導器の術式が光りをおび、暗闇に浮き出て綺麗だった。 今日は大人しく眠れそうにない。 ユーリは1人、橋の欄干に背を預け、夜空を見上げていた。 漆黒に艶めく髪は、この土地独特の湿気の多い風により、さやさやと揺れている。 『てめぇら!』 『これからはてめぇの足で歩け!てめぇらの時代を拓くんだ!いいな!』 数時間前、ギルドの掟のもと、自ら命を落とした偉大なる白髪の老人の言葉が頭から離れなかった。 「ドン・・・・あんたの感覚が手からちっとも消えてくれねぇよ・・・。」 ユーリはふと、自分の左手を見つめ独り言のように呟いた。 ドン・ホワイトホース。 全ギルドの頂点に立つ大統領。 彼は今日、自らの腹を切り、死んだ。 彼の孫であるハリーが偽情報を掴まされ、五大ギルドの一つ『戦士の殿堂』を協力者と供に奇襲、その結果『戦士の殿堂』の統領(ドゥーチェ)、ベリウスを死なせてしまった。 ドンはその責任をとり、自らの命を差し出した。 ユーリは切腹を決めたドンの介錯を行った。 偉大なるドンの首を落す役目を、ギルドの人間で名乗り出るものはいなかったからだ。 人を殺す事に慣れたわけじゃない。 だが、あの時の自分に迷いはなかった。 『なんでもできるユーリには、僕の気持ちなんてわかりっこない!』 『僕はユーリみたいに強くないんだ!!』 『僕はドンみたいになれないんだ!!!』 尊敬するドンを亡くし、落ち込むカロルから発せられた言葉。 強くなんかない。 けっして、自分は強くなんかないんだ。 『あなたの『罪』は、私の『罪』。あなたの『痛み』は、私の『痛み』・・・・・。だから・・・一人で抱え込まないで。』 『私は、ユーリの味方だから。』 今の自分を支えてくれているのは、あの時の彼女の言葉だ。 あの言葉を耳にした時、両肩にのしかかる重みから開放された気分になった。 誰かが自分の存在を認めてくいれている。 許してくれている。 それはとても心地よく、安心感に包まれていた。不思議だった。 幼き頃より身近にいた下町の皆、幼馴染、旅の仲間たち。 そしてその中に、彼女という存在がいつの間にか『別に』心の中にあった。 「ロゼ・・・。」 今どこで、何をしているのだろう。 そんな事を考えていた時自然と彼女の名前が口をついた。 「青年〜、たそがれてるわねぇ〜。」 「うわっ!?レイヴン!!」 惚けていたせいか、すぐ近くまで来ていたレイヴンの存在に気付く事ができなかったユーリは、珍しく焦りと動揺の表情を浮かべている。 「何だよおっさん!いきなり声かけんなよっ!」 「いやぁ〜ねぇ〜、青年が誰かさんを思い出して憂いでるからチョット・・・・。」 「そんなんじゃねーよ!」 「その動揺具合からして説得力ないから。」 慌てふためくユーリの隣に、ニタニタ顔のレイヴンが並ぶ。 「べ、別に俺はロゼの事なんかな・・・。」 「誰も『ロゼちゃん』なんて言ってないわよ?」 「!!?」 暗闇でよく見えないが、きっと顔を赤くしてると思われるユーリの反応に、もう少しイジリ倒したい気持ちもあるが、それをグッと我慢してレイヴンはある話題を口にした。 「ロゼちゃんて本当は、帝国騎士の人間でしょ?」 予想外のレイヴンの言葉に、先程とは違う意味で驚きの表情を見せるユーリ。 「これでもね、おっさん情報屋だからね、結構騎士団について詳しかったりするんだよね。」 「へぇ〜・・・・知ってって今まで黙ってた、てワケ?」 「そうね。最初は嬢ちゃんの見張り役とかかと思ったけど、違ったみたいだし、何か青年は知ってたみたいだし。」 「俺は・・・・ロゼから聞いてたから・・・。」 あきらかに貴族のお嬢様離れした戦闘力と、統率力に疑問を持った事が切欠であったが、レイヴンのように洞察力のある人間は気付く事かも知れない。 何せ、彼女は嘘が下手だったのだから。 「ロゼちゃんは帝都に戻ったみたいね。」 「あぁ、騎士団を変えたいって言ってたな。」 「彼女らしい。」 瞳を閉じ、考え深そうにレイヴンがこぼす。 「ロゼちゃんの本名は、ロゼティーナ・スフォルツァ。母親が先の皇帝陛下の妹であらせられる。」 「じゃ、エステルとは遠い親戚なのか?」 「そうなるわね。嬢ちゃんの方は知らないみただけど。」 エステルの今までの行動を見る限り、彼女の正体を知っているようには見えない。 「父親のハンデがあったとしても、身分を重要視する帝国騎士において、今じゃロゼちゃんは一大隊をまとめる隊長様よ。」 ま、本人の力量もあったとは思うけど。 とレイヴンは付け足した。 「後は・・・・優秀な参謀官様のおかげ、かしらね。」 「本当に詳しいんだな、おっさん。逆におっさんの方があやしいくらいだぜ。」 「いやぁねぇ〜。俺は青年に伝えたい事があっただけよ。」 ペラペラと、雄弁に話すレイヴンに疑いの視線を送るユーリ。 「何だよ。」 「ロゼちゃんを連れ戻すなら今しかないって事。」 「どう言う意味だ?」 レイヴンの意味深な言葉に、ユーリは訝しげな表情を浮かべる。 「おそらくロゼちゃんは命令違反、ないし何かしらの理由を付けられて処罰される可能性があるって事。」 「何故、そんな事を今俺に言うんだ?」 「後悔するんじゃないかと思ってさ、彼女を引きとめなかった事を。」 後悔? 何に後悔すると言ってるんだ? 『ねぇ、ユーリ。私が・・・・。』 彼女の決意の話を聞いた日。 あの時彼女は何かを言いかけなかったか? 嫌な考えが頭を巡り、それを吹き飛ばすようにユーリ大きく首を振った。 「おっさんはロゼが死ぬって言いたいのか?」 「可能性の話をしているつもりよ。帝国は規律が厳しいって話だからさ。」 命令違反・・・・ましてや彼女は帝国に対して戦いを挑むと言っていた。 だが・・・・。 『また、会えるんだろ?』 そう問いかけた自分の言葉に彼女は。 『えぇ、また会いましょ。』 「俺はロゼを信じる。ロゼはロゼの道を進むと決めた。なら俺はギルドとしてけじめをつけるために、予定通りジュディを追ってテムザ山へ行くだけだ。」 ノードポリカを船で脱出した後、ジュディスは船の動力である駆動魔導器を破壊して竜の様な魔物に跨り飛び去ってしまった。 ジュディスにどんな事情があるにしても、彼女はギルド『凛々の明星』のメンバーだ。 ギルドの掟を破った者には罰を与えないといけない。 「青年も律儀だね。」 「信頼してるんだよ。俺が惚れた女はそう簡単に死んだりしないってな。」 「うわっ!開き直ったわよ!大胆発言よ!」 「何とでも言えっ!」 自信満々の笑みで答えるユーリに、安堵したような表情を見せるレイヴン。 「青年がそれでいいならもうおっさんは何も言わないわよ。」 「気ぃ使わせたみたいで悪かったな、レイヴン。」 「ドンのお礼もあるしね。青年への貸しがどんどん増えていくわね。」 ワザと大き目のため息をつき、肩を落しレイヴンが歩き出した。 「青年も早く寝るのよ。」 背を向け、片手を振りながらレイヴンは宿屋へと戻って行った。 それを見送り、再び夜空を見上げたユーリは、どんな星々よりも強く輝く一番星を見る。 「ロゼ・・・。俺は信じてる。」 また、再会できる時を。 * 今日の帝都は珍しく雨だった。 朝の出勤時間になっても、相変わらず執務室に現れない上司に、ミレイナは呆れにも似たため息をこぼし、本日中に提出可能な書類の束をまとめていく。 もうあの人は当てにしない。 そう思った方が気持ちが落ち着き、いちいちイラついたりしなくてする。 そんな事を考えてた時、遠慮なく大口あけてあくびをしながら使えない上司が執務室へと入ってきた。 「今日はお早いようで。」 嫌味を込めてミレイナが話しかけると、眠そうな顔をしながらヴィンセントがこちらへ視線を向けた。 「あ?早かったか?じゃ明日はも少し遅めに来るか。」 「あなたって人は・・・!」 ああ言えばこう言う、ダダをこねた子供かと思う程、屁理屈ばかり口にするヴィンセントに本日二度目のため息が出る。 そんなやり取りをしていた時、不意に執務室の扉がノックされた。 「ヴィンセント様はもういらっしゃってますか?」 遠慮がちなノックの後に、綺麗な金髪のメイドが両手一杯にピンク色のガーベラの花束を抱えて部屋へと入って来た。 「これ頼まれ物です。」 「わざわざありがとう。朝から君の様な素敵な女性の笑顔が見れて俺も嬉しいよ。」 「まぁ、ヴィンセント様ったら。」 先程まで大口あけてあくびをしていた、眠そうな男は一瞬で何処かへ飛び去り、朝から虫唾が走るクサイ台詞を吐く上司をミレイナは完全に無視する事に決めた。 頬を染め、恥ずかしげにメイドは花束を渡し執務室を後にした。 メイドが去った後、ヴィンセントは花束をかき分け、中心の一本のガーベラの茎にくくり付けてあった一枚の手紙を探し出した。 「情報屋からですか?」 いつもの女達からのプレゼントかと思っていたミレイナは、上司が手にした手紙を興味深げに見つめた。 「バラじゃないところを見ると、姫君からの手紙ではないみだいだな。」 几帳面に折りたたまれた手紙を解き、書かれた文面を読む。 ≪『シュリンプ』は海の見える街で摘み取られた。 私は大きな丘の上にある家へと、花瓶に入れられて運ばれる。 私は『アリス』の手で摘み取られた。≫ 文面を追うヴィンセントの表情が険しくなっていく。 「どう、されました?」 先程まで気の抜けたようなふざけた表情はどこにもない。 彼は完全に「怒って」いた。 「あのヤロー・・・・そう言う事か!!」 グシャリと手紙を拳で握り締め、弾かれたようにヴィンセントが執務室から飛び出して行った。 「お待ち下さい!どうされたんですか!」 走るヴィンセントの後を追い、ミレイナも部屋を出た。 男女の足の速さはあきらかで、全速力で追いかけるも、ミレイナが追いついた時には馬小屋の前で一頭の馬にヴィンセントが跨っている時だった。 「どこへ行かれるのですか!?」 必死で馬を止め、ヴィンセントの行く手を塞ぎ、怒鳴るようにミレイナが問いかける。 ヴィンセントは苛立ちを抑える事ができないのか、怒りで手を震わせている。 こんなに感情をむき出しにするヴィンセントを初めて見たミレイナは、戸惑っていた。 彼女の必死な表情に、少し冷静さを取り戻したヴィンセントは、大きく一息つくと、なるべく冷静に手紙の内容を口にした。 「ハンスの野郎が裏切った。ロゼを拘束し、帝都へ向かっている。」 第5話へつづく・・・。 [*prev] [next#] |