皇帝の居城を戴く帝都ザーフィアス。 天気は晴天。 非番にはもってこいの日和の中、エリオットは生真面目に書類整理に勤しんでいた。 自身の隊の隊長が不在の今、少しでも多く雑用を片付け、彼女の負担を減らそうと言うのが彼の考えだ。 20枚程度書類を束ね、市民街へと出掛ける数人の騎士とすれ違いながら、エリオットは公印を貰う為、彼女が使っていた執務室へと急ぎ足で向かった。 彼女が不在の間は、参謀官であるハンスが隊長代理を務めている。 つまり、ハンスに印を貰うわけだが、これがなかなか印を押してはくれない。 書面に誤りがあっての訂正ならいざ知らず、字が汚いだの、もう少しバランスよく書けないのかと内容外での訂正があり、かれこれ何度目の書き直しか既にわからない。 だが、真面目なエリオットはこれも勉強だと嫌な顔一つ見せず、もくもくと言われるままに描き直すのだった。 薄っすらと額に汗が滲み出した頃、ようやく執務室に到着した。 資料を参照する為、書籍が納められている書庫から足を運んだからだ。 息を整え、服装に乱れが無い事を確認すると、軽く拳を作りゆっくりと扉をノックする。 「はい。開いておりますので、どうぞ。」 聞きなれた気だるげな返事ではなく、はっきりとした若い女性の声が中から聞こえてきた。 しかも、聞き覚えのある声だ。 「?失礼します。」 部屋は・・・・間違っていない。 一応周りを確認し、エリオットはゆっくりと扉を開け、中に入った。 「あれ?何やってんだヴィンセント。ハンスさんの真似事か?」 中に入り、真っ先に目に付いたのは、隊長の机にてもくもくと書類にペンを走らすヴィンセントの姿だった。 「うっせー。邪魔するとお前にもやらせるぞ。」 「??」 いかにも不機嫌な形相で、チラッとエリオットに視線を送ると、再び書面に戻し、おそらく臨時で置かれた隣机に座る副官のミレイナへ書類を回す。 「ハンス様は御用があって、外出されています。その留守の間、小隊長殿が代わって執務にあたっています。」 いまいち状況が理解できていないエリオットに、ミレイナが渡された書類をまとめながら説明してくれた。 「お前・・・・何かやったのか?」 恐る恐る近づきながら、エリオットはヴィンセントに話しかける。 あの、神経質なハンスが自身の仕事を任せて外出? しかも、任せた相手が言っちゃ悪いが、不真面目で適当で、面倒くさがりなヴィンセントだ。 これは嫌がらせのなにものでもない。 不満ながらも、大人しく言われるままに執務をこなしていたヴィンセントだったが、どうやらエリオットの言葉がイラっときたらしく、書面を走らせていたペンを力任せに机に叩きつけ、ギロリと睨みつけてきた。 「お前も共犯だろうがっ!!!」 「あぁっ!!」 ヴィンセントの言葉に、何が理由でこの様な状況になったのか理解したエリオットは、両手を叩き納得の表情を浮かべた。 「くっそぉ〜・・・・あの陰険眼鏡ヤロー・・・・珍しく何も文句言わねーと思ったら、こんな嫌がらせ企んでやかって・・・!」 どうやら事の発端は、我ら隊長様不在理由について、らしい。 エアル異常を調査するため、隊を離れ単独行動に出た隊長。 それはヴィンセントの提案であり、急遽決まった事・・・・であった様にエリオットは覚えていた。 彼自身は、たまたまそんな話をしていた二人を見かけ、話の内容を把握する事ができたが、隊の中で隊長の次に権限のある参謀官のハンスは事後報告になっていた。 どうやらそれが面白くなかったらしい。 ならば報告した時に言ってくれればいいのだが、そこは捻くれ者のハンス。 「では、彼女が戻るまで私が代理と言う事ですね。」と、あっさりと事情を飲み込んだ。 今思えば、内容とは関係無しにダメだしをしてきたのも、報復だったのかもしれない。 しかも、手間をかけさせる事でどんどん仕事を溜めさせ、最後の最後は全て丸投げすると言う二重構造の嫌がらせ・・・。 「お・・俺も手伝うよ。」 全てを理解したエリオットは、手伝おうと手に持っていた書類を机に隅に置いた。 「いいえ、エリオット殿には別に仕事を申し付かっておりますので。」 少々お待ちを。そう言ってミレイナは隣接された小部屋へと姿を消した。 「おい、ミレイナは何時からハンス殿の秘書になったんだ?」 彼女の姿が消えたのを確認し、小さな声でエリオットがヴィンセントに訊ねる。 「ネたんじゃねーか。」 その質問に興味ない、と言わんばかりに不機嫌に答えるヴィンセント。 そこへ、バンッ!と大きな音をたててエリオットの前に何冊かの本を差し出すミレイナ。 「自業自得という言葉を存じ上げませんか?」 美人が怒ると怖さが増す、と言うがまさに今のミレイナは額に角が生えたような鬼の形相で二人を睨みつけていた。 「スミマセンでした・・。」 蛇に睨まれた蛙のごとく、二人は絞り出すような声で謝罪の言葉を口にしたのだった。 * 「隊には帝都に戻る前の補給休憩だと伝えてあります。しばらくお待ち頂ければ、船外へ出れますので・・・。」 さすがというか、帝国騎士愛用の軍船は民間船と比べ、2日近く早くノール港に到着した。 あの晩以降、フレンは私のところには来なかったので、約2日ぶりくらいの対面になる。 「色々ありがとう。助かったわ。」 私が礼を述べ、握手を交わそうと右手を差し出すと、一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐに手を握ってくれた。 「いえ、私のできる事はこのくらいですから。」 「あなた、帝都に戻った後はどうするの?」 これは探りとかではなく、純粋に疑問に思ったので口にしたものだ。 「騎士団長に報告の後、次の命令を待ちます。」 「そう・・・。」 「と言うのは建前で、私もできる範囲で騎士団長について調べてみようかと思います。」 「!?」 彼から発せられた言葉に驚き、彼の顔を仰視した。 「本当は『そう』なんですよね?」 彼の表情は穏やかで、薄らと笑みを浮かべている。 「バレてたの?」 「いいえ、今ので確信しました。」 「!!」 はめられた・・・・。 そう気付いた時には既に遅し。 握れてた手に力が込められたのを感じる。 私の顔は動揺のあまり、薄っすらと汗が滲んでいた。 「やはり、あなたは命令外の行動をとっているのですね。」 彼の表情は何一つ変わらない。 「それで?私を捕らえ騎士団長様に突き出す?」 格下の騎士にこれ如きで動揺するな。 そう自分に言い聞かせ、表情を引き締める。 もしもの時を考慮し、いかにしてこの場から逃げ出すか、そんな事を考えていた時、不意に彼はゆっくりと握っていた手を離し、小さくため息をついた。 「以前の私なら『そう』してました。ですが・・・・私も今自分がどう行動すればいいのか、わからないんです。」 自嘲味に彼は話した。 『お前、何やってんだよ。』 『街を武力制圧って冗談がすぎるぜ。任務だかなんだが知らねぇけど、力で全部抑えつけやがって・・・・!』 『それを変えるために、お前は騎士団にいんだろうが!こんな事俺に言わせんなっ!お前ならわかってんだろ!!』 『何とか言えよ・・・・これじゃ俺らが嫌いな帝国そのものじゃねぇか!!』 「ユーリの言葉ね。」 去り際に彼にぶつけたユーリの言葉。 相当堪えたのだろう・・・・眉をひそめ、悲痛な表情をフレンは浮かべた。 「はい。自分は権力だけが全て・・・・そんな帝国を変えたくて、彼と分かち騎士に残りました。ですが、命令を遂行し、地位を上げるその事に固執していたのではないか・・・・と。」 「規律を重んじる騎士にとって、あなたの行いは正しい事よ。間違えではないわ。でも・・・・そうね、臨機応変に行動する事も大切よ。守るべきものは何か、それを見失ってはいけないと思うの。」 上に言われるままに、己の信念を殺し帝国に尽くすのが騎士の誉れであるならば、私の言っている事は騎士として誤りなのだろう。 だが、上からの命令だからと守るべき市民を迫害し、命令のままに行ったまで、自分には非は無いと開き直る事は間違いだと思う。 「自分が目指す騎士の姿を忘れない事ね。私は、父を尊敬しているわ。父の様な騎士になりたい。だから、アレクセイの行いが許せない。ただ、それだけよ。」 「目指す騎士・・・。」 「大丈夫よ。その事に気付く事ができたあなたなら道を誤る事は無いわ。」 そう言って、私は彼の肩を優しく叩く。 「やはり、あなたは凄い人ですね。」 「そんな事ないわよ。私だって、迷いながらここまで来てるんだから。」 彼を励ます事ができたのか、不安げな表情だったフレンに笑顔が戻った。 「騎士団長と戦われるのですか?」 「そう、ならない事を願ってはいるけど、時と場合によっては戦う事になると思うわ。」 「あなたとは・・・・できれば戦いたくない。」 「あら、私の味方についてはくれないの?」 クスクスと笑いながら冗談っぽく私が話すと、困った顔でフレンが肩を竦めた。 「本当に敵わないな。」 「伊達にあなたより長く生きてはいませんからね。それじゃ、私はもう行くわ。仲間が待っているはずだから。」 そう言って、彼の横をすり抜け出口へ向かおうとした時、不意に彼の手が私の腕を掴んだ。 「御武運を。」 「それは、あなた次第よ。フレン。」 「え?」 私の言葉に驚くフレンを残し、私は船を降りた。強大な敵、アレクセイに戦いを挑むとなれば、少しでも多く仲間が欲しい。 フレン隊が、仲間に加わってくれる事を願い、私は彼に言葉を残した。 「それはさて置き、ヴィンスはまだ来ていないのね。」 時は既に夕刻を迎えようとしていた。 赤く染まった太陽が西へと沈み、既に東の空には三日月型の月が薄っすらと見える。 私はノードポリカに到着した晩、ベリウスとの面会前に帝都に向けて一通の手紙を出していた。 私が出発する2日前に、ノードポリカを出た計算になるので、まだ帝都に届いていないのかもしれない。 (仕方ないわ。宿屋で待つしかないわね。) そう思い、宿屋へ足を向けた時。 「あのバカでなくて悪かったですね。」 後方から聞き覚えのある声が話しかけてきた。 この声。 この口振り。 この口調。 (・・・・・・ま、まさか。) 私は恐る恐る振り向いた。 そして、つま先からゆっくり視線を上げ、首まできた所で、綺麗に切り揃えられた薄い青色の毛先が見え確信を得る。 「久しぶりね。リュイ。」 「お久しぶりです。ロゼティーナ様。」 そこには、優雅に佇む我らが参謀官殿が居た。 第3話につづく・・・・。 [*prev] [next#] |