夢から始まるラブストーリー・後編


ある時、ジョニーに一週間の予定を聞かれて答えたところ、何故か息の詰まるような顔をされた。

「君は本当に、毎日そんな忙しい日々を送っているのか」
「別に今に始まったことじゃない。もう慣れた」
「だが…、…そうか。では、そんな多忙な中で君は私のことを毎週待っていてくれたんだな。随分と待たせてしまった…」
「…待ってたのは私の勝手よ。あれは約束でも何でもなかった。ただ私が呼び出して、あなたが応じてくれただけ。罪悪感を抱く必要はないわ」
「さて、そう割り切れるものではない。……君は私が手紙を無視するとは考えなかったのか?」
「さぁ…。それこそ、割り切れるものじゃないわ。私にはそうするしかなかったから」

先祖から受け継いだ宿命は呪いのようにわらしの世界を縛ってしまった。死んだ母親でさえ、常々手紙のことを気にしていたくらいだ。割り切りたいと思っても割り切れるものではなかった。それがわらしに残されたたった一つのルーツでもあったから。
わらしの母親はできれば娘に引き継がせる前に自分が役目を終えてしまいたいと考えていたようだが、惜しくもそれは叶わなかった。あと少し長生きできたのなら、一緒にジョニーに会うことができただろうに。そう思うと残念でしかない。

「…でも、三カ月で来てくれて助かった。あと五か月したら引っ越さなきゃいけなかったから、その時にはまた手紙を出して……場所を変更する必要があった。毎週その場所に行けるとも限らなかったし」
「引っ越す?」
「卒業したら就職して引っ越すの。寮付きの工場に」
「な…っ!」

唐突なわらしの将来を聞かされて、ジョニーは驚かずにはいられなかった。もうすぐ卒業だという話は今までの会話で何となく察していたが、その進路にはノータッチだったからだ。これだけ忙しい中勉強もしているようだから、てっきり進学するとばかり思っていたのだが。わらしの考えはいつだってジョニーの予想を裏切る。

「…初耳だな」
「そうね。今言った」
「進学する気はないのか? 君なら、奨学金で好きなところに行けるだろう」
「その為にこれ以上借金を増やせと?」
「いや、そうは言ってな…」
「…別に、借金してまで学びたいことがある訳じゃないからいいの。一人で背負えるものには限界があるってよく分かっているから。だからって、誰かに頼る気もないし」
「………」
「あなたが来てくれて、ある意味本当に助かった。寮に多くは持って行けないから」

先祖から引き継いだ役目を終えた今となっては、わらしの足枷になるようなものは何もない。手紙と共に受け継いだ遊星に関するものは全てジョニーが引き取ってくれるというし、これで心置きなく自立できる。死んだ母親の事件は気になるが、そちらは何か情報が入り次第わらしの元に届くだろう。彼女が生きている限り。

「就職か…。それが君の選んだ道ならば、私は何も言わない」
「文句があったら最初から選ばない」
「実に潔い、君らしい」
「お褒めの言葉をありがとう。でも実際、これで本当に自由になれるの。文句なんてないわ。今までは学校のことがあったからバイトもセーブしなきゃいけなかったけど、その心配もなくなる…」

毎日働いて母親の借金を返して。国からの援助もなくなることだし、一人で生きていくには賢明な判断をしたとわらしは思っている。
けれどジョニーの方は口ではあぁ言いつつもわらしの境遇を割り切れず、ついつい本音を求めて口にしてしまう。

「…わらしの夢は? 何かないのか?」
「…ないわよ、そんなの」


ジョニーは少し悲しくなった。お金がなかった遊星たちでさえWRGPで優勝するという夢を抱いていた。そしてそれを叶えてみせた。わらしに見せてもらった写真の中の遊星たちはとても幸せそうな様子で、満足しきっていた。あの時のトロフィーもまだある。
だが、今のわらしにはそれがいかに些細なことであろうと、自分の夢を抱くことは叶わない。否、抱こうという気持ちがないのだ。希望を失っている。
彼女の境遇を鑑みれば無理もないことだと分かりつつも、ジョニーは諦めたくなかった。夢は生きる希望だ。
ふと、今ではない子どもの頃はどうだったのだろうという考えがよぎった。誰しも子どもの頃は夢を抱いているはずだ。無邪気で絶対的な希望を抱いている子どもの頃になら。
そして特に深く考えもせずに、それを口にした。


「…、子どもの頃の夢は? 君は何になりたかったんだ?」
「…!」


何気なく、本当に何気なく質問を投げかけたジョニーだったが、わらしはポッと顔を赤らめて視線を逸らしてしまった。

「?」

突然のわらしの豹変にジョニーはどうしたのか不思議に思う。けれどいくら聞いたところで、わらしは決して答えようとしなかった。

「わらし?」
「な、何だっていいじゃない…子どもの頃の夢なんて!」
「そうか。だがもしその頃の夢がまだ君の中に残っているのなら、諦めずに努力してみるのも良いんじゃないか」
「か……勝手なこと言わないで! そんな、そんな…!」

まるでゆでだこのように真っ赤に染まったわらしの顔を見て、ジョニーは心なしか安心した。どうやら彼女にも何か心に秘めているものがあるらしい。そしてそれがどういった類のものなのかは、心の機微に聡いジョニーにはおおよその見当がついた。

(こんなに動揺するとは…よっぽど思い入れのある相手がいたのか)

わらしの反応を可愛らしいと思う。その反面、わらしが今そういった相手を連れてきた時、素直に喜べるかどうかで悩んだ。わらしが選んだ相手ならば無条件に祝福してやりたい。だが、その時自分は素直に喜べるだろうか?本当に彼女を幸せにしてやれる相手なのか?
自分の娘でもないのに、ジョニーにはそのような考えが頭に浮かんでしまった。遊星の子孫だから気になると言ってしまえばそれまでだが、普段は素っ気ないのにたまに垣間見える豊かな表情や、日常のさりげない仕草に、気付けば親愛以上のものを抱いてしまっている。月のように美しいわらし。まさか、彼女はまだ十代の娘なのに…。
考えてはいけない、とジョニーは自分を戒めた。

「……その時が来たら私にも紹介してくれ」
「っ、だから! 何でそんな勝手に…!」

抗議しようとして、自分の発言に撃沈し。珍しくしおらしく俯いてしまったわらしに、ジョニーはどうしようもない愛おしさを感じながら心の中で笑った。




さて。ジョニーがわらしのいる街に来てから早一カ月が経った。
いくらオフシーズンとはいえ、完全なる休暇にできるほどプロの世界は甘くはない。ジョニーはわらしが学校に行っている日中は近くのジムでトレーニングをし、夜はわらしの為に手料理を仕込みながら家事をこなした。最初は「こんなことをしてもらう理由がない」と断っていたわらしも、今やジョニーの作る料理を楽しみにしている。それでも材料費は折半だと言って聞かない彼女の為に、ジョニーは毎日特売チラシと睨めっこしている。

(まさか遊星たちと暮らしていた経験がこんなところで活きるとはな…)

人生分からないものである。
そして今日、わらしのバイトが唯一休みの平日に、彼女は帰宅が少し遅くなると言っていた。理由は特に聞かなかったが、わらしのことだから用が終わればさっさと帰ってくるだろう。
夕方、スーパーでの買い出しの帰りにジョニーは街中を歩いているわらしの姿を見かけた。どこか機嫌良さそうに笑っている。…同じ学校の学生服に身を包んだ見知らぬ男子生徒を横に引き連れて。
ジョニーの機嫌は急降下した。





「ただいまー」

いつも通り帰宅したわらしは、コートを脱ぎながら料理に勤しむジョニーの背中に向かって声を掛けた。

「良い匂い…今日は煮込みハンバーグ? 外が寒かったから嬉しい」
「………」
「もしかしたら今夜雪が降るかもね。気象予報でもそんなこと言ってたし…」
「………」
「あ、そうだ。実は今日ね、」
「こんな時間までどこに行っていたんだ?」

え?とわらしが目を丸くする。自分でも随分重い声が出たと思った。失敗した。そう思うのに、一度開いた口は止まることはなかった。

「こんな時間まで、高校生が外出するべきではない」
「……今日は遅くなるってちゃんと伝えたはずだけど。それに、バイトの時はもっと遅くなるし…」
「そもそもバイトの時間だって私は納得していないんだ。私が迎えに行かなければ君は一人じゃないか」
「っ、それはあなたが勝手にそう思ってるだけでしょ? 私は遊んでるわけじゃないし、生活の為に必要だってことは分かってくれてると思ってた…!」
「そんなことをしなくても経済的な援助なら私がいくらでもすると…」

そこまで言いかけた時だった。バシンッとわらしの鞄が思いっきりジョニーの背中目掛けてぶつけられる。

「っ、何を…!?」

さすがに頭に来たジョニーが振り返れば、そこには予想もしなかった表情のわらしが立ち尽くし、ジョニーの顔を正面から睨み付けている。両目に大粒の涙を並々と溜め込みながら、顔を真っ赤に染めて。唇は怒りで震えている。ハッと気付いた時にはもう遅い。

「わらし、私は…」
「何よ! そんなに私のこと子ども扱いして! 不幸な私を哀れんで、同情して、親切にしてみせて…あなたはさぞかし気分が良いでしょうね! でも私は最初っからあなたのことなんてあてにしていないし、そうやって子ども扱いされるのが大っ嫌いなのよ!」
「っ、子ども扱いなど…」
「嫌い、嫌い、……そんな優しさ、大っ嫌い!!」
「わらし…!」

ガタッと大きな音を立てて、わらしは家から飛び出した。伸ばした腕は虚しく空を切るだけ。

「……クソッ、何をやっているんだ、私は…!」

悪態を吐いたジョニーはエプロンを外し、すぐに追いかけようとした。が、ここでスマホに呼び出しが掛かる。何だってこんな時に…と思うが、相手はマネージャーのアレックスで、むやみやたらに無視する訳にはいかなかった。
深く息を吐きながら苛立ち混じった声で応対すれば、彼からもたらされた情報に急激に意識が引っ張られた。

「何、それは本当か…!?」

思わず歓喜の声を上げれば、電話口の相手も同様に明るい声で続きを話してくれた。






ジョニーに感情をぶつけ、着の身着のままで家を飛び出したわらしは、しばらくあてもなくさ迷い歩き、結局通学路にある小さな公園に落ち着いた。
冬場の夜とあって辺りは閑散としている。人はおろか、猫一匹の気配すらしない。痛い程の静寂の中、少しでも暖を取ろうと思って遊具の中に入り込む。すっかり成長したわらしの体では子供用の遊具は狭く感じたが、今はこうして隠れていたい気分だった。一人になりたい。

(…どうして、こんなことになっちゃったんだろう…)

両腕で膝を抱えて考え込む。

(……本当は、あんな風に言うつもりは無かったのに……ジョニーがあんなことを言うから、つい……)

鞄を投げつけた時のジョニーの顔を思い出して後悔する。実に幼稚な行動だった。これでは子供扱いされても仕方ないと思う。

(…あの人が私のことを心配してくれてるのは分かってる。でも、お金の話をされるのは嫌……あの人は私が遊星の子孫だから優しくしてくれてるの……そんな人の手を借りたくはない…)

ジョニーはわらしと話している時、わらしの中に少なからず遊星を見出している。初めて会った頃はあまり意識をしていなかったようだが、最近はわらしのことをよく観察しているようで、仕草一つ一つに意識を持たれていると感じる。その気配を察知すると、わらしは緊張を抱くのと同時に僅かな不快感さえ感じるようになった。彼にとって大切なのは仲間の遊星であって、わらしではない。それを思い知らされる。
そして同時に、彼はわらしに対して変な使命感を負っている。大切な友人の子孫だから、間違った道は歩ませたくない。責任を持って育ててみせる。そんな潜在的意識が伝わってくるようだった。
だから今日、わらしの帰宅が遅くなったことにあれだけ怒っていたのだ。もし自分に父親がいたらこんな感じだろうか。料理を作って、迎えに来て、心配してくれて。深い愛情に包まれる。
しかしジョニーとはそこまで歳が離れていないので、どちらかといえば、昔読んだ漫画に出て来た口うるさい親戚ポジションかもしれない。わらしは自虐的に笑った。

(……でも、私はちゃんと連絡してたし……仕方ないじゃない…。今日くらいしか、時間なかったんだから……)

寒さに震えながら、ブレザーのポケットからそっと小さな包みを取り出す。不透明な包みの中身は、ジョニーに渡そうと思って準備していたものだ。これを手に入れる為に今日は授業が終わってからわざわざ電車に乗って遠出したのだが、それが裏目に出てしまった。
いっそ、こんな余計なことをしなければ良かったのかと、わらしはつんとする鼻を啜りながら包みをポケットに戻した。残念だけどこれはもう用無しだ。付き合ってくれた友人には悪いが、ジョニーの手に渡ることはない。
冷える手を擦りながら空を見上げれば、夜の帳をどんよりと分厚い雲が覆っていた。そのまましばらく見つめていると、ちらほらと白い何かが降ってくる。雪だ。

「……気象予報、当たっちゃったじゃん…」

降り始めの雪は粉雪のように静かで軽く、ゆっくりとしたスピードで地上に降りてくる。そして遊具の隙間からわらしの頭に降り注いで、しっとりとその髪を濡らした。冷たさが直接触れる。
掌に落ちて来た一つを掬って、わらしはこれからどうするべきかと頭を悩ませた。
ジョニーの待つ家に帰るのには抵抗があるが、かと言って他に行くところもない。友人に連絡しようもの、スマホは鞄の中だ。持っているのはわらし同様行き先を失った包みだけ。
ただでさえ薄着なのに雪まで降ってきてしまって、状況は想像以上に悪かった。時間が経てばさらに悪くなるだろうことは明白で、わらしは困ったように目を閉じた。寒いから眠れる訳じゃない。でも、少しだけ疲れた。



「―――! ―――、わらし…!!」

聞きなれた声が耳に届いたのは、それからしばらくしてからのことだった。





「………ジョニー?」
「わらし! やっと見付けた……こんな真冬に何故こんな真似をする!」
「……だ、って…」
「こんなに冷えてしまって…唇も真っ青じゃないか…。怒って君が出て行くくらいなら、私を追い出せ!」
「…それは……ちょっと……」

ジョニーの若干ずれた指摘にわらしは思わず体の力を抜いてしまった。それと同時に上手く笑えないくらいに体がこわばっていることに気付き、ショックを受けた。真冬の冷気を受け過ぎた体は想像以上に弱っている。このまま意地を張って帰らなかったどうなっていたか…。そう思うと、ジョニーが迎えに来てくれたことは嬉しかった。きっと、一人じゃいつまで経っても勇気が出なかったから。

「……、ごめんなさい……私、あんな風に怒ったりして…」

遊具から引っ張り出され、ジョニーの腕に抱きしめられてわらしは急に素直になった。謝罪の言葉を口にすれば、「謝るのは私の方だ」と返されてしまう。

「君に話したいことがあるが…、まずは家に帰って体を温める必要があるな」
「ん…」
「すぐ傍に車を停めてある。歩けるか?」

わらしが頷いたのを見て、ジョニーはわらしの体を抱えるようにして連れた。
そして、わらしの家出はたった数時間で幕を下ろした。




◇◆◇◆◇◆◇◆


帰宅後、わらしは早々に風呂に入れられ、出て来た頃にはホットミルクを用意したジョニーが待っていた。入浴によってすっかり体温を取り戻したわらしは、さらに内側から熱を取り込む。はふ、と熱を冷ましながら座ると、ジョニーも同じ様に座った。ローテーブルを挟んで二人は向かい合う。

「すまなかった」

まず謝ったのはジョニーの方だ。わらしはマグカップをテーブルに置いて俯いた。

「私も……ごめんなさい。あんなことして…」
「わらしが謝る必要はない。私があんな言い方をしたのが原因なのだから」
「でも…」

さらに否定しようとしたところ、ジョニーは首を振った。

「この話を突き詰める前に、君に伝えたいことがある」
「?」
「……君のお母さんをひき逃げした犯人が捕まった」
「!」

突然の朗報にわらしは勢い良く顔を上げ、目の前のジョニーの顔を凝視した。

「そんな、本当にっ? でも、私のところには連絡が来てな……あっ、スマホ!」

慌てて鞄に入れっぱなしだったスマホを取り出すが、着信履歴は無い。怪訝そうな顔をするわらしにジョニーが補足する。

「君のところに連絡が来るのは、早くても明日の朝になるだろう」
「どういうこと? 私は被害者家族なのに…」
「警察とは違うルートを使ったからな。警察にも多少、協力はしてもらったが。今はまだあちらも真偽の確認に奔走しているのだろう」
「それって…、あなたが探し出してくれたってこと? 犯人を…」

わらしが信じられない、といった顔で呆けていると、ジョニーは淡々と説明した。

「君の話から少し疑問に思ってね。今の時代、ひき逃げ犯が見つからないということは有り得ない」
「それは私も不思議に思ってたけど……たまたま監視カメラが壊れてたり、目撃者がいなかったからだって…」
「カメラは壊れていなかった。事件前後の映像は残っている。目撃者はいなかったが、犯人が乗っていた車を修理したと証言できる人物はいる」
「そんな…まさか…」
「すべて隠匿されていたんだ。犯人によって」
「っ……」

ジョニーの話を聞き、事件当時の感情が蘇ってきたのか、わらしは肩を震わせながら下を向いてしまった。犯人に対する怒りが湧いてくる。もし犯人がひき逃げをしなかったなら、瀕死の母親をすぐに救護してくれたなら助かったかもしれないのに。自分勝手な都合でその事実すら隠そうとしていただなんて…。
ショックを受けているわらしには酷だとは思いながらも、ジョニーはさらに続けた。彼女には知る権利がある。

「…犯人は政治家の息子らしい。金に物を言わせて口封じしたことは容易に想像できるが、証拠が揃った以上法の裁きを受けることになる」
「ひどい……自分の都合だけでそんな…。……私、その人のこと……絶対に許せない…」
「許さなくて良い。当然のことだ」
「っ、……お母さん……っ」

ついにポロポロと大粒の涙を零し始めたわらしを見て、ジョニーはそっと横に寄り添った。細い肩を抱き、嗚咽を堪える背を擦ってやる。わらしが初めて見せる泣き顔にどうしようもない感情を抱きながら、落ち着くのを待った。
わらしは泣いている顔を見られないように俯きながら、それでもジョニーのシャツを握って呟いた。

「……ありがとう。心のどこかで、もうダメかもしれないって、諦めかけていたから……あなたがいなかったら、犯人はいつまでも見付からなかった…」
「…君の力になることができて良かった」
「……十分すぎるくらい、力になってくれてるよ…いつも…」

言いながら、零れ落ちる涙を止めることはできない。ジョニーはそんなわらしの顎をそっと持ち上げ、未だとめどなく溢れる雫を指で掬った。わらしには笑っていて欲しい。
二人の視線が絡み合う。

「…こんな状況で卑怯だとは分かっているが、一つお願いがある…」
「…?」

「…私と、結婚して欲しい」



「っ!」

思ってもみなかった提案《プロポーズ》にわらしは唐突に感情を乱される。慌ててジョニーの指から逃れ、顔を背けて動揺を隠すように呟いた。

「……、私が遊星の子孫だから?」

自信のなさそうな声がジョニーの耳に届く。
ジョニーは自嘲気味に笑うと、改めてわらしの手を取る。体温を共有するとわらしは面白いようにビクッと震えた。

「この期に及んでそう思わせてしまうとは、私は自分がいかに未熟なのか痛感させられる」
「……、」
「確かに、私と君を結び付けてくれたのは遊星に他ならない。だが、私が君を求める理由はその絆によるものではない。私自身が君と新しい絆を築きたいと思っている」
「それって…」
「君を愛しているんだ。一人の女性として」

ジョニーの率直な愛の告白に、わらしは今度こそ隠しようもなく頬を染めた。





「……本当に、わたしのこと…? 嘘じゃない…?」

数秒の沈黙の後、わらしは恐る恐る尋ねた。まるで幼子が両親の愛を確かめるような面持ちで。ジョニーにはそんなわらしの気持ちが手に取るように分かってしまい、自然と笑みがこぼれる。

「嘘じゃない。君のことが好きだ。…君のことが気になって、君の友人に嫉妬するくらいには本気だ」
「……嫉妬?」
「…、今日、一緒に歩いていただろう? 同じ学校の生徒だと思ったが」
「! み、見てたの?」
「あぁ。買い物帰りにたまたまな。…正直妬けたよ。君が私以外の男と並んでいるのを見て。そのせいで君が帰宅した時に君を傷付けるようなことを言ってしまった…」
「ま、待って。その人はただの友達で…」

慌てて否定しようとするわらしの唇を指で塞ぎ、ジョニーは頷いた。

「分かっている。私も“友人”と言った。二人の仲を疑ったりなんかしていない。そんな雰囲気でもなかったしな」
「………」
「だが、帰りが遅くて心配したのは本当だ」

ジョニーの話にわらしはどこか居たたまれない気持ちになってソワソワし始めた。まさかあの現場を見られているとは思ってもいなかった。ジョニーが見たというのがただ二人が並んで歩いているだけなら良い。だが、もしその時の会話や、その後の計画を聞かれでもしたら…。
わらしは恥ずかしくなって、ジョニーの手を離した。それから、ハンガーに掛かったブレザーのポケットから、用無しとなっていた包みを取り出してジョニーの前に戻る。
わらしの行動一つ一つを見守っているジョニーに、恐る恐るそれを差し出した。

「これは…?」
「今日……帰りが遅くなった理由」
「私に? …受け取って良いのかな」

こくん、とわらしは頷いた。その返事を待ってジョニーは丁寧な動作で包みを開けた。中から出てきたのは有名な祈祷師が作っているといわれているお守りだった。

「お守り…?」
「…、もうすぐ休みも終わっちゃうんでしょ…そしたら、またレースに戻ると思ったから…」
「安全祈願ということか」
「……本当はもっと、役に立つものにしたかったけど、あなたはデュエルチャンピオンだし…スポンサーも付いていて、自分が使うものにはこだわりがあると思って。だったら、そういう、自分じゃ用意しないものがいいんじゃないかって……今日、一緒にいた友達が言ってくれて。彼のお父さん、有名スポーツメーカーの社長さんなの。それで、あなたがジョニーだってことも、気付いてた…」
「そうだったのか…」

わらしの説明でやっと話が繋がった。
ジョニーは掌に乗ったお守りを見つめてしばし無言になった。ジョニーでも知っているこのお守りは確かこの街では売っていない。通信販売は予約待ちだという噂だし、わらしはこれを手に入れる為にわざわざ遠出して遅くなったのだろう。そこまで考えると、ジョニーは今まで以上にわらしのことを愛しく思った。

「ありがとう。君は私のことを想ってくれてたんだな」
「! そ、そんなに大袈裟な意味じゃなかったんだけど…、ただ、いつもお世話になってるから……これくらいはって……」
「…嬉しいよ」
「…あっ、」

感極まったジョニーはわらしの腕を引っ張ると、勢いに任せて抱きしめた。小さな体躯はジョニーの腕にすっぽりと収まり、彼の体温も鼓動も伝わってくる。不思議と羞恥心よりも落ち着きを取り戻したわらしが体を預けると、ジョニーは益々以て抱きしめる力を強めた。

「わらし、好きだ…」
「…信じてもいいの?」
「もちろんだ。君が望むなら、何度だって言おう。愛してる」
「……私も、本当は好きだった……ずっと…」

ジョニーに惜しみない愛を与えられ、ついにわらしも応えた。自ら腕を伸ばしジョニーの背に回す。筋肉質のジョニーの体はお世辞にも抱き心地が良いとは言えなかったが、わらしは今この瞬間何よりの幸福を感じていた。彼に愛されてると実感できるのが嬉しかった。

「わらしも同じ気持ちだったのなら、もっと早く押せば良かったかな…」

ジョニーは少しだけわらしとの年齢差を気にしていた。だからと言って、遊星の子孫を理由に手放すつもりはなかったのだが。“お節介な親戚のおじさん”役は彼自身も御免だったのだ。

ジョニーが笑ったのを感じて、わらしもつられて笑った。
そして二人は顔を見合わせ、静かに目を閉じる。ゆっくりと唇が触れて距離がゼロになる。
初めてのキスはホットミルクの味がした。

>>その後

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