「―――んー…」
短い寝息を漏らしたわらしの意識は、そのまま覚醒へと移行した。顔に乗せていたアイマスクを外し、ぼんやりとした頭で辺りを見回す。密閉された空間。デンシティへと帰る飛行機の中だ。 柔らかく洗練されたシートには、すぐ隣に遊作がいる。彼は何やら本を読んでいるようで、目覚めたわらしにちらりと意識を向けると片腕だけを伸ばして頭を撫でた。心地よい体温がわらしを癒す。
「起きるか?」 「んー…。まだ少し眠くって…」 「無理しなくて良い。デンシティまではあと二時間はかかる。食事は?」 「ご飯は…いいかな。あっちに着いたら食べたい」 「そうか」 「…何読んでるの?」 「………」
遊作は何も言わずに持っていた本を渡した。表紙を見れば、見慣れた人物のご尊顔がでかでかと載っており、予想を裏切らないタイトルが書かれていた。 “『強くなったな』と言えるデュエル指導” 例のアレだ。
「……えっと、面白い?」
わらしは社交辞令で聞いたつもりだったが、「一度読んでみるといい」という返事が返ってきてしまった。これは、遊作には参考になっているのか、それともわらしの考えのなさをエドのデュエルタクティクスを学ぶことで改善させようと思っているのか。そもそも、人に教える立場にない現役世代が読んでも意味があるのだろうか。 様々な考えがわらしの中を過ぎり、1ページもめくらないままそっと遊作に返した。彼は栞を挟んだところから再び読み始める。
「でも珍しいね。遊作くんが電子書籍以外を手にしているって…」 「折角貰ったものだしな。ただで読めるならどっちでも良い」
どうやら遊作としては彼の著書は読む価値があるらしい。
(恐るべし、エド…)
わらしは中々失礼なことを考えていた。
遊作が相手をしてくれないとわかったわらしは、今度はアイマスクをしないままうとうとし始めた。機内ではこれが最後の眠りになるだろう。2泊3日の予定が、気付けば6泊以上も自宅外で過ごすことになった。しかもその半分以上があの異世界だ。 疲労も限界にきており、元の世界に戻ってきた安心感からか、わらしは帰りの飛行機の中で寝てばかりいた。遊作も同様に休息モードに入っていたが、基礎体力が違うのだろう。彼の方が回復スピードも速かった。それでも隣で眠るわらしを起こそうとはせず、一人で本を読んだりネットニュースを徘徊したりして過ごしている。珍しく機内サービスの映画も見たりして時間を潰した。
「………」
遊作は、改めて眠りの世界の住人となったわらしを見つめると、それまで読んでいた本を閉じて鞄から小さなケースを取り出した。中にはハートランドで買った指輪が収められている。 異世界に飛ばされたりして、今の今までずっと渡すタイミングが無かったものだが、ようやっと落ち着いた。渡すなら今だろう。旅が終える前には渡したい。とはいえ、当のわらしは眠っている。どうしたものか。
考えに考えた末、遊作は眠っているわらしの手を取って、その細い指にそっとリングを通した。装飾のないシンプルなものではあるが、わらしの指で不思議と輝いている……と、遊作の目には見えた。誰が何と言おうとも。 本当は起きている時に渡すのが一番良いのだろうが、これが今の遊作にできる精一杯だった。直接正面から渡すだけの勇気がない。ならば、逆にわらしが眠っているのは好都合でもあったのだ。
「………(可愛い寝顔だな)」
それから彼はケースに残っているもう一つの指輪に自身の指を通し、再び読みかけの本を開いた。目を覚ました時、わらしは一体どういう反応をするだろうか。喜んでくれるだろうか。またあの花のような笑顔を見せてくれるだろうか。 期待しながら、一方で、このまま起きないでいて欲しいとさえ願ってしまう。青臭い感情が邪魔をする。 おかげで、目の前の文章なんて一ミリも頭に入ってこなかった。さもありなん。
ややあって、着陸する少し前に目覚めたわらしは、自身の指の違和感に目を留め、驚き、振り返り。 そして、遊作の期待通りの笑顔を見せてくれた。
END 2019.04.01公開 お疲れ様です。 【初恋限定。】のお話は現在ここまでです。 ここまで読んでくださりありがとうございました。
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