SUMMER VACATION!−20

機関室Bの中を走り抜ける遊作とわらし。先程通った機関室Aと同じく、H型をした通路を対角線上に進んでボイラー室Bの扉を開ける。
後ろからはウィリアムが迫っていたが、二人の予想よりも非常にゆっくりとしたスピードだったので、幸いにも瘴気を当てられることはなかった。それでも一直線で追いかけられるのは相当なプレッシャーがある。思い出すのは地下通路での出来事だ。

「こういう状況は2回目だけど…、どこに…これからどこに向かえばいいの…っ」

わらしが叫ぶと、遊作は「鍵とバルブを回収しながら状況把握だ!」と叫び返した。

「鍵とバルブ……! えっと、鍵は…」
「機関室Aだ!」
「それって、燃料倉庫からしか行けない所だよね…っ? でも、鍵があるのは通路の突き当たりだし、後ろからはウィリアムが…」
「どこかで撒くしかないな…それか…、」

話している途中でボイラー室Bの通路を走り抜けた遊作は、燃料倉庫への扉を開いた。中は直線に伸びる通路が途中で左に曲がり、そこを進めば部屋の中央で船首に向かう上り階段と船尾に向かう下り階段があった。通路の左右に跨る階段を通り越して奥に向かえば、その先にはボイラー室Aに続く扉がある。
遊作は燃料倉庫の入口からボイラー室Aへの扉を見据えると、中央まで引っ張って来たわらしの手を離した。

「遊作くん?」
「……ウィリアムが来たら俺が奴の気を引く。わらしはその間にボイラー室から鍵を取ってくれ」
「それって…! ダメだよ、そんな危険なこと…!」

わらしは拒絶したが遊作は聞き入れなかった。

「一緒にいるよりバラバラに動いた方が攪乱できる…行け!」
「っ…」

遊作に肩を押されたわらしは戸惑いながらも足を動かした。ボイラー室Aの扉を開けながら振り返り、「すぐ戻ってくるから、絶対、無理しないでね!」と叫ぶ。遊作はわらしの方を見ないまま頷いていた。
遊作のことだから大丈夫だと思いつつも、わらしは不安を拭えなかった。この船に来てから、否それ以前から遊作は危険なことに率先して首を突っ込んで来た。LINK VRAINSに関わることの多くに、そしてそれ以外のことにも。
わらしはLINK VRAINSでの遊作の行動の詳細は知り得ないが、時には無茶とも思える方法で動いて来たことには察しがついている。それは、遊作と共にいることで行動の端々から垣間見えてきた。人には無茶をさせまいとしながら、自分のことはなおざりになりがちで。それまでの遊作の人生を考慮すれば仕方ないことかもしれないが、わらしとしては遊作のこの暴走しがちなところを何とかしたいのである。

ちなみに遊作の暴走とわらしが普段やらかしてしまう暴走では種類が違う。彼女の場合は何も考えずに突っ込んで失敗を犯すというスタイルである。

(ウィリアムは遊作くんが引き受けてくれるって言うけど、もしかしたら私の方に来るかもしれない…、その時は一人で何とかしないと。それでも絶対鍵は手に入れる…!)

ボイラー室Aの通路を駆け抜けながら、わらしは一直線に鍵の掛かっている奥の壁に向かった。
一方、燃料倉庫に残った遊作は部屋の中央から階段を降り、その先にある空間を調べた。上から見た限りでは幾つか機材が置かれている他、多少の空間がある。階段の両脇にある加熱炉らしきものからボイラー室A、Bそれぞれに太いパイプが壁を突き破って伸びており、また何かの差し込み口があった。

(鍵穴じゃない…、バルブか? っ、)

壁に背を向けていた遊作は、壁をすり抜けて放たれた瘴気を咄嗟のところで回避した。遅れてウィリアム自身が遊作の前に姿を現す。ウィリアムは消えたわらしのことなど関知しない様子で、一目散に遊作を狙っていた。そこで遊作は青い石の嵌ったレリーフをウィリアムの前で弄ぶように見せびらかした。

「やはり来たな…、お前の目当てはこれだろう!?」

ウィリアムの目が石に釘付けになる。遊作は階段を上り距離を取る。
わらしには言っていなかったが、遊作は二人が別れた場合にウィリアムは確実に自分を狙ってくると分かっていた。亡霊の狙いは何か。それを考えた時に自ずと導き出されるもの…それは青い石だった。
赤い石によって力を手に入れた亡霊は、赤い石を無力化する青い石を恐れ排除しようとしたのだ。青い石さえなければ、力は永遠に失われない。
二人が最初に瘴気を放たれた時、僅かではあるがそれはわらしではなく遊作に向けられていた。ウィリアムの亡霊は最初から、青い石の所持者しか眼中になかった。

「ついて来い…!」

船底倉庫へと続く階段を上り切った遊作は左右に伸びる通路を左に曲がり、その先にある扉から隣の部屋に移動した。中はそれまでと違い、網の床も鉄板の床もない。きちんと空間全体が壁で仕切られ、コンクリート舗装された通路の右側、幾つかの部屋のような空間には木箱や樽などが保管されているようだった。もちろん、ウィリアムがすぐそばまで迫っているのでそこを調べている余裕なんてなかったが。
突き当たりを右に曲がると、通路の中央左側に一枚の扉があった。マップに書かれていなかった詳細不明の部屋だ。走りながらドアノブに手を掛けたが鍵が掛かっているのか、そこが開くことはなかった。
その扉の正面の壁に何故か太陽の紋章が直接描かれているのを横目に、さらに奥へと進んで行く。…あれは間違いなく霊媒師のいる天文台へと繋がるはずの絵柄であったが、今までのようなレリーフではない。何か違いがあるのだろうか。
一瞬、試してみたい気になった遊作だったが、今は呑気に本を掲げている場合ではないし、そもそも霊媒師のいない天文台に飛んでも意味はない。否、この状況で飛ぶことはできるのだろうか。だが試すには、わらしのリュックサックに入っている本が必要だ…。

さらに突き当たりを右に曲がって、同じく物が乱雑に置かれている空間を通り過ぎながら、通路奥の、入ってきたのとは違う扉から燃料倉庫へと戻った。その時ちょうどわらしがボイラー室Aから燃料倉庫に戻って来ていた。

「遊作くん!」
「鍵は!?」
「あったよ!」

わらしの右手に掲げられた鍵を確認した遊作は、再び船底倉庫へと通じる扉の方に走った。

「俺の後にウィリアムが来る! わらしはその後倉庫に入って中を調べてくれ!」
「え?」
「大丈夫だ、あいつは俺しか追ってこない!」
「!」

言っている傍から、壁をすり抜けたウィリアムが遊作に向かって瘴気を放った。遊作は難なくそれを躱すと先程と同じ扉を通って船底倉庫に入って行く。それを追いかけるウィリアムは、わらしが手前の階段までやって来ても興味を示さず、船底倉庫に戻って行った。
一部始終を目撃したわらしは、驚愕を隠せない様子でつい足を止めてしまった。

「どうして私には来ないの…? 何か、遊作くんが狙われてる理由でも……」

そこでわらしは、遊作が青い石を持って走っている姿を思い出した。遊作にあってわらしにないもの。物語はいつだって石を中心に描かれてきた。赤い石と青い石は対になる存在。

「まさか…あれなの…!?」

気付いたわらしは、遊作が既にその事実を知っていることに軽くショックを受けたが、彼の行動を無駄にする訳にはいかずに再び足を進めた。階段の手すりを利用して駆け上る。
遊作とウィリアムの亡霊を追って入った船底倉庫で、木箱の隙間を縫いながら奥の空間に体をねじ込ませた。

「バルブ…バルブ…っ」

ごちゃごちゃとした物を掻き分けて目的の物を探す。船の整備に必要な工具の一部が無造作に放り出されていたり、蓋の開いた木箱には部品が大量に詰まっていたりはしたがバルブは見つからない。一つ一つが決して軽くはない金属部品を退かしていき、どこかに隠れていないか目を光らせる。時折、壁の向こうで亡霊が瘴気を放っている音が聞こえてくるので、わらしの心はとても冷静にはなれなかった。

「ない、ない……どこにあるのっ!?」

苛立ちを隠せない声色で更に周囲を漁る。しばらくそうしていると、船底倉庫を一周した遊作が再びわらしの背後を通り過ぎて行った。その後を追う亡霊は、やはりわらしが何をしていようと我関せずを貫いている。チャンスではあるが、この状況がいつまで続くかはわからない。遊作の体力にも限界がある。
わらしは一通り調べた空間を出て、次のスペースを探し始めた。ここには樽や梯子が立てかけてあって、あまり細かいものは置いていない。バルブが無いことをすぐに見切ると、通路を回って反対側の空間に来た。途中にあった扉や太陽の紋章にはもちろんわらしも気付いたが、気に留めている余裕は無かった。

「早く、早く見付けないと……、っ?」

通路を曲がって最初の雑居スペースに滑り込んだわらしは、木箱の奥の床に小さな円形の物体が落ちているのを発見した。それは正面からでは隠れていて見えない位置にあったもので、金属製の物体を拾い上げると大きく表情を変えた。

「これ……これだ、バルブ!」
「見付けたのか!?」
「うん…!」

わらしの声を聞きつけた遊作が後ろから駆けつけて来た。わらしの体を奥から引っ張ると同時に、手を差し出した。

「わらし、鍵を」
「…はい!」
「よし。俺はこのまま機関室に行って鍵を使ってくる。わらしはバルブを回してくれ」
「バルブって、どこで回すの?」
「さっき見付けた…燃料倉庫の下り階段横に二か所ある」
「分かった…!」

共に船底倉庫の通路を走りながら燃料倉庫に戻る。階段を一つ降りたところでわらしが「遊作くん、青い石を私に…」と切り出すと、遊作は青い石を握り締めたまま前に進んだ。

「ダメだ。これは俺が持っている」
「でも、」
「バルブを使う場所はすぐそこだ。動かしている間に追いつかれる」
「機関室は2か所回らないといけないんでしょ? 部屋は隣同士だよ…!」
「っそれでもここよりはマシだ!」

鍵を差し込む場所は機関室A、B二部屋にある。二つの部屋は隣接しているが直接繋がってはいないので、来た時同様船尾軸路を経由しなければならない。だが、亡霊にそのような常識は通用しない。ウィリアムは機関室Bの壁をすり抜けて直接機関室Aにやってくるだろう。遊作が急いだところで鍵を使用するのに多少の時間は掛かるし、移動によるタイムラグはどうしても発生する。最悪、鍵を使用している最中に襲われる危険も十分にある。

「加熱炉はそこだ!」

遊作は階段下を視線で促しわらしを置いていくと、自身は機関室Bに向かってボイラー室Bに入って行ってしまった。バルブを持ったわらしはそれ以上追いかける術もなく、苦渋の表情を浮かべながら遊作とは違う方向に進む。言われた通り、階段を降りて加熱炉の前に来ると蓋を開ける。バルブの差込口に入手したそれを嵌めていると、船底倉庫から出て来たウィリアムが遊作を追ってボイラー室に消えて行った。

(ウィリアムが遊作くんの方に……急がなきゃ…!)

やや硬いバルブを力任せに回す。やがて、プシ、と言う気の抜けたような音が鳴り、急に抵抗が無くなった。わらしの手の中のバルブはそのままくるくると回転していき、すぐ上に赤いランプが灯る。正常に作動した証拠だ。
同時に、エネルギーを送り込まれたボイラーがボイラー室で稼働し、さらにその先にある機関室Bでは天井にまで伸びたピストンが激しい音を立てて動き出していた。室内に入って来た遊作はそれを見て、バルブを使う場所が正しかったことを知る。

(わらしが上手くやってくれた…この状態でピストンをロックすれば…)

手早く壁沿いに設置された機械の蓋を開き、鍵を差し込む。鍵穴を最速で反対側に回せば、たちまちピストンからは蒸気が噴き出しその動きを停止した。これも間違ってはいないようである。

「よし…!」

遊作は小さく頷いて次に向かう。室内はまだ薄暗いままだが、もう片方のピストンを同じ様にロックすれば今度こそ非常灯が点灯するはずである。否、そうでなければ困る。
浮遊する赤い石が不気味に輝く船尾軸路を通り過ぎて機関室Aに入れば、そこでもまたピストンは勢いよく一定の動きを繰り返していた。わらしがもう片方の加熱炉も無事作動させたのだ。
鍵穴を露出させ、鍵を差し込む。後ろからウィリアムの雄叫びが迫っている。

「遊作くん! 後ろ!!」

追いついたわらしが機関室の扉の前で叫ぶ。瘴気が放たれた。鍵を回した遊作は急いで頭を横に反らせると、今まさに遊作の頭があった場所を瘴気が通り過ぎ、機械にぶつかって消える。バチ、と火花が散った気がしたのは一瞬。次の瞬間にはピストンの止まる音がして、辺りはようやく二人が待ち望んだ明かりに満たされた。

「光が…!」
「……、」

後ろを振り向いた遊作は、すぐそばまで迫っていたウィリアムの姿が無いことを確認すると静かに息を吐いた。何度も二人の行く手を阻んで来た亡霊は、今度こそこの世から解放された。赤い石の力を受けぬ彼の魂は、もはや依代を持つことはできずに成仏する他はない。本当にこの船から解き放たれたかどうかは怪しいところだが、目下の脅威は過ぎ去った。
船尾軸路との境で待っているわらしの元に戻ると、遊作はその胸に飛び込んで来たわらしの体を軽く受け止めて背中を優しく撫でてやった。

「良かった、遊作くん…」
「心配し過ぎだ……とは言えないか」
「そうだよ。一人で先に行っちゃうんだもん…ウィリアムは遊作くんのこと追いかけて行っちゃうし、あれに当たってたら今度は助からなかったかもしれないのに…」
「…話は後にしよう。あの赤い石を何とかするのが先だ」

ここにAiが居たのなら『まぁ結果オーライってことで。二人とも良いコンビネーションだったじゃん』と労ってくれたのだろうが、そんなお気楽な存在はもうない。反対に、ラーイの場合は慎重なのでやれやれとため息を吐く程度だろう。
船尾軸路に戻った二人は、やはり非常灯に照らされ力が弱まっている赤い石を前に身を寄せ合って呟く。

「これに……青い石を…」
「あぁ」

赤い石に向かって金色の枠に嵌められた青い石が掲げられると、二つの石は呼応するように輝き始め、遊作の手から離れた。青い石は一人でに赤い石に向かって行き、枠から飛び出して向かい合う。見つめている間もなく青い石は赤い石の内部に吸収されるようにして重なった。
一つになった石は数秒くるくると回ったかと思うと、体積を収縮させやがて何も残らずにその場から消失した。これでもう、人々の運命を翻弄し続けてきた赤い石は完全に失われたのだ。

赤い石の影響が無くなると、それまでその場に倒れていたヘンリーが小さな呻き声を上げ、小さな声で呟く声が聞こえた。

「力……すべてを変える力が…消えてしまった……」
「ヘンリーさん!」

駆け寄った遊作とわらしに上体を抱えられながら、ヘンリーは掠れた声で続ける。外傷はないが、石のせいで随分とダメージを受けているようだ。

「しっかりしろ」
「リチャード……否、名も知らぬ君たち二人には……大変な迷惑を掛けてしまったね…。心から謝罪するよ……申し訳なかった…」
「そんな…」
「やはりお前は、俺が自分の息子ではないことを分かっていたんだな」
「あぁ、そうだ……だがそうする他が無かったんだ…。リチャードは……私の息子は…選択を誤り……運命を変えることができなかったのだから……」

ゴホ、と咳き込んだヘンリーは瀕死の状態だ。秘薬の存在を思い出したわらしはジュノンに貰ったそれを飲ませようとしたが、本人から拒絶されてしまった。

「無駄だ…私は既に自分の持ちうる時間を超過している……これ以上は許されない…」
「でも…」
「この船の上で運命が終わることは、私もウィリアムも承知の上だった……それなのに……運命はずっと繰り返されてきて……君たちが現れるまで、ずっとだ…」
「…………」
「これでようやく……終われる…」

ヘンリーの独白を聞いていると、遠くの方で何かが爆発するような音が聞こえた。同時に、それまで穏やかだった船が唐突に揺れ出した。広い海上で何かにぶつかってしまった衝撃だろうか、それとも。
白色だった非常灯が赤く点滅し始めると、二人の心には一気に不安が押し寄せた。

「これは…」
「警報?」
「グッ…、ここは長くない…早く…船の先へ……」
「でも、」
「私のことは良い……先程言った通りだ……これが“私たち”の運命なのだ…」
「っ…」

ヘンリーは自身を支える遊作の手を払いのけると、早く行けと言わんばかりに二人の体を退かそうとした。船の中に警報音が鳴り響く。
遊作はその場に留まる決意をしているヘンリーを数瞬見下ろすと、彼もまた決意したように立ちあがった。隣にいるわらしの手を取って。

「遊作くん…? ヘンリーさんのこと、置いて行くの?」
「こいつ自身が残ると言っている」
「でも、」
「それに、手負いのヘンリーを背負って船の先に向かっても、全員助かる保証はない。…置いて行くしか、ないんだ」
「それでも……それでも……もう、クレアみたいな犠牲は嫌だよ……助けられたかもしれないのに、助けられなかっただなんて…」
「わかってる…」
「なら…っ」
「だが、このままでは俺たちだって元の世界に戻れるかわからない。俺は、クレアやヘンリーより、わらしを失う方が嫌だ…!」
「――っ、」

尚も拒絶しようとするわらしの腕を引っ張って、遊作はやや強引に船首に向かう。わらしの気持ちは痛い程わかる。遊作も同じ気持ちなのだ。
ネットの世界ならログアウトすれば助かることでも、異世界とはいえこれは現実のことだ。そこでひと一人置き去りにしていくのがどんなに残酷なことか、遊作自身理解している。していないはずがなかった。できることならヘンリーのことも助けたい。
だが、今の遊作とわらしには、ヘンリーを助ける手立ても自分たちが元の世界に戻る方法も、何一つ持っていない。せめてわらしの力が使えたのなら別だろうが、それも今となってはただの仮定だ。

遊作によってわらしが連れていかれる様子を視界に収めながら、背後でヘンリーが「それでいい……私たちは……君たちとは違う世界の住人なのだから…」と呟いていた。その声は二人には届いていない。
だが、最後の最後、機関室Bへの扉が閉まる直前、彼は腹の底から力を振り絞って二人に声を掛けた。

「どうか君たちは……正しい選択をしてくれ……あの男の前で……!」
「!」

それがヘンリーの最後の言葉だった。二人は後ろを振り向くことなく、船首に向かって走った。


船底倉庫に入った瞬間、どこからか男の声が聞こえて来た。

『約束を……果たしに来たよ…。さぁ、ここへ…太陽の中へ…』

「今のは…!」
「……あの男か。約束…、あの赤い石のことだな」

ウィリアムやヘンリーのことで頭が一杯で、今の今まで存在すら忘れていた。そういえばこの倉庫の先に太陽の紋章が描かれている壁があったな、と遊作は思い出し、指示に従うかどうか迷った。
あの赤い石なら最初から受け取らないことに決めている。わらしも同じ意見だ。第一、こんなに警報が鳴り響き揺れの激しい船の中で、わざわざ霊媒師の男の為に割く時間などない。どうせ受け取らないなら、始めから会う必要はないのだ。
とは言ってもヘンリーの最後の言葉は気になるし、その前にはリチャードは選択を間違えたと聞かされている。正しい選択をすることが帰還する為に必要なプロセスなら、面倒でも踏んでやらなければならない。

内心面倒だな、と思いつつも開かずの間の扉の前まで来た二人は、その正面にある太陽の紋章で彗星の本を取り出した。だが本を掲げる前に、紋章の描かれた壁の一部が天井にずり上がって、中に入れるようになった。細い通路の奥に例の霊媒師の姿がある。
どうやらここから天文台に飛ぶのではなく、文字通り霊媒師の方から二人の元にやって来たようだ。
ここまで来てしまえば仕方がない。二人は腹を括って中に足を踏み入れた。後ろで再び壁が下がる。

「やぁ…」

遊作とわらしが男に近付くと、正面に立った男は陽気な声色で話しかけてきた。

「本当に来たのか…」
「約束しただろう、リチャード・オズモンド君。…否、本当の名は違うな……。藤木遊作くんと…屋敷わらし君」
「!」

霊媒師は二人の顔をそれぞれ見つめると、興味深そうに頷いた。わらしはその視線に背筋がゾクリとする。本当に今更だが、この男の目が見えていないというのは嘘のように感じられる…。
遊作が硬い表情で先制した。

「やはりお前も俺たちのことを知っていたのか。…言っておくが、俺たちはお前からあの石を受け取る気はない」
「おや、話も聞かずに言い切ってしまって良いのかね? …今、君たちは大いなる力の前にいる」

そう言って男が広げた両腕の真ん中に、一本のナイフが現れる。ウィリアムが手にしていたものとは若干デザインは異なるが、柄に赤い石が嵌め込まれ禍々しい気を放っている。どう考えても全ての元凶となる呪われたアイテムだ。

「すべての運命をねじ曲げる力……その力は君のものだ。さぁ、持っていくがいい…」

男は不敵に笑って二人がそのナイフに手を伸ばすことを期待したが、遊作もわらしも決意は固かった。

「人には自分の運命を切り開く力がある」
「そんな、みんなを不幸にするだけにする力なんて欲しくありません…」

二人がそれぞれに言葉を述べると、霊媒師の男はパタッと両腕を降ろしてしまった。そしてさらに濃くした笑みで、「本当にいらないのかい? ……フフフ……」と呟いている。
男の態度に気味の悪さを感じた遊作は、それ以上何も言わずにわらしの手を引っ張って部屋を出ようとした。その背後から、笑い声が聞こえる。

「面白い……君たちは実に面白いよ…フフフフフ……、これが君たちの絆の証か…」

次の瞬間、何かが弾ける音。二人の視界にないところで、赤い石の付いたナイフが砕け散った。霊媒師自身がその終わりを望んだ。

「さよならだ……運命が君たちに微笑まんことを…」

最後の声をしっかり耳で聞き取った後、二人は太陽の部屋から出て行った。


部屋を出た遊作とわらしは、そこで不思議な光景を目にした。奥へと続く扉の前には光の粒子を纏ったクレアの姿があった。

「嘘…、クレアっ?」

わらしが駆け寄ると、モスグリーンのドレスに身を包んだクレアは、金色の髪をハーフアップにして静かに佇んでいた。体は半分透けている。それが表す意味を知って、わらしは増々心が痛んだ。けれど同時に、もう二度と会えないと思っていた相手との再会に歓喜しているのも事実だった。

「どうしてあんたがここに…」

クレアは二人の姿を目に留めると、多くは語らず淡々と事実だけを話した。

『…この船の命は終わります』
「!」
『さぁ、こっちへ……』

クレアに誘導されるようにして開かずの間に入る。どういう訳か、それまで決して開かなかった扉は何の抵抗もなくすんなりと開いた。
装飾や機材といった物が何もない、ただ空間だけの部屋でクレアが待っている。光の粒子がクレアだけでなく部屋全体に漂っていた。二人はクレアの前に立つと、彼女は再び語り出した。

『この船はもう消えてしまう。あなたたちはここにいてはならない人…』
「待って、クレア。私たちずっとあなたに謝りたかったの…あの山荘であなたを助けられなかったって。ううん、あの時だけじゃない、列車の中でも、教会の地下でも……私たちは結局あなたの力になれなかった。クレアはずっと私たちを助けてくれてたのに…」

遊作に肩を抱かれたわらしが呟くと、クレアは静かに首を横に振った。

『…それは違う。私はずっと信じていたわ。いつしか、この運命の終わる日が来ることを。そしてそれをもたらしてくれたあなたたちは、私にとって、そしてこの船にとっての救世主だったのよ。間違いなく…』
「救世主…。俺たちが」
『あなたたちが来る前から私たちの運命は決まっていた…』

そう語ったクレアは少し俯き、寂しそうな口調で話し始める。その手にはかつて遊作とわらしが手にしたオルゴールが乗っている。

『運命をもてあそぶ石の力。赤い石とは一体何なんだったのか。あの悪夢のような出来事も、私たちの受けた苦しみも、狂わされた運命の仕業だったのか……今となってはもう、知る術はないわ。でも…あれは、夢じゃない。私たちは確かにこの世界で生きていたの…』

クレアはわらしの腕を取ると、そっと掌にオルゴールを乗せた。クレアからわらしへ、最後のメッセージである。

『だから…このオルゴールを見たら思い出してちょうだい。二つの石のこと、そして貴方たちが救った多くの人々のことを……』
「クレア!」

『…さぁ、お帰りなさい。すべては終わったわ……』


クレアは両掌を胸の前で合わせ、祈るようなポーズで目を伏せた。すると淡い光の粒が遊作とわらしを包み、やがて二人の全身を覆いつくした。そのまま船から離れそうになり、思わずクレアに手を伸ばした。
けれどクレアは最後に二人に向かって微笑んだだけで、決してそれを受け入れなかった。彼女には彼女の運命が待っている。最後の運命が…


遊作とわらしは光に包まれながら船の外に出た。少しずつオルフェウス号から遠ざかる。一方、件の船は中心から強い光のエネルギーを発しながら、まるでシャボン玉が空に向かって旅立つように浮上していく。人々の魂同様に、船もまた呪われた運命から解放される時が来たのだ。

「船が…」
「クレア…っ……ヘンリーさん…」

船を包む光は段々と大きくなり、それに比例して取り巻くエネルギーも増加する。光の柱が空を割り、眩しいくらいに辺りを包み込んだところでひと際強く輝くと、オルフェウス号はついに消滅した。

「っ……」

顔を覆っていた手を外すと、二人の視界には穏やかな海と空が広がっているばかりである。船も、光の粒子もない。そこにあったはずのものは跡形もなくなっていた。

海上には、遊作とわらし二人が取り残されていた。

「これが……運命なの…? 誰も助からないことが…」

わらしの呟きに、遊作が「少なくとも、クレアの心は救われたはずだ」と返した。

「きっと、違う運命だってあったはずなのに…こんな、誰も幸せになれないなんて……悲しすぎるよ…」
「そうだな…」

震えるわらしの肩を抱き、身を寄せ合いながら。遊作は静かに同意した。

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