月曜日。 新しい制服に身を包んだわらしは、鏡の前で最終チェックを行っている。スカート良し、ブレザー良し、ネクタイ良し…。 ちなみに部屋は結局片付けきれなくて、あちらこちらにまだ物が散乱している状況である。昨晩ラーイに小言を言われたのは、言及するまでもない。
「さて。じゃ、行こっか」 『転校は初日が肝心だよ。舐められたら最後、卒業までずっと見下されることになるからね』
歩きながらラーイが入れ知恵してくる。わらしは呆れた顔で言った。
「あのさラーイ…漫画の世界じゃないんだから。というか、そんな知識どこから手に入れてくるの」 『昨日テレビでやってたよ。わらしと同じ、学校が舞台のアニメだった』 「そんな暇があるんなら片付け手伝ってくれたら良かったのに…、あとそれフィクションだから」 『精霊の僕に手伝える訳ないでしょ。アニメは夜中にやってたやつだし。わらしが付けっぱなしで寝ちゃってたから』 「あぁ、結局自分の不始末か…」
そういえば昨日は片付けに加えて学校の準備もあり、忙しかった。ベッドに入った途端に爆睡した覚えがあるので、テレビが付けっぱなしかどうかも全く気にしていなかった。 昨夜のことを思い出しながら、さすがのわらしももう少し何とかしようと思った。ラーイに言わせれば、これもいつものことであるが。
学校が近くなって、ラーイはカードの中に戻った。わらしが誰かといる時は、基本的に姿を現さない。 そのまま正門を通り、何度か手続きで通ったことのある事務室へ。職員室からやってきた担任と合流し、HRが始まる頃に一緒に教室へと向かった。 緊張の一日が始まる。
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結論から言うと、わらしはすぐにクラスに溶け込めた。 担任の紹介とともにありきたりな挨拶を述べ、空いている席に案内され、休み時間には何人ものクラスメイトが声をかけてくれた。みんな、変な時期に転校してきたわらしにとても優しかった。 何人かの女の子のグループが昼休みや移動教室の際に行動を共にしてくれて、あれこれと世話をやいてくれる。 帰りに駅前に寄って行こう、と誘ってもらえたわらしは有頂天に達しそうだったが、予め放課後は職員室に寄るよう担任に言いつけられていたので、泣く泣く断り、別れを告げる。また明日、と言ってもらえたのが嬉しくて、正直浮かれていた。 職員室を出てから早十五分。完全に迷子になっていた。
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「なんっで…! 出口にたどり着かないの…!!」
さっきから似たようなところをぐるぐるしている気がする。学校なのでどこもかしこも教室だらけなのは当たり前なのだが。 校舎から出れば校門まで行けると思って試したものの、出た先はグラウンドやテニスコートが並ぶエリアで、結局元来た道を辿ることになった。デンシティ・ハイスクールは、わらしが思っていたよりも大きな学校だった。
「いや、誰か学校に残ってるはず…部活だってあるはずだし…」 『さっきからすれ違ってるのに、全然声かけてないじゃん』 「だって、学校で迷子って…恥ずかしすぎるじゃない。みんな部活で忙しそうだし…あの掛け声聞こえないの? ほら、凄い熱気入ってる…」
校舎の中にまで聞こえてくる野太い声に、わらしはげんなりした。 もはや校内でラーイが出てきていても咎めていない。むしろ、一人でいる方が不安だったので助かった。
「せめて、部活やってなくて暇そうにしてる人に話しかけたい…」 『そんな人、もうとっくに帰っちゃってるよ』 「そんなのわかってるけど…!」
半ばやけになりながら、手当たり次第に教室の扉を開けていくが、無論残っている生徒はいない。 どうしよう…と諦めかけていた頃、たまたま覗いた教室に、一人残っていた。喜んだのも束の間、その気持ちはすぐに下降した。なぜならその人物は机に突っ伏して寝ていたからだ。
(どうしよう…起こしちゃまずいよね。でも、みんなもう帰っちゃってるし、起こしてあげた方がいいのかな)
足音を抑えて近づくと、瞼の落ちた顔をそっと窺い見る。わらしはそこで初めて、眠っている彼が“遊作”であることに気づいた。
(あ…!)
端正な顔立ち。独特な髪形。そして精霊がついていない。 数瞬その姿を目に収めた後、わらしはゆっくりとブレザーの肩を揺らした。
「ね、ねぇ…起きて」 「ん……」
寝ぼけ眼が覗くと、エメラルドグリーンの瞳が顕在した。間違いない。二日前に立ち寄ったキッチンカーにいた男の子である。 遊作は体を起こすと、まだ少し眠たそうな表情でわらしを見ている。
「おはよう、遊作くん。もうみんな帰っちゃってるよ」 「……あんたは誰だ。何で俺のことを知っている」 「あ、えっと私屋敷わらし。遊作くんのことは、おととい、Café Nagiで見かけて…」
そこまで言うと、遊作は何かを思い出したように目を見開いた。
「あの時の」 「うん。オーナーの草薙さん?が、君のこと遊作って呼んでたからつい…名字は知らなくって。ごめんなさい」 「謝る必要はない」
そこまで言うと、遊作は立ち上がって帰り支度をし始めた。
「起こしてくれて感謝する。屋敷…先輩」 「!」 「藤木遊作です」
話している途中でわらしが二年生だと気づき、遊作は敬語を使った。しかしわらしはすぐに否定した。
「敬語使わなくていいよ。名前も、わらしでいいから」 「だが…」 「お願い。最初に会ったの学校の外だし、友達みたいなものでしょ?」 「………(あれを会ったというのか?)」
遊作は少し面倒くさく感じたが、断る方が面倒くさいと直感したので、軽く流すことにした。鞄を背負ってわらしに背を向ける。
「わかった。それじゃ」 「あ、うん。またね!」
そのまま遊作は教室を出て行き、続いてわらしも出る。廊下には他に生徒はいない。二人の足音がこだまする。
「…………」 「…………」
前を歩く遊作からつかず離れずについていくと、廊下を曲がった先で遊作が待ち構えていた。わ、と驚いて声が出る。
「まだ俺に何か用か?」
遊作はどこか不機嫌そうだった。わらしは慌てて弁解した。
「そうじゃないよ、私も帰るところだから…」 「そもそも二年生の教室はこっちじゃなかったはずだ。何故わざわざ一年の教室に来たんだ」 「えっと…それはその……」 「理由を言え。俺は付け回されるのは好きじゃない」 「付けまわ…! そんなことしてない!」 「では何故俺の後をつける」 「違うよ! 私はただ、迷子になってただけで…!」 「…。迷子…?」 「あ」
『(あーあ)』
遊作の表情が崩れた。まるで馬鹿をみるような目で見られているような気がして、わらしは羞恥心に駆られながらたまらず事の顛末を話した。 今日デンシティ・ハイスクールに転校してきたばかりのこと。職員室を出てから帰り道がわからなくなったこと。出口まで連れて行ってくれる誰かを探していたこと。 遊作はあまり関心がないのか、呆れこそしないものの事情を説明すると不愛想に出口まで案内すると言った。わらしが転校生だと知って、妙な警戒心は解けたらしい。
「あの…ほんとごめんなさい。迷惑かけるつもりはなかったんだけど…」 「別に出口まで案内するのに迷惑なんてかかってない」 「ありがとう…」
結局校門に続く出口まで案内してもらい、わらしはようやくひと心地着いた。そこで別れるのだと思ったところ、遊作が歩き出した方向がわらしの帰路と同じだったので、思い切って途中まで一緒に帰ろうと声をかけた。遊作はやはり怪訝そうな顔になった。
「遊作くんは、女の子と一緒に帰るのイヤ?」 「別に…」 「だったら、途中まで一緒に歩こうよ。私、まだ一緒に帰る友達いないから」
本当は声をかけてくれた女の子たちがいたが、今一人なのは事実だ。
「俺といてもつまらないだけだが」 「そうかな? それは話してみないとわからないよ」 「…別にする話もない」 「そんなこと…あ、待って!」
一人で歩き出した遊作をわらしは追いかけた。
「ね、遊作くんは何か部活入ってる? 私さっき担任に呼ばれて、どこかに入ってみたらどうかって言われたんだけど迷ってて…」 「………」 「文化系で良いところがあれば考えてみようかなって。運動系はちょっと遠慮したいから」 「………」 「…遊作くん?」
相槌も打たずスルーを決め込む遊作に、わらしは不安そうに名前を呼んだ。
「好きな部活に入れば良いだろう。俺の話なんか参考にならない」 「それはそうなんだけど…。もしかして、聞かれるの嫌だった?」 「…あまり人と関わるのに慣れていないだけだ」 「そっか…。でも、良かったら、部活に入ってるかどうかくらいは、教えて欲しいな。興味本位で」
申し訳ないと思いつつも遠慮がちに聞いた。遊作はわらしと目を合わせないまま答えた。
「…どこにも所属していない」 「え?」 「答えたんだ。これで満足だろう?」 「そうなんだ……てっきりデュエル部にでも入ってるのかと思ったけど」
遊作はデュエリストであるというラーイの言葉が頭の中を巡って、わらしはついそう言ってしまった。 しかし遊作の方は唐突に出てきたその言葉に疑問を抱き、「何故そう思ったんだ?」と問いかけた。
「え? 根拠はないよ! 何となく…何となく、そう思っただけ」 「あんたは変な人だな…。人を見かけでデュエリストかどうか判断するのか」 「うぅん……見かけというか、何というか……まぁそうかもしれないけど。遊作くん強そうだなーって思ったのは確かだけど」
ここで遊作がデュエリストであることを認めれば、ラーイの言葉が正しかったと証明される。 遊作はフイとわらしから顔をそらすと、興味なさそうに答えた。
「…買い被りすぎだ」 「!」 「そういうあんたは、デュエリストなのか?」 「私は……、私はデュエルをしないの」
したくてもできないから。 湧きあがった思いをぐっと胸の中にしまい込んで、わらしは努めて明るく振る舞った。遊作は小さくそうか、とだけ応えた。
その後もわらしの他愛ない話が続き、遊作はその大半に適当な返事をするだけだった。自分はつくづくつまらない人間だと改めて自覚するが、幼き日のトラウマが原因で未だ人と話すことに慣れていない。 きっとわらしもそんな自分に腹を立て、すぐに距離を取るだろうと予想できてしまう。
「…あ、遊作くんはそっち?」 「…少し寄り道をして帰る」 「もしかして、おとといのカフェに行くの? だったら、草薙さんに『ホットドック美味しかったです。また行きます』って伝えてもらえる?」
パブリックビューイングが盛んに行われる広場の方へと歩き出した遊作に、わらしは後ろから声をかけた。
「…伝えておく」 「ありがとう! じゃぁ、またね!」
遊作の無作法な態度にも関わらず、わらしは笑顔で手を振った。
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「……やっぱり迷惑だったかなぁ」
遊作が去って行く背中を見つめながら、わらしは呟いた。
(無理やり一緒に帰ってきたけど、遊作くんは興味なさそうだったし)
でもあの瞳は何故か気になるんだよなぁ、と心の中で呟き、ラーイと共に帰ることにした。
一方その頃、遊作の方はといえば。 ようやく一人になれたところで、ややふざけた声が鞄の中から遊作を咎めた。
『うーん、あの娘めちゃくちゃイイコだな。それなのに遊作、あの態度はちょーっといただけないんじゃない?』
遊作は無視して歩き続ける。
『少しは優しくしてやればいいのにー』 「俺には関係ない」 『相変わらず冷たい男だな〜』 「黙れ」 『はいはいっと』
デュエルディスクに寄生するAiを黙らせて、遊作はカフェ・ナギへと向かった。
※学年は制服のどこかで判別できる仕様になっているという設定。
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