王の霊がいなくなった通路には静けさが訪れた。暗い空間に遊作とわらししかいない。最初から何もなかったように、ただ静寂が漂うばかりである。
「終わったな…」
遊作の安堵したような声の後、わらしがその手を握った。
「これでもう……みんな、本当に…」 「あぁ」
繋いだ手を握り返して、遊作も体を寄せる。三人の亡霊を成仏させてきた二人の気持ちは同じだった。どうか、安らかに。昇華した魂の平穏を願うばかりである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
王の亡霊がいなくなったことで、扉の先に進めるようになった。この先はオーナー室。ウィリアムがいるはずである。 散々追い求めて来た相手とついに相まみえることになり、遊作とわらしは緊張気味に手を掛けた。鈍い音がして両開きの扉が開く。白を基調とした荘厳な雰囲気の部屋の奥、ピカピカに磨かれた大理石の床の向こうにウィリアムがいた。黒い帽子とコートに身を包み、こちらを向いて座っている。体の中央からは赤い筋を垂らして…。
「なっ…!」 「!」
遊作とわらしが息を飲む。危険な人物と分かっていながら、急いで駆け寄った。今はそんなことを考えている場合ではない。人命の方が重要だ。 ウィリアムは二人が傍に来ると、浅い呼吸を繰り返しながら顔を上げた。
「だ、大丈夫ですか…!?」
わらしの掛け声にゆっくりと答える。
「私の旅も…終わるときが来た…。赤い石を手にした時…あの時から、運命は変わりはじめた…」 「何を言っている!?」 「喋らないで、このままじゃ…!」 「…構わん……私はもう助からない…」
ゴホ、と咳き込んだ拍子に口から血があふれ出す。わらしが短い悲鳴を上げた。膝の上に置いてある手を取れば、シワシワの手は驚くほど軽かった。
「私は多くの命をこの手で奪い取った…。そして私が、何を得ようとしたのか……。…今はもう…何も思い出せんよ……」
そう言って、ウィリアムは虚しそうに俯いた。それはかつてヘンリーを殺そうとし、あまたの命を奪い、遊作とわらしさえも手に掛けようとした男の姿からはかけ離れている。穏やかな、それでいて少しばかり頑固な老人という印象である。どこにでもいる、ただの老人の。
「……お前は、もしかして…」
何かに気付いた遊作が言いかけた時、ウィリアムは隣にある丸テーブルを見た。テーブルの上には燭台と丸い水晶が乗っている。霊媒師の男のところにもあったような、占いなどに使われる水晶だ。
「あの娘は……クレアは君たちを待っていた…」 「! クレアが…」 「君と、君の父のために戦おうとした…」
そう言って水晶に手を伸ばすと、震える手で掴み取る。再び顔を上げて遊作を見つめた。
「見るがいい…」
ウィリアムが何を言っているのか理解できないまま、言われるがままに二人は水晶の中を覗き込んだ。すると不思議なことに、そこには何かが映っている。どこかの小屋の中だだろうか。 すぐに扉から緑のジャンパーに身を包んだクレアが入って来た。その手には銃を握っている。 聖堂地下で会った時よりもやや大人びた様子だ。あの後の出来事なのだろう。
「クレア…! 良かった! あそこから出られたんだね…!」
わらしが喜ぶのも束の間、クレアは入ってすぐのところにあったテーブルから銃弾を一つ手に入れて自分の銃に込めた。何かから追われているのだろうか。しきりにあたりを警戒した様子で、銃を持つ手にも力がこもっていた。 ややあって、小屋の扉が開く。外から黒いスーツに身を包んだ男が入って来た。クレアはその男に向かって銃を突きつけた。男は笑っている。
『ふっふっふっ。追いつめたようだな』 『……………』 『どうせプロの俺にはかなわないんだ…。そいつを降ろしな』
男は懐からナイフを取り出す。クレアはじりじりと距離を詰められ、小屋の奥へと後ずさった。距離を詰められたら銃よりもナイフの方が有利だ。
『素直にその石を渡していれば命を捨てなくてもすんだものを…』
男はクレアを馬鹿にしたように言う。 小屋の奥にはもう一つ扉があったが、板が取り付けられていて開けることはできない。クレアは表情を硬くしたまま叫んだ。
『……あなたたちは祖父の本当の恐ろしさを知らないんだわ!』 『ふっ、そんなこと俺には関係ない。その石を持ってゆけばいい金になるんでね…』
男はクレアの持つ石に興味があるだけで、おそらくウィリアムに雇われた刺客である。孫娘の命さえ簡単に投げ捨てられるウィリアムは恐ろしい男である。その性格を良く分かっていたクレアは、石を回収したところでこの男もまたウィリアムに殺されるであろうことを予感していた。 尚も銃を降ろそうとしないクレアに、男は溜息を吐いた。
『まあいい。これでおしまいだ』 『…あなた達も、生きていられないわよ』 『えーい、いちいちうるさい女だ! 死ねっ!』
男はクレアに向かって襲い掛かろうとした。その時、急に小屋全体が揺れ始める。
『な、なんだ! こんなときに……』 『キャァ!』
幸か不幸か、巨大な地震が二人を襲った。激しい揺れに見舞われて床に倒れる。バタン、とひと際大きな音がした。
揺れが収まった後、クレアが目を開けると男はたんすの下敷きになっていた。意識はないようだ。 この隙に急いで逃げ出そうと思ったクレアだったが、自分の銃を落としていることに気付いていない。ふらつく足を動かして何とか歩き出す。男に背を向けたところで、唐突に男は意識を取り戻して状況を把握した。獲物が逃げる。 既に絶命しかけの虫の息だが、彼はこのままクレアを見逃すことを許さなかった。最後の力を振り絞り、近くにあった銃でクレアの背中を狙う。気付いたわらしが唇を震わせた。
「! ダメ、やめて…!」
パァンッ
「!!!」
銃声が鳴った。クレアの体から血しぶきが散る。クレアは、彼女自身の銃によって撃たれてしまった。
「クレア!」
再び倒れるクレア。彼女の周りに大量の血だまりができる。同時に男も力尽き、二人の人間の人生はそこで幕を閉じた。悲しい結末だった。
「……今のは、一体…」 「クレアは…? クレアは助からなかったの!?」
わらしが目に涙を浮かべながらウィリアムを問い質す。ウィリアムはしゃがれた声で静かに答えた。
「クレアはもういない……すべては…過ぎ去ったことだ…」 「そんな…っ」 「だが、君たちならば…変えられるのかも……ゲホッ…」
再び血を吐くウィリアム。彼に残された時間はもはやない。震える手でわらしの手を握り返すと、力を無くした瞳で訴えかけた。
「赤い石の力は君の父を…取り込んで…」 「父…? ! ヘンリーのことか…!」 「青い石……それが一つになれば…力を止められる…」 「待って、どういうこと? 赤い石はあなたが持っているはずじゃないの!?」
「頼む…」
「!」
ウィリアムがそう言って二人を見つめた時。遊作とわらしの体は、青い水晶の中に吸い込まれていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
深い渓谷を鳥の群れに逆らって飛んでいる。水面のすぐ上を飛んでいるせいで、水のせせらぎが間近で聞こえる。季節は秋が深まった頃だろうか。落葉があり、辺りはひんやりと涼しい。自然豊かな場所だ。 それまで水面すれすれに飛んでいたのを、急に高度を上げて渓谷から飛び出した。渓谷を結ぶつり橋がある。その近くに、緑色の屋根をした小屋があった。そのまま小屋の扉をすり抜けて中に入る。見覚えのある室内に意識が向いた時、二人の体はようやっと実体を得た。先程閉まっていた扉の前だ。 左側のスペースには暖炉、右側にはクレアを狙っていた男を押しつぶした重厚なたんすがある。
「ここは…、さっきの小屋か?」
辺りを見回した遊作が呟いた。わらしもまた頷いて答える。
「テーブルの上に銃弾がある…、きっとまだクレアは来ていないんだよね。ここは……過去?」
不安そうに尋ねたわらしに、遊作が「そのようだな」と告げた。
「ウィリアムは、俺たちなら過去を変えられると言った。俺たちにさっき見た過去を変えて欲しいというのがあいつの願いだ」 「そんなの、私たちだってそうだよ…クレアを殺されたくない」 「だったら、やることは一つだな」
遊作はテーブルの上に置いてある銃弾を手に取ると、それをポケットの中にしまった。この銃弾がクレアの命を奪うのだ。弾さえ込めなければ未来は変えられるはずだ。
「これで大丈夫?」 「あぁ。…ただ、クレアの銃に最初から弾が入っていた場合は別だ。どのみち殺されることになる」 「あ…そうだよね」 「クレアが来たらまず弾の有無を確認しよう」 「うん…!」
二人が会話をしていると、タイミング良くクレアが小屋に入ってきた。彼女は遊作とわらしの姿を目に留めると、銃を手にしたまま驚愕を露わにした。
「クレア!」 「…あなたたち!? どうしてここに…」
驚きを隠せないまま駆け寄る。手を取ると、緊張して固まっていた筋肉が簡単にほぐれていく。 そして呆れたような、困ったような笑顔を浮かべて呟いた。
「不思議な人たち…この前も突然……」
味方に会えた安堵からか、クレアは一時的にではあるが肩の力を抜いた。そこに遊作が「その銃に弾は入っているか?」と尋ねると、クレアは難しい顔をして首を横に振った。
「良かった…!」 「良かった…? それはどういう…」 「話は後だ。こっちへ」
遊作が二人を部屋の奥へと誘導した。水晶で見た過去では、男はたんすに潰されて倒れていた。その位置まで連れてこなければならない。万が一にでもクレアが男に立ち向かうことがないよう、逃げ場のないこの場所までやって来た。 クレアが言った。
「幸運だったわ、ここであなたたちに会えて。あの石は取り返したわ…」 「本当!?」 「えぇ。だから安全なところで…」
言いかけたところで小屋の扉が開いた。やって来た男に向けてクレアが弾の入っていない銃を向ける。男は小気味よく笑いながら小屋の中に入ると、三人を前にして足を止めた。
「ふっふっふっ。追いつめたようだな。………うん? 仲間がいたのか…」
ちらり、とクレアの後ろにいる遊作とわらしを確認する。二人が丸腰だということが分かると、気を抜いたのか再びクレアにターゲットを絞る。ナイフを取り出しながらジリジリと近付いて来た。
「まあいい。殺す人間が増えたところで、どうということはない」 「この二人は関係ないわ!」
クレアが二人を庇うようにして前に出た。その様子を見ていたわらしが、「クレア、こっち…!」と下がるように言う。 男は尚もクレアとの距離を詰めてくる。
「素直にその石を渡していれば命を捨てなくてもすんだものを…」 「……あなたたちは祖父の本当の恐ろしさを知らないんだわ!」 「ふっ、そんなこと俺には関係ない。その石を持ってゆけばいい金になるんでね…」
水晶の中で見た会話が繰り返される。男はクレアが引く気はないと分かると、溜息を吐きながら言った。
「まあいい。これでおしまいだ」 「…この男は私が何とかするわ! あなたたちははやく逃げて!!」 「クレア!」 「さあ、はやく!」 「そうはさせ…。な、なんだ! こんなときに……」
男がちょうどたんすの前まで来た時、予想通り大きな地震がクレアたちを襲った。
「きゃぁ!」 「っ、わらし…!」
知っていたこととはいえ、これほど巨大な地震の揺れには立っていられず、遊作はわらしを抱え込むようにして倒れ込んだ。わらしは遊作の腕の中できゅっと目をつぶっている。クレアも同じように床に伏していた。男が倒れた後、たんすが倒れる音がした。
「っ、大丈夫…?」
しばらくして揺れが収まると、クレアが遊作とわらしに声を掛けた。
「あぁ、平気だ」 「………、怪我はないみたいね」
二人の状態を確認して頷く。遊作はわらしを庇ったせいで腕を少し打ち付けたが、痣にもなっていない程度の痛みだ。一方わらしは遊作に守られていたので自身に怪我はない。どちらかと言うと、気遣ったクレアの方がフラフラしているように見える。 クレアは立ち上がると、「さあ、急いで外へ!」と二人を誘導した。その背後で、意識を取り戻した男がクレアの銃でクレアの背中を撃つが、当然弾の入っていない銃では空振りである。
「な、なぜ…弾が……」
最後にグフッと息を漏らし、男は力尽きた。
小屋から出たところでわらしは歓喜の声をあげた。
「良かった、これでクレアを助けることができた…過去を変えられたんだ…!」 「過去を変える…?」 「…ううん、気にしないで。何でもないの」 「あぁ。とにかく無事で良かった」 「それは私の台詞でもあるわ。まさかあのタイミングで地震が起きるなんて…二人を守ることができて良かったわ」 「ありがとう、クレア」 「こちらこそ」
三人は安全を確認して安堵し合った。そこでクレアは思い出し、懐に手を入れながら「今なら安全よね。これを…」と言いかけた時。 三人の元へ新たな声が掛かった。
「そこまでだ、クレア」 「!」
夕陽をバックに、新たな男が現れた。先ほどの男と同様に黒のスーツを身にまとい、手にはマシンガンを携えている。渓谷を結ぶ橋の横に立ってるせいで逃げることもできない。こちらは小屋がある以外、広い平野が広がっているだけだ。隠れる場所もない。 マシンガンを手にした男は皮肉たっぷりに笑いながらクレアを見ていた。
「お前も哀れな女だ。呪われた一族の血を受け継いだばかりになぁ」 「…………」 「そこの二人には何の関係もないんだろ? おまえがその石を渡すなら、そこの二人の命は見逃してやる。どうだね、クレア」
男が遊作とわらしを見る。わらしは「ダメっ」と叫ぶが、その体を遊作が押しとどめて隠した。相手は銃を持っているのだ。
「…………。わかったわ……」
男の提案を数秒思案したクレアは、それを受け入れることに決めた。 ゆっくりと男に向かって歩き出す。それを止めようとして遊作もわらしもクレアに声を掛けるが、彼女は聞き入れなかった。 そして男の近くまで行くと、男は満足そうに笑った。
「いい子だ、あのウィリアムの孫とは思えんな……ハッハッハッ」
クレアは男に石を渡そうと、掌に載せた石を差し出した。ところが男はクレアの腕ごと掴むと、思い切り引っ張り羽交い締めにする。クレアを人質にした状態で、今度は二人に銃口を向けた。三人の間に緊張が走る。
「私は完璧主義者だ。足のつくような真似はどうも苦手でね」 「なにをするの! あの人たちにはまったく関係ないことだわ!」 「心配するな、おまえも一緒にあの世に送ってやるから…ハッハッハッ」
「やっ…、だめ、逃げてクレア!」 「その石を捨てるんだ!」
石が無ければクレアから意識が外れるかもしれない。そう思って叫んだ遊作だったが、クレアはそれに従わず男の腕から這い出ると、二人を庇うようにして両手を広げた。
「クレア!」 「何してる! 早くこっちに…!」
叫ぶ遊作とわらし。クレアは動かない。 男はすぐに態勢を立て直すと、至近距離のクレアに向かってマシンガンを向けた。そして。
「ええい、じゃまをしおって! どけっ!」
ダダダダダダッ!
「!」
マシンガンの連射を受け、クレアの体から血しぶきが飛ぶ。大量の出血。水晶の中で見た光景と同じ結末が、今二人の前で繰り広げられている。その過程は違えども、結果は同じ…。
「あ……あああ……ああああ…!」 「クレア!!!」
わらしは頭を抱えて震え出す。遊作が手を伸ばしても届くはずはなく、銃弾を受けてボロボロになったクレアは最後の力を振り絞って男に向かっていった。
「! 待て! 何を…!」
「っ、この男は…私が……」
マシンガンを持つ手を押さえ込み、男に抱き着く。血だらけで死にかけのクレアに迫られた男は軽くパニックを起こしながら抵抗した。
「なにをしやがる!」
けれど、クレアとて必死だ。絶対に離さないとばかりにしがみつき、そのまま体重を掛けて男の体を押し出す。後ろは深い谷だ。高さもある。ここから落とせば、生きては帰れないだろう。それが分かっていたから、最後にクレアは笑った。手にした石を平地に向かって投げつけて。
「ど、どけ…うわぁぁっ!」 「クレア!!」
断末魔を上げながら二人は谷に落ちていった。
「クレア!」
遊作の手を振りほどいたわらしが二人が落ちた崖に駆け寄るが、谷は深く切り立っている。二人の姿は既にどこにも見当たらなかった。 目の前で起こった出来事が信じられず、わらしは谷底を見つめ続けた。あの深い川が細い線のように見える。
「……この高さからじゃ、もう…」
「そんな、そんな…!!」
嘘だと思いたいわらし。無神経な事を言う遊作に怒りをぶつけようと振り向くが、悲痛な面持ちで俯いている遊作を見て、彼もまた悲しみを堪えていることに気付いてしまった。つらいのはわらしだけではない。遊作だって、ずっとわらしと一緒にいた。ほんの短い時間ではあるがクレアと関わって来た。 悲しくないはずが、ない。
「……っ、遊作くん…」
「…わらし…」
二人が感じているのは、喪失の痛み。救えなかった後悔。助けられた罪悪感。命の尊さ、儚さ…。
わらしは遊作に抱き着いて、その胸に顔を埋めた。遊作もまた抱き締め返す。 二人の脳裏には様々な年齢のクレアの姿が思い出されていた。列車の中で会ったクレア、牢屋の中で会ったクレア、写真の中で笑っていたクレア、二人を助けて逝ってしまったクレア…。 強く、そして優しい女性だった。
「…助けたかった……助けたかったよ、ね……っ」 「っ、あぁ…」 「でも、できなかった……」
つう、とわらしの頬を涙が伝う。わらしを抱きしめる遊作の腕の力も強くなった。
「クレアちゃん…っ」
あの幼かった少女の姿を思い出し、夕暮れの森で二人は泣き続けた。
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