階段通路まで戻った二人は、カラスの置物から歯車を取り出すと、それを持ってテラス地下倉庫のメイドがいる部屋まで戻った。オウムの背中の蓋を開けて、足りないパーツを差し込む。蓋を閉めてから足の根元にあるスイッチを押すと、予想通りオウムは大きな声で鳴き始めた。クァ、クァ、という可愛らしい声が響く。
「これで直ったね」 「あぁ」 『動いたわ!』 「うわっ」
いつの間にか傍に来ていた女性の影が、激しく羽を動かして鳴くオウムのおもちゃを前にして歓喜の声を上げていた。
『良かった…』
ホッと胸を撫でおろし、心から安堵する。そしてその幸福な気持ちのまま成仏していった。鳴き声が止む。
「…、こんなおもちゃ一つで安心してくれて良かったよ。でも、たかがおもちゃ一つ動かないだけで殺されちゃうって思うのは、ちょっと考え過ぎじゃない?」 「…それはこれのせいかもしれないな」 「え?」
遊作の呟きに視線を移せば、床には薄い木の箱に入ったプレートらしきものがあった。粉々に砕けている。どうやらオウムのおもちゃの台座には引き出しがあって、スイッチを押したことで開いたのだろう。前方に飛び出していた。わらしは目を丸くしてそれを見つめている。
「これ、もしかして私たちが探してたプレート…?」 「あぁ。ここに隠していたんだろうな。だからこそあのメイドはウィリアムに殺されると思ったんだ。スイッチが作動しなくて、プレートを取り出せなくなっていたから」 「そ、そっか。…でも、引き出しが開かないよりプレートが壊れちゃう方が、よっぽどまずい気がするんだけど…」
そこまでは考えが至らなかったのか。 二人はうーんと頭を抱え、その破片に手を伸ばした。
「この状態じゃ、鍵としては使えないな」 「え、それは困るよね。どうしよう…」 「何か接着剤でもあればいいんだが…」 「倉庫の中を探してみる?」
と、顔を上げた瞬間。それまで静かだったオウムの人形が突然羽を羽ばたかせ、騒がしい声で喚いた。
『欲シイカ? 欲シイカ?』 「えっ!?」 『探シテコイ! 探シテコイ!』 「何だと?」
クァ、クァ……という鳴き声の後、二人の体は過去へと飛ばされた。
飛ばされたのはどこかの墓場だった。塀に囲まれた狭い敷地内に幾つかの墓石が並び、隅には掘っ立て小屋がある。奥にはさらに金属製の囲いに囲まれたやや大型の墓が一つ。雪のぱらつく寒い夜だった。
「ちょ、ま、待って待って待って……」 「どうした?」 「いやいやいや、これ、ダメだって、ほんとにこれは…」
周囲を確認するや否や、両手を振って早々に白旗を上げるわらし。遊作は不思議そうに瞬きを繰り返している。やがてわらしは気まずそうに、視線を外しながらぼそぼそと答えた。
「ここ……墓地、だよね……」 「そうだと思うが」 「………墓地ってさ、ホラーの定番じゃない………ゾンビとか……がいこつとか……」 「…………」 「幽霊だって………かぼちゃのお化けとか出そうだし…」 「それはハロウィンだ」
わらしの間違いにとりあえず突っ込んでおく。
「とにかく! こういう場所はね…、一番怖いんだよ……何が出るかわからないんだもん……」
消え入りそうな声で俯いたわらしに、遊作はやれやれと思いながら手を握った。
「わかった。手を繋いでいてやるから。…目はつぶるなよ」
ホラーハウスの時を思い出して同じように導いてやる。けれどわらしはそれでもイヤイヤと首を振っていた。
「そういう問題じゃなくて、」 「悪いが貸せるのは片手だけだ。それも手首から下。ここで腕を組んで歩くわけにはいかないからな」 「ゆ、遊作くん…!」 「文句があるならあのオウムに言うんだな。早くここから出たいなら、さっさと探索を終わらせるしかない」 「う〜〜〜…」
もはや慣れた様子でわらしのわがままをあしらい、遊作は墓地の中を歩いて行った。わらしも置いていかれるのだけは避けたいので、我慢してその後をついていく。繋がれた手をぎゅっと握り返して。 墓地といえば夏の夜が定番だが、冬の夜も怖い。春の夜も秋の夜もまた怖い。つまりはいつだって怖い。そもそも夜に訪れる場所ではないだろう。怖がるなという方が無理だ。 せめてもの救いは、ここがいわゆる外国人墓地で、墓石が低い為に周囲をはっきりと見渡すことができ、卒塔婆といった人魂が隠れていそうな装飾品が無いことくらいか。それでも長居はしたくないが。
息が白くなるのを見つめながら歩いていると、遊作が掘っ立て小屋の前まで来て検分し始めた。
「管理部屋か? 鍵は掛かってないようだが…」
立て掛けてある扉に手を掛ければ簡単に開いた。後ろでわらしが遊作の手を引っ張っていたが最初から意見を聞く気はなく、逃げ腰になっている手を逆に引いて中に入る。 狭い小屋の中には先客がいた。60過ぎの初老の男が奥の椅子に座って居眠りをするように俯いている。照明が付いているのでテーブルの上の蝋燭は消えているが、見た通り古い小屋である。いつ停電しないとも言えないのだろう。室内は風が入らない分外に比べて幾分かはマシであるが、それでも室温は低く、暖める為の暖房器具は無かった。 遊作が男に向かって話し掛けた。
「ちょっといいか」 「んぁ……? ……お前さん、誰だね?」
男は微睡から覚めると、突然の訪問者に目を丸くしながらあくびをかみ殺す。
「この場所について話が聞きたいんだが…」 「なんだ、部外者か。勝手に入ってきちゃいかんよ。用が無いんならさっさと引き上げるこった」 「……出来ることならそうしたいが」 「ほら、今なら上に報告せんでいてやるから。さっさと帰んな。何も起こらんうちにな……クッヘッヘ……」
老人は薄気味悪い笑いを浮かべて二人を小屋から追い払った。こちらの言い分は全く聞く気がないらしい。ここが私有地の墓地で、あの男が管理を任されているのだとしたら妥当な対応ではあるが。再び外に出れば、冷たい風が二人の肌に突き刺さった。
「さ、寒……」 「早く調査を終えないとまずいな」
剥き出しの両腕をさすりながら墓地の中を歩く。
「それにしても、あの男は奇妙なことを言っていたな」 「………(耳を塞ぎ中)」 「何も起こらないうちに、とは一体どういう意味だ。……片耳が開いてるぞ」 「だって! 片手じゃ片方しか塞げなかったんだもん…」
嫌な言葉はシャットアウトしたかったようだがその試みは呆気なく失敗した。不満げな様子で主張するわらしは、同時にあちこちに視線を巡らせながら続ける。
「や、やっぱり何かいるってことでしょ、ここ…」 「何もないということはないだろうな」 「それって、幽霊とかゾンビの可能性が高いよね…」 「さぁな…蝙蝠男かもしれないぞ」 「遊作くん…!」
先程のわらしの発言に対する遊作なりの冗談である。しかしわらしは頬を膨らませると、増々不満げな様子で遊作の背を見つめた。
「遊作くんてばヒドイ。そんな風にからかうんだもん…」 「そんなに怯える必要もないだろ。幽霊はともかく、それ以外は現実的じゃない」 「幽霊は例外なんだ…!」 「実際に見てるしな」 「まぁ……そうだよね」 「それより、こいつを調べよう。今一番怪しいのがこの墓だ」
金属の扉に掛かる太い掛け金を外し、遊作は敷地内で一番大きな墓の前に立った。墓と言っても墓石がある訳ではなく、屋根のついたそれは祠のようにも見える。よほど特別な墓なのだろうか。ちょうど大型犬の犬小屋くらいの大きさがあり、この下に棺でも納められていそうな雰囲気だ。墓の手前側は蓋がしてあるように見えるので、もしかしたらここが開くのかもしれない。 詳しく調べようと遊作が墓の前にしゃがんだ時、墓を囲っていた柵の掛け金が勝手に閉まった。
「!?」 「え、な、何? 私何もしていないよ…!? 扉だっていじってないし…」
ちょうど遊作を追ってわらしが囲いの内側に入ってきた直後のことだった。扉が勝手に閉まり、掛け金が降りてしまった。誰の手も触れていないのに。
「ま、まさか幽霊のしわざ…」
顔を青くしたわらしはプルプルと震え出すと、遊作の後ろに隠れるようにして金属の柵で出来た扉を見つめた。しかしそこには誰もいない。確認する為に柵に手を触れた遊作だったが、すぐに表情を硬くした。
「動かない……閉じ込められたな」 「そんな…!」
柵の間から指を通して弄ろうとしても掛け金はビクともしなかった。先程の掘っ立て小屋とは距離がある為、大声を出しても聞こえない。他に抜け道がないかと調べるが、柵も塀も高くよじ登れそうになかった。諦めて、二人は再び墓の前に立つ。
「どうやらこれを調べる他にないようだな」 「えぇぇ……それじゃやっぱり幽霊のしわざ…」
悲痛な溜息を漏らすわらしの前で遊作は墓を隅々まで調べて行った。しかしいくら調べても隠しスイッチなどはない。その間、柵の中の狭い空間をキョロキョロと見回していたわらしが何かに気付いて言った。
「ねぇ遊作くん…」 「何だ」 「あれ、何かな」
わらしの声に顔を上げる。目線の先を辿ると、レンガの壁に埋め込まれた三つの平らな石があった。三つとも塀から少しだけ突き出ている。
「仕掛けはこれか…?」
近付きながら検分すると、石にはそれぞれ異なる三つの紋章が掘られていた。左から、翼、塔、魚だ。あからさまに何かを示唆している石を前に、遊作は顎に手を当てながら考えた。
「翼、塔、魚……何か知っているか?」 「ううん。さっぱり」 「一体何を意味するのか…」
悩む遊作の横でわらしが石に手を伸ばした。と、少し触れただけで石はぐらりと揺れる。
「!」 「こ、これ動くよ…!」
手を離すと元の位置に戻る。さらにもう一度、ちょっと押すように触れれば石は簡単にレンガに埋まった。見た目からはわからないが、一種のボタンのようである。
「三つとも押せば良いのか?」
残りの二つの石を押してみるが、三つ目の石を押したところで埋まっていた全ての石がレンガから弾かれ最初の状態に戻ってしまう。単純に押せば良いというものでもないらしい。
「押す順番でもあるのか…」 「何かヒントでもあれば良いんだけど」
二人は石を見つめて呟いた。 わらしの発言の通り、石を押す順番のヒントは実はすぐ近くにあった。ある墓石を調べるとその墓石に紋章と文字が刻まれているのだが、それは二人がいる柵の向こう側にある。柵の中に閉じ込められてしまった二人にはもはや確認しようのないことだった。
「それでも6通りしかない。適当に押していけばすぐに当たるだろう」 「………ハズレだけは引かないでね。何か出てきたら嫌だよ…」
わらしの呟きを無視して遊作は石に手を掛けた。左から自分で法則を付けて順番に押していくと、二回の失敗の後三度目にして石は全てレンガの中に埋まった。そして背後の墓からゴトリと重い音がした。振り返れば、予想通り墓の真ん中が開いている。地下に続く隠し梯子が見えた。
「ここから更に先に行けってこと?」
てっきり何かが入っていると思っていたわらしは、調査がこれで終わらないことを知って落胆した。船に戻る為には全てを解明しなければならない。無言のまま梯子に手を掛ける遊作に続いてわらしもまた地下に降りた。梯子を下りながら、この下に一体何があるのかと不安ながらに考える。地下に続く墓と言えばカタコンベを想像するが、そこにあるのが墓とは限らないからだ。
土の下は涼しいが思ったよりも暖かかった。少なくとも雪の降る地上よりは過ごしやすい。 二人が降り立った場所は、岩で補正された洞窟のような坑道である。思い出されるのはエリナを探して歩いた坑道であるが、それよりも狭く足音が響く。天井からぶら下がっている照明は所々付いていたが、全てが付いている訳ではなかった。
「ここ、どこに繋がっているんだろう…」 「わからない。…思ったより声が響くな。誰かに見つかるとまずい。なるべく音を立てずに行こう」 「う、うん…」
墓の地下に隠し通路を作るような人間である。余程世間の目から隠しておきたいものがあるに違いない。見つかったらただ事では済まないと思った遊作は、わらしの手を引っ張って慎重に歩いた。こつこつと二人分の足音が響く。 通路は一本道だが、左に曲がって少ししたところで二人はある物を見付けて表情を変えた。岩壁の一部が赤く染まっている。不自然に広がった赤い染みはどうみてもヒトか動物の血で、わらしは顔を真っ青にした。鉄臭いにおいが鼻をつく。
「こ、これって…」 「静かに」
岩壁の前で足を止めた二人はじっくりとそれを検分したが、やはり血に間違いない。不自然に散っている。ここで事故にでもあったのか、それとも…。二人は嫌な予感しかしなかった。 他に何も見つけられないので、二人はその場を越えてさらに先に進んだ。
「ね、ねぇ遊作くん……ここ、どう考えてもやばそうだよ……エリナちゃんの時よりずっと危険な気がする……」 「………」
今にも泣き出しそうなわらしの手を無言で握り締め、遊作は少しだけ力を込めた。率先して歩いてはいるが、この場所の異常性は遊作も嫌という程感じている。何が起こるかはわからないが、何かをしなければ戻れない。遊作もまた、ギリギリの精神の中で戦っているのだ。
坑道を進めば、同じように血の付いた岩壁があちこちにあったが、いちいち検分するのもやめてただ先を急いだ。しばらくして、坑道は二股に分かれた。地図はないので適当に右から調べる。 曲がりくねった坑道の先には少し広いスペースがあって、天井から地面に幾つもの鉄製の杭が等間隔に打ち込まれていた。人が通るには狭すぎる。すなわち、檻である。
「こんな所に牢屋か…?」 「う、わぁ……」
この地下通路の目的が何となく読めてきた。やはり良くない場所なのだろう。 檻の横にはプレートを嵌める為のレリーフがあり、その下にはスイッチらしきボタンがあった。押しても何も起こらなかったので、恐らくプレートを嵌め込むことによって初めて起動する仕組みになっているのだろう。四角形の形が火鳥のプレートのものとは若干違うので、二人が持っていない新しいプレートであることが窺えた。あの粉々に割れたプレートがそうだったのかもしれない。
「あのオウムが『探シテコイ!』と言ったのは、プレート自身のことか…?」 「あ、もしかして、ここが過去なら、壊れる前のプレートがあるってことかな」 「! そうかもしれない」
わらしの考えに遊作が頷いた。 ここでプレートが手に入るなら話は早い。恐らくそれが船に戻るのに必要な手順の一つだろう。 二人は来た道を戻って、分岐点からさらに奥へと進んだ。しばらく進むとまた分岐がある。しかし片方は分岐直後に鉄格子が地面に食い込み、それ以上先に進むことはできない。横には先程同様、プレートを嵌め込む為のレリーフとスイッチがあった。
「この先には行けないね…」 「まだどこかに続いていそうだが」
言いながら、もう片方の道を進んでいた時だ。行き止まりに着く直前、二人の背後から大きな声が掛かった。
「そこにいるのは誰だ!」 「!」 「!?」
慌てて振り向けば、速足で近付いてくる老人がいた。その顔に見覚えのあった二人は目を大きく見開き、緊張に体をこわばらせた。そんなまさか。口の中で呟く。 少し若い気がするが間違いない。老人は、ウィリアム・ロックウェル本人だった…。
「う、そ……」
思わず声を漏らしたわらしを隠すように遊作が前に出る。黒い服と帽子に身を包んだウィリアムは、厳しい口調で二人を問い詰めた。
「貴様ら、何者だ? どこから入ってきた?」 「…………」
遊作は無言でウィリアムを見据える。わらしはどうしようと思いながら、自身も何も発することはできず行く末を見守っていた。 ややあって、老人は頭を振って言った。
「……まぁ良い」
どうやら深くは追及されずに済むらしい。その代わり、「ここへはあまり他人に出入りして欲しくないのだ。悪いが帰ってもらおう」と踵を返し、二人に背を向ける。たった今先に進めないと思った鉄格子の横でプレートを嵌め込み、スイッチを押した。途端、鉄格子が上がっていく。
(天魚のプレート…!)
「出口は向こうだ、…来たまえ。この奥だ」
ウィリアムは二人を誘導すると自分は後ろからついてくる。後戻りさせる気はないようだ。 仕方なく二人はウィリアムから微妙な距離を取りつつ、こっそりと会話をした。
(今の、私たちが探してたプレートだよね?) (間違いない) (じゃぁ、あれを持って帰れば良いんだ…) (だがプレートはレリーフに嵌ったままだ。取りに戻ろうも、ウィリアムが邪魔をしている…)
ちらりと後ろを振り向けば、ウィリアムは付かず離れず二人の後ろに張り付いている。目が合うと「…どうした? 早く行きたまえ」と急かされる。
(仕方がない。隙を見てプレートを取りに行くしかない)
遊作はわらしを連れて足早に通路の奥へと向かった。なるべくウィリアムからは離れていたい。 しかし一本道の通路を奥へ奥へと進んだ先には、行き止まりしかなかった。小さな部屋くらいのスペースで袋小路なっている。そしてその中央の壁には一人の女性がもたれ掛かるようにして絶命し、胸からはおびただしい量の血が流れた跡があった。「!」遊作もわらしも息を止めて女性の姿を凝視する。
「そ、そんな……これって……」 「やはりただで帰してくれる訳が無かったか…!」
罠に掛けられたと気付いた時には既に遅く、後ろからウィリアムの足音が近づいてくる。逃げようにも逃げ場はない。わらしは絶命している女性の顔を見て何かに気付いた。
(この人…、)
軽快な足音を立てて、したり顔のウィリアムがやって来た。
「ここまで連れてくるのが難しくてな……いつも苦労している」 「……ここで人を殺しているのか。この女性も…」 「その通りだ。それは良い女だったが、選ばれてしまったからには仕方がない」 「選ばれた…?」 「それにしても今日は幸運だ…あと二つも魂が手に入るとは…」
そう言って懐から赤い石の付いたナイフを取り出し、まるで警官が片手で持った警棒をもう片方の手で受け止めながら叩くように、それを揺らしながら近づいてきた。
(あのナイフ…!)
ギラギラと不気味な光を放つ赤い石の付いたナイフを見つめ、遊作は警戒心を一気に引き上げた。女性の遺体の傍らにしゃがみ込むわらしの手を引っ張り、ウィリアムと対峙する。笑いながらナイフを振りかぶって来るのをすんでのところで避け、同時に足元を狙って蹴りを繰り出す。蹴りはウィリアムの足を掠っただけだが、それでもバランスを崩して転倒した。その隙に遊作は駆け出した。
「今のうちだ…!」 「ま、待って…!」
駆け出した遊作に腕を引っ張られたまま、わらしもまた走り出した。早くしないといつ追いつかれるかわからない。ウィリアムと対峙した時にわかったが、あれは老人の動きではない。常日頃鍛えているのか、それともあの赤い石がそうさせているのか。どちらにせよ、ウィリアムからは離れるしか手はなかった。
通路を進み、ウィリアムに連れて来られた分岐のところで遊作はスイッチを押した。あわよくば、再び鉄格子が降りて来ないかと期待したのだが、何も起こらなかった。
「クソッ駄目か…」
仕方無く、プレートだけを取り外して走った。地上に出れば何とかなるかもしれない。 しかし、来た道を戻った二人だったが、梯子がある場所の直前で鉄格子の付いた扉が先を阻んでいた。
「な、何で!? さっきはこんな所に扉なんて無かったのに…!」
ドン、と扉を叩けば、鉄格子の隙間から掘っ立て小屋にいた老人が姿を見せた。
「お前は…!」 「もう逃げられはせん。貴様の魂もウィリアム様のものに…」
クッヘッヘ、と不気味な笑いを浮かべて二人を見ている。遊作は舌打ちをすると、わらしの手を引っ張って再び来た道を戻った。
「どこに行くの…!?」 「もう一つ、牢屋があっただろう…そこに行く!」 「で、でもそしたら逃げ場がないんじゃ…」 「まだわからない。あそこも奥に続きがありそうだった…!」
走っていると分岐のところで再びウィリアムと会った。前触れもなく突然ナイフが襲ってくる。
「くっ…!」 「遊作くん!」 「止まるな、走れ!」
軽く頬を切られた遊作だったが、重症には至らず尚もわらしを連れて走り続けた。後方ではウィリアムが余裕の表情で血の付いたナイフを舐め、「クククク…」と呟いていた。わらしは背筋がゾクリとした。走って追いかけてくる様子が無いのは、二人が逃げられないと知っているからか。
牢屋のある場所まで来ると、すぐにレリーフにプレートを嵌め込んだ。スイッチを押すと鉄格子が上がる。プレートを取り外しても何も起こらないことから、やはりスイッチは一度しか起動できないらしい。奥に向かって走る。
「ハァ、ハァ……ここ、迷路みたいでわかんなくなる…っ」 「必ずどこかに抜け道があるはずだ…!」 「でも、早くしないとあのおじいさんが…」
恐怖が体の動きを阻害して、わらしは思ったように走れない。遊作に引っ張られながら何とかついていけている状態だ。そのまま走り続けると、再び小さな部屋のようなスペースに辿り着いた。壁には拷問を表しているような絵が掘られ、うっと目を逸らした。その奥にレリーフを見付けた遊作はすぐにプレートを嵌めようとしたが、その凹み部分に文字を見付けて思いとどまった。
「“先は後になる。後は先になる”……どういう意味だ?」 「何でも良いから、早く出ようよ!」
遊作からプレートを奪ったわらしが嵌め込んでスイッチを押すが、何も起こらない。
「え!? な、何で…」 「……手詰まりか」
遊作の表情も硬くなる。そもそも壁にレリーフはあるが、四方は岩壁に囲まれていてどこにも出入り口はない。正しく手順を踏んだところで逃げ場はないのだ。そこにウィリアムがやってきた。
「どうした? 逃げんのかね? フフフフ……」
ゆったりとした足取りで近付いてくる。遊作は再びウィリアムのナイフを避けると、通路を逆走しながらわらしが叫んだ。
「こ、今度はどこに行くの…!」 「考えていない!」 「え!?」 「考えられる出口はあのレリーフの先にしかない…、だが出口は開かなかった。ということは何か手順が違うはずだ……っ、走りながらあの暗号を解く…!」 「えぇぇぇぇ…!!!」
遊作の言葉にわらしは絶叫を上げながら抗議した。
「そ、そんなこと本当に出来るの…っ!?」
走りながら問うが、遊作にも自信は無い。答えられるものは何も無かった。だがここで諦めてしまえば、二人に待っているのは直接的な死だけだ。船に戻れず、元の世界にも戻れず、人知れず死を迎えてしまうのだけは避けたい。何よりわらしをそんな目に遭わせたくはない。二人で無事に元の世界に戻ると約束したのだ。そして未だ鞄の中に眠ったままの指輪も渡せていない……つまり、ここで死んでしまったら、後悔しか残らない。
(先は後、後は先……順番を入れ替えろということだろうが、一体何の…)
「遊作くん、またこっちの部屋まで戻って来ちゃったよ! どうするの!?」 「(どこか他のスイッチと連動しているということか? いや、そんなはずはない…プレートを嵌め込むだけの単純な仕掛けになっているはずだ。他のスイッチは関係ないはず…)」 「遊作くんってば! ……もう! せめてスイッチがもう一回動いてくれれば、あのおじいさんを閉じ込めることができるのに…っ」
わらしはうんともすんとも言わないスイッチを連打し、恨めしそうに呟いた。「!」その様子を見ていた遊作が、唐突に何かに気付く。
「そうか…、もっと単純なことかもしれない」 「! な、何かわかったの!?」 「とりあえずさっきの場所に戻るぞ!」
考えをまとめた遊作は、わらしの手を引いて女性の遺体が横たわる小部屋から出ると、途中で襲ってくるウィリアムを躱し、再びあの何も反応しなかったレリーフの前へとやってきた。
「これ、さっきは全然動かなかったけど…」
不安そうに顔を覗き込んでくるわらしの前で、遊作はスイッチを押す。それから天魚のプレートをレリーフに嵌め込んだ。すると…
ゴゴゴゴゴ…
「!」
レリーフのある隣の壁が天井に向かって吸い込まれていった。
「か、壁が…」 「よし。思った通りだ」
壁があった場所には道が開け、その先に通路が続いていた。遊作はレリーフからプレートを外すとわらしと共に狭い空間から出て行く。
「見て、あっちに梯子が…!」
通路の奥には地上に出る為の梯子か掛かっていた。二人は急いでそこに向かっていく。梯子の先が一体どこに繋がっているかはわからないが、地下にいるよりはマシだろう。
「早く、早く…」
鉄製のステップに足を掛け、一段一段登る。後ろから、ウィリアムの声がしたが振り向いている余裕はなかった。 そして、ようやっと地上に辿り着いた時。 二人の体は過去から現在へと戻っていた。
船に戻った二人は、辺りをキョロキョロと見回して、自分たちの無事を確認した。地下倉庫の一室、オウムの人形の前。足元の引き出しにはそこにあったはずの壊れたプレートはなく、手の中には新しいプレートが。
「戻って……来た?」 「あぁ」 「も、もう追いかけられることはないんだよね…?」 「大丈夫だ」
その返事を聞いて安心したわらしは、へなへなとその場に座り込んでしまった。「良かった〜」と心から安堵して呟いた。
「まさか、あそこでウィリアムに遭遇するなんて思ってもみなかったけど…」 「考えてみれば、このプレートにまつわる人物と言ったら、ウィリアムしかいなかったということだ」 「言われてみればそうだけど…。でも、でも、怖かったよ……本当に無事に戻ってこれてよかった」
嬉し涙さえ浮かべそうなわらしに、「かぼちゃのおばけも出なかったしな」と言えばわらしはもうどうでも良いのか「そうだねー」と返すだけだった。
「あ、でも最後の仕掛けって、結局なんだったの? 私最後までわかんなかったんだけど…」
思い付いた疑問を口にすれば、遊作はちょっと面倒くさそうに溜息を吐いた。
「あれか。想像以上に単純過ぎて馬鹿らしくなるようなものだった…」 「どういうこと?」 「暗号は、“先は後、後は先”みたいな感じだっただろ?」 「うん」 「それで俺は何か手順を逆にしなければならないと考えたんだが、逆にする手順と言ったら、プレートとスイッチしかなかったということだ」 「プレートとスイッチの手順を逆に……、あ、も、もしかしてそういうこと?」
わらしが困ったように聞き返せば、遊作も疲れた顔で頷いた。
「俺たちはプレートを嵌めてからスイッチを押していたが、最後のレリーフだけはそれを逆にしなければならなかったんだ」 「確かにそれは単純だけど……、逆に単純過ぎて気付かないような……」 「本当にな。お陰で気付くまで時間が掛かった」
言いながら、血の跡の残る頬を軽く指でぬぐう。わらしがリュックからハンドタオルを取り出して渡した。
「あれだけ凝って通路を作っている割には、仕掛けは単純とか。あのおじいさん、どこか抜けてるのかな…。傷、痛む?」 「ありがとう。平気だ。…どうせ頭の中は凝り固まった爺さんなんだろ。石に操られてるだけで頭が良くなっている訳でもない」
乾いた傷口にバンドエイドを貼ると、遊作は少し驚いたようにその上を手で擦った。
「用意が良いな」 「えへへ。実は医務室でちょっと…」 「あぁ」
そういえば夜会服を取りに行った時、何やら室内を漁っているのを見た。その時に手に入れたものなのだろう。
「それとね、もういっこ見て欲しいものがあるんだけど…」
そう言ってわらしが差し出したのは、小さなロケットの付いたペンダントだった。中には男女のカップルの写真が嵌めてあり、幸せそうな表情で写っている。恋人だろうか。
「これは?」 「……あの部屋で亡くなっていた女の人の手元にね、落ちてたの」 「!」 「きっと、死ぬ直前までこの写真を見ていたんだと思う…大切な人の写真を…」
わらしの表情は暗く、寂しそうな口調だった。
「だが何故これを持って来たんだ? そんなに大切なら、あの場に残しておいてやった方が良かったんじゃないか?」
遊作が問えば、わらしはふるふるとその首を振った。
「良く見て。この女の人、あの亡霊の女の人に似てない?」 「…、! そういえば…」 「あの地下通路で殺されたのがあの女の人だとしたら、この人もやっぱりウィリアム・ロックウェルを憎んでいる。そして、エリナちゃん同様に自分を見失いながらこの船にいる人間を襲っているのだとしたら…」 「正気に戻らせる為の何かが必要か」 「うん。それで、これがそうなんじゃないかと思って、あの時咄嗟に…」
わらしの説明に遊作も納得したように頷いた。ウィリアムに小部屋まで追い詰められた時わらしが女性の遺体の傍らにしゃがみ込んでいたのは知っていたが、まさかそんなことを考えていたとは。遊作はわらしの手にペンダントを返すと、それを握らせた。
「あの状況で良く判断したな。正解だ」 「! ほんとに?」 「あぁ」 「良かったぁ……、私足手まといじゃないかって、ずっと不安だったから…」
嬉しそうにそう答えるわらしの前で、遊作は「足手まといなんかじゃない」と返す。わらしはふふ、と笑いながら「ありがとう」と言った。
「手掛かりを手に入れることができたんだ、早速あの女のところに行こう」 「そうだね。行って、教えてあげなくちゃいけない。ここにはいちゃいけないよって…」
二人は部屋から出ると、向かいにあるポンプ室へと向かった。緊張する胸を押さえ、深呼吸してからゆっくりとドアノブを回す。中に入るとすぐに、暗闇の中に亡霊の姿が浮かび上がった。くるりと一回転してから二人に向き直る。
『フフフフフ…』
女性の霊は笑っている。馬鹿の一つ覚えみたいに二人に向かって人魂の瘴気を放ち、いたぶろうとする。その瘴気が辿り着く前にわらしは先程手に入れたペンダントを掲げ、亡霊に向かって写真を見せた。
「これを見て!」 『!?』 「あなたのだよ…! あなたが死ぬ直前まで大事にしていた…」 『………』
亡霊はピタリと動きを止めると、やがてペンダントに向かって両手を伸ばす。そして静かに女性の掌に収まったそれを抱くと、女性の表情は穏やかに変化する。
『私のペンダント……私と…あの人の……』
その笑顔は慈愛に満ち溢れていた。優しい手付きでペンダントを握り締める。彼女を苦しめるものはもうない。 それを悟った女性は、エリナの時同様に、そのまま静かに成仏していったのだった。
>>SUMMER VACATION!−13 |