SUMMER VACATION!−10

シアターへと続く受付に入ると、そこは暗いものの僅かなスタンドの明かりが周囲を照らし、何とか見渡せる程度だった。しかしこの状態で亡霊が出ないとは限らない。

「明かりを付けたいが、スイッチはカウンターの向こうにあるな」
「どうしよう…」
「先にシアターの方に入ってみよう」

遊作に促され、わらしはシアターへと続く扉を開けた。両開きの大きな扉の向こうには、正面に映画の上映が行われるスクリーンが提げられている。手探りで照明のスイッチを入れると、その全貌が露わになった。壁に沿って並べられている革張りのソファ、幾つかのローテーブル。そしてシアターの中で、座りもせず立ち尽くしている男性の影。医務室から逃げ出した医師の男、それであった。

「あの人…!」

わらしが目を見開くと、遊作はつかつかと男に向かっていった。男は片手を杖に預けながら、もう片方の手で顔を覆っていた。消沈しているようである。

「泣いてるの…?」
「おい爺さん、何があったんだ」

遊作が問い質すと、男はそのままの態勢でしゃがれた声を絞り出した。

『仕方がなかった……。ウィリアム様は…恐ろしい方だ……』
「脅されでもしたのか?」
『アーサー様…わしが…殺した…』
「!」

男の口から、ついにはっきりと殺人を示唆する供述がなされた。遊作もわらしも驚愕を露わにする。詳しく聞きたかった二人だが、男はそれ以上何も語らなかった。
男から離れて、遊作はわらしと話し合った。

「やはりこの男は殺人に関わっていたのか…」
「ねぇ、でも待って。さっきの男の子の話が本当なら、アーサーって人はナイフで刺されて死んだんだよね? 毒じゃなく…」
「あぁ」
「それって変じゃない? このお医者さんはアーサーさんが毒殺されたって信じてるよ」
「…何か誤解が生じているのかもしれない」

アーサーの死因について確信が得られないまま二人はシアターを後にした。これ以上調べても得られるものはなさそうである。
シアター前の受付でカウンターに寄りかかったわらしは、従業員を呼ぶ為のベルを見つけた。遊作の顔を窺ってからそれを一度押してみる。チーン、と鐘の音が響く。

「誰か来るかな…」

呼び鈴が鳴って間もなく、カウンターの奥にある扉から一人の人間の影がすり抜けてやってきた。カウンターの前に立っている二人を前にして、たどたどしく言葉を紡ぐ。

『すいません……もう上映は終わりました……。この後は…その…貸し切りなんです』
「貸し切り? あの男にか?」
『え、いえ。ちょっと他に約束があって…。とにかく今日はもう無理なんです。すいませんけど、また今度…お越しください……』

どことなく気の弱そうな感じを受ける男性の影は、それだけ言うと再び『すいません……すいません……』と謝りながら扉の向こうへと消えて行った。受付に静寂が漂う。

「なんか、断られちゃったけど。せめてスイッチだけは付けて行って欲しかったなぁ」
「下っ端なんだろ」

無情にも遊作はそう切り捨てると、カウンターを調べ始めた。よく見ると一部が扉のようになっていて、向こう側に行けるようになっている。扉をくぐり抜けてカウンターを越え、壁に付いている照明スイッチを入れた。カチ、という音と共に室内がようやく照らし出される。

「なんだ、ちゃんと通れるようになってるんだ」

床の上を這いながら呟くと、遊作が平然と返した。

「こういうのはどこも同じ造りになっているからな。ダメならカウンターを乗り越えて行こうと思っていたから問題はない」
「まぁ、確かにね…」

明るくなった室内を見渡すと照明スイッチの正面の壁に太陽のレリーフがあった。

「こんなところにも入口があるなんて…」
「俺たちがここを通ることも想定済みだったってことか」
「……何か本当によくわからない。あの人、何でも知ってるみたいな口ぶりなのに、こっちが知りたいことは何も答えてくれないし…」
「少ししたらもう一度行ってみるか」
「んー。遊作くんがそう言うのなら」

マップに印を付けながらわらしは同意した。
奥の部屋に入ると、そこは二階へと続く梯子があるだけの本当に狭い空間だった。順番に梯子を登り二階に上がると、薄暗い部屋の中で先ほどの男性が映写機の横に立って窓の先を覗いている。そこからはシアタールームのスクリーンが見えた。

「映写室か、ここは」

遊作が頷きながら近づくと、男は何やら独り言を呟いていた。

『もう来てもいい頃なのに…遅いな、あの子……。フィルム…上映する約束だったのに…』
「貸し切りって、子どもだったの?」

わらしが目を丸くしている。遊作が応えた。

「狭いシアタールームだ。他に客がいなければ、簡単に貸し切れるんだろ」
「んー。もしかして、船は大きいけど思ったより人は乗ってなかったのかなぁ」
「ゲストルームの数もそんなになかったしな」

二人が納得し合っている横で、男は『どこにいるんだ…あの子……』とため息を零していた。

その後映写室を調べた二人は、木製の棚に置いてあった一枚のレコードを見つけた。広い棚にそれしかないというのは奇妙である。気になったので持ち帰ることにした。

「確か子供部屋に蓄音機があったよね。そこで流してみよっか」
「カジノのジュークボックス……はダメだな。勝手に弄ったら怒られる可能性がある」

他には映画のポスターが二枚ばかり貼ってあるくらいで、特に目ぼしいものはなかった。待ちぼうけをくらっている気の優しい男性を残して、二人はシアターから出て行く。通路を通り、再び子供部屋へ。そして今手に入れたばかりのレコードを再生した。すると…


Ah〜Ah〜〜〜♪


レコードから流れ始めた音楽に合わせ、それまで沈黙していた女性が唐突に歌い出した。その声量は凄まじく、子供部屋のみならず通路まで聞こえるような歌声だった。

「ちょ、何で急に……凄い声だよこれ!」
「だがレコードは止められないぞ…!」

思わず耳を塞ぎながら蓄音機を何とかしようとする二人だったが、四苦八苦する横で黒い影が通り過ぎた。ん?と振り返れば、先程見かけた子どもの影が室内にいる女性に向かって駆け寄っているではないか。

「あの子、さっきの…」

子どもは両手を伸ばし、母親もまた歌いながら膝を曲げて我が子を抱きしめる態勢で受け入れる。そして子どもが女性の手によって抱き上げられると、その瞬間に二人の影は泡となって消えたのだった。

しばらくしてレコードが止まる。
わらしは残された球体に触れ、それが弾けて消えて行く様を眺めていた。

「えっと……これであの二人は成仏できた、ってことだよね」
「あぁ。これで終わりにまた一歩近づいたことになる」
「うん。歌は凄かったけど、まぁ会えて良かったなって思うよ。…でも、その先は天国か…」

出来ることなら生きている内に会わせてあげたかったと思うわらしであったが、それは決して叶わない望みである。
遊作はそんなわらしの肩を抱き、子どもの影が落とした金属片を拾った。それは王冠の形をしたピースだった。

「これは既に過去に起こったことなんだ。考えても仕方がない」
「うん…」
「それより、見たかったものが見れるかもしれないぞ」
「?」
「宝箱の鍵だ」

遊作は拾ったばかりの金属片を見せると、わらしの掌に置いた。

「開けてみたかったんだろ?」
「!」

遊作に促されて、わらしは途端に表情を変えた。王冠のピースを持っていそいそと宝箱の前に行く。その後ろ姿を見て、遊作は少しだけやれやれと呆れつつも安堵していた。落ち込んだわらしの顔は見たくない。笑っている方がいい。

わらしが宝箱の窪みにピースを嵌め込むと、中でカチリと音が聞こえ、鍵が外された。ワクワクする気持ちを抑えながら蓋を開けると、中に入っていたのは映画のフィルムと何かの歯車のようだった。思いがけないアイテムに、わらしが瞬きを繰り返す。

「宝箱の中身って…これ?」

夢もへったくれもないような品に、わらしは首を傾げる。その横で遊作がその二つを取り出した。

「案外重要な物かもしれないぞ。子どもにはともかく、俺たちには」
「……フィルムは映写室に持って行けばいいのかな。歯車はわからないけど…」
「これも後で何かに使えるかもしれない」

無くさないように歯車を鞄の中にしまい、二人はシアター受付から映写室へと向かった。子どもとの約束を理由にそこに居続ける男の影に映画のフィルムを差し出すと、男はゆっくりとそれを手にした。

『フィルム…そうか…あの子は…もう…死んで……』

どうやら約束をした子どもが死んだことも、自分が死んでいることも忘れていたらしい。男の胸にあったのは、子どもとの約束だけだった。
そのままフィルムを映写機に嵌め込むと、ボタンを操作しながら呟く。

『約束だから………これが最後の……上映……』

そして再生ボタンを押し終えると、静かに泡となって消えた。





「子どもとの約束が心残りだったのか…」

遊作の呟きにわらしは頷くと、その手を取って連れ出した。

「優しい人だったんだね。…でもあの人、何のフィルムを上映したんだろう。気になるから見に行こうよ」
「ただの映画じゃないのか?」
「んー、でもさ。ただの映画を子どもがわざわざ宝箱の中に保管してると思う? 普通、映画のフィルムって持ち出しできないはずだし…」

わらしの指摘に遊作はハッとして表情を変える。

「そうだな。もしかしたらあのフィルム自体に何らかの秘密が隠されているのかもしれない。…シアターにはあの老人がいたが、まぁ気にも留めないだろう。急いで行こう」
「うん」

登ってきた梯子を下り、カウンターを越えて二人はシアタールームへと滑り込んだ。フィルムは既に上映されていたが、最初の方は広告が流れるばかりで本編はまだ始まっていなかった。薄暗い室内を進み、ソファへと身を沈める。並んでスクリーンを眺めていれば、やがて本編は始まった。それはコメディ映画のようだった。

木材を担いだ男性が二人、前から歩いてくる貴婦人に見とれて顔を赤らめる。すれ違い様に前方の男性が振り向き、女性に声を掛ける。その勢いで後ろにいた男性が担いでいた木材に吹っ飛ばされて倒れてしまった。
女性といくらか会話をして満足した男は再び仕事に戻ろうとして後ろを向くが、その際に今度は女性を吹っ飛ばしてしまう。二人から非難の声を浴びせられて、男はおどけたように謝った。反省しているようには見えない。と、画面がその男を中央に捉えた時突然その男はスクリーンの中から画面の外を見据え、不気味に笑い出した。その顔を遊作もわらしも知っていた……そう、あれは列車の中で…。
その時の恐怖を思い出し、わらしの呼吸は一瞬止まった。

「! 画面が…」

唐突にスクリーンが真っ暗になると、しばらくして新しいシーンに切り替わった。先程までのコメディとは打って変わり、何か録画したものを映しているようである。通路の角に設置された監視カメラの映像のようだ。
映像の中で、そこから見える扉から杖をついた一人の男性が後ろ向きに飛び出してきた。その後を追うように、今度は腹部が血濡れの女性が倒れるようにして出てくる。

「やっ…!」

わらしが両手で口を覆った。遊作の表情も硬い。
飛び出してきた男は部屋の中に向かって両手を突き出し首を振って後ずさるが、後ろには壁が迫り逃げ場はない。そして扉の影からナイフを手にした老人が出てくると、抵抗も虚しく腹部を刺され、あっという間に地に伏してしまう。老人の姿は列車の中で会った、ウィリアム・ロックウェル、その人だった。

「酷い……こんな簡単に…!」

わらしは唇をわなわなと震わせ、横にいた遊作によって抱き寄せられた。
画面の中で二人の人間が血塗れになって横たわっている。どう見ても助かりそうになかった。




フィルムの上映が終わると、再び明るくなったシアター内で男の声がやけに大きく響いた。

『毒の……せいではない……?』

二人の視線が男に向かう。男はしゃがれた声で、今流れた映像を思い出しては首を振って狼狽していた。大きな思い違いをしていたらしい。

『あのナイフ…赤い…ナイフ……ウィリアム様の……』

ウィリアムが二人を殺害したナイフには遊作たちにも見覚えがある。ヘンリーを追い詰めた後、何故か恍惚とした表情で魅入っていた。不気味なナイフ。

『アーサー様は…ナイフで……。毒ではなかった…』

男は何度もそう呟くと、最後にハッと上を見上げて言葉を零す。

『わしの…わしのせいでは……なかった……』

自責の念から解き放たれた老医師は、そのまま泡となって消えたのだった。





「…アーサーさんが死んだのがあのお医者さんのせいじゃなかったとしても、あのお医者さんがしたことは絶対に許されることじゃない…」

医師が落とした鍵を拾う遊作の傍らで、わらしは珍しく強い口調で非難した。

「だって、そうでしょう? 医者っていう職業は、人の命を救う為にあるはずなのに…」
「その意見には同感だが、あの男にも何か事情があったのかもしれない」
「事情?」

遊作の言葉にわらしの眉間に皺が寄る。

「今までの情報を整理すると、ウィリアム・ロックウェルという人間は相当な危険人物だ。簡単に人の命を弄び、身内ですら平気で手に掛ける。その上財閥のトップ。…思いのままに人を操るのは朝飯前だろう」
「じゃぁさっきのお医者さんもウィリアムに何か弱みでも握られて…」
「全て推測の域を出ないが。…本意でなかったのは確かだな」

何度も『仕方なかった』と繰り返す医師には、後悔の念が込められていた。逆らえる相手ではなかったのだろう。
わらしはそれ以上何も言えなくなって俯いてしまう。遊作は拾った鍵を手に、わらしの手を引っ張った。

「とりあえず、医務室に戻ろう。この鍵を使う場所があるはずだ」



医務室に戻った二人は、何か調べ残しがないか部屋の隅々まで見て回った。そこで気付いたのが、過去に続いていた戸棚である。両開きの扉を開ければ過去に飛んだが、扉の下の引き出しはまだ調べていなかった。予想通り三つある内の一つに鍵が掛かっており、シアタールームで拾った鍵を差し込めば簡単に開いた。中には中和剤と書かれた瓶が入っていた。

「中和剤? 一体何の…」
「これを使える薬物や液体は……、すぐそこにあったな」
「もしかして、あの緑の液体?」

わらしの言葉に遊作が頷く。

「あそこしか考えられない……というかあそこが駄目だったら、今度こそ詰むぞ」
「ってことはやっぱりアレ、結構危ないものだったんだね…通らなくて良かった」
「何が起こるかはわからないが、もうこの辺りでできることはカジノを除いてやり尽くした。試してみる価値はある」
「うん」

二人は医務室を出ると、すぐ左手にある緑色の液体が広がる水たまりを前に足を止める。瓶の蓋を開け、中身を勢いよくそこに向かって振りかけた。途端、緑色の液体はシュワシュワと激しい音を立てて浄化されていく。

「!」

固唾を飲んでその様子を見ていると、緑色の液体はやがて色を失い鎮静化した。床から湧きあがる液体のカーテンもない。まるでキッチン泡ハイターを使った後みたいだな、とわらしはこっそり思った。

「上手くいったな」

満足そうに呟いて、遊作は中和剤の瓶を片付ける。

「もう、大丈夫?」
「あぁ」
「ここを通れるってことは、元の通路に行けるんだよね。大食堂前通路にも…」
「問題ないはずだ」

わらしはそれまで液体があった場所を軽く飛び越えてみて、ようやく道が開通したことを喜んだ。

「良かった! 歩けるよ!」

子どものようにはしゃぐわらしを前に、遊作もホッと息を吐いた。

「よし。それなら早速着替えてパーティー会場に向かいたいところだが…」
「?」
「今日は一旦ここで探索を止めよう。俺たちが思っている以上に、遅い時間かもしれない」
「そういえば…」

二人は朝から船内を回って歩いていた。ゲストルームを行き来し、過去に飛ばされながらエリナを成仏させ、その後はヘンリーと思わしき人物に頭を殴られ気絶し。医務室で目が覚めた後もカジノや子供部屋、シアタールームを回り謎を解いて来た。そもそも医務室で目が覚めた時既に夕方だったはずだ。

「この頭でドレスを着るのもちょっとね…」

頭に巻いた包帯を弄りながらわらしが呟いた。

「とりあえず、夜会服を持って昨日の船長室まで戻るか」
「それもいいけど。どうせなら、特別ゲストルームに行ってみない? あそこなら暖炉があったから、色々と便利だと思うけど。ベッドも広かったし」
「あぁ。それでもいいな」

意見が一致したところで二人は医務室で夜会服を回収し、通れるようになった通路を過ぎてゲスト用通路の一番奥にある特別ゲストルームに入った。荷物を置き、二着の夜会服をハンガーに掛ける。バスルームを覗いたわらしが遊作に言った。

「良かった。バスローブが用意されてるよ、ここ」
「船長室にはタオルとアメニティしかなかったからな」
「うん。そろそろ洗濯したかったし、助かる…」

緊急事態だったとはいえ、同じ服を二日続けて着る羽目になっていたわらしはかなりストレスを感じていた。船内はそれなりに空調は効いているが夏場には変わりない。否が応でも汗をかいているのだ。

「…包帯、手伝うか?」

真っ先にバスルームを使おうとしているわらしを見つめて、遊作が申し出た。

「あ、そうだね。やってもらえると嬉しいかな」
「ちょっと待ってろ」

遊作はわらしの頭に巻かれた包帯を丁寧に外していき、血の付いたガーゼを剥がす。傷口自体は秘薬によって既に塞がっているが、痕は残るかもしれない。それ以上に、わらしを傷付けてしまったことを深く後悔する。守れなかった。
色々な感情が入り交じって、遊作は思わず目の前の体を抱き締めた。

「ゆ、遊作くん…?」

突然の抱擁に、わらしは戸惑いながらも受け入れる。

「……ごめん」

遊作の声がわらしの耳を掠めた。

「守るって言ったのに、守れなかった…」
「……、」
「傷付けてごめん…」

遊作が心から後悔している声を聞いて、わらしはふっと肩の力を抜いてその身を抱き締め返した。

「大丈夫だよ。これくらい、どうってことないよ」
「だが…、」
「それにね。遊作くんにはもういっぱい守ってもらってるよ。この世界にくる前からずっと…。遊作くんと一緒じゃなきゃ、もっと沢山大変な目に遭ってたと思う」

そう言って、わらしは遊作の腕の中で静かに目を閉じた。

「遊作くんに手を引いてもらえるとね、凄く安心するの。ありがとう…」

じわりと、その言葉が遊作の中で広がった。遊作は無言のままその体を抱き締めていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


諸々の仕度が終わって、バスローブ姿でベッドに滑り込んだわらしは、隣で人物ノートを眺めている遊作の手元を覗きこんだ。今日会った人物たちの情報が書かれている。

「みんな成仏していったね…。少しは楽になれたのかな」
「呪われた船から解放されたんだ。悪くはないだろう」
「うん…」
「還るべき場所に還ったんだ」

遊作の腕が伸びてきたので、遠慮なくその腕に飛び込んだ。その後もページをめくっていると、例の占い師のページになった。驚くべきことに備考欄には“霊能者”と書いてある。

「え。あの人占い師じゃないの?」

信じられない、といった表情でわらしは口を開く。

「だって、水晶とか置いてあったよ? あの部屋…」
「自分からは占い師だとは名乗ってなかったけどな。どちらにしろ、胡散臭い占い師から胡散臭い霊能者に変わっただけだ」
「うーん……どっちも信用ならないね」

占い師と霊能者ではどちらの方が信用があるだろうか。さらにペラペラとページをめくっていくが、どういう訳かエリナの頁が無かった。エリナの父や、エリナの運命を語った少年の頁はあるのに、エリナ自身の頁だけはどれだけ探そうとも見つからなかった。
どうして?とわらしは表情を曇らせる。

「エリナはこの船の中で死んだ訳じゃない……そういうことじゃないか?」
「あ…」
「この船で死んでいった奴は成仏すると必ずあの紫の球体を残していった。だがエリナが去った後には何も残っていない。エリナは、遠い過去で既に成仏しているんだ」
「エリナちゃん…」

優しい表情で消えて行った少女のことを思い出し、わらしは胸が締め付けられる思いだった。そしてふとあることに気付く。

「あのね。もし悪霊になった人がみんな何らかの事件に巻き込まれてこの船の上以外で亡くなったんだとしたら、あの女性もまた、どこかで殺されちゃったってこと?」
「ウィリアム・ロックウェルにな」
「そんな…」

ウィリアムの仕業を思い起こし、わらしは口を噤む。そんなわらしを見て遊作はノートを閉じてシーツの中に隠した。身を寄せ合い、熱を与え合う。

「明日はそのウィリアムに会うんだ。少しでも寝よう」
「うん…」

不安を抱きつつも無理矢理目を瞑る。脳裏にはあの老人の不気味な笑顔がちらついていた。二人の前に現れては消えて行く。存在そのものが異様だ。恐ろしい。

(どうかこれ以上悪いことは起こらないで…)

わらしは遊作の腕の中でそう強く念じながら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。



翌日。二人が夜会服に着替え準備を整えた時には陽はすっかり昇り、ギラギラとした太陽が甲板を照り付けていた。晴天の空を仰ぎながらわらしが呟く。

「この時間なのに夜会服って、マナーも何も無い気がするけど…」
「どうせ船の中は時間間隔は無いんだ。気にするな」
「せめて窓があれば、大体の時間が把握できるんだけどね…」

乗客用連絡通路の中を歩きながら不満を漏らす。そんな言葉を軽く受け流して、二人は大食堂前通路への扉を開いた。
わらしは遊作の腕に自身の腕を絡ませ、プロリーグのパーティーの時のようにエスコートされながら進んだ。白い肌に赤色が映える。前述のパーティーで着たエメラルドグリーンのドレスも良かったが、この色もまたわらしによく似合っていた。歩くたびにドレスのスカートがたなびき、揺れる髪とともにその姿は輝いている。少なくとも遊作の目にはそう映っていた。

通路の真ん中に立っていた執事の影に話しかけると、執事は満足したように頷いて言った。

「これでいいか?」
『大変結構でございます』
「良かった…!」

それから執事は二人に向けて一礼をしてから会場の方に手を向け、『こちらでございます』と案内した。その後ろを歩いてついて行く。
大食堂の入口であろう扉の前で歩みを止めると、再び手を向けて言葉を発した。

『…それでは存分にお楽しみ下さい』

執事が泡となって消えるのと同時に扉が開き、まるで吸い込まれるようにして二人は中に入って行った。

大食堂は船内で一番といっても過言ではない面積を誇り、白いテーブルクロスの掛かったテーブルと椅子が幾つも並び、また壁には何枚もの絵画が掛かっていた。天井も高く圧迫感を感じさせない。まさしく極上の空間である。
その広く豪華な部屋の中央、ひと際大きな絵画が掲げられた前に二人の人間の影があった。後ろ姿でよくわからないが、男女の影のようである。ウィリアムではない。

「あの人たちは一体…」

わらしたちが近付くと、影の片方、男の方が二人の方を振り向いて言った。

『私はアーサー。アーサー・ロックウェル』
「!」

そしてそれに続くようにして、女性も振り向き名乗った。

『ヒルダ・ロックウェルよ』
「……ウィリアムはいない、のか?」

緊張気味の遊作の言葉に首を振って、アーサーと名乗った男の影は言った。

『なぜ我々がここにいるのか、君たちはもうその断片を見たはずだ』
「この船の中で死んで……未練があるからですよね」

アーサーが黒い影になっているということは、スクリーンに映し出された映像はこの船の中の出来事だったということである。そしてアーサーの隣にいるヒルダもまた、あの映像の中で殺された女性に違いないのだろう。

『我々の父、ウィリアム…赤いナイフ…それが始まりだった』

ポツリと、アーサーとヒルダは真実を語り出した。決して救われることのない悲しい真実を。

『父はわずか一代でこのロックウェル家を財閥に仕立て上げた。それも全てあの赤い石のナイフを手にしてから…』
「赤い石のナイフ…」
『もともと父は冷酷な人間ではあった。だが、父は…父の目は徐々に人のものではなくなっていった……。そう、まるであのナイフの…赤い石そのものに……』
『私たちは恐ろしかった。だからこの船の中で、義父を殺すつもりでした』
「なっ…!」
『しかしそれは…義父も同じだったのです。義父もまた私たちを殺そうとし、それはあのナイフによって果たされたのです…』

静かに語られたロックウェル家の真相に、遊作もわらしも言葉がない。
独裁を敷く残虐な当主ウィリアム。それを危惧した子どもたちによるウィリアムの殺害計画。しかし計画は失敗し、返り討ちに遭った二人は殺された…。
あまりにも惨たらしい話に、わらしは首を振って批判した。

「そんな、いくらなんでも家族で殺し合うだなんて…っ!」
「あの赤い石のナイフ……あれが原因だっていうのか…?」

二人の言葉に、アーサーは掲げられた絵を振り返って言った。その絵には石造りの古い城が描かれている。中世のヨーロッパを彷彿とさせるような絵だ。

『……遥か昔、あの絵の向こうで運命は動き始めた』
「運命だと…?」

その声を聞いた瞬間、二人の体はその絵の中に吸い込まれていった…。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


城の外は雨だった。どんよりと分厚い雲が空を覆い、雷が幾度となく鳴り響く。真っ暗な空には星一つ見えやしない。冷たい夜だった。

「一体ここは…」

古城の中の通路に飛ばされた遊作とわらしは、辺りを見回して身を震わせた。思ったよりも気温が低い。古い建物の為、空調設備などないのだろう。無意識に腕を摩ったわらしを見て遊作はタキシードのジャケットを着せた。これで少しはマシになるはずだ。

「ありがと、遊作くん。…アーサーさんたちの話によると、ここが始まりの場所だって言うみたいだけど…ここが本当にそうなの?」
「理解しかねるな。あの二人は何度も赤い石のナイフの話を持ち出していたが、あれが一体何だっていうんだ? 単なる赤い石が付いたナイフだろ?」
「私もそう思うよ。私が言っても説得力が無いかもしれないけど、そんなオカルトみたいな話…そう簡単に信じられないもん…」

カードの精霊と心を通わせ、さらに実体化させることのできるわらしの能力は、ヒトの限界を超えた類まれな力である。オカルトと称されるのはむしろこちらの方であろう。
しかし何故かロックウェル家の人間は、赤い石のついたナイフそれこそが全ての元凶で、ウィリアムが変わってしまったのもそのせいだという。確か列車で、ヘンリーも似たようなことを言っていたが。

「…とにかく、ここにいても仕方がない。中を調べて早く帰る道を探そう」
「うん…」

二人が古城の通路を歩いていると、その先には衛兵が立ち塞がっていた。先に進もうとすると、槍を誇示されて止められる。

「ここを通りたいんだが…」
「この先は王の居室である。いかなる者も通すなとの御命令だ」
「早々に立ち去るがよい」
「………」

通れないなら仕方がない。諦めて来た道を戻ると、反対側の端には扉が一枚あった。木でできた扉を抜けると、さらに続く通路があった。扉は二枚。手前の扉は簡単に開いたが、奥の扉は鍵が掛かっているようだった。しかしその手前側の扉を開けた瞬間、中の光景に二人はハッと息を飲んだ。衛兵の一人が血塗れになって倒れている…。

「ひっ…!」

わらしはドアから離れ、後ずさりした。この世界に来てから何度か人の死に触れることはあったが、だからと言って慣れるものではない。しかも今回は血塗れの遺体を目の当たりにしている。近くの壁には無残にも血が飛び散り、この衛兵が立ったまま殺されたのだということが推測された。何とも惨たらしい状況である。

「や、そんな……人が……」

いやいやと首を振るわらしを置いて、遊作は表情を硬くしながらも部屋の中に足を踏み入れた。何か手掛かりを見付けなければこの先に進むことはできない。
部屋の中央にある木製のテーブルも、長椅子にも特に気になるところはなかった。残るは、部屋の奥から外へと続く扉である。

「わらし。一緒に行こう」

遊作はわらしの腕を掴み中へ促す。

「で、でも人が…」
「ここは現実世界じゃない。過去の出来事だ。深く考え過ぎるな」
「う、………うん…」

遊作に腕を引っ張られ、わらしはなるべく衛兵の方を見ないようにして部屋の中を進んだ。どうしようもないことだとはわかっていてもつらい。しかし衛兵を殺した犯人が見つからない限り、一人で残される方が危険だということもわかっていた。
扉を前にしてジャケットの前を握り締める。この先にはこれ以上の一体何が待ち構えているというのか。

重い鉄製の扉を開けると、外は大粒の雨が降り注いでいた。バルコニーの床に音を立ててぶつかる。それ以外に変わった様子はない。
何もないことを確認した遊作が扉を閉めようとした時、隣のバルコニーから叫び声が聞こえてきた。慌てて土砂降りの雨の中に飛び出す。横を見れば、初老の人物が追い詰められるようにしてバルコニーに出てきた。赤いローブに身を包み、頭には王冠を被っている。この城の主だろうか。

「な、何をする! き、貴様、狂ったか!! だ、誰か、誰かおらんのか!」

喚きながら部屋の中に向かって精一杯声を張りあげる。しかし主の元へ駆けつけてくる者は一人もいない。代わりに、剣を携えた衛兵の男が一人バルコニーに姿を現した。ゆったりとした足取りで王を壁際まで追い詰める。

「……騒いでも無駄だ。表にいるのは俺の部下だ。ここには誰も近づけるなと言い含めてある」

そう言って剣を構え、怯える王を前に言葉を掛ける。遊作とわらしはその様子をバルコニーの影から覗き見ていた。

「覚悟してもらおう」
「わ、わしを殺して、逃げおおせると思うのか!!」

しかし王もみすみす殺されるのを受け入れはしない。強がりを見せて男を威嚇する。

「このまま剣を引けば、見逃してやろう。どうだ、よく考えてみろ」

権威を盾に取引を持ち掛ける。しかし男は王の言葉を鼻で笑うと、さらに一歩近づいて追い詰めた。もはや逃げ場はない。

「フン、心配は無用だ。俺は絶対に生き延びる。貴様にも分かるはずだ」
(どういう意味だ…?)

固唾を飲んでやり取りを見守る遊作の脳裏に不可解な疑問が生じた。それに答えるようにして男は言った。

「俺は知ってるんだよ。凡庸な一兵士だった貴様が、瞬く間に王にまで登りつめたその秘密をな……」
「貴様、まさかあれの……」

驚愕を露わにした直後。

「ぐぉっ!!」
「!!」

男の刃がついに王の心臓を貫き、その命を奪い取る。目の前で人が殺された。手を伸ばしたくても届かない。助けたくても助けられない。わらしの目からは涙が零れ落ちた。

中央を貫いていた剣が引き抜かれると、払った刃からは血しぶきが滴った。王の体は力なく壁に寄りかかり、ズルズルと地に伏した。

「……ば、馬鹿な……。……わしが、こんな……」

失意の中で掠れた声を漏らせば、口元から大量の血が溢れ出した。酷い出血だ。助かる見込みはない。
震える腕を男に向かって突き出して、王は最後に呪いの言葉を掛けた。

「……お、覚えておれ……運命は貴様にも……、!」

言い終わらない内に、その身はとうとう力尽きた。腕をだらりと下げ、頭を垂れ。ぷつりと糸の切れた人形のようにその身を投げ出し、全身から赤い血が流れ続けていた。雨の降り注ぐバルコニーに静寂が漂う。

王が絶命したのを確認してから、男は何やらその懐を探り出した。しばらくして取り出したのは、掌に収まる程の深紅の石だった。

「やはり、身につけていたか。見つからんはずだ……」
(! あれは…)

血のような赤は、元々そうだったのか、王の血に触れたからなのか。それは暗闇の中で怪しく輝いていた。いずれにせよ、赤い石はたった今王の元から男の手に渡った。非道な手段によって。

「……フフ、フフフ、」

闇の中で笑う男の声が聞こえる。

「ついに、ついに俺は力を手に入れた!! これで俺が、このアレン・ロックウェルがこの国の王となるのだ!! ハーッハッハ!」

高らかに雄叫びを上げて歓喜に震える男――アレン・ロックウェルの姿をすぐ隣のバルコニーから覗きながら、遊作とわらしを身を寄せ合った。これはまるで列車の時と同じ…あの異様な光景と……

『むっ……誰だ!!!』

二人の気配を感じ取ったアレン・ロックウェルがバルコニーに視線を映した時。二人の姿はようやくその時代から解放された。






「……今のが、始まり、なのか? あの赤い石が…」
「アレン・ロックウェルって……ロックウェルって……」

冷たい雨の降るバルコニーからオルフェウス号の大食堂へと戻ってきた二人は、震える息を吐きながら身を縮こまらせる。今しがた目撃した光景は衝撃的としか言いようがない。衛兵の男は赤い石を手に入れるその為だけに自らの君主に手を掛けた。異常な行動だ。しかもそれがロックウェル家の先祖だとしたら…。この家系は呪われていてもおかしくはない。
顔色の悪い二人が視線を向けた先には、アーサーとヒルダがテーブルの前に佇んでいた。

『父が…あのナイフが、この船の支配者なのだ』
「…あの赤い石がやばいものだってことは、理解した」
『そうだ。我々はあのナイフの被害者である。そして君たちもまた、我々と同じ。この船にとらわれた一人…』
「っ、どうして俺たちがこの船にとらえられたんだ!」

激昂する遊作の言葉にアーサーは何も答えなかった。ただ静かにテーブルの上に石膏で出来た四角いプレートを置くと、二人に向かって言った。

『頼みたいことがある』
「質問に答えろ!」
『これと似たプレートがあと3つある。それを探して欲しい。…父の元に行くには必要なものだ』
「!」

プレートには火鳥が描かれていた。様々な神話に登場する想像上の生き物だ。
アーサーはゆっくりとした口調で遊作に語った。

『…君の質問に答えられる訳ではないが、一つだけ言えることがある。我々がこの話をするのは、初めてではないということだ』
「! それはどういう…」
『我々はここで待っている。君たちが再び現れる時を』

遊作の疑問もわらしの動揺も。全てはアーサーの言葉で締め括られた。


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