扉を開けると、そこはぶ厚いコンクリートの壁に覆われた小さな空間だった。長方形をした部屋の奥には壊れたショーケース、そこを照らすように設置された僅かな照明。それから、その脇に立っている男の影。 明かりが申し訳程度にショーケースを照らしているのを見て、遊作はここがダクトの中から覗き見た部屋なのだということに気付いた。あのダクトは、この部屋の空調の為に存在しているのだろう。
わらしが部屋の四隅に視線を漂わせながら前を行く遊作について行くと、男の影はゆっくりと振り返り二人を見た。画家らしくベレー帽らしきものを被っている。
『よくここに来れたな…』
ややしゃがれた声で男――エルは話し掛けてきた。
『ロブから聞いたか? 俺がここにいるわけを』 「…奥の部屋に入ってから、急におかしくなったと…」
遊作が慎重に答えると、エルは首を振って嘆くように小さな声を漏らした。その様子は決して異常者には見えない。少なくとも普通の人間と同じように会話はできそうだ。 ややあって、エルは掠れた声を絞り出した。
『あの部屋で、俺は見たんだ…魔物が生まれるのを…』 「魔物?」 『俺は気が動転して…それから後はあまり覚えていない』
わらしが不安そうな顔で遊作の顔を窺うが、遊作もエルの真意を読めずに表情を硬くしたままだ。 エルは『ロブの奴…あの酔っぱらいも死んじまったかな…』と呟き仰ぎ見る。
「エルさん…」 『………………。またあいつと酒が飲みたい…』
エルは静かに泡となって消えた。
エルが消えた後には、毎度お馴染みの紫色の球体と真ちゅうの鍵が残った。
「鍵…どこのだろう」 「行ってないのは奥の部屋と、最初の通路の先だが。………多分、奥の部屋のものだろうな」 「…エルさんが持っていたものだから?」 「あぁ。エルは奥の部屋の鍵を持ってこの部屋に閉じ込められていた。余程封じておきたい部屋だったんだろうな」 「魔物が生まれた部屋…」
奥の部屋で一体何があったというのだろうか。想像出来ずに難しい顔になるわらしの手を引き、遊作は隠し部屋から出た。壊れたショーケースからは手掛かりは何も得られない。鍵は遊作が預かり、わらしは聖水をリュックの中に戻した。
「……乗客用連絡通路の先に行ってみるか」
奥の部屋には言及せず遊作が提案すると、わらしは黙って頷いた。 ゲスト用通路を戻り最初の通路に出ると、まだ行っていないその先に進む。通路は左に折れ曲がっており、壁には太陽を模したレリーフがある。どうやらここからもあの不気味な男の所に行けるらしい。念の為マップに印を付けておく。 左に曲がった先は下り階段で、降り切ったところに扉があった。マップで確認すると、この先にもまだ通路が続いており、シアター前通路と書いてあった。真っ直ぐ進むと左に折れ曲がり、右手に一部屋あった後さらにその先で二股に分かれている。
「まずは最初の部屋に入って…それからどっちに行こうか。というか、どっちから行けるのかな」 「そればっかりは現状を確認してみないとわからないな」 「そうだよね」
二人はマップをしまうと、一呼吸おいた後勢いよく扉を開けた。光の届かない通路に一刻も早く明かりを灯さなければならない。 しかし扉を開けた先で待っていたのは女性の亡霊だった。少女ではなく、ディアナの部屋に出て二人を襲おうとしたあの亡霊が。角からこちらを見ている。
「えっ今度はここ!?」 「まずいぞ、戻ろう!」
通路の奥で待ち構えていた亡霊が二人に向けてゆっくりと人魂を飛ばして来たのを見て、慌てて外に出た。しっかりと扉を閉め、追いかけてきていないことを確認する。階段の上の明かりがやけに頼もしく思えた。
「どうしよう、これじゃ先に進めないよ…」
わらしが弱弱しい声で零すと、遊作も表情をさらに硬くして言った。
「こうなると、否が応でもあの部屋に行くしかないな」 「あの部屋…………本当に行かなきゃダメ?」 「それ以外の選択肢は無いな」 「………、わかった」
何度も修羅場をくぐって来たことで、わらしもようやくこの船のルールを受け入れつつあった。すなわち、先に進む為には幾つもの恐怖に直面しなければならないのだということを。 通常であれば、人生においてどうしても避けられない道というのはそう多くない。それは進路や就職といった、その人の人生に深く関わりを持つものに限られるだろう。しかしそれだって、場合によっては迂回できるし、その気になれば放棄だってできる。つまり選択の幅があるのだ。 けれどこの船の中にいる限り、そして先に進もうとするならば、選べる選択肢は限られている。もっと言えば選択肢など最初から無いに等しい。決められたレールの上を歩いている気がする…とわらしは考えるようになった。せめてもの救いは遊作が隣にいることだろうか。
「…しょうがないよね、先に進まないと私たちも帰れないんだし」
そう強がるわらしの手が震えていることに遊作は気が付いていた。
二人はゲスト用通路に戻って来ると、そのまま真っ直ぐ奥の部屋に向かった。試しにドアの取っ手を引いてみるが、鍵が掛かっているせいで開かない。
「やっぱり、最初からこの部屋は開かなかったんだね」 「そうみたいだな。…変に恐れる必要はなかった」 「そうは言っても、鍵、手に入れちゃったしねぇ……」 「結果は同じだってことだな」
遊作の言葉に頷きながら、わらしは遊作が部屋の鍵を開けるのを黙って見ていた。ロブと会って手に入れた鍵を鍵穴に差し込むと、抵抗なく奥まで届く。ゆっくりと捻り、扉の奥でガチャリと重々しい音が聞こえると二人は息を飲んで顔を見合わせた。 目で合図され、慎重にその扉が開かれる。両開きの扉は他の部屋と違って幾分か豪華な造りになっている。そっと中の様子を窺うと、その部屋は他のゲストルームより数段グレードの高い様式だった。天井の中央にシャンデリア、奥には暖炉とハースゲート、丸テーブルにロッキングチェア。滞在するだけならかなり居心地の良い部屋だろう。一歩足を踏み入れた途端に扉が閉まり、少女の霊さえ現れなければ。
『フフフフ…』
「っ、出たよ遊作くん! でも本当この子が魔物だって言うの…?」 「早くスイッチを探すんだ!」
足を止めて少女の霊を凝視するわらしとは対照的に、遊作は奥にあるスイッチへと走った。その時室内の調度品が少女の霊を中心にして宙に舞った。侵入者を拒むようにぐるぐると大型の家具が空間を席巻し、容易に進むことも叶わない。
「ポルターガイスト…!」
遊作が忌々しく吐き捨てたところでわらしが叫んだ。
「遊作くんダメ! こっちに…!!」 「!」
『フフフ…』
少女が笑った瞬間、それまで宙を舞っていた家具が遊作目掛けて飛んできた。
「っな、」
次々とぶつけられる家具という名の弾丸を何とかスレスレの所で避けつつ、遊作は入口付近で待機しているわらしの元に戻ってきた。そしてその肩を引いて部屋を出る。大きな音を立てて扉が閉まる。今まで以上に破壊的な攻撃を繰り返す少女の霊に対して、二人は為す術がなかった。
「あの子……なんであんなに…」
女性の亡霊もそうだったが、笑いながら生者を痛めつけようとする姿は異様だ。何が一体あの少女を破壊の衝動へと駆り立てるのだろうか。
遊作に肩を抱かれたわらしが俯いていると、唐突に通路の先から子供の声がした。
『…本当のあの子はここにはいない』
「!」
遊作とわらしが顔を上げると、そこには小さな影が佇んでおり二人を見ていた。
「お前は……」
驚いた遊作が声を掛けたが、少年の影は静かに少女の運命を語るだけだった。
『暗い穴の中で、あの子は泣いてる…誰かに救って欲しいんだ……』 「救って…?」 『気付かせてあげてよ。ここにいちゃいけないって…』 「待って、それってどういう――」
手を伸ばした瞬間。目の前の世界は暗闇に包まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
眩暈のような浮遊感の後、二人がいたのは小さなトロッコの上だった。暗い坑道の中をトロッコはレールの上を滑りながら移動している。思いの外揺れる箱の中でわらしは遊作の方を見た。
「こ、ここっ、なん、なんだろ……ねっ!」 「喋るな、舌を噛むぞ…!」 「うん…!」
ガタガタと振動するトロッコにしがみつき、大人しく目的地に着くのを待つ。ホラーと違い絶叫系が得意なわらしに恐怖は無いが、それなりのスピードで走るトロッコから飛び降りるという発想は無かった。狭い坑道の中、それこそ怪我をしかねない。
(でもこのトロッコ、一体どこに向かって―――)
行き先の見えない前方をジッと見つめていた時のことだ。坑道は唐突に終わりを迎え、広い場所に出た。そして地面に敷かれたレールもまたそこで途切れていた。その先は、何も無い絶壁。
「へっ?」 「――掴まれ!」
遊作がわらしの体を抱き締めてトロッコに縫い留める。次の瞬間トロッコは初速度を持ったまま重力の影響を受け、放物線を描きながら落下していった。つまるところ水平投射である。
「―――っ!!!」
一瞬で状況を理解したわらしに出来たのは、目の前の遊作に縋って目を瞑ることだけであった。いつもなら楽しみにしている浮遊感が怖い。気を抜けば投げ出されそうになる。絶叫系アトラクションと違うのは、命の保証が無いということである。
(やだ、やだやだやだ…!)
たった数瞬のことが永遠の時間に感じられる。トロッコが一体どんな結末を迎えるのかはわからないが、空中に漂っているよりはマシだった。 そしてわずか1秒足らずの間に激しい音を立ててトロッコは新しい地に降り立った。衝撃が二人を襲う。
「っ、ん…!」 「くっ…」
小さな箱の中で体が跳ねる。助かったかと思いきや、トロッコは何故か新しいレールの上に着地しており、そのままゆっくりと前進し続ける。一体いつまで続くのかと思った矢先、すぐ目の前にある大きな岩にぶつかってようやく停止した。鉄製のトロッコが幸いして破損することはなかった。 最後の衝撃によりわらしは軽くお尻を打ったが、トロッコが止まったことに安堵していたので気に留めることはなかった。
「……止まったか」 「もう大丈夫…?」
恐る恐る周囲を見渡し、遊作はトロッコから降りた。わらしの手を引っ張って同じように降ろした。
「……ここ、どこ?」
薄暗い坑道には等間隔にランタンが吊り下げられ、視界はそれほど悪くはないが閉塞的な空間に不気味さが際立っていた。周囲を見回していた遊作が壁の土に触れて検分する。
「どこかの坑道だとは思うが……人の気配がしない。今は使われていないのか?」 「何か掘ってたのかな。石炭とか金とか」
考えられるのはそれくらいだ。わらしも坑道の中を歩きあちこちを見た。トロッコがぶつかった岩が道を塞いでいる為、行けるのは反対側だけだ。坑道に沿ってレールが敷かれている。 途中天井には狭い穴が開いており、自分たちの乗っていたトロッコはこの穴を通して落ちてきたのだろうということを知った。随分と狭い穴だ。運が良いのか悪いのかわからない。 先を行く遊作についていくと、折れ曲がった道の先にもう一台のトロッコがあった。行き止まりである。
「ここで行き止まりだね」 「これは…鉱石だな」
遊作がトロッコに山盛りになっている黒い物体を手にして呟いた。恐らくここでは鉱石の発掘が行われていたのだろうが、これでは乗り込むことはできない。 トロッコの横にはレバーがあり、発射装置の役目をしていることが一目で分かった。
「……とりあえず、引いてみる?」 「そうだな…上手くいけばあの岩が…」
わらしが提案すると、遊作は考えながら同意した。その声を聞いてわらしは何げなく壁についているレバーを引っ張った。途端、勢いを付けて鉱石を乗せたトロッコが走り出す。レールの上にいる遊作を目掛けて。
「うわっ!」 「ゆ、遊作くん!」
寸でのところで遊作は身を躱した。危うく轢かれるところだった。
「わらし…! もう少し周りの状況を見てから行動してくれ!」 「ご、ごめんなさい…!」
遊作が身の危険を感じて訴えている間にもトロッコは進み、わらしが駆け寄ると同時に奥から轟音が鳴り響いた。急いで駆けつければ、二台のトロッコは岩にぶつかって大破し、道を塞いでいた岩もまた粉々に砕け散っていた。思ったより脆い岩だったらしい。残骸の向こうに道が続いている。
「えーと……結果オーライ?」 「………、それで済ますな」
遊作はジト目になりながらわらしの頭に手を乗せ、呆れたように息を吐いた。それでも岩を避けて歩く際には「気を付けろよ」と声を掛けるのを忘れずに、二人は手をつないで進んだ。
岩があった場所を出てすぐのところにはまた新しいレールが敷かれ、空のトロッコがあった。その横の壁には二つのレバーがあり、片方は先程と同じ形状のレバーだったが、もう一つは上下どちらかに寄せておくタイプのレバーだった。
「またトロッコ…」 「先に坑道の方を調べるぞ」 「うん」
坑道に沿って敷かれているレールを辿りながら歩くと、途中で道が二股に分かれていた。両方の道を調べてみたが、片方は行き止まりで、もう片方は先が続いているが途中で地面が途切れていた。レールの続く先に再び地面が現れていたが、人の足でこの隙間を飛び越えることは無理だろう。下はまた違う道が見えたが、飛び降りるにしても高さがありすぎる。
「どう考えても、トロッコに乗って行けってことだな」 「え、またあれに乗るの……大丈夫かな」 「早々落ちることも無いだろう。あの先はレールが続いていそうだ」 「ほんと、途中で途切れるのだけはやめて欲しい…」 「……絶叫系は得意なんじゃなかったか?」 「遊作くん。命を懸けるのは絶叫系とは言わないよ。安全が確保されてこその絶叫系だからね…!」
トロッコのある場所に向かいながら二人は会話を続けた。
新しいトロッコに乗り込むと、遊作は発射装置ではない方のレバーを弄った。
「それ、何のレバーなの?」 「恐らく方向転換用だな。さっき戻ってくる時に見たら、レールは行き止まりの方に接続していた。このレバーを反対側にしておけば、ポイントが切り替わるはずだ」 「そうなんだ。良く見てるんだね」
わらしは素直に感心した。
「準備はいいか? いくぞ」 「うん」
わらしは遊作の足の間に収まり、放り出されないように密着して頷いた。トロッコに乗ったままレバーを引っ張れば、先程同様トロッコは勢いよく走りだす。乗っているわらしと遊作は少し緊張気味に揺られていると、トロッコは分岐点で迷わず二人が望んだ方のレールに乗り、足場のない道を超えてさらにその先へと辿り着いた。壁にぶつかる直前、レールの端によってトロッコは停止した。
「……良かった、無事着いたね」 「あぁ」 「こういう乗ってるだけ、ならアトラクションとしても良いと思うんだけど…やっぱり難しいかな」
案外怖くなかったらしいわらしが小声で呟いた。
「…少なくともシートベルトは必要だと思うが」
遊作はとりあえず思ったことを口にする。
「それもそうだね」
同意しながら、遊作に続いてトロッコから降りる。降りた先にまず目に入ったのは、恐竜らしき生物の化石だった。茶色の土壁に白い骨が浮いている。恐竜にしては小さい気もするが、このように翼を持った独特の体形をしている地球上の生物の名前をわらしは知らない。そしてその手前に新しいトロッコがある。
「何でこんなところに化石が…? これ、本物?」 「随分と綺麗に保存されているな。どこかに展示してもいいくらいだ」 「うーん……もしかしたら、鉱山でこういう化石が見つかったら採掘作業できなくなっちゃうのかもね」 「言われてみれば」
珍しく的を射たわらしの発言に遊作は頷いて応えた。
「……あのね、今更なんだけど。こんな不気味な坑道に、どうして私たち飛ばされたんだろう。ここがあの女の子に関係する場所なのかな?」 「…あの少年は言ってたな。『暗い穴の中であの子は泣いている』と」 「この坑道のどこかにあの子がいるってこと? でも、まだ少ししか歩いてないけど、多分もの凄く広いよ、ここ。鉱山っていうくらいだし…」 「…何とかして探さなければならないな」 「見つけたところで、また襲ってこなければいいんだけど…」
不安そうに語るわらしの横で、遊作はふとあることを思い付いて考えていた。
(暗い穴の中という割には、ここは明るい……おまけに穴と擁するには広い。もしかしたら、俺たちの考えている以上にあの少女のいる場所は…)
「遊作くん、どうしたの?」 「!」
わらしに話しかけられて、遊作はハッと意識を目の前に戻した。大きな瞳が遊作の顔色を窺っている。
「…、何でもない」 「そう?」 「あぁ。単なる思い過ごしだ」 「それならいいけど…」
不思議そうな表情をしているわらしの手を引っ張り、更に奥へと進む。 単なる思い過ごしであればいい、と念じながら。
その後も二人は坑道の中を歩き続け、トロッコを駆使しながら先を急いだ。途中、何度かポイントを切り替えた先に木の板が並べられて塞がっていたのをトロッコで破壊し、茶色い土壁が石灰質の白いものに変わったのを眺めながら歩いていると、ついには少し広いスペースに出た。真っ白の壁に囲まれた不思議な空間だ。 坑道自体はそこで行き止まりだが、白い地面にはひと一人分より少し大き目の穴が開いていた。穴の横に杭が打たれ、ロープ製の梯子が垂れ下がっている。ここから下に行けるようだ。
「まだ続いてるの?」 「……奥から何か音が聞こえる」 「え?」 「誰かいるのかもしれない」
穴に向かって耳を澄ませば、確かに穴の中から金属のぶつかる音が聞こえてきた。一定間隔でカーン、カーンと鳴っている。
「……どうする? わらしはここに残るか?」
この先の危険を考慮して遊作が尋ねれば、わらしは首を横に振った。
「もう少しであの子の真実がわかるなら、私も行かなきゃ」 「なら気を付けろ。この梯子は普通とは違う」 「うん」
先に降りる遊作に続いて、わらしもまたロープ製の梯子を掴んだ。それは梯子の形をしているが所詮固い紐であることに変わりはなく、安定感のない足場にわらしは内心心細くなった。二人分の体重が乗ったロープは、千切れこそしないものの揺れは大きく、度々指がロープと土壁の間に挟まれる。何とも扱いにくい代物だ。気を抜くとバランスを崩すので、ゆっくり確実に足を進めていく。 そうして時間をかけて何十段というステップを踏んで降りた先には、再び茶色い土壁に覆われたちょっとしたスペースが待ち受けていた。上の白壁に覆われた空間と同じくらいの広さだが、天井が低い為に閉塞感を抱く。奥からはさっきより大きな音でカーン、カーンと鳴っているのが聞こえてきた。
「ここが…行き止まり?」 「恐らく」
二人の視界の先には、炭鉱マンらしき格好の男がつるはしを手にして土壁を掘っている姿があった。逞しい肉体だ。音の正体はつるはしと土壁が当たる時のものだった。
「影の人物ではないが…一応話を聞いてみよう」
遊作が小声でそう言って男に近付くと、男は二人の姿に気付きながらも一定のリズムを崩さずにつるはしを打ち続けていた。何も答える気はないらしい。横を見れば、近くに男の荷物が置いてある。ふとわらしが荷物と一緒に無造作に置いてある人形を手にした時、男はようやくその重い口を開いた。
「その人形はさっき土の中から出てきた…」 「え?」 「間違いない……俺がエリナに買ってやった……」
言いながらも男は手を休めない。 遊作とわらしが手に取った人形を見ると、それは女の子の人形だった。元は可愛らしい顔立ちだったのだろうが、土の中に埋まっていたせいかボロボロになっている。フワフワのドレスを着た、小さい女の子が好むような人形だ。
「土の中から出てきたって、まさか…」 「…………」
何かに気付き驚愕を露わにするわらしの傍らで、遊作は険しい表情をしていた。嫌な考えほど当たるらしい。この人形が土の中から出てきたということは、エリナという子はきっと…。
「…ここは昔、金鉱だった」
言葉を失った二人に代わって、男が語り出した。
「知ってるだろう、ロックウェル財閥…あそこの山だった」 「ロックウェル…財閥……」 「…ウィリアム・ロックウェルが関係しているのか?」 「あぁそうだ。そいつがトップの財閥だ。…まぁここはあらかた掘り尽くしたからって、閉山されたがな…だが、本当の理由はそれだけじゃない」
カーン、カーンとつるはしを打ち付ける音が響く。土壁がとてもゆっくりとした速さで削られていく。 遊作がどういうことだ、という顔で男を見つめていると、ややあって続きが語られた。
「何人もの人間が次々といなくなった。事故もないのにだ…。俺の娘もそうだ。たまたま遊びに来てそのまま……」 「そんな…」 「その人形があったってことは娘はここに来たんだ」
表情を変えぬまま、男はつるはしを打ち続ける。
「俺はあの子を見つけだす……必ずな……」
男に掛けられる声は無かった。
しばらくして、男がつるはしを打ち付けた瞬間今まで以上に硬い音が響いた。
「チッ、この岩やけに硬い…」
力任せに岩を砕く。すると砕けた岩の先にぽっかりと開いた空間があり、そこから一人の女の子の頭が見えた。仰向けで目を閉じている。瞬時に男が反応した。
「エリナ…やっぱり……!」
つるはしを投げ捨て、男は少女の前に跪いて項垂れた。冷たい岩の中に隠されていたせいか、多少の埃は被れども少女の体は驚く程綺麗だった。ただ眠っているように見える。しかしそう見えるだけだ。 実際には少女の肌は青白く、呼吸音は聞こえない。冷たくなった肌に再び熱が宿ることも無い。その瞳に誰かを映すことも無い。まるで人形のように、少女の躯はそこに横たわっていた。
「エリナ……エリナ……」
少女の躯を抱きしめる男の近くで、わらしは目に涙を浮かべて口を押さえていた。
「そんな……何で…あんな小さな子が……っ」 「……これも、あの男の仕業なのか…」 「…っ、そんなの、酷過ぎるよ…!」
遊作と身を寄せ合い、亡くなった少女に対する行き場のない思いをぶつけ合う。運命は少女に対してあまりにも苛酷だった。
「こんな、こんなことが許されるはずがないよ…絶対に…!」
わらしの悲痛な叫びと共に、一筋の涙が零れ落ちて人形に触れた。人形に僅かに光が灯る。その瞬間、二人の姿は鉱山の中から消えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エリナの人形を手にした二人が船の中に戻ると、少年の影は消えていた。紫色の球体はなく、ゲスト用通路には静寂が漂うばかりである。
人形を胸に抱きながら堪えるように涙を流していたわらしだったが、ややあって立ち直ると、後ろにある扉を見つめて言った。
「遊作くん……この人形、あの子に返してあげたいな…」 「あぁ…」
遊作にもわらしの言わんとしていることがわかった。 この奥の部屋にいる少女の霊は、金鉱で見たエリナに違いない。何らかの事件に巻き込まれあの暗い穴の中に埋められることになったエリナに。だからこそエリナはウィリアム・ロックウェルが乗っているこの船を呪い、生者を襲っているのだろう。自分に降りかかった不幸を怨み、生者を憎んでいる。
「あの子……きっとどうしていいのかわかってないんだよ。突然あんなことになって…誰でもいいから生きている人を傷付けて……でも、そんなことしてちゃいけない」 「…あるべきところに導いてやる必要がある。俺たちが」 「うん…」
わらしは涙を拭うと、もう一度その重い扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れた。侵入者に対して扉が自動的に閉まる。部屋の中央に現れた少女の霊は、自らテリトリーに入り込んできた侵入者を見付けて嬉しそうに笑う。獲物が自らやって来た。 両手を上げて家具を操ろうとした時――
人形を掲げて、わらしが叫んだ。
「聞いて! エリナちゃん! あなたはこんな所にいちゃいけない!」 『!?』 「帰るんだ! お前がいるべき場所に…!」
二人を傷付けようとしていた少女――エリナだったが、わらしの手にある人形を目にして動きが止まった。人形を凝視している。 どうだろうかと二人が見守る中、エリナが手を伸ばすと人形は宙に浮き、やがてその手に収まった。きゅっと愛おしそうに抱きしめる。
『お人形……パパにもらったお人形…』
とても安らかな顔をしている。二人を襲ったあの不気味な笑みはどこにもない。
そして満足そうな笑顔を浮かべると、エリナの霊は人形と共に静かに消えて行ったのだった…。
「…エリナちゃん、優しい顔してたね」 「人形を取り戻して、安心したんだ」 「うん…」
わらしの肩を抱き、遊作が慰めた。
エリナのいなくなった部屋には平穏が訪れていた。遊作は照明のスイッチを入れ、辺りを見渡す。室内は特別ゲストルームの名に相応しく、細部まで装飾が施されていた。ロッキングチェアが意味もなく揺れているのが気になったが、害はないので放っておく。 中央の部屋から両サイドの壁に扉が取り付けてあった。右側は洗面台、さらに奥にはバスルームに続く扉があり、特に目ぼしいものはない。反対側の部屋に入ると、そこは寝室だった。奥に豪華な天蓋付きベッドが鎮座している。船長室のベッドよりも広く、赤い掛けカバーに施された刺繍は見事だった。 しかし何より目を引いたのは、ベッドの上に無造作に置いてあった男女の夜会服である。
「これなら…、」
遊作がそれらに手を伸ばした瞬間、鈍い音と共に後ろにいたはずのわらしの呻き声が聞こえた。
「あぅっ…」 「わらし!?」
驚いて振り向いた遊作だったが、振り向き様に強い衝撃を受ける。何かが頭に強く当たった。否、当たったのではない。何者かによって殴られたのだ…。
「っ、何が……」
霞む視界の中で、遊作は逆光に映った影を睨みながら意識を失った。
知らない部屋の天井が見える。照明の光が眩しい。ここは何処だ―――
遊作がそこまで考えた時、おぼろげだった記憶が急速に蘇ってきた。ハッと目を見開き体を起こす。慌てて周囲を確認すれば、同じベッドの上にわらしが寝かされていた。頭に包帯を巻いている。白に映えた赤が痛々しい。
「わらし、おいしっかりしろ。起きろ…!」
やや強めに揺さぶれば、わらしは顔をしかめながらもゆっくりと瞼を開いた。合っていない焦点で遊作の顔を見つめる。
「……ゆうさくくん?」 「あぁ。大丈夫か?」 「ん……、った、え、何これ?」 「無理するな。頭を怪我している」
わらしの体を支えながら起こしてやれば、力の入らない体はすぐに寄りかかってきた。
「何だか頭がクラクラする…」 「出血したみたいだな。幸い手当てはしてあるが、無理は禁物だ」 「え、血が出たの?」 「…ガーゼに跡が残ってる」
驚くわらしに冷静に答えながら、遊作はさっと周囲を見渡した。 白を基調とした壁と天井。狭い室内を占領する簡素なベッド。消毒液の匂い… どうやらここは病院か、それに準ずる施設のようだった。それならばわらしの頭が手当てされていたのも頷ける。しかし一体誰が。さらに言えば、特別ゲストルームで二人を襲ったのは何者だったのだろうか。何の目的で…。どうやって二人をここに運んだのだろう。 疑問は考えれば考える程尽きなかった。
「ここ…、病院かな? 船の中から出ちゃった?」 「……いや。そうでもない。僅かだが床が揺れている」 「あぁ…」
わらしは溜息を吐くと、遊作の腕から離れて自力で立ち上がった。
「あの部屋で、一体何があったんだ? 何か覚えているか?」
遊作が尋ねると、わらしは首を横に振った。
「ううん。何も。遊作くんの後ろで見ていたら、突然頭が痛くなって…。遊作くんは?」 「俺も同じようなものだ。相手の影しか見えなかった」 「そっか。……でも、相手は多分悪霊じゃないよね。あの部屋明るかったし」 「十中八九、生きた人間だろうな。影の奴らが俺たちを傷付ける理由はない」 「え、でも生きた人間って…、この船に私たち以外の人がいるの?」 「…考えられるのはヘンリーくらいだな」 「ヘンリーさんが? まさか…」
わらしは信じられない、といった顔で口を覆った。
「だって、ヘンリーさんは遊作くん……リチャードが危なかった時、助けてくれたよ? 親子なんだし…」 「だが俺たちはヘンリーの忠告を無視して船内を歩き回っている。それに対する警告なのかもしれない」 「あ…。で、でも普通そこまでする?」 「…普通じゃないから、こんな所までやって来たんだろうな。ヘンリーという男は」 「………」
遊作の推論に異を唱えられる要素はない。わらしが黙ってしまうと、遊作は少し痛む頭をかきながら隅に置いてあった荷物を手に取った。
「わらし。怪我をしたままは良くない。秘薬を飲め」 「うん…、遊作くんは?」 「俺は大丈夫だ」
わらしは渡されたリュックからゴブリンの秘薬を取り出すと、一粒口に含んだ。その間に遊作は部屋の中を隅々まで検分する。特に怪しいものはない。特別ゲストルームで手にした夜会服は二着ともハンガーにかけられ、壁から吊り下げられていた。
「手に入ったのは幸いだったが…」
これを使うのは当分先になるかもしれない。まずは自分たちの居場所を確認しなければならない。遊作はマップの中からそれらしい名称の部屋を探して指でなぞった。医務室。二人がいるのは間違いなくここだろう。 包帯を取ろうとしていたわらしの手を押しとどめ、首を振った。
「念の為今日はそのままにしておくんだ」 「え、そう?」 「怪我は治っても、血が固まってるかもしれないからな。衛生的な問題だ」 「あ…そうだね」
血だらけの状態で歩き回るのはわらしもごめんだ。 そういう訳で、何とか準備を整えた二人は部屋に唯一付いている扉から隣の部屋へと移動した。案の定続き部屋は暗かったが、照明のスイッチを入れればすぐに明るく照らし出される。そこは診療を行う為の室だった。 外に続く扉の近くに診察机があり、黒い革張りの椅子には年老いた男の影が座ってる。ここにいるからには医師だろうか。手には杖を携えている。その後ろに診療用のベッドと様々な器具が乗ったキャスター付きの台がある。血が付着したガーゼが乗っているのを見て、わらしがふと声を漏らした。
「あの、あなたが治療して下さったんですか?」 『………病人や怪我人を診るのがわしの仕事だ』 「ありがとうございます。それで、つかぬ事お聞きしますが、誰が私たちをここまで運んだんですか?」 「知っていることを教えて欲しい」 『…………』
医師の男は最初の質問にこそ答えたものの、他の問いには一切答えようとしなかった。まるで置物のようにそこに鎮座している。 諦めて、わらし達は勝手に部屋の中を調べ始めた。ベッドの上。台の上。しかし何も見つからない。診察机の引き出しにも特に目ぼしいものは無かった。 外に続く扉の近く、ちょうど遊作たちが入って来た扉からは構造上死角となっている窪みに戸棚があった。いつもの要領で中を開けて調べる。と、その取っ手を引いた瞬間だった。
「え、嘘」 「っ…!?」
歪みが二人を包み込み、その場から連れ去った。
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