伊織と会わせた日から、三郎の毎日は色鮮やかに染められた。

日をおかずに、とはいかないものの、伊織は屋敷の敷居をまたぐようになった。最初は伊織の両親に勧められて遊びに来ていたのだが、それは最初の数回だけで、後は子ども同士の約束である。
梅雨の思惑通り三郎は伊織を気に入り、雷蔵が妹を可愛がるかのように、自分も伊織の面倒をみていた。かと思えば二人で遊んだり、いたずらしたり、三郎の変装で驚かせたりと、二人の関係は良好である。やはり遊び相手がいるのといないのでは、全然違った。

梅雨はそんな二人の様子を見ながら、自分は部屋の隅で裁縫をしている。三郎の着物を新しく縫っているのだ。その膝でたまがごろごろと鳴いている。
もうすっかり、梅雨は三郎にとって‘母親’でしかなくなってしまっていた。遊ぶ相手は、伊織がいる。


「ははうえ、屋敷の中でかくれんぼしてもいい?」
「あの、いいですか?」

「えぇいいわよ。その代わり、絶対外に出てはいけないからね」

「「はい!」」


二人の元気な声が遠ざかり、あちこちからバタバタと足音が響いてきた。嗚呼、これではまるで二人の子を持つ母親ではないか。梅雨が愛するのはまごうことなき三郎なのに…いつのまにか、伊織のこともちゃっかり面倒をみている自分がいる。
母親というのは不思議だ。子どもがすることには一々敏感になって、大丈夫だろうか、危険なことはしてないかと心配するのだから。それが一人増えたところで、結局はどうってことなかったのだ。

苦笑するとともに、梅雨は密かな寂しさを胸に抱いた。
少し前の三郎なら、たまが梅雨の膝に乗っていようものなら、膝に座るのは自分だと言ってすぐに甘えてきた。それが、今日に限って伊織と遊ぶことに夢中なのか、全然そんなそぶりも見せず、行ってしまった。嫉妬なんてかけらもしていない。

親離れというものはこんなものなのか……と静かに考えていると、なら自分も子離れしなくては、変にくっついたままでは、三郎に鬱陶しがられてしまうのではないか、と梅雨は思った。
けれど、それでも中々思うように切り替えができない。何せ三郎は梅雨にとっての全てである。まだ6才だし、伊織が帰ってからはまた甘えてくることを考えると、そう差し迫った問題でもない。
今はただ、友達――本当は許嫁だが――と遊ぶことを楽しんでいるのだから、そっと見守っていてあげよう。どうせあと、数年で自分の役目は終わってしまうのだから。
梅雨はそう結論付け、伊織のことも寛容な心で受け入れていた。

しかし……



「三郎、伊織、ちょっといらっしゃい」

「は、ははうえ…」
「おばさま…」


にこにこと笑顔で座る梅雨。しかしその背後には牙を向けた夜叉が見える。
どうしよう。
三郎と伊織は汗をダラダラと流しながら、大人しく梅雨の前に正座する。二人の前には壊れた花瓶があった。


「一体、何をしてこんなことになったの?ちゃんと説明してちょうだい」
「ごめんなさいははうえ…その、毬で遊んでて…」
「わ、わたしがとれなくて、それで…」
「三郎の投げた毬が花瓶に当たってしまった、と」
「はい…」
「ほんとうにごめんなさい…」


二人は説明を終えると、目尻にうっすらと涙を浮かべた。ぐっと我慢する三郎と違い、伊織はまだまだ涙腺が緩い。ぽろぽろと小さな雫が零れて、畳を濡らした。
はぁ、と梅雨はため息を吐く。


「あのね、二人とも。私は何もあなたたちに酷いことをしようと思って、叱ってるんじゃないのよ」
「はい…」
「うっ、ぐず…ごめんなさい…」
「正直に話してくれれば、そこまで怒るつもりはなかったわ。けれど、話すどころか割れた花瓶を隠そうとするなんて……怪我をしたらどうするの」


梅雨の言葉に伊織ははっとしたように顔を上げた。
そうだ。いくら許嫁として、側にいることを許されている身であろうとも、両親からはきつく言い聞かされている。三郎様に怪我を負わせるようなことはあってはならない、三郎様の手を煩わせてはいけないよ、と。
思い出した伊織は顔を真っ青にして謝った。


「ごめ…なさい、わたし、さぶろうにけがさせちゃ…」


それに梅雨は首を振って、伊織のことを諫めた。


「伊織、違うわ。私は二人のことを言っているの。あなたに万が一のことがあれば、私はあなたの両親に申し訳ないわ」
「でも…」
「私は何も三郎の身を案じているだけではないのよ。三郎も、伊織も私にとっては大切な子ども。今は預かっている身だし、伊織は将来三郎の奥さんになるんだもの…同じように心配するに決まっているでしょう」
「おばさま…」
「さ、わかったのなら、顔を洗っていらっしゃい。おやつにするから」
「ははうえ、あの、わたしもごめんなさい…」
「…三郎も。伊織に怪我させちゃだめよ」
「はいっ」


梅雨はぐずぐずと泣きじゃくる二人の頭を撫で、顔を洗いに行かせた。
どうにも、困ったものである。少し前の三郎なら、何か悪いことをしてしまっても、真っ先に梅雨の元に謝りにきていた。それが、伊織と遊ぶようになってからは、変に知恵がついたというか、梅雨に頼らなくなった。
ある意味での成長には間違いないのだが、これは良い方向に育っていると言っていいのか…梅雨には自信がない。何せ、ここまで本格的な子育てするのは、三郎が初めてだったから。人の成長を見守ることは難しい。


「…あーあ、これじゃ私、完全に二人の母親ね」


ま、いいんだけど。
いつか自分のことを忘れられても、梅雨が母親をした事実はなくならない。きっと、夢でくらい思い出してはくれるだろう。三郎が死んでも、私だけがいつまでも覚えていれば良い。この小さな日々の積み重ねが、永遠を生きる私にとっての幸せなのだから。

二人のお菓子を用意しながら、梅雨はふとそんなことを思って、優しく笑った。

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