「今日…親がいないんだけど、うち、来るか?」 「う、うん」 「一応、言っておくけど……おれは、そういうつもりだから。嫌だったら、こなくていい、無理矢理は、したくないし…」 「い、行くよ!」 「! じゃぁ、待ってる」 「うん、」 「あとで…な」 小さくなっていく兵助の背中を見送って、私も教室に戻る。昼休みの教室はがやがやとしていて、たった今まで私がいなかったことも、気にならないくらい。それでも、仲の良い子たちは目ざとく私の姿を確認して、おかえり、と声をかけてくれる。 私は顔が赤くなっていないことを祈って、彼女たちの方へと足を向けた。 「遅かったね。久々知くんと、何話してたの?」 「いや、ちょっとした世間話だよ。あっちのクラスの話」 「ふーん。にしてもあんたたち、本当に仲が良いよねぇ」 「そりゃ、幼馴染だし…」 「それ以上に、今は恋人、でしょ?」 「ちょ…」 「幼馴染から恋人になるって凄いよね。普通、それだけ近いとうまくいかないもん」 「知りすぎてるか、逆に家族みたいになっちゃって今さら意識できない、とかね」 「まぁ、そういう話は良く聞くけど…」 「ほんと、梅雨は久々知くんに愛されてるわねー」 「う…」 にこにことほほ笑む友人たちは、それでいてどこか意地悪だ。 普段は優しいし、とても頼りになるけど、私が兵助と何かある度にからかってくる。仲の良い友人だからこそ許せるものだが、私はどこかそうされるのが嬉しくて、強くは拒否できないでいる。押しの弱い私が、言っても無駄なんだってこともあるだろうけど。 「けどさぁ、久々知くんってある意味凄いよね」 一人がそう言うと、私を含め他の子たちは何が?と首を傾げた。 「だって、いくら大切にしてるからって、ずっと一緒だったくせにまだ手、出してないんでしょ?これは愛されているというよりは、もはや久々知くんが堅物だとしか言いえないような…」 「それは確かに」 「未だにキス止まりのようだしね」 「手、つないでるだけで真っ赤になるのは、見てる方が恥ずかしくなるわ」 「ちょ、何でみんな知ってるの…!」 うんうんと頷き合う彼女たちを見渡し、私は顔を真っ赤に染めた。その通りだ。私と兵助はまだキス止まりだし、男として意識している兵助の体に触れるのは、例え手であっても恥ずかしい。そして私のその気持ちが伝わってしまったのか、終いには兵助まで真っ赤になるし……何度兵助の友達にからかわれたことだろう。 だけど、私の友人たちには見られていないはずだ。そのつもりだったのに。 「あんたたち、目立ち過ぎ」 「一部じゃ有名な話よ?」 「そこがあんたたちの良いところなのかもしれないけど」 「う…」 目立ってる……そうだったのか。知らなかった。 がっくりと肩を落とし、落ちこむ。そんな私に向かって、友人は苦笑を洩らした。 「まぁ、いいじゃない。初々しいことは大切よ。倦怠期に入ったらそんなこと一切ないし」 「夢のないこと言わないでよう〜…」 「だから、あんたたちはそのままでいいってこと。確かに、見てて正直うざったくなる時は多少あるけど、」 「あるの!?」 「それ以上に、私たちは幸せそうな梅雨を見ている方が、ホッとするの」 「だから、無理に焦る必要はないわよ」 「梅雨と久々知くんは、二人だけのペースで進めばいいんだから」 ぽん、と肩を叩かれて、私はどうしようもなく泣きたい気持ちになった。 それは、悲しいとかじゃない。優しい言葉をかけてくれる友人たちに、何と言って良いのかわからない程、ありがたく感じていたのだ。同時に、私と兵助が今日一歩この関係を進めようとしていることに、何故だか罪悪感を抱いている自分がいる。 おかしいな。兵助のことは好きなのに、そうしたいと思っているのに、後ろめたい気持ちになるだなんて。これって何だろう。私、どうしたらいいのかな。でも、本当のことは言えない。だから、答えなんてでないままだ。 「…本当に、いいのか」 「うん…」 ベッドの上。兵助の匂いがするシーツに包まれて、私は小さく頷いた。 兵助の顔は少し緊張しているようだった。普段天然と呼ばれる彼がそうなのだから、私はもっと酷い顔をしているに違いない。それでも兵助は、私を好きだと言ってくれる。私を求めてくれる。 唇が触れそうなまでに互いの顔が近付いた時、私は待ったをかけた。 「どうした……やっぱり、やめる、か?」 「ううん、そうじゃないの。そうじゃないんだけど……私、兵助に聞いてみたいことがあって」 「聞きたいこと?」 「そう。とっても大事なこと」 私は、緊張して息が詰まりそうになるのを抑え、何とか言葉を紡ぎ出す。 「私ね、兵助が好きだよ。好きだから、今日、ここにきた。兵助とはどんな時だって一緒にいたいし、何でも一緒にしたいと思う」 「うん」 「でもね、それと同時に思うの。私は、多分兵助以外の人は好きになれない。好きな人はずっと兵助がいい。でも、兵助は?このまま一緒にいても、いつかは他の人を好きになっちゃうかもしれない。それが、怖くて…」 「梅雨は、俺が梅雨を抱いたら、捨てると思ってる?」 「そう…いう訳じゃないけど………私のこと、全部知ってしまったら、兵助は飽きてしまうかなって……」 「そんなことない」 兵助は、私の体を抱きしめた。 ぎゅっと、それはもう力強く。もうちょっとで私が苦しい、と思うくらいの加減で、兵助は囁いた。 「俺は、俺だって梅雨と同じ気持ちだよ。こんな俺が梅雨を抱いていいのか、今だって迷ってる。俺の汚い気持ち全部さらけ出してしまったら、梅雨は逃げてしまうんじゃないかって……いつもいつも、不安なんだ」 「そんなこと…」 「それでも、梅雨を想う気持ちは止められなくて、ダメだとわかっていても、求めてしまう。梅雨の全てが欲しいんだ。梅雨は、俺にとって世界で一番大切な子だよ。だから、嫌だと思ったら、すぐに俺を殴ってくれ。そしたら、すっぱり、諦めるから…」 「兵助…」 か細くなっていく兵助の声。嗚呼、兵助も、ずっと悩んでいたんだ。私との距離感を測りきれなくて、困っていたんだ。それなのに、最後の最後で私が余計なことを言ったから、その想いが爆発した。 私は、自分の思考を呪った。どうして、こんなことを考えたのだろう。兵助はいつも、私のことを見ていてくれた。守って、誰よりも愛してくれたのは、他ならぬ兵助だというのに。私はその気持ちを疑ったんだ。 「兵助…」 私はゆっくりと、兵助の背中に腕をまわした。びくりと、大きな背中が揺れる。 少しだけ顔を離して合わせた視線の、先には、今もなお不安な色が溜まっていて。私はそこに、口づけた。 「梅雨……?」 「好き。好きだよ、兵助。兵助の手で、私を女にして欲しい」 「っ…!」 「この先何があっても、ずっと一緒にいるから。私にとっても兵助は、一番大切な、人…なんだよ」 ね? 笑った後には、すぐに兵助の唇が降ってきて。 私はもうそれ以上何も考えられなかった。 いいんだ。これで。私はこれからも兵助の側にいるから。兵助と離れるなんて、考えられない。 「梅雨……好き、だ」 ただ一言、兵助がそう言ってくれるだけで、幸せな気持ちが溢れる。 私はそっと、目を閉じた。 少年少女卒業証書 |