「おまえ…うるさい!」 「んんん!!」 少年の手ぬぐいが三郎の顔に押し付けられたのは、その直後のことだった。 「なんだよ、そんなにないて…おまえだって、おとこなんだろ!?」 「ひぐっ!?」 「ないてたら、いっしょにあそべないもん。はやく、なきやんでよ!」 「いっしょに…あそぶ…?」 少年の言葉に、三郎は目を見開いた。驚きのあまり涙がひっこんでいる。 「おまえ、まいごだろ?」 「ち、ちがう!」 「うそつき。ははうえっていって、ないてたくせに」 「それは…!」 「ぼくが、おまえのははおや、さがしてやる。だから、いっしょにあそんでよ」 少年はそう言うと、ポカンとした顔をしている三郎の手をとって、歩き始めた。 一緒に遊ぶとはどういうことだろう。三郎は今まで、梅雨に遊んでもらったことしかないので、わからない。 けれど、繋がれた手は妙に温かくて心地よく、三郎はしっかりとその手を握り締めた。手をつなぐのも、梅雨以外では初めて。 三郎は疑うことも忘れ、黙って少年の後をついていった。 「ぼくは、らいぞう」 「わたしは…さぶろう、だ」 「さぶろうは、どこにすんでるの?まちのなか?」 「ちがうけど…ばしょはおしえられない」 「どうして」 「ははうえが、いってはいけないといったから…」 「ふうん」 「らいぞうは、ここにすんでるの?」 「そうだよ。ぼくは、ここでおとうさんとおかあさんと、いもうととくらしているんだ」 「わたしは…ははうえと、ちちうえと、あとしらないひとが、うちにはいっぱいいる」 「なんだよそれ」 「わからない。ははうえは、かぞくみたいなひとたちだっていってたけど、わたしはすきじゃないから…」 「ふうん」 「でも、ははうえはやさしいから、すきだ」 らいぞう、と名乗った少年は、三郎の手を引っ張りながら、路地を進んだ。 彼は遊ぶと言っても、三郎と何かをする訳ではなく、三郎を町の表通りに連れていくことにした。三郎は否定したが、彼はどう見ても迷子だった。なら、三郎の言っている母親も、今頃三郎を探して歩きまわっているのだろう。 らいぞうは、途中、あれは何だと問いかける三郎に、自分の知っている範囲で答えながら、三郎とともに表通りへと出た。 戻って来た町の光景に、三郎は目を見開いて喜ぶ。そしてすぐにその丸い瞳を動かして、梅雨の姿を捜した。 「さぶろうのははうえは、どこにいたの?」 「えっと……こもの、のちかく」 「こものうりばのこと?」 「たぶん」 三郎の話を聞いて、らいぞうはまっすぐその道を進む。 三郎は大通りをらいぞうに手を引っ張られながら、きょろきょろと辺りを見回した。けれど梅雨の姿は中々見つからず、心の中では不安がつのる。無意識に繋いだ手に力がこもると、らいぞうはぎゅっと握り返した。 それが、三郎には強い安心感を与える。二人は手を繋いだまま、歩き続けた。 しばらく先を行くと、三郎の耳に自分を呼ぶ声が聞こえた。 振り向けば、息を切らした梅雨が通りの先で見ていた。三郎はすぐに気付いて、声をあげる。 「ははうえ…!」 「三郎…ああ、三郎…良かった…!」 駆けてきた梅雨に抱きしめられ、三郎はぎゅうっと抱きしめ返した。 やわらかい、ははうえのにおい。だいすきなははうえのおんど。 梅雨は三郎を抱きしめたまま、本当に心配したんだから、と何度も三郎の頭を撫でた。三郎は梅雨にごめんなさいといい、たまを見かけたことを伝えた。梅雨にはすぐにたまがこんな場所にいる訳がないとわかったので、未だたまのことを心配する三郎に、大丈夫よと言った。 「三郎が見かけたのは、きっとたまじゃないわ」 「でも、くろいのあったよ?」 「模様が似た猫はこの世に沢山いる。でも、たまは、世界で一匹しかいない。大丈夫よ、たまはおうちでお留守番してるから」 そう言って三郎のことを一通り宥めた梅雨は、三郎の体を離すと同時に、今までその様子を見ていた少年に向き直った。 らいぞうは梅雨の登場に少しだけ緊張してたが、優しい笑みを向けられて、すぐに表情を和らげる。 「ありがとう。君が、三郎を連れてきてくれたのね」 「…さぶろうが、あなたのことさがして、ないてたから」 「らいぞう!」 「そう。じゃぁ、らいぞうくんにはお礼をしなくちゃ。泣いていた三郎を慰めてくれて、どうもありがとう」 「ははうえまで…!」 梅雨はらいぞうのふわふわとした頭を撫で、にっこりと笑った。らいぞうはどこか照れ臭そうに、それでいて誇らしげに笑ったので、三郎にはそれがは面白くなかった。らいぞうに目線を合わせたままの梅雨に抱きついて、ははうえ!と声を荒げる。 「ははうえ、らいぞうに、わらわないで!」 「あら、どうして?」 「ははうえは、わたしのははうえなの!らいぞうにはわらわなくていい!」 「まぁ…三郎ったら本当に嫉妬深いんだから。ふふふ、大丈夫よらいぞうくん。心配しなくても、三郎はいつもこうなの」 「さぶろうは、あなたのこと、すきだっていってましたよ」 「そうね。三郎は私の大切な子だから……私も三郎が、好きなのよ」 三郎の体を再び抱き上げ、梅雨は笑う。 少しぐずりだしていた三郎だったが、いつものように梅雨に甘やかされたことで、本格的に泣くことはなかった。 梅雨は巾着から小さな包みを取り出すと、それをらいぞうの手に渡した。 「さっき買った金平糖なの。よかったら、食べてね」 「あ…ありがとうございます」 「ははうえ!わたしのは?らいぞうにはあげて、わたしのはないの…?」 「三郎の分もちゃんとあるわよ。三郎はおうちに帰ってからね。ほら、三郎もらいぞうくんにありがとうって言いなさい」 「う……… あ、ありがとう…」 梅雨に促され、三郎は小さな声でらいぞうにお礼を言った。 らいぞうはいいよ、と言うかわりに、三郎に言った。 「こんどは、いっしょにあそんでね」 「え…?」 「きょうはもう、かえっちゃうんだろう?だから、つぎまちにきたときには、ぼくとあそんで。やくそく」 「えっと…」 ちらりと梅雨の顔を窺う。梅雨は、笑顔で頷いた。 三郎はすぐにらいぞうに向かって、うん!と返事をした。 「ぜったい、あそぶ!やくそくだ!」 「わすれないでよ」 「わすれないよ!」 こうして、三郎はらいぞうに別れを告げ、梅雨に手を引かれて屋敷へと帰っていった。 その顔にはいつにもなく笑顔がこぼれていて、梅雨は三郎を町に連れてきて良かったと思う。多少のトラブルはあったものの、結果的には三郎の成長に繋がったのだから、良しとしよう。 「ははうえ、つぎはいつまちにいくの?」 「ひと月たったら、また連れていってあげるわ」 「わかった!そのときは、わたし、らいぞうとたくさんあそぶ!」 「今度は、らいぞうくんに泣き顔を見られないようにしないと、ね」 「うー、ははうえぇ…」 泣いたことをからかわれ、三郎は思わず口を尖らせる。梅雨はそんな我が子の頭を撫でて、いいのよ、と笑った。 三郎はまだまだ子供だ。 泣いたり、笑ったり、怒ったり、これから沢山のことを経験していく。 大人になったら、そう簡単に感情を表に出すことは許されないけれど、今のうちに沢山笑っておくといい。つらく厳しい修行の中で、楽しかった日々は、きっと生きる糧となるのだから。 夏に近いよく晴れた日のこと。 今日は、三郎に初めての友達ができた日だった。 「ただいまー!たま、どこー?」 「みゃー」 |