茶屋で休憩していると、ふいに梅雨があ、と声を上げた。


「あそこの出店、小物を売ってるのね」
「こもの?」
「簪とか、櫛とか…そういうものよ」


そういえば、さっきの店で見てくるのを忘れたわ。
と、梅雨は声を漏らした。

日が暮れるには、まだ時間がある。この後少しくらい帰る時間を遅らせたところで、問題はないだろう。
梅雨は三郎が皿に乗った団子を食べ終わるのを待って、近くの小物屋を回って歩いた。三郎はそこでも知らないものを沢山目にし、あれは何だろうと首を傾げている。
少しの間、梅雨が品定めをする為に手を離した隙に、三郎は隣の店へと顔を覗かせた。梅雨の目に届く範囲であるし、少しなら大丈夫と思ったのだ。
実際梅雨も三郎のことは気にかけているようで、時折捜す仕草をしている。そして三郎を見つけると、安心した表情で品定めの続きをするのだった。

三郎は入った店先で色々なものを見た。どれもこれもおもしろそうなものばかりだ。
一通り店の品を見学して、そろそろ梅雨のところに戻ろうと、ふっと視線を移した時だった。細い路地から、小さな猫が通っていくのを見つけた。その後ろ姿は、よく見ればたまとは微妙に違うのだが、幼い三郎には、たまにしか見えなかった。見かけたのが一瞬だったこともそう思わせた要因だろう。
たまは、三郎が町に一緒に連れていきたいと言っても、梅雨にダメだと言われ、屋敷においてきたはずだった。では、どうしてここにいるのだろう。もしかして、自分たちを追ってついてきてしまったのだろうか。人懐っこい猫だから、置いていかれるのが嫌だったのかもしれない。そして、今は迷子になってしまったのかも…。

三郎の頭はすぐにそう結論付け、次に何をすべきか、答えを出した。
はやく、つかまえにいかなきゃ。
そこで三郎は、梅雨にも何も伝えることなく、細い路地の中へと走り出してしまった。たまはすばしっこい。見失ってしまったら、二度と会えない気がしたのだ。

三郎が駆けだした後、振り返った梅雨が三郎の姿を探した時にはもう遅かった。そこには、三郎の姿はどこにもない。ただ沢山の人が行き交い、すれ違うだけだ。さっきまで揺れていた綺麗な黒髪は、忽然と消えていた。


「三郎…?」


梅雨は嫌な予感がして、騒音の中、商品を持った手を止めたのだった。




「はぁっ…はぁっ……たまっ!」


細い路地を駆け抜ける三郎は、その小さな体で、息を切らしながらも走るのをやめなかった。小さな彼の頭の中に浮かんだのは、大切にしているペットのたまのことだけ。
人と人との合間を縫って、ひたすら走る。どこに向かっているのかはわからない。ただ、こっちだと思う方向へ足を向け、たまの名前を呼んでいた。自分の声を聞いたたまが、見つけてくれることを願って。
すれ違う人々は、三郎のことを訝しげな目で見たが、それも次第になくなる。気づけば、三郎は知らない場所で、一人立ち尽くしていた。賑やかな表通りとは違い、長屋が並ぶ通りは三郎にとって未知の場所だ。たまはどこにもいなかった。

ここでようやく自分が一人になったことに気付いた三郎は、心の中小さくでははうえ、と念じた。けれど応えてくれる声はなく、三郎は静かに震えだした。
迷子なのはたまではない。自分の方だ。


「ははうえ…ははうえ、どこにいるの……ははうえぇ…」


三郎はとうとうその場で泣き声を上げ、近くをさ迷い歩いた。
寂しくて、悲しくて、怖いのに、助けてくれる人は誰もいない。どこに向かったら良いのかもわからない。表通りに戻る道順だって、覚えていなかった。


「ひっく、ひっく……ははうえぇ……」


鼻水を垂らしながら歩く。子供の声が路地に響いて、少しだけ異質のような感じがした。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。ははうえは、むかえにきてくれるだろうか。
三郎がそんなことを思いながら必死に前を歩いていると、たまたま近くを通りかかった子供が、三郎に近づいてきた。彼は三郎と同じか少し上くらいの年齢で、泣いている三郎を見つけると、ねぇ、と話しかけた。


「おまえ、なんでないてるの?」
「!?」
「うわぁ、おまえ、すごいかお……ほら、これでふきなよ。すこしは、よくなるから」


驚いて振り向いた三郎の先には、子供が手ぬぐいを差し出している。三郎にはこんなことは初めてで、どうしたら良いのかわからない。生まれてから接してきた人間は、みな鉢屋衆の者で、同い年の子供などいない。いても、三郎に会うことは許されなかった。
だから、こうして自然と少年に話しかけられることすら、三郎にはないと思っていたのだ。
近づいてきた気配に気づかなかったことにも悔やまれる。もしも相手が自分の命を狙ってきた敵だったとしたら……三郎は恐怖のあまり、余計に泣きだしてしまった。


「うわっ、なんだよおまえ、そんなにないたりして!」
「うわぁぁぁん、ははうえ、ははうえ……ははうえぇぇぇっ」


少年は、大声で泣き叫ぶ三郎を見て言葉を失った。

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