「三郎、おでかけしましょうか」


梅雨がそう言ったのは、いつもと変わらぬとある日の、天気の良い朝のことだった。





活気溢れる街中で、あちこちから客引きの声が聞こえる。
あるところは小物屋で、あるところは魚屋で、あるろことは花を売っていたりする。そのような光景を梅雨に手を引かれながら、三郎はまじまじと見つめた。里の中を歩いたことはあるが、こうして町に来るのは初めてだ。
嬉しいやら、楽しいやら、どきどきするやらで、心臓はばくばくと緊張している。こんなに大勢の人を見たのも、初めてだった。


「今日は天気がいいから、沢山の人が買い物に来てるわね」


日よけの傘を被った梅雨が、そう言いながら三郎を白粉や紅が売っている店へと連れ込んだ。
今日三郎を連れて買い物に来たのには訳がある。一つは、町というものを知って慣れさせるため。もう一つは、これから本格化していく変装の練習に必要な道具を、三郎に合わせて買っていくためだ。どんなものが売っているのかも、教えておく必要がある。


「いらっしゃいませ〜」


売り子の一人が、梅雨に気付いて寄ってきた。


「本日は、何をお求めですか?」
「そうねぇ…一通りのものが欲しいんだけど、紅は淡い色があるかしら」
「それでしたら、こちらなんていかがでしょう?最近、若い方に人気があるんですよ」
「まぁ、綺麗な色ね。他にも見せてちょうだい?」
「はい、後はこちらなど――…」


梅雨が売り子と話しているのを見て、三郎は少しだけ暇を持て余していた。
こんなに沢山の紅や白粉が並んでいるのは初めて見るが、三郎にはあまり興味がなかったのだ。変装に必要なものはいつも梅雨が揃えてくれる。だから、これからはある程度自分で選んでいかなければならないということを、まだよくわかっていなかったのだ。

店先に並んだいくつもの紅の中から、梅雨は売り子と話しながら買うものを選んでいく。その少し横で、三郎は綺麗な朱をした紅を見つけた。とても綺麗な色だったので、無意識に手を伸ばしてしまう。するとそれを見た梅雨が、三郎をたしなめた。


「三郎、売り物に触ってはだめよ」
「どうして?ははうえはさわってるのに」
「私は買うために、手にとって見ているの。けれど、三郎はただ触ってみたいだけでしょう?それは、お店の迷惑になるから、いけないことなのよ」
「…はーい」


梅雨に優しく諭されて返事をする三郎を見、売り子は凄いですねぇと声を漏らした。


「普通、あんなに素直に言うことをきく子なんていませんよ」
「あら、そうですか?」
「えぇ。余程お母様のしつけがしっかりしてるんですね〜」


と、売り子は梅雨を褒めた。
梅雨は少し恥ずかしくなったが、褒められて悪い気はしなかったので、心の中で三郎を誇らしく思う。
本当、いい子に育ってくれてよかった。たまに、手のつけられなくなる時があるけれど。


「じゃぁ、紅はこれとこれをいただこうかしら。あと、白粉も見せてちょうだい」
「ありがとうございます!」


売り子は嬉しそうに紅を取り置き、続いて白粉を持ってきた。
少し乗せられた感がしなくもなかったが、どうせ必要なものだったからいいか。
梅雨は、店の奥で白粉を見せてもらうことになった。三郎は店内を歩き回っているが、先ほど注意したかいあって、商品に触れようとすることはなかったので放っておいた。


「白粉は、こちらがお勧めの品で――…」


売り子の話を聞きながら、梅雨は帰りに三郎を連れて団子屋にでも寄ろうか、と考えていた。





しばらく三郎は店の中で色々なものを見ていた。
化粧に必要な品は大体揃っている。それでも、三郎は家では見たことのない品々を目に留めては、これは何だろうと考える。本当は触って色々と考えてみたい。でも、それはしてはいけないと、さっき梅雨に言われてしまった。


「お母さんの買い物が終わるまで待ってるのかい?えらいねぇ」


唐突に聞こえた声に振り返れば、店の女将が三郎を見つけて微笑んでいた。


「普通はあちこち触りたがるんだけど、そんな様子もないし」
「…ははうえに、だめだといわれたから」
「そう、言いつけを守れる子は、将来立派になるよ」


三郎は女将に多少警戒しつつも、柔らかな表情で三郎の頭を撫でる女将に、何も言えずされるがままになっていた。梅雨の話だと、いつ誰が三郎を狙っているかわからない。だが、今は変装しているし、子供の姿では判別が難しいのだと、梅雨は言っていた。

梅雨の買い物が終わるまで三郎は女将に相手をされていた。
何をするわけではないが、少し話したりする程度だ。三郎は、梅雨の姿がやっと現れると、内心ほっとした。


「お待たせ、三郎。あぁ、見ていてくださったんですね、ありがとうございます」
「いえいえ。大人しくて、とてもいい子にしていたわ」
「まぁ…良かったわね、三郎。褒められたわ」


戻ってきた梅雨の着物の裾をつかんで、三郎は小さく頷くだけだった。
その様子を見て、これは大人しいというより、人見知りをしているんじゃないかなぁと梅雨は思った。
会計を済ませてさぁ帰ろう、という時、女将が梅雨を呼びとめた。


「どれか、好きな紅があったら持って帰ってちょうだい」
「え、でも良いのですか?」
「これだけ買ってもらったんだもの。おまけしないと、よそに負けちゃうわ」


そう言って笑う女将に、梅雨は感謝して、じゃあと並べられた紅を見た。
一番欲しい色は既にいくつか購入したが、紅はいくつも欲しいもの。少し考えて、梅雨は三郎に言った。


「三郎、選んでみる?」
「え?」
「さっき、いくつか見てたでしょう?好きな色を選んでいいわよ」
「いいの?」
「えぇ。でも、あんまり似合わない色は選んじゃいやよ」
「わかった!」
「あらあら、随分とお優しいお母様なのね」
「というか、今から感性を磨いておけば、将来役に立つんじゃないかって思って」
「まぁ、じゃぁこの子は一体どんな色男に育つのかしら?」


ふふふ、と二人は笑い合い、一方で三郎は真剣に紅を選んだ。
並べられた紅はどれも綺麗な色をしている。まるで宝石みたい。
その中から、三郎は迷いに迷って、一番最初に綺麗だと思った紅を選んだ。それは、梅雨が持っていない色だった。


「これがいい!」


三郎が選んだ紅を見て、梅雨は嬉しそうに微笑む。綺麗な紅は、梅雨好みの色だ。
女将はそれを先ほどの包みと一緒に包んで、梅雨に渡す。そして、笑顔で店を後にする二人にずっと微笑んでいたのだった。


「とっても綺麗な紅だったわね。ありがとう、三郎」
「ははうえに、にあうとおもったの!」
「まぁ、とっても嬉しいわ」


母子の会話を楽しみながら、二人は手をつないで歩いた。

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