先日連れて帰った猫に、たまという名を付けた。 たまはまだ若い雌で、子猫を産んだ形跡もなく、本当にただ迷ってあの山に入りこんでしまったようだった。 連れて帰って早々に餌をやり、汚れた体を洗って、ついでに三郎も風呂に入れ縁側で休ませた。すると三郎とたまはポカポカ陽気にあてられたのか、すぐに寝入ってしまって、その光景はとても微笑ましいものだった。さらには珍しくも弥之三郎が近くを通り、三郎の頭を撫でて行ったのだ。 「たま、からだなめてる」 「毛づくろいをしているのね」 「けづくろい?」 「猫はこうして、自分の体を清めるのよ」 初めて触れる猫の習性に、三郎は目を輝かせて興味を抱く。人とは違った形や匂いがする猫を好きになったようだ。特に触り心地は最高で、ふわふわとした毛に埋もれた三郎は、それはそれは嬉しそうに笑う。 「ははうえ、たま、きもちいい」 「えぇ、そうね」 「わたし、たま、だいすき」 ははうえとおなじくらい、すき! と、三郎はたまに抱きついたまま叫んだ。たまはごろごろと喉を鳴らしている。 あぁ、やっぱり連れて帰って正解だったなと梅雨は思う。三郎は梅雨の言いつけを守って、ちゃんと世話も一緒にしていた。 たまは三郎の腕の中でごろごろと鳴いていたが、しばらくすると梅雨の膝の上へと移った。梅雨は三郎の頭巾を縫っているところで、ちょうど手が離せない。 梅雨の膝に乗ったたまを見た三郎は、再びたまを抱えなおした。けれど、たまは梅雨の膝が気に入ったようで、その後何度も三郎が引っ張っても、最終的には梅雨の元へと戻ってしまうのだった。 ついに、三郎の瞳に涙が浮かんだ。 「ううー…たま、こっち、こい!」 「にゃー」 「にゃー、じゃない、こっちにこいって、いってるの!」 「三郎、無理意地はしてはいけないわよ」 「でも!」 「あんまりしつこいと、たまは三郎を嫌いになってしまうわ」 梅雨の言葉に、ぷつんと何かが切れた。 三郎は堰を切ったように泣きだし、わんわんと叫んだ。たまは驚いて部屋の隅に隠れる。梅雨はやれやれ、と言った様子で三郎を抱きかかえた。 顔から出るもの全てを溢れだす三郎の顔を拭いてやり、よしよしと撫でてやる。三郎は梅雨の胸に顔をうずめてしゃくりあげていた。 「どうしたの。たまが言うことをきかなくて、そんなに悲しかったの?」 「ち…がうっ、だって、たま、が…ひっく」 「えぇ、」 「たまが、わたしのとこにこない…のは、いやっ、うぅぅ…それなのに、ははうえのところにきて…っく、」 「それは仕方ないのかもしれないわ。たまも、まだ子供みたいだから」 「でも!」 優しく諭す梅雨に、三郎は大きな声で抵抗した。 そしてぼろぼろと涙を零しながら、きゅっと着物の裾を握る。 「ははうえは……ははうえの、ひざのうえにのっていいのは、わたしだけなんだ…っ!」 「まぁ…」 「たまなんてきらい!うわぁぁぁぁぁんっ!!」 それだけ言いきると、三郎は再び泣き叫び始めた。 泣いてたのは、何も猫が言うことを聞かないことだけではなかったらしい。子供としての独占欲が、たまが梅雨の膝に乗ることを嫌がっていたのだ。 梅雨にはその考えは浮かばなかったようで、三郎の口から理由を聞くと、なんて些細な、けれどとても嬉しいものだと思った。 三郎が梅雨を母親だと認めて、甘えたがっている。今までにもその傾向は多々見られたが、まさか猫にまで嫉妬するなんて……自然と上がり出す口角を、梅雨は抑えることはできなかった。けれどいつまでもこのままにしてはいられない。 梅雨は大丈夫よ、と三郎をいさめて、泣きやませた。 努力のかいあって、三郎はやがて落ち着きを取り戻した。 「三郎、いいこ。膝の上になら、いつだって乗せてあげるわ」 「……うんっ」 「だからね、たまには、たまにも乗せてあげましょう?たまだって、お膝の上に乗りたい時があるのだから」 「でも…そしたらわたしはすわれない…」 「なら、私が三郎を抱っこして、三郎がたまをだっこしてあげればいいでしょう?そうしたら、みんなで仲良くできるわ」 「…ほんとう?」 「えぇ、ほんとうよ」 泣きはらした目で見上げてくる三郎に、にっこりと笑う。 つられて三郎もようやく笑みを浮かべた。幸せそうに喜んで、梅雨の首に抱きつく。やわやわと頭をなでると、梅雨はそのまま立ち上がった。 向かうのは、未だ部屋の隅に隠れているたまのところだ。 「さ、これからは仲良くしなくちゃね。たまにあやまっておいで?」 「うん…」 梅雨に離された三郎は、隅にいるたまに近寄った。たまはびくりと震えて、三郎のことを少し警戒しているようだった。 三郎はゆっくりと手を伸ばす。 「たま、ごめんね。いっしょに、ははうえのおひざに、すわろう?」 たまはじっと三郎を見ていた。三郎も目をそらさず、たまを見つめる。 おもむろにたまは口を開き、にゃーんと鳴いた。 そして、三郎の元へと身を寄せてくる。 「わっ、たまっ」 ぺろり、と涙の後を舐められて、三郎は尻もちをついた。それでもたまは三郎にすり寄って、甘えてくる。 くすぐったいと、三郎は笑いながらたまを抱きしめた。 その様子を見ていた梅雨はくすくすと笑う。 「よかったわね、仲直りができて」 「うん…」 「たまは、三郎のことが大好きだって」 「わたしも、たまがだいすき!」 さっきはきらいなんていってごめんね。 じゃれあう三郎とたまを抱き上げて、梅雨は元の場所へと戻った。 その膝の上では、一人と一匹が幸せそうに笑っていた。 |