春の暖かい日のことだった。
三郎と遊んでいる梅雨の元に、弥之三郎自らが訪ねてきた。


「まぁ、弥之三郎様。いかがなされました?」
「少し話があってな。良いか?」
「えぇ。では少しお待ちになって」


梅雨は自分の後ろに隠れる三郎を引っ張り出し、膝の上に抱いた。
その表情は子供ながらにどうして良いのか戸惑っている。
三郎は、父である弥之三郎が苦手だった。


「なんだ、三郎は甘えん坊だな」


弥之三郎がそう言うと三郎は梅雨の着物を掴んで伺い見た。


「弥之三郎様。あなたも、子供の頃は同じでしたでしょうに」
「同じだからこそからかってるんだよ」
「そんなことでは、三郎はますますあなた様から遠ざかってしまいますよ。ただでさえ、父親というものを知らないというのに」
「まぁな…かく言う私も、正直なところ子供への接し方なんてわからんが」


梅雨と弥之三郎が話している様子を、三郎は意味はわからずともずっと聞いていた。
梅雨は弥之三郎を嫌っていないが、三郎にはそれがどうしてなのかわからない。
母である梅雨にも実の子である三郎にでさえあまり顔を見せないというのに、何故この人が父なのだろうと。
純粋に、疑問に思っていたのだ。


「それで、お話とは?」


梅雨は指で三郎の髪を梳きながら、尋ねた。


「あぁ、そのことだが。…今年に入って、分家に子が生まれたのは知っているな?」
「えぇ、聞き及んでおります」
「その生まれた子が女子とあって、実は1月程前から打診されていてな…」
「まさか…」
「…その子を、三郎の嫁に、と」


梅雨は途端に顔をしかめた。
言った弥之三郎も良い顔はしていなかったので、乗り気ではないのだろう。
それなのにわざわざ話を持ってくるということは、それが現実になる可能性が高いからだ。


「三郎は…まだ2才ですよ」


小さな体を抱きしめて、梅雨は呟いた。


「わかっている。私だってそうはさせたくない。三郎には、自分で好きな女子を選ばせてやるべきだ」
「わかっているなら、即刻その話をなかったことにさせて下さいな」
「それがな……立場上、中々そうもいかなくて」
「?」
「私はすでに、一族に対してかなりのわがままを貫いた。三年前に、な…」
「あ…」


その時、梅雨の頭は全てを理解した。
弥之三郎が、自分の意思とは反対に一族の勧めを受け入れようとしている理由を。

今から約三年前、梅雨は弥之三郎から文をもらった。
亡くなった奥方の代わりに三郎の母となり、面倒を見て欲しいと。
本来ならば分家の者にいく役割を、梅雨が奪ってしまった。
梅雨は鉢屋と関わりがあるとはいえ鉢屋の血を引くものではない。
あっけらかんとしている弥之三郎だが、文を出すまでは何度も家の者と衝突したことだろう。


「私の…せいですね」


梅雨は表情を硬くして俯いた。
三郎は悲しい目をしている梅雨を見て驚き、必死に手を伸ばす。


「梅雨のせいではない。私の力が及ばなかっただけだ」
「けれど……私がここにこなければ、三郎の将来は三郎のものでした。私が、三郎から未来を奪ってしまった…」
「違う。そう思い込むな。梅雨がいなかったら、三郎に母親はいない」
「私がいなくとも…母となりうる御方は、沢山いたでしょうに」


ぽつりぽつりと言葉を漏らす梅雨に、弥之三郎はかける声を失った。
どれだけ弥之三郎が違うと言っても、梅雨は聞き入れない。
自分のせいだと自分を責める。
このままでは三郎を置いて自分だけ山に帰ってしまうのでは…とさえ、弥之三郎は危惧した。

そんな中。


「ははうえ?」


何も知らない三郎が、梅雨の頬をそっと撫で上げた。


「三郎…」
「ははうえ、どうしたの。かなしいの?」
「いいえ…大丈夫よ」
「でも、かなしそうなかおしてるよ。ねぇ、かなしいの?ははうえがかなしくないように、わたしがいいこいいこしてあげる」


ゆっくりと、たどたどしい手つきで梅雨の頬を子供の手が滑る。
三郎は撫でながら、いいこいいこ、と何度もつぶやいた。

その様子をみていた弥之三郎は、三郎に向かって聞いた。


「三郎、お前は母が好きか?」
「だいすき、だ!」
「!」


突然父に話しかけられ一瞬びくついた三郎だったが、はっきりと答えた。
梅雨は驚いて顔を上げる。
弥之三郎はそうか、と言って表情を緩め、次いで梅雨と目を合わせた。


「梅雨。それが、三郎の答えだそうだ」
「それは…」
「三郎はお前を大好きだと言った。大人になっても、その気持ちは変わらないだろう…お前を責めることだって、しないはずだ」
「けれど…」


今はわかる。
子供にとって、母親は絶対の存在でそう思ってくれるもの。
けれど、成長していつか真実を知った時…その時の三郎が、まだ自分を好いてくれるのか。
梅雨には自信がなかった。
どうして騙したんだ、と言われれば責められもしよう。
梅雨が母となったせいで将来も選べなくなったのだとわかったら、恨まれもしよう。
梅雨はそれが怖かった。

中々気持ちの整理がつかない梅雨に、弥之三郎は再び三郎を見た。


「なぁ三郎。梅雨がいなくなったら悲しいか?」
「?」
「梅雨は、悪いことをしてないのに、悪いことをしたと思って三郎を置いていってしまうかもしれない。そうしたら、三郎は悲しいよな?」
「やだ!ははうえがいなくなるのは、やだやだやだ!ははうえ、いなくならないで!!」
「っ、三郎!?」


弥之三郎にけしかけられた三郎が、梅雨に抱きついて激しく駄々をこねた。
三郎のこんなところはあまり見たことがない。
それほどまでに気を乱し、梅雨に泣きついた。

とうとう三郎の声に状況を受け入れ始めた梅雨は、穏やかに三郎の背を撫でながら強く強く抱きしめた。


「ごめんね、三郎。大丈夫よ、いなくならないから」
「やだやだ…いっちゃやだ!ははうえ…やだぁ…っ」
「ずっと側にいる。ね、いなくならないから、泣きやんで?」


梅雨はぼろぼろと涙をこぼす三郎の瞼に唇を落とし、よしよしとあやす。
そういえば、三郎は普段は大人しいが癇癪を起こすとなかなか泣きやまないのだった、と思い出して内心で苦笑。
そしてそれもこれも全て、自分の考えが引き起こしているものだとしたら、私はやはり三郎から離れることはできないな…と改めて思うのだった。


「よしよし、いい子だから。嫌なことなんて何もないわよ」
「ひっく、はは、うえぇ…」
「すきよ、三郎。だいすき」


許される限り、三郎の母でいよう。
私はこの子を愛している。

三郎を抱きしめたまま、梅雨は穏やかな笑顔を浮かべた。

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