自我を持ち始めた三郎は、とてもやんちゃな悪戯っ子だった。 「こら、三郎。勝手に部屋から出ちゃダメだって、言ったでしょ」 「だって〜」 「だってじゃありません。お父様から、一人で屋敷の中を歩き回ってはいけないと、言われているでしょう?」 梅雨の言葉に、三郎は頬をふくらませてそっぽを向いた。 今日は天気のいい秋口。 庭の木々が紅葉しはじめ、風も穏やかな日に、三郎は外に出て遊びたくなった。しかし例え屋敷内でも、決められた場所以外は、一人では行ってはならないことになっている。 これは当主・弥之三郎から梅雨への言いつけであり、同時に三郎にも厳しく言ってきかせていた。 三郎は鉢屋家当主の息子。いつなんどき、敵に狙われるのかわからないのだ。 多少警戒し過ぎのようなところがあるが、それでも当主の命令は絶対。三郎は、部屋に閉じこもっていなければならなかった。 「ははうえ、わたし外にでたい」 「今日はダメよ。やらなくちゃいけないことがあるの」 「やらなくちゃいけないことって?」 「お裁縫よ」 「…そんなの、きょうじゃなくったって、いい」 「あら、そう言って昨日は三郎と一緒に積み木をしたでしょう?本当は昨日やらなくちゃいけなかったのだから、今日はやらせてね」 あと少しで仕上がるの。 そう言った梅雨の声を、三郎は不機嫌なまま聞いていた。 どうにかして外に出たい気持ちは山々だったが、同じ部屋に梅雨がいる以上、勝手に出て行くことはできない。 部屋の隅でしばらく一人で遊んでいた三郎だったが、すぐに飽きて寝転がった。 そのまま天井を見上げ、今日は無理かと諦めかけていた。その時だった。 「あら…糸が、もうない。困ったわ」 ふと梅雨が、独り言を漏らした。 いつもならこんな時、隣の部屋にいる者を寄こすのだが、生憎と今日は警護の者が控えていなかった。忍務だと、梅雨が朝言っていたのだ。 「三郎、ちょっと糸を取ってくるから、大人しく待っていてね」 梅雨はそう言うと、すぐに立ち上がって部屋を後にした。遊びたい盛りの三郎が、このチャンスを放っておく訳がなかった。 すぐに三郎は、梅雨がいなくなったのを確認すると、襖を開けて縁側へと繰り出した。 行く手を阻む何枚もの襖は正直鬱陶しかったが、三郎にはその意味がまだわかってはいない。 縁側から庭に下りると、裸足なのも構わず辺りを駆け回った。 屋敷の者は誰一人として見当たらない。 これ幸いにと、三郎は庭の中を探検したのだ。 だが、そんな時間は長くは続かなかった。 「もう!見つけたわよ、三郎」 「! ははうえ…」 部屋に戻った梅雨は、すぐに三郎が消えているのを知り、庭へとやってきた。 屋敷の庭は広く、池なども作ってあるが、三郎は遠くまで行かず縁側の割と近い場所で遊んでいたので、難なく見つかってしまった。 梅雨に見つけられた三郎は、今までの楽しい気持ちが一転、しゅんと頭を垂れて小さくなってしまう。 そして話は冒頭へと戻る。 「…お父様もね、三郎にいじわるをしようと思って、部屋にとじこめている訳じゃないのよ?」 「……でも、ちちうえはわたしとあそんでくれない。いつも、あそぶのはははうえだけだ」 「それがうちの役割なの」 「やくわりって?ちちうえはわたしのことが嫌いなの?」 「そうじゃないのよ」 まだ幼い三郎には、家のしきたりなど言っても理解できない。 ただひとしきり、不安が募るだけだ。 梅雨は下を向く三郎の体を抱き上げると、部屋へと連れて戻った。 土で汚れた足を拭き、乱れた着物を直し、部屋の隅に座らせる。傍らで、自分は再び裁縫へと手を伸ばした。 三郎はずっと黙っていた。 しばらくして、ぷつんと最後の糸を切り終えると、梅雨は「できた」と言って三郎を呼んだ。 三郎は相変わらず機嫌が悪かったが、立たされて梅雨の手の中にあるものに着替えさせられると、少しだけ驚いた。 「どう?秋になるし、三郎に新しい着物を縫っていたのよ」 「これ……わたしの?」 「そうよ。こんなに小さいの、わたしが着るのは無理よ」 「わぁ…」 三郎は新しく着る着物を見て、顔を綻ばせた。 裁縫なんてつまらないと思っていたが、これが自分の為に作っていたものだと知ると、外に出れない不満よりも、嬉しい気持ちがこみあげてくる。 「ははうえ、わたし、にあってる?」 「えぇ、とっても」 「ははうえ、だいすき!」 「あらあら」 三郎は、梅雨に抱きついて愛情表現をした。 その小さな頭を撫でつつ、梅雨まで嬉しい気持ちになる。 弥之三郎が三郎に愛情を持っていないというのは嘘だ。 愛情があるからこそ、こうして屋敷の奥に匿う。危険な目に遭わないよう、大切に、大切にしている証拠なのだ。 それをいつか、三郎も知る時がくるのだろう。 それまではつらくて仕方がないのかもしれない。父親の愛情に飢えるのかもしれない。 だからこそ、こうして梅雨が三郎を抱きしめる。弥之三郎の分まで。 「…三郎、明日、天気が良かったら散歩しに行きましょうか」 小さな体は、返事とともにぎゅっと抱きついてきた。 |