さて、今後のことについていくらか話を終えた後、梅雨はようやく三郎と対面することとなった。
はやる気持ちを抑え、前を歩く弥之三郎の後ろを、なるべく気配を消して歩く。前線から離れて久しいが、屋敷の中全体が暗欝とした雰囲気のせいか、自然と体の使い方を思い出していた。
そんな中、弥之三郎はある部屋の前で立ち止まり、一瞬で周囲の気配をさぐる。何事もないとわかると、襖を開けて中へと入った。梅雨は「入ってこい」、という目配せを受けた。
続いて座敷に入ると、弥之三郎はさらに奥の襖へと手をかける。真正面ではなく、左側の。そして入った先では今度は右側の襖へと手をかけ、奥へ奥へと進んでいった。

いくつかの部屋を過ぎた後、最後に少しだけ豪華なあしらえとなっている襖を開くと、中には3人の人間がいた。そのうち2人は襖を開けた時から跪き、頭を下げていた。性別はわからない。何せ二人とも狐の面をかぶっている。
そして彼らに挟まれ、中央に位置するのが、まぎれもなく梅雨がここに来た理由。鉢屋三郎。生まれて間もない彼が、そこに寝ていた。


「見張り、御苦労。お前たちは下がれ。これからはこの梅雨が三郎の母となり、世話をする」
「はっ…」


弥之三郎の言葉に二人の忍は短く返事をし、屋根裏へと消えた。
残された梅雨と弥之三郎は、ゆっくりとした足取りで三郎の元へと向かう。三郎は白い布団の中ですやすやと寝息を立てていた。
その、初めて見る三郎の寝顔に……梅雨は言いようのない感銘を受けた。


「かわいい…」


思わず呟いていた声。弥之三郎は振り返ると、どこか嬉しそうな顔をしながら梅雨をすぐ近くまで呼び寄せた。


「可愛いか。私の息子だからな」
「弥之三郎様、すっかり親馬鹿な発言をしてしまって」
「なんとでも言え。…三郎は、あいつが残してくれた唯一の宝物なんだ。親馬鹿にでもなるさ」


そう言う弥之三郎の顔はすっかり‘父親’で、忍であることが嘘のように思われる。
梅雨はそっと小さな三郎の手に指を近づけると、三郎は寝ながらも反応した。とても緩い力で、握りこまれる。
生きている。それが、生死の狭間である忍の世界では、何とも難しいことか。ささいなことでこの日常は壊れる。だから、


「ほんとうに、かわいらしい…」
「梅雨……世話に必要な道具は揃っている。足りない時は私に言え、すぐに用意させる」
「えぇ、わかりました」
「それから、三郎のことは梅雨に一任している。立派な息子に育ててくれ」
「弥之三郎様はあまり会いにこられないのですか?」
「私はそうそう三郎に会う訳にはいかない。親子の情が強くなっては、いけないからな」
「けれど…」
「仕方ないのさ。これこそ鉢屋家の、男親の宿命だ。私は父としてではなく、当主として三郎に接さなければならない」


私の父がそうだったように。

鉢屋家では後継者を育てるのは女の役目だ。鉢屋衆という忍集団を率いる以上、そこに私情を挟む訳にはいかない。厳格な鉢屋家では尚更その傾向が強かった。
そして、三郎を生んだ実の母が亡くなってしまった今回のような場合では、本来なら乳母として分家から女を連れてくるのが習わしだった。しかし弥之三郎はそれを拒んだ。
理由は、さっき弥之三郎が口にしたように、分家とはいえ大切な息子を預けるのが苛まれたからだ。加えて言うなら、梅雨こそその任に適任だと思った。


「梅雨」


弥之三郎が口を開く。三郎を見て顔を綻ばせる梅雨に向かって、姿勢を正した。


「三郎を、私の息子をどうか頼む」


それは鉢屋家の当主でもなく、鉢屋衆の忍頭でもなく、鉢屋三郎の父として―――鉢屋弥之三郎の頼みだった。
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