最上級生くのたまが、学年で一番難易度の高い忍務に順次ついていることを知ったのは、梅雨を見掛けなくなって、二週間が経った時だった。
卒業試験にも近い実習は、毎年多くの怪我人を出している。
そして実習は忍たまよりも先に、くのたまから行われるのが恒例だった。

そういえば、去年の先輩たちはこの頃からピリピリとしていた気がする。
くのたまの実習が終われば、次は忍たまの番だ。
くのたまの全員が実習を終えた時点で、死者が出ていることも少なくはなかった。
だから余計に、忍たまの気は引き締まる。
本当の意味での生死を分けた、忍として生きていけるかどうか、境界線だ。

僕は心の中で、どうか梅雨の無事を願った。
何も言わずに実習に出た梅雨。
彼女の実力は決して低くはないけれど、心配だ。
どれくらいで帰ってくるかもわからないので、不安は募るばかり…
僕は毎日ため息を吐いていた。


そんなある日、午後の授業で卒業試験には程遠い、簡単な野外実習を終えて学園に戻った時のことだった。
僕たち六年の忍たまが学園の門をくぐると、そこは冷たい空気に包まれていた。
学園全体が、何故だかおかしい。
その気配を感じとったのは僕だけでなく、六年生は全員すぐに気付いた。

「くのたまの実習か…」
「やはり今年も、こうなったか…」
「人事じゃないな…次は私たちだ、」

いつもは煩いくらいに元気な小平太までもが表情に影を落とし、微かに啜り泣く声がするくのたま長屋の方を見遣った。
僕は、その時嫌な予感がしてならなかった…

ちょうどくのたま長屋から出て来た新野先生を見掛けると、足は勝手に走り出していた。

「おい、伊作!?」

まさか、そんなことはないと思うけど。
でも、可能性は零じゃないから…どうかはっきりと、否定する言葉を聞きたかった。
梅雨は無事だって、この声は、梅雨に向けられているものではないって…

「新野先生!」
「あぁ、伊作くん…」
「あの、実習に行ってたのは…誰なんですか?」
「………」
「お願いします、教えて下さい!」

新野先生は、一瞬躊躇した後、顔を伏せて口を開いた。
看取ったのは新野先生だ。
言いにくいことはわかってるけど、でも…

「実習に出ていたのは、―――」




僕の時間が止まったのは、その瞬間だった。






「嘘…でしょ…?」


そんな、そんなこと、って……


全身から力が抜け、僕はその場に腰を落とした。
手足が言うことをきかない。
体が震えて、新野先生を見つめる顔は、顎がカチカチと鳴った…


「そんな…嘘でしょ、梅雨が…」
「…伊作くん、?」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…だって、そんなの…嘘だよっ!」

たまらず怒鳴り出した僕に、留三郎たちが慌てて駆け寄ってきた。

「伊作、どうしたんだ!?」
「お前らしくもない…」
「新野先生も全力を尽くして下さっているんだ。困らせるな…」

「っるさい!!」


僕に伸ばされた手を払い、僕は精一杯立って走った。
くのたま長屋に向かって。

「おい、どこにいくんだ!?」

友人の言葉も聞かず、一目散に駆け込む。
突然現れた僕の姿にくのたまの視線が集中すると同時に、山本先生の激昂が飛び交った。

「何ですか突然!ここはくのたま長屋ですよ!それに今が大変な時くらい、六年生であるあなたにはわかっているでしょう!?」

山本先生の声は激しく僕の存在を批難した。
遅れてやってきた同級生たちが、謝りながら引っ張り出そうとするけど、僕はこの部屋に来た時からある一点を見て、他のことは何も考えられなかった。

ただただ、布団の上に横たわる梅雨の顔を見て、それが真実なのだと、心をえぐられた気がした。

一歩一歩、梅雨に近付く。

「伊作、何をやっているんだ!」
「失礼も程がある」
「ほら、早く…!」

みんなが僕を引き止めようとしたけど、僕はその前に梅雨の横に座って、今は体温の通っていない手に触れた。
冷たい。
きっと、命を絶たれてから、随分と時間が経っていたのだろう。
学園に戻った時には既に…新野先生に看てもったって、遅すぎたんだ。

少し固くなった手を握り、僕は何度も梅雨の名前を呼んだ。
涙はその時初めて溢れだして、一度緩んだ涙腺は留まることを知らない。
僕はひたすらに、泣き続けた。

「っ、梅雨…どうして君が…っ、信じ、られないよ…っ……梅雨…」

鳴咽を漏らしながら梅雨の名を呼ぶ僕を、同級生たちは止めることができなかった。
まさか本当に、ここまで泣き縋るとは思っていなかったのだろう。
誰も、僕と梅雨の関係を知る者はいなかったから。

けれど、山本先生の視線だけは依然として強く受け続けていたので、僕は装束の袖で涙を拭った。

「今から…化粧を施してくれるんですよね」
「そうです。だから、あなたは早くこの部屋から出なさい。例えあなたが蛙吹さんに想いを寄せていたとしても、あなたのとった行動は許されるものではないわ」
「…そうですね」

山本先生の厳しいお言葉をいただき、僕は梅雨の手から手を離した。
代わりに、今はもう一寸も表情を変えることのない白い頬に手を伸ばし、優しく撫でる。
後ろで山本先生が「善法寺くん!」と叫んだのが聞こえた。

僕は、その顔に張り付いた梅雨の仮面をそっと剥がし、死してもなお被されたままだった黒いかつらを、取り去った。

そこに現れたのは、あの日僕が見た時よりずっと大人っぽく、綺麗に成長した梅雨の顔だった。
今でも僕に、とても似ている…僕の大切な妹。

梅雨の素顔が現れた途端、周囲の空気が揺らいだ。
でも、そんなことはどうだっていい。
僕は最後に素顔の梅雨に触れると、山本先生に向けて、そっと言葉を紡いだ。

「綺麗に…化粧を施してやって下さい」
「善法寺くん、あなた…」
「最後だから、ちゃんと、梅雨の素顔に」

梅雨から手を離した僕の肩に、留三郎の手が乗る。
温かい。血の通った手だ。

僕は立ち上がると、山本先生に深く頭を下げ、くのいち長屋を後にした。
一緒にいた同級生は何も言わない。
文次郎も仙蔵も、小平太、長次、留三郎も。
ただ、梅雨と僕の関係を知った彼等は、何も言わずに側にいてくれた。
だから僕は、肩を震わせて泣くことができたんだ。

「梅雨…梅雨…」

心配だったからだけじゃない。
妹だったからだけじゃない。
僕は君を愛していたよ。
大切で大切で、誰よりも気にかけていた存在だった。
例え梅雨にとっては、僕が欝陶しかったとしても…


「それでも、愛していたんだ」


願いは、叶わなかったけど。

君の存在を、今ほど求めたことはないよ。
もう戻らない日々に、僕は涙を流し続けた。

さよなら、梅雨。

来世では幸せに…


空は遠いと今知った

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