「蛙吹さん」 「はい」 「あなたへの課題は、これです。とても危険な忍務です…くれぐれも、気をつけてね」 「はい…シナ先生」 私は実習の課題が書かれた用紙を受け取り、それを懐にしまった。 くのたま六年生にしての、最高に危険で難易度の高い実習。 私がくのいちとしての一歩を踏み出せるかどうかの、分かれ目である。 実習を数日後に控えた今、同時に私は房中術の実習も詰まっていた。 今回はくじではなく、相手を自分で選ぶことになっていて、くのたまはみんな各々の考えを反映させた。 閏での作法を心得ている立花を選んだり、逆に自分の技量を試すために堅物である潮江にしたり…あるいは、五年生ながらに経験が豊富であると噂される鉢屋に頼んだりと、皆相手選びには真剣だ。 その中で私は、くのたまである自分にとって、もっとも相応しくない理由で、伊作を選んだ。 伊作は腹違いの私の兄である。 幼い時母親にその名を聞いた私は、忍術学園に入るまでずっと伊作を恨んでいた。 私の家は母と私、母の両親の四人暮らしで、父はいない。 母は既に他の女性と祝言を挙げている父と一夜の過ちを犯し、私を身篭った。 その為、私は父に会うことができず、ずっと母の実家で暮らしていたのだ。 一人で私を産んだ母への祖父母からの風当たりは強く、私もあまり可愛がられたことはない。 近所の子供たちからも仲間はずれにされ、私はいつも一人だった。 私と同じ年に、私より少しだけ早く生まれたという伊作は、両親に見守られながら幸せに暮らしているというのに、どうして私はこんな目に遇わなければいけないのだろう。 そう思って、10才になるまでの子供時代、私は伊作を怨みながら生きてきた。 そんな折、女も一人で生きていけるようにならなければいけないからと、母は私を忍術学園に入れた。 自分の経験が物語っていたのと、どこか厄介払いしたい気持ちがあったのだろう。 家を出た時は悲しくて仕方がなかった。 だけど忍術学園に来て、私の周りはガラッと変わった。 当たり前だけど私を知る人物は誰もいなくて、みんな初対面同士、すぐに打ち解けられた。 初めて友達ができた場所でもあった。 私はまだ友達にどう接していいのかわからず、たまに距離をとってしまうことがあったけど、みんなは優しく受け入れてくれた。 生きる場所を見つけた。 毎日が大変だけど楽しくて、みんなと過ごす日々が幸せだと感じる。 伊作に出会ったのは、そんな時だった。 『どうしたの?大丈夫?』 泣いてる私に声をかけて、手当てをしてくれた。 伊作は子供の頃今よりも可愛くて、女の子に近い顔をしていたから、最初はくのたまの誰かと思ったけど、着ていたのが忍たまの装束だったから、少しだけ身構えた。 でも、伊作はそんなことよりも私の怪我のことを心配してくれて、幼心ながらに、私は伊作に恋にも似た感情を抱いた。 けれど、それは一瞬の夢で、私は伊作の口から名前を聞いた時…聞いてはいけなかったことを知り、絶望する。 目の前の少年は、私があれだけ憎み恨んでいた善法寺伊作だったのだ。 私はどうして良いのかわからず、あの場から逃げ出した。 伊作は追ってこなかった。 それ以来、私はずっと伊作を避け、伊作を見続けてきたのである。 『善法寺がまた塹壕に落っこちたみたい』 『下剤入りの団子をあげたら、簡単に引っ掛かってくれたわよ』 『不運な彼とは組みたくないわよねぇ』 『でも、あれで結構人気あるから不思議』 『まぁ、優しいもんね』 同級生のそんな話を聞く度に、私の胸はキリキリと痛んだ。 知ってる。 伊作は優しくて、他の女の子にも好かれていることを。 自分の兄だと思うと複雑で、一人の男として意識すると、誰にも渡したくなかった。 こんな気持ちを抱き続けるのはいけないとわかりつつも。 私は伊作と同じ髪の色や癖を隠す為に、黒いかつらを被り、伊作に似た顔を隠すため、他人の仮面を被った。 誰からも私が伊作の妹だとばれないように。 万が一私たちの関係が知れ渡って、伊作の妹として見られるのが嫌だったから。 だって、そしたら私の心は悲鳴をあげてしまう… 伊作は私が変装するようになってからも私を見付けると、ジッと見つめてきた。 意識されているんだとわかった。 それはつまり、伊作も何らかの形で私のことを知ったということだ… 嬉しいと思う反面、越えられない境界線があることに、悲しみを覚えた。 そして私はそれからずっと、伊作を拒み続けていたのである。 本当はずっと、あなたの側にいたかったのに… 実習が進む。 伊作との一件が過ぎた後で、私は早々に忍務についた。 正直言って、私の技量では無傷で戻れる可能性は半分でしかない。 さらに、傷を負って帰還できる確率も、その半分… 四分の一で、死、あるいは捕獲され拷問される未来が待っている。 それでも私はこの実習を受けた。 だって、欲しいものはもう手に入れた… あの夜、一方的とはいえ、伊作はあの手で私を抱いてくれた。 そこに至るまでは、私の中で散々迷った。 悩んで悩んで悩んだ末に、あの結論に至ったのだ。 後悔はしていない。 ずっと好きだったから、ようやっと踏ん切りがついた。 この実習を終えた頃には、私はもう一人のくのいちとして生きていく覚悟ができている気がする。 だからもう、迷うことはない。 夜の闇を駆け抜ける。 梟の静かな鳴き声が聞こえる。 そして私は、ずっと前を走り続けた。 ずっと、ずっと… 越えられない一戦を目指して。 その先に、伊作の隣で笑う私の夢を見た。 |