僕が梅雨に初めて会ったのは、忍術学園に入学して間もなくのことだった。 その日僕は保健委員の当番で、医務室に向かっていた。 入学後すぐに引いたくじで、運悪く保健委員になってしまい、周りからは早くも不運だと言われた。 それでもまだ一年生だった僕は、自分がそこまで不運な人間だとは思わなかったんだ。 だから、医務室に向かうこともあまり抵抗がなく、少しの辛抱だと考えながら、校庭を歩いていた。 すると途中で、くさむらの陰から啜り泣く声が聞こえた。 誰だろう、と思って覗くと、そこにはくのたまの装束に身を包んだ女の子が膝を抱えていた。 忍たまである僕は、つい最近、授業でくのたま長屋に招待され、酷い目に遇ったばかりだったので、くのたまを見るとつい身構えてしまう。 とりわけ僕は、他の級友たちに比べて痛い目に遇ったものだったから、その反射は半端ない。 もしかしたら、これも僕を陥れる罠かも――と思ってしまって。 関わらずに去った方が無難かも、と思案した。 でもやっぱり、泣いている女の子を放っておけない。 僕は意を決して、彼女に話しかけた。 「ねぇ」 「!」 「どうしたの?どこか痛いの?」 保健委員だった僕は、女の子が泣いているのを見て、とりあえず怪我か病気が原因なんじゃないかと考えた。 その予想は的中して、顔を上げた女の子の膝のあたりには土が付き、袴に血が滲んできているのが見えた。 「うわ、その怪我どうしたの!?」 「…転んじゃ、って……」 「早く手当てしなきゃ!」 僕は慌て、彼女を医務室に連れて行こうとした。 保健委員の使命感が働いた。 けれど女の子は、僕が医務室に連れて行こうとしたら首を振って拒んだ。 色素の薄い髪が揺れる。 「やだ…医務室に行ったら、痛いもん…」 「そんなこと言っている場合じゃないよ!怪我したところからばい菌が入ったら、もっと酷くなるんだよ!?」 「で、でも…」 「ね、僕が君を手当てするから。なるべく痛くしないようにするし、とりあえず医務室に行こう?」 僕が必死にそう伝えると、女の子は嫌々ながらに頷いた。 女の子が万が一にでも逃げないように、しっかり手を繋いで医務室に向かう。 てっきり新野先生や他の保健委員が常駐していると思いきや、その時はたまたまみんな出払っていて、言葉通り僕が手当てするしかなかった。 袴を膝上まで捲くらせて、水で洗わせた。 その後消毒して、包帯を巻く。 一年生でも、それくらいはできるようになっていた。 「はい、これでいいよ」 「ありがとう…」 「包帯を替えに、一応毎日医務室に来てね」 治療を終えて満足した僕は、そこでやっと女の子の顔をまともに見た。 泣いたことで少し目が赤くなってるけど、傍目から見たら表情が柔らかくて、可愛い子だった。 でもどこかで、見たような顔… 「そういえば、まだ名前聞いてなかった」 僕が無意識にそう言葉を零すと、女の子はやや俯きながら、「蛙吹梅雨です…」と教えてくれた。 蛙吹梅雨ちゃん。 聞いたことない名前だよなぁ… 「僕は善法寺伊作。言いにくいだろうから、伊作でいいよ」 「! 伊作…?」 「うん、そう」 「もしかして…お家、お医者様やってる…?」 「そうだけど、どうして知ってるの?」 きょとんとした顔で僕が聞くと、梅雨ちゃんは青い顔をして突然立ち上がった。 心なしか、震えているような… 「ごめんなさい!!」 「え?」 梅雨ちゃんは、それだけ言うと、走って医務室から出て行ってしまった。 まだ、怪我治ってないのに… というか、ごめんなさいって、何? 僕何で謝られたの? 慌てて梅雨ちゃんの後を追おうとした僕だったけど、その時ろ組の奴が掘った穴にはまって、足をくじいてしまった。 追い掛けようにも追い掛けられない。 戻って来た保健委員長に、塹壕には気を付けるんだよと言われながら手当てしてもらって、しばらくは安静にする必要があった。 長屋の部屋に戻った僕は、梅雨ちゃんのことが色々と気になって仕方がなかった。 それと同時に、梅雨ちゃんがやっぱり誰かに似ているような気がして、それとなく同室の留三郎に聞いてみた。 「ねぇ留三郎、髪が茶色くて、少しくせっ毛で…表情が柔らかい人って、知らない?」 「あぁ?それってまんま伊作のことだろ。何言ってんだ」 「え…僕?」 「他は知らねぇよ」 留三郎に言われて、僕はその時初めて梅雨ちゃんが似ていると思ったのが、紛れもない僕自身だということに気付き、混乱した。 そうか…彼女は僕に似ていたんだ。 髪や顔だけでなく、表情までもが。 僕はその日、何とも不思議な体験をした気分だった。 「…今日も会えなかった」 一日の出来事を思い出しながら、僕は梅雨のことを気にかける。 あの日、実習があって以来、僕たちは一度も顔を合わせてはいない。 気まずさから、会いたくないと思うのと同時に、やっぱり一度会ってちゃんと話し合うべきだと思う自分がいて、気が重い。 会ったところで、今更何を話したらいいのかもわからないけど…このままでいる訳にもいかない。 何せ梅雨が自分から僕に寄ってきてくれたのは、一年生の頃以来、初めてのことだったから。 驚きつつも、やっぱり仲良くしたいと思う。 学園の中では、当事者である僕と梅雨以外は、僕たちが兄妹であることを誰も知らない。 だけど僕にとっては確かに、梅雨はたった一人の妹だった。 周りが気付かないのは、梅雨が普段変装しているせい。 五年の鉢屋程ではないけど、梅雨も変装を得意としていて、時々名前を耳にする。 そういえば、梅雨の素顔を見たのは後にも先にも一年のあの時だけだったけど、どうして変装をするようになったのだろう… もしかして、僕との関係が周りにばれるのが嫌なのかな。 梅雨の立場だったら、その気持ちはわからなくもないけど…じゃぁ何で、今まで僕のことを避けていたのに、突然寄ってきたりしたんだろう。 僕に関わりたくなかったんじゃないの? 矛盾してる。 僕には梅雨の気持ちがわからない…困ったな… 「おい伊作、薬ふきこぼれてるけど!?」 「へ?うわぁぁぁ!!」 考え過ぎたせいで、煎じて薬草がふきこぼれちゃった。 とほほ、これじゃぁやり直しか… これ、凄く手間がかかるんだけどな… ダメになった薬草を片付けながら、僕はため息を吐いた。 |