兵助と梅雨さんが町に出掛けた日から、私はめっきり彼等とは会わなくなった。
学園の中で偶然二人の姿を見かければ、いつの間にかお互いの呼び方が兵助、梅雨に変わっていて、私の知らないところで彼等の世界は変わっていく。
もはや兵助の心は私ではない梅雨に向けられていた。

その腹いせという訳ではないが、放課後や休日に予定が入らなくなってしまった私は、暇さえあれば会計室に向かい、帳簿を付ける。
潮江先輩にはいい心掛けだと褒められ、仕事が減った後輩たちからは喜ばれ、何も悪いことはない。
ただ一つ気になることがあるとすれば、私が帳簿を付けていると必ずやってくる三木ヱ門のことだろうか。

三木ヱ門は同じ会計委員で、私の後輩。
火器などの過激な武器が大好きで、委員会のない時はいつだってユリコやらサチコを連れて、練習しているはずだった。
それなのに、私が一人で帳簿を付けている時には必ず、顔を出して手伝いをしてくれる。
これは私が好きでやっていることだから、三木は手伝う必要ないよ、と言っても聞きやしない。
一体どういうつもりだろう。

「ねぇ三木、石火矢の練習しなくていいの?」
「今は帳簿を付ける方が優先です」
「でも、練習しないとせっかくの腕が鈍っちゃうかもしれないし…」
「そんなことで成績を落とす私じゃありません。それに私だって、好きで先輩のお手伝いをしているんですから」

ほら、手が止まってますよと言われて、私は渋々そろばんをはじく。
最初は、こうして帳簿に没頭していれば嫌なことは忘れられるかなと思ったけど、最近では三木ヱ門のことが気になって時々手が休んでしまう。
せっかく天気がいい日なのに、練習しないなんて勿体ない…
私が引き上げるまで三木ヱ門は絶対にこの会計室からは出て行かないので、私は何だか悪い気がしていた。

「時に蛙吹先輩」
「何?」
「久々知先輩とは、別れたんですか」
「!」
「最近、二人でいるところを見掛けませんし、久々知先輩はいつも、もう一人の蛙吹さんの方に付きっきりのような気がしますが…」
「………」
「先輩?」

黙り込んだ私を、三木ヱ門が手を止めて見てくる。
私は答えられず、俯くだけだ。

「その様子だと、やはり…」
「…わかんないのよ」

ぽそり、と呟いた。

「兵助は、今も昔も蛙吹梅雨という人が好きで、その笑顔を梅雨に向けている。私は確かに兵助の隣にいたけど、いつの間にかその場所はもう一人の梅雨に取られてしまった。人が変わっても、兵助が好きなのは梅雨に違いないから、私と兵助が今どういう状況にあるのか、私にもわからない…だって兵助は同じように‘梅雨’に愛を囁くんだもの」
「先輩…」
「私だって、あの場所に戻りたい!兵助に愛される蛙吹梅雨でいたい…でも、でも、どうやったって無理なんだもん…兵助は私を忘れてしまった。もう一人の梅雨しか、見えていない。まるで最初から、彼女を好きだったのかのように…!」

私は我を忘れて泣き叫んだ。
そんな私の体を三木ヱ門が支える。
申し訳なさそうな顔で、すみませんと謝った。

「追い詰めるつもりではなかったんです…」
「っ、ひっく、っう…」
「ただ、私は蛙吹先輩のことが好きなんです。先輩が傷付いているのを、黙って見てはいられませんでした」

そう言って、三木ヱ門は私の顔を上げさせた。
流れるような動作で、唇が重なる。

「三木…」
「好きです、梅雨先輩…あの人のことは忘れて、私を見て下さい」
「っ、でも…」
「私なら、絶対に梅雨先輩を悲しませたりしません」

もう一度口付けられて抱きしめられた時には、私の体は抵抗するのを止めた。
三木ヱ門の力強い腕が背中に回る。
兵助よりはまだどこか頼りない気がするけど、それでも三木ヱ門は十分に男の人だった。

「私、凄い我が儘だよ。それでもいいの…?」
「構いませんよ」

呟いた直後、よりいっそう強く抱きしめられて、私は体の力を抜いた。


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