会社を出た途端、見計らったように腕を掴まれた。

「久しぶり」

聞こえた声は懐かしく、腕から伝わった体温に思わず反応してしまう。けれどそれ以上に私は見上げた久々知の顔が恐ろしく、すぐに目を反らした。
――怒っている。

当たり前だ。私が何も言わずに、久々知との連絡を一切絶ってしまったのだから。

「時間、あるよな?なくてもついてきて」

と、半ば強引に引っ張られて押し込められたのは、久々知の車だった。久々知が、女の人を乗せて、愛の言葉を囁き合っていた…


「嫌っ!」

私は反射的に叫んで飛び出そうとした。それには久々知も驚いたようだ。

「梅雨、」
「嫌ったら嫌!久々知の車になんか、乗りたくない!」
「どうして…っ」
「嫌ったら嫌なの!」

生理的な嫌悪感が募って仕方がない。私が本気で嫌がる素振りを見せたので、周りの視線も手伝い、久々知は慌ててシートベルトを付けてエンジンを掛けた。私が逃げる間もなくアクセルを踏む。

「やだ…私、やだって言ってるのに…どうしてこんなことするのよ…久々知…」

大体、久々知には私ではない好きな女の人がいるのに、私なんかにこだわらなくていいじゃない。好きな人同士で気持ちが通じてるなら、何も私で遊んだりしないで…ずっとその人と一緒にいればいいのに。

私は泣きながら、悔しくて何度も「嫌だ」と口にした。それから、「別れる」とも…
久々知はそんな私に声をかけることなく、車は夜の街を疾走する。気付いた時には全然知らない場所に連れてこられていた。どこかの駐車場、には違いないのだが、周りに建物はあまりない。随分辺鄙なところに連れてこられたものだ、と思うと怖くて仕方がなかった。

「梅雨」

エンジンを切った久々知が、神妙な顔をして私に問い掛ける。

「別れるって…本気なのか」
「っ、本気じゃなかったら…そんなこと言わないっ」
「どうして…」
「わたっ、私の方が聞きたいよ!どうして久々知は私と付き合ってるの!?」
「え?」
「本当は他に、好きな人がいるんでしょう!?私なんかより、ずっと一緒にいる…!」
「待って、それは誤解だって前にも言っただろう?」
「嘘つき…!この車に乗せて、二人で出掛けたくせに!!」
「えっ…?」

初めて久々知が動揺した。焦ったり困ったりした場面は見てきたけれど、言葉を詰まらせて迷っているようだった。ほら、思った通り。今まではばれてないと思ってたから、どれだけ言われてもごまかせたのよ。

「車に乗せたって…」
「久々知の車に盗聴器、仕掛けたの」
「盗聴器!?どうしてそんなこと…」
「言わないとわからない?ずっとずっと、不安だった…浮気してないって言いながら、いつも私以外を優先する久々知のことなんて、信用してなかった!」
「!」

久々知が目を見開いて驚く。怒るか、と思いきや、久々知は私の話を聞くと静かに「そうか…」と呟き、俯いた。その顔が泣きそうだったので、私は悪くないのに、罪悪感が募る。ここで負けてはならない。

「久々知はさ…あの人のことが、好きなんでしょ?私なんか必要ないでしょ?」
「………」
「だったら、最初から引き止めなんかしないで…」
「梅雨」

久々知が遮る。

「お前は、運命って信じる?」
「な…に?」
「この世に生まれ変わりがあっても、梅雨は信じられるだろうか」

久々知の突拍子のない話が淡々と紡がれる。突然何なのだろう。あなたは神を信じますか、などという宗教じみたものか。

「ごめん…梅雨には全部話しておくべきだと思ったけど、やっぱり言いにくくて…梅雨に、受け入れて貰えなかったらと思うと…」
「待って、久々知。何の話?私たち、別れ話してるんだよね」
「梅雨がそのつもりでも、俺は嫌だ」
「またそんなこと…っ!じゃぁ生まれ変わりって何、私が別れるって言い続けたら心中でもするつもり!?」
「そうじゃない」
「じゃぁ…」
「お願い。黙って、聞いて」


いつになく真剣な表情の久々知に、私はぐっと言葉を詰まらせた。まるで何も言わせまいとする鋭い眼光。恐ろしくて、見入ってしまう程だ。

「梅雨は誤解してるけど…あいつは浮気相手なんかじゃない。大切な友人の一人だ」
「嘘よ…だったら何で彼女の言葉に…気持ちを問う台詞に同意したの…」
「…それは、あいつと俺が、前世で想い合っていたからさ」

「………は?」

我ながら、間抜けな声が出たと思う。生まれ変わりの話を持ってきたかと思ったけど、まさかそこに繋がるとは…
久々知はそんな私の反応など気にせず、ゆっくりと話を続けた。



久々知の話によると、久々知たちある種の集団は全員前世の記憶を持っていて、偶然にも同じ時代に再会できたことを奇跡だと喜び、かつての出来事を懐かしみながら時間が許す限り何度も集まっては話をするそうだ。久々知と一緒にいたという女の人もその一人。彼女は前世で久々知と想いを通わせ、そして死ぬまで久々知に添い遂げたという…伴侶だった。
彼等と再会した時、久々知は酷く驚きつつも嬉しかったという。久々知たちが生きた時代は、今のような平和な世の中ではなく、いつ命を落とすかわからない闇の世界だったのだそうだ。

「みんな、記憶があるからこの時代では初対面でも簡単に打ち解けられた…あいつも俺のことを覚えていてくれて、今でも仲はいい」
「………」
「前世の記憶を持っていると、昔の想いも蘇ってくることが多くて…大半の奴らは、かつての恋人や伴侶と今でも想いを通じ合わせてたりする」
「だから…久々知も…」
「そうじゃない。言っただろ?俺は浮気なんかしてないって…昔、あいつを想って生涯を添い遂げた記憶は確かにある。だが、俺はそれでも記憶にこだわらず、梅雨を好きになったから、梅雨と一緒にいたいと思った」

右手を、久々知の両手で包まれた。
久々知は真剣に、私に対する想いを告げる。今は私が好きなのだと何度も言った。だから別れたくないのだとも。
でも、そんな単純なものだろうか?
少なくともあの会話から彼女の方は久々知を好きだということが窺えたし、久々知も割り切れてないところがあるのではないか。そう思わざるを得ない。だって、

「じゃぁ…何で誰とも、私を会わせてくれなかったの?会わせてくれたら、こんなにも不安にならなかったのに……私はいっつも寂しかったのに…」

掠れ声と共に零した本音に、久々知は静かに俯いた。

「ごめん……俺も、怖かったんだ。こんな話をして、梅雨に受け入れてもらえなかったらと思うと…あいつらに会わせて、梅雨が居心地の悪い思いをしても嫌だったし…」
「そんなの…言い訳にならないよ…」
「…あとは、情けない話、会わせるのが少し恥ずかしかったんだ…ずっと一緒だった分、彼女がいるって言えば、あいつらにからかわれるのはわかってたし…」
「あの人も、久々知をからかうの?」
「………」
「久々知?」
「ごめん、少しごまかした。本当は、まだ俺のことを好きでいるあいつに、梅雨のことを話す勇気がなかったんだ…ごめん……」
「………」

久々知は、私の手を額に押し付けたまま、黙り込んだ。


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