まだ日も昇らぬ朝方に目を覚ました。この夏、猛暑が続いてろくに降らなかった雨が、珍しく音を立てて地面を濡らしていたのだ。気温もいつもより少しばかり低い。ずれていた掛け布団を直し、肩まですっぽりと覆う。
こんな日は、馴染みの客がくる気がした。

私が働いている定食屋は、店の主人が随分と前に始めたものだと聞いた。大通りに面している分客足は悪くないし、余所の老舗と比べれば敷居は低い方。つまるところの、庶民の憩いの塲となっているのである。
私はここに11の時から勤めている。両親は既になく、戦争孤児だった私を店の主人が拾ってくれた。店の近くにある長屋の一室が私の家だ。
私は朝から晩まで働き、この店に恩を返してきた。店主やその奥さんは優しく、私を本当の娘のように扱ってくれた。時折持ってくる縁談は、そんな娘のような私を心配するとともに、二十歳を過ぎて行き遅れの私でも、何とか幸せにしてやりたいという思いからだろう。あるいはもしかしたら、子の顔がみたいのかもしれない。
夫婦には子供がおらず、奥さんの年齢を考えると強くは望めなかった。だから、私の子を産むのを楽しみにしている節は、今までの会話でどことなく窺えた。嬉しいのやら、気恥ずかしいやら。

そんな、あくまで想像の域を出ないことを考えながら、私は今日も一日頑張ろうと仕事に手を付けた。夫婦には悪いが、私は誰かに嫁ぐということを考えていない。縁談も全て断ってきた。その理由は、私が家のない孤児だからというものではなく、単に気になる人がいるからだ。
相手の存在を二人に話せば、きっと喜んでくれるだろう。しかし、私には話せない理由があった。
その人は一、二ヶ月に数度だけ店にやってくる人で、いつも同じ定食を頼んで帰っていく。以前お釣りを少なく渡してしまったことがあり、私が慌てて追い掛けた時から関わりがあった。その人の名は竹谷八左ヱ門さんという。

竹谷さんは体ががっしりとしていて、まさに男の人!という印象が強い。そして何故か獣臭い。
私が初めて竹谷さんとちゃんとお話しするまでは、そんな風にしか考えてなかった。
けれど一度話をするようになると、彼の竹を割ったような性格や、爽やかな笑顔、そして意外にも面倒見の良いところに私は惹かれた。彼には一つ下のお嫁さんがいるらしい。それでも私は竹谷さんを好きになり、何となくそんな雰囲気を察したのか、竹谷さんが夜中に私の家を訪れるようになって。ひそかな逢瀬が続いた。
でもそれも、私たちの関係を考えたらとても不毛な、あってはならないこと。会える日も限られている。
竹谷さんは仕事であっちこっち行くことが多く、ちょうどこの町が拠点にしやすいと言った。そしてそのせいで家に帰れず、お嫁さんにも顔を合わせていないとも…
なら二人でこの町に越してきたらどうです?と言ったら、これまた仕事の都合上それはできないと言った。お嫁さんも、多分納得しないだろうと付け加えて。その時の竹谷さんの顔は、どこか憂いを帯びていた。




雨の日は客足が減る。下手したら途絶えるなんてこともある。台風が来るとわかった時には、早々に店じまいをして戸が飛ばないように、しっかり固定しなければならない。
生憎と今日はそこまで酷い雨にはならなかったけれど、思った通り、人の数は減って、一番繁盛する時間だというのに、空席がいくつかあった。雨の日は一見さんはわざわざ店にこない。常連のお客さんがほとんどだろう。
私は会計を済ませたお客さんを店先まで見送り、ついでに外の様子を覗いた。大きな雨粒が乾いた大地にたたき付けられている。ふわりと香ってくる、土のにおい。こんなの久しぶりだなぁと内心子供のように楽しんでいたら、ふっと人影ができてそちらを見上げた。お客さんだ。
私は入口を開けるようにして「いらっしゃいませ」とそのお客さんにご挨拶した。すると傘を被っていたお客さんは、傘を外してにっと私に笑いかけたのだった。

「よう、久しぶりだな」
「あ……竹谷さん、?」

私は目を見開いて驚いた。それもそのはず、常連しかやって来ないこんな雨の日に、まさか普段はほとんど顔を出さない人がやってきたのだから。
私は仕事の顔に戻るとすぐに竹谷さんを店に通し、いつもの定食と熱いお茶をいれて彼に持って行った。竹谷さんは手ぬぐいで、体にかかった雨を拭っていた。

「こんな雨の中、よくいらしてくれましたね」
「あぁ、ちょうど一段落がついてな。ちょっくら寄ってこうと思ったんだ」
「それはどうもありがとうございます…熱いお茶をいれましたので、どうぞ体を温めて下さい」

私と竹谷さんは店の中では女給とお客さんだ。竹谷さんも、私との関係が知られてしまうのは良くない。お互い暗黙の了解だった。

「しっかしよう、今日はよく降るな」
「えぇ……今までが降らなさすぎた分、いいことなんでしょうが」
「この雨だと、客も減るよな」
「そうですねぇ」
「となると、少し早めに来て正解だったな。せっかく来ても店じまいされてちゃぁ、意味ないもんな」

ここでようやく私は竹谷さんの意図を知る。何でもないように装い、自然な動作でにっこりと笑顔を作った。

「そうですね……今日は間もなく店を閉めてしまいますから。私も、早く家に帰れそうです」

竹谷さんと会う時間が多く取れそうだ。

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